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Youtubeでリリーフランキーさんの、古い情熱大陸を見たのですが、これ結構よかったです。なぜか旧友を思い出しました。なんとなく、似ているものを感じたからでしょう。
![]() 12月の26日と31日とセッションがあるようです。大晦日は無理でしょうが、できれば久々に行ってみたいなと思っています。
今年は外国籍の市民にとって、大変な年です。内務大臣もかなりメディアに叩かれています。
以前記したビザの問題で、突然申請を却下する公式な手紙が来ました。やっぱり、と思ったら、その数日後電話があり綿密に私の状況について尋ねられました。うんうん、そのようね、こちらの手元の情報と同じだわ、と事実関係を照会しているようでした。そして、それではあなたには明日交付するからいらっしゃい。と言われました。これが先々週の話です。状況が一転した理由はいくつかあると思うのですが、まだまだデモに出たり、嘆願書を内務省に出し続けている学生も多いのが現状です。今までと比較すると依然の三分の一以下しか交付されなくなったそうです。 これもまたフランス、そう思えることの連続で、それに慣れっこの自分は、間違いなくずれてきているのだと思うのですが、ある一定のリズムの中で、確実にフランスのシステムはシステムなりに機能しているところがあり、いい加減なようで最終的にある程度は状況・背景を考慮した総合的な判断を下すのです。そこには確実にユマニテのベースを垣間見る瞬間があります。 今回ばかりはやはり骨折りでしたし、脱力しました。頭にきましたし、途方に暮れましたし、そして、さすがに疲れました。 でも、このいい加減だけれどユマニテの国に、やっぱりまあしばらくは付き合っていこうと思います。
沢山の物語を紡いでくれた土地である。生まれ育った国ではないけれど、ここ10年ほど私を魅了する国である。住んでいる期間は3年ほどだけれど、人々の動き方、コミュニケーションの仕方、仕組みで多くのところが共感できる土地である。
その共和国という政治システム、負担も多いけれどとてもよくできた・共感をするところも多い社会システム、個人主義だけれど情がある人々。贅沢を言うならば、大型日本のスーパーと、地下鉄に通じるエレベーターがあれば、この街にずっと住みたいと思うほどしっくりくるのだ。 フランス。 ここで勉強することが夢であった。それは、一つに日本での幼少時代の教育があり、そのあと渡った新大陸の経験があるのかもしれない。ヨーロッパ大陸に、中でもぜひともフランスに渡ってみたいと思った。 今この国は―おそらく世界中のどの国もある一定の範囲でそうであるように―揺れている。移民大国フランス。その様相は変わろうとしている。出生地主義の時代は現大統領になって終わり、この夏には、非EU出身の学生が滞在の身分変更をすることさえ難しくなった。ふつうの大学はおろか、その国のトップに位置するグランゼコールの学生さえ、5月31日に出たお達しを理由に、滞在許可が下りなくなった。夏休みの間に誰が予期しただろうか。2012年の大統領選を睨んでのお達しとのこと。 共和国的ではない、実にフランス的ではないと、学生は途方に暮れ、パリ政治学院も、HECも、Polytechniqueも、グランゼコール全体が猛烈に怒っている。 そして、このひどく冷徹かつ共和国らしからぬお達しに、今学校が、学生が一丸となり一緒になって内閣に直訴し始めた。当然、グランゼコールと政界・経済界とのつながりは深い。 渡仏したての時に新聞で読んだ、パリシンドロームなんていう言葉があまりにも懐かしく、昔のことほどに、フランスは甘くもないし、思っている以上に人間臭く、プロアクティヴなアクションが求められる。シンドロームに陥っている時間は、ない。 いればいるほど、フランスに染まるのは、元来持ち合わせた素質か、経験がそうさせたのかは、分かりえない。
10年ぶりのアムステルダムです。
いつも目に映すものが変わった私には、アムステルダムという街もまた異なって映って、とても心躍る滞在でした。 ![]() 今回は観光地を回るでもなく、企画したあるイベントのオルガナイザーとして出向きました。そうした緊張を解してくれる混沌は心地が良いものでした。前職を辞めて、3年前に学校に通うことを決めたとき、どうしたら異なる地域の都市政策や都市計画に食い込めるのかと思っていました。それだけにこの主題はとても地域性を帯びたものであり、いくらグローバル化と言っても、土地ごとの対応を土地の人間で考え、遂行するのがごく自然なテーマであるからです。ローカルな知見とバックグラウンドが必須であるのです。 そうして3年後こうしてアムステルダムにいることは、とても不思議であり、喜ばしく、執着心というものが一つの可能性を見出してくれることを実感する次第です。地方の都市政策の一つの要であるテーマに、環境問題への取組に有名な市の人や、電力会社や、メーカー各社がいるこの場で、ただの政策話を延々とするのではなく、今日・明日・次の1年から5年の話をするというのは、とても有意義で、いくら二酸化炭素排出削減とOECDのリサーチャーが言ったことよりも現実的なものなのではと思ったりします。もちろん、OECD他シンクタンクには当然リスペクトもあるわけですし、仕事が異なるだけですが。 パッションがある人が、パッションがあることをすることほど、効果的なことはなく、欲を言えばその一翼になれれば、欧州にいる日本人として、もしくはただのこのテーマに関心を寄せる人間として、ちょっぴりでも関われればすごく嬉しいなと思った二日でした。
子どもが産まれることにして、一年経ちました。
子どもを産んで、一年経ちました。 お誕生日おめでとう!と喜んだら、 友たちに、お母さん一歳おめでとう!と言われて、それはそれでとても嬉しかったです。 せっかくなので、赤飯などで食卓を囲みました。大好きなストーレーで、誕生ケーキも買いました。完全大人好みでシブーストをセレクト。大人が大きな声で盛大に歌ったり踊ったりするので、彼も嬉しくなって沢山手を叩いているのでした。シブーストは少し早かったようだけれど、赤飯は好みだった模様です。 ![]() 二十代もあと半年。それまでも、そのあとも、楽しんでいきたいと思います。 滞っているブログも、できるだけつけていきたいと思います。
おうじさま、という言葉を聞いて、おとぎ話か、恋する2人の話と勘違いした私は、とてつもなく想像力がないと言えるでしょう。なぜって。ちびっこにとっては、真夏にスーツを着た、若干暑苦しい(失礼)連れは、おうじさま、だったんですもの。
日本に帰ると会いたい人がたくさんい過ぎて、それなのに実際に会える人の数と言ったらとてつもなく少なくて、涙が出そうになります。滞在の大方の時間は、家族と、となり、それはそれでいつもの時空を埋めてくれるのですからとても大切なのですけれど。 今回はその選りすぐりのお友達の中でも、だいぶ長いお付き合いになってきたあの方と、そして今回はそのご家族(連れはご一緒したことがあり、私は初めて)と会う機会を得ました!ちびちゃんが合計三人で、かわいくて、うれしくて、不思議な気持ちになりました。 そのちびちゃんの一人が、どういうことかわかりませんけれど、連れのことを何度も何度も「王子様」って呼んだのでした。確かにどちらかといえば、というか、いやどちらとかいう問題でなく、薄いよりは濃い顔の連れですが、ちびっこには何故だか連れはおうじさまに見えたみたいで。 さて、おうじさまと言えば。日本に帰っていたときに、コクリク坂から、を観ました。とても清々しい恋を交えたお話で、淡く、けれど強い恋心にくらくらしました。登場人物の一人が、私のイメージするところの「おうじさま」にぴったりで、それは言わば韓流におうじさまを見るマダムたちのそれに似た気持ちなのかと思いました。 そんな中での上記の発言。そうだったんだー、連れはおうじさまなのだ。 さあ、日常に在る「おうじさま」chez nousハント、いざ。
いくつかのイベントを記すこともなく月日を過ごしているのでブログに立ち戻ってみようと思います。カメラを向ける存在が変化したわけだし、一日の時間の使い方も相当に変化したのはごく自然でふつうなことですね。
![]() 一年経った今日は、驚くほど日常に満ちていて、それはそれでいい休日です。
最近、ご近所を再発見する散歩が楽しいです。大通りを通らなかったり、いつもあまり行かない方向に(例えば北上)歩いてみたりして、ここの八百屋は安いだとか、新鮮だとか、あそこのトルコ料理屋はおいしそう、だとかそういう小さい発見を楽しんでいます。
私自身も、こうして日常の中でまだまだ沢山新鮮に思うことがあり、生活の中で、またプラスアルファで発見があります。当然、身体的に感じる新鮮さ以外にも、日々の情報収集・もしくはこれからしようとしていることを通じて、たくさんのわくわくの気持ちを感じることは難しくありません。新たななわくわくが大好きな種類の人間の私にしてみれば、今の状況は本当にありがたいものです。 ![]() >私流の組織論でいえば、「組織」というのは2人では不安定で、紛争は過激化 する傾向を内包しますが、3人こそ「組織論」の始まり、従ってデモクラシーの原点で、相互承認、思い やり、調和等をもたらしうるものです。 その際は、頭にはてな?マークが飛び交ったわけですが、その意味がなんとなく理解できる今日この頃です。 5か月が経ち、最近、時には彼と離れて過ごす時間も作っています。育まれ、愛されることがすべてな無垢な存在を前に、それは限りなく切ない思いになるものですが、同時に彼が新たな社会に触れる機会にもなるとも思います。私もまた、そうして刺激を受ける機会に恵まれています。小さな社会、中くらいの社会、大きな社会の中で、大変なこともあるけれど、楽しいこともたくさんあります。5か月経った今までも、これからも、Bon vivant(人生を楽しむ)をモットーに、自分自身と、パートナーと、彼に向き合っていきたいと思います。
大変ご無沙汰しています。年末年始はあれこれ忙しくネットアクセスも悪かったりしたのですが、元気にしています。
マイナスが続く寒空から、ここにきて10度を超える日があったり、今日も寒いとはいえお天道様が出たり隠れたりでいい陽気のパリです。先週末は、お日様が嬉しくなり、軽めのジャケットを羽織って左岸まで散歩してみました。久々にあのアイスクリームが食べたくなったのです。冬に合ったお味もお目見えしていて、特にマロン・グラッセのアイスクリームがおいしかったです。そのくらい、暖かなありがたい週末。セール初めての週末ということもあり、日曜日も多くのお店が開いていました。近くまで来たということで、左岸に住むお友達とカフェでいっぱいワインを。私はどうも貧乏性?出不精?で我が家でお茶をすることが多いですが、フランス人・フランス慣れしたお友達というのは、よく「カフェに行き」ます。疲れたから行くとか、飲みに行くのではなく、カフェに行くことが立派なお出かけ。そうして街に出ると、意外な場所にすてきなカフェを見つけて、今度行ってみようとなるのだから、そういうチェーンでないカフェ文化が発達した場所ではやっぱりぜひカフェに出かけるのが吉。思わぬ出会いもあるかもしれないです。 さて、隣国チュニジアのニュースが連日報道されています。毎日見ている20時からの国営テレビのニュースは30分のうち15分がチュニジアに関する特報。メインキャスターもチュニジアに赴く力の入れ様。それだけ近い国であることを今更ながら感じています。日本でも、母によれば随分と報道されているようですが、その様子はかなり黒煙やら機動隊やらで物々しいと言っていました。実際、チュニスにいるわけでもないのでなんとも言えませんが、家族ぐるみでお付き合いのある友達がチュニスにいるので、心配しています。パートナーが電話を30回以上かけても通じず。しかし、やっとつながったので話してみたら、街はいたって大丈夫なようで安心しました。けれど、野菜や牛乳など生活必需品がこういう時には手に入りにくくなるので大変だとのことです。 革命が起きたチュニジアとはだいぶ状況は異なりますが、ネットワーク・市民の連帯(という言葉はなんとなく政治的に用いられることが多い気もしますね)、そこまでいかずとも市民同士がコミュニケーションをとることの重要性を、海外に出るととても感じます。特に、個人的には、フランス生活を楽しめるかどうかは、数々の面倒や不便を乗り越えるために、他の人とコミュニケーションをとることを厭わないか、がキーになるように、よくパートナーと話します。たとえば、地下鉄の駅のバリアフリーはちっとも進まないけれど、代わりに周りの人々に助けをお願いする勇気、もしくはあちらから声をかけてくれる状況、そうしたコミュニケーションに救われます。たとえば東京に帰ると、安心と便利さに驚き、感動し、その快適さに一分で慣れてしまいます。が、反対にパリに戻ってくると、コミュニケーションをしよう、という意識を含めての自己危機管理意識が芽生えるのです。 だから、非常事態への対応がすこぶるいいことが多い、というのがもう一つパートナーとよく話すことです。最初から完璧でないから、問題に対応する心の準備もあるし、万が一緊急の事態の時も、焦らず力を合わせることができる。個人主義だと言われるけれど、そういう能力に長けた人が多いなと思うのです。そこで活きてくるのが日々培って?いるコミュニケーションをしようという心構えかもしれません。実際、我が家の建物の下で火事が起きた時も、住人の連携と対応は素晴らしくって、住民組合(サンディック)もちゃんと機能していて、あっぱれだと思いました。 二年半目のパリ生活をまとめると。クロワッサンとワインとチーズとセーヌ川とエッフェル塔とカフェだけでないここの暮らしです。
個人的に、9月のパリは例年とても美しいとしたら、11月は割合とねずみ色が多い月かと思います。
![]() ここのところ、雨続きのパリは実はそこまで寒いわけでもなくて、灰色の空に見て怖々、気持ちを奮い立たせて外に出てみて拍子抜けすることが多いです。その空模様を見ては、今ステレオで聴いているクラシックの曲たちがこの大陸で生み出された理由が分かるというものです。チャンネル2の朝のニュースをつけて、少しの間だけ空気の入れ替えをし、夜一度起きた際に回しておいた洗濯を干し、コーヒーをエスプレッソメーカーで淹れて、さて今日も一日始めよう!と気合いを入れるのが日課です。 今の時期の私の生活というのは、めまぐるしくとても忙しい日々かと思われがちで、確かに以前と時間の使い方はだいぶ変わったと言えるし、一日がすぐに過ぎては、夜がくるとすこんと深い眠りに落ちてしまうという意味では、やはり日夜のリズムは変わっているのでしょう。とはいえ範囲内では自分の時間をコントロールできるというか、そういう風にしても差し支えない状況を自ら作り出せているので幸せなものです。結局、いくらでも自分自身を制約することはできるし、周りの人々の目や社会的合意などが揃っている必要もあるのでしょうから、そこは運次第でもあると思うのですが、心構え次第で、特段過敏になるような必要もなく、Chilled outという言葉がしっくりくる環境を作ることは全く無理ではないのであります。 昔から、夜更かしが苦手な方だったのですが、そうはいっても、(その場合は仕事後、街に出る前に一度家に帰り休息してから繰り出すというマイペースな状況)夜になってから街に出ることは沢山あって、それはそれで楽しいのでした。それはそれで、きっと今でも楽しめるのでしょうが、生活リズムから行くとあまり自然な感じではないので、最近は朝方の性分に拍車がかかっています。そして。それならば約束事も朝に取り付ければいいのだはと思うようになりました。そんな訳で、友人に外で会う約束も、朝であっていけない理由はないと思い、先日朝カフェというのをしてみました。 普段なかなか行かないマドレーヌ寺院界隈。マカロンが有名なパティスリーです。ここのお店は他の支店に比べて、地元の人が多くて、朝だとビジネスマンが集ったり、暮らし向きのよさそうなマダムがルモンドを読んでいたりして、穴場です。なにしろ給仕がてきぱきしていて気持ちがよくおすすめです。ブランチや午後のお茶もいいけれど、頭がしゃきっとしている朝、こういう過ごし方も乙だなと思いました。
最近、パリを通過してくれる友人が多くて、とても嬉しくありがたい感じです。
![]() そして、またかつて同じ会社で働いていた方がパリでこの度展覧会を開くということで、気に入りのビストロでお昼をご一緒しました。それが。本当に素敵な方で、すぐに時間が過ぎてしまいました。 チュニジアの友人のご子息22歳。192センチの長身に革ジャン。図体に合わない(失敬)とびきりの笑顔とあたたかい心。雨の中ずぶぬれになりながら、それは大きなぬいぐるみを抱えてやって来て、我が家でしばしビールを一杯。 ロンドン時代の友人はこの街に実家があるので、朝からチョコレートケーキを焼いて来てくれました。ケーキを家で焼ける大人、ってなんて素敵なんですかね。我が家が購入したタルト型はいまだ日の目を見ず。そ、そのうち。どうしても、ブタノカクニが食べたいなというので、朝から三枚肉を調達し、豚の角煮を煮込み、別腹で美味しいケーキを頂きました。 インターネットの開設に2カ月かかろうとも、レジで途方もないおしゃべり待ちをしても、数々のうんざり以上にやっぱりこの街は何か惹きつけるものがあるから、そこを通る旅人もまた沢山いて、そういう街にいられることはとっても幸せです。一日一日を大切にしたいと思います。
2年で7回。
![]() ここ最近で引っ越しをした回数です。いくらなんでも多すぎなのではと思うのですが、ノマド的生活はこれからもぼちぼち続く感じです。先月末に新しい家に引っ越しをして、荷解きをし、新しい界隈を散策し、ご近所さんの雰囲気も分かってきました。興味深いことなのですが、その昔語学学校に通うためにホームステイをしたお宅から数えても、かたつむり型に区が置かれたパリ市内で(パリはかたつむり型に1区から始まり20区までの区で成り立っています)、ほぼ毎回少しずつ真ん中目の区に引っ越しを続けていることを発見しました。 ネットの接続もまだ安定しないものの、生活方面ではようやく落ち着いてきたので、我が家にて、先日遅ればせながら引っ越しパーティを行いました。それ以外にも、何かにつけて家ご飯に来てもらうことが多い我が家です。ランチには外に出ることも少なくはないのですが、夜家に帰る必要がないパーティというのは、気が楽です。以前であれば、パーティメニューというのをわざわざ考えて困るということもなくはなかったのですが、今は普通のご飯こそ、一番ぱっぱと作れてゲストに向かい合えるご飯なんだということに気づき、普通の晩御飯をいつもより多い人数でというのが相場です。最も、人を呼ぶとなると、飲み物のデザートは欠かせないようです。ここの兼ね合いで言うと、和食というのは、シメにデザートというのが特段必要ではありません。が、フランスでお家ご飯をしたら、どうしてもデザートとコーヒー・お茶・ハーブティなしにお開きというのが不自然なため、デザートだけはケーキやタルトになったり、突然和の色を控えたものになることが多いです。簡単なところでは、寒天を使ったお菓子があるのですが、小豆を使ったいわゆる和菓子は、残念にも万人受けせず、そういうのはサントノレ通り近くの和菓子屋さんでお茶をするような有閑マダム以下、ジャポノフィルなフランス人に限られるのではと思われます。 先日の引っ越しパーティも、特段ジャポノフィルが多いわけではなかったので、シメサバ、などハードなラインナップは少しやめておいて、鴨のハリハリ・パプリカとバジルの白和え・中華サラダ・とんかつ・シソと梅のチキンカツ・白みそ風味の鶏とかぶのグラタン・ちらし寿司などを食しました。シャンパン、白ワイン、赤ワインとよく開け楽しいソワレでした。 そして、今回のソワレで気づいたこと、それは靴というものが持つ意味合いの違いです。引っ越し屋さんにも、お客さんにも必ず靴を脱いでいただけますか?と言うことにしていて、パーティの際も事前に、靴を脱いでもらわなくちゃいけないから、必要であればスリッパを持って来てねとお伝えします。そうすると、ゲストも快く脱いでくれるか、必要であればスリッパを持ってきてくれます。今回も、ひと組のご夫妻はモロッコのバブーシュ持参でした。というのも、正式な場、お呼ばれの場というのは通常靴でというのがマナーであるわけで、引っ越ししてから既にかなりの交流があるお隣さん夫婦も、お隣のドアと我が家のドアは歩いて文字通り一歩、なわけなのに、初めて靴でお見えになりました(いつもは部屋履きのスリッポンで行き来)。初めてフランスに語学留学したお家も、人を呼んでのソワレには、決まって奥さんはハイヒールで家の中を闊歩していたものです。 そういう文化圏だからこその頂き物。まだ歩けないけれど、やっぱり靴です。一人前に世の中に出た証、オシャレ以前のマナーは足元から、ということなのかな。私には発想すらなくて。とても面白いです。 ![]() パートナー:「まず家族と荷物をピックアップしたいので、○×通りに向かってから×□通りにお願いします。」 運転手さん:「D'accord。でも、時には家族も荷物も忘れて、旅立ちたいとは思わないかい?」 そして今週。引っ越しをした新居の鍵の調子が芳しくなく、どうしても私は自宅の鍵を開けることができません。困ったので、鍵屋さんに行きました。 パートナー:「家の鍵がいまいちよろしくないので、替えたいなと。とりあえず一度見に来て頂けませんか。」 鍵屋さん:「D'accord。でも、鍵でなくって、奥さんを替えたいとは思わないかい?」 フランセ・フランセーズ達よ、貴方方のそのようなところが、私が貴方方を愛して止まないところです。
5週間強前の話ですが、入院した際に、コモロ諸島出身の女性と同室でした。通常同郷の人は、1人部屋を頼むらしいのですが、私にはそういう頭もなく、最初から2人部屋であることに何の疑問も抱かなかったのです。初日はコモロの女性ではない他の方が窓側のベッドにいて、彼女は早く退院したかったようで、入れ替わってコモロの女性が部屋に入りました。5人目の出産ということで、後産に苦しんでいるのが分かって、特に彼女の場合は身体も大きくて気の毒になり、なぜか私も入院している身のはずですが、キッチンからお水を持ってきたり、身の回りのお世話?をしたりしました。
この経験がある意味超現実的だったのは、彼女の出身地が、日本から来た私には少し珍しいということだけでなく、彼女がSans papier(超過滞在などの不法滞在者)であったことにあります。国立病院を選択し、2人部屋となると、こういうことも当然あり得るのでしょうが。 (ちなみに。ブログ散歩をしていて、同じくパリ在住、こちらは社会学博士で研究されている磯さんのブログにも、この関連で興味深い言及があります→社会学徒の研究(?)日誌http://d.hatena.ne.jp/naokimed/20100726/1280152542。話は逸れますが、気骨なブログで、また学部時代の本たちを思い出して、急に公共政策寄りの議論から社会学に引き戻されました。) 彼女のケースをかいつまんで話すと、元々コモロ諸島から旅行ビザでやってきてそのまま残ってしまったこと、そのうちにパスポートを紛失したこと、この度パリで出会ったコモロ諸島系フランス人の男性との間に子供ができたこと、けれど彼は結婚をしており、重婚を認めないフランスで彼と結婚することは無理なこと(彼女の国では宗教的にも可能)、その子供のお父さんはあいにく入院中一度も子供の顔を見にはこず、けれど子供の認知には合意していて、子供はお父さんの名字を授かること、などが同室での会話で分かりました。通所コモロ諸島はマダガスカル同様仏語も一つの大切な共通語なのですが、彼女の場合は彼女いわくきちんとフランス語の教育を受けておらず(もしくは受けていたけれど家庭の事情・ないし彼女自らの選択でドロップアウトしてしまった)、フランス語も大切な局面になると完全ではないことが、入院においても障害を生んでいるように見受けられました。実際、子供の出生登録で困っていそうなところに出くわし、なぜかフランス語があやしい私が一助するという不思議な状況だったのでした。 では、そんな彼女がなぜ子供をもうけたのか。それは彼女と子供のお父さんの選択であり、彼らのみ知ることなのですが、一つ大変立ち入った失礼なことを言えば、もしかしたら子供を産むというのが、彼女自身がフランスに住み続けるセキュリティになるという可能性もあるのかと、彼女の話から察するのです。フランス人のお父さんを持つ子供がフランスに住むために、赤ちゃんを養育するお母さんが共にフランスに住むというのはごくまっとうな理由になります。 全くの赤の他人の私がこういう他人様の話に立ち入るのはどうかと思うのですが、実際今退院した彼女がどうやって子供を育てていくのか、特にフランス語が(特に察するにフランス語の読み書きがあまり完全でない模様)達者でない場合、どのように仕事を見つけるのか、どの程度のサポートを赤ちゃんのお父さんから得られるのか、病院を一歩出た彼女に問題は山積みであることは一見明らかです。実際、彼女曰く、今回の出産も所得がない人の援助を国から得てしているとのこと。不法滞在というステータスに関わらず、それはそれでまずは産まれてくる新しい命を守ろうとするフランスの懐の深さを感じずにはいられません。 そして。子供を産むという大きく、ある意味大変リスキーな「賭け」をしてもこの地に残ろうとする彼女。そこにある「愛」だとかそ、れ以外の「自分の人生を自分の手で手に入れる」という強い衝動に、病院という小宇宙で軽く眩暈がしたのでした。
家の近くの市場が立つのは毎週木曜日と日曜日。何が新鮮かは、その日にならないと分かりません。鯖が食べたいと思って出かけても、いまいちなこともあるし、思いがけず美味しそうな苺が手に入ることもあります(なぜかこちらでは秋の今苺が出回っています)。
![]() さて、ここ二週間の自身と言えば、どこかで全く異なる生活や価値観が私に覆いかぶさるのではと思う好奇心と、同時に一定の不安を抱かないと言えば嘘になるのです。けれども。その心配が無用なものだることが分かりました。ありがたいことに、ゆっくり、けれど確実に、このリズムに慣れてきています。そう、リセットも脱構築も無理やりに必要なことはないことが分かりました。今まで通りの生活、そこに少しだけのずらしがやってきて、それはいとも自然な営みなようです。
悠長な話です。その日、自宅にて、いつもの様に夕飯を囲んでいました。
![]() カルボナーラと新鮮なサニーレタスのサラダを食べて、頂き物の世にも美しいピエール・マルコリーニの玉虫色のマカロンを食べてご機嫌なソワレをしているところ、今までとは異なる感覚と痛みを伴う兆しが見られたのでした。時間を計ってみたところ規則的なので一応出かけてみることに。兆しが訪れる時以外の時間を見計らい、ゆっくり至近のタクシー乗り場に歩いて行きました。タクシーから見える青黒いセーヌ河と街並みが美しいことを見る余裕がある時とそうでないことが交互に訪れ、そうこうしているうちに目的地に到着しました。事前に言われていた窓口に出向き、確認をすると今日はもう帰らないでここにいてね、今夜中よ、とのこと。正直、そんなつもりがない程度の兆しだったのでびっくりしました。 この国に魅せられることは多いのですが、今までで一番感銘を受けたのは、医療と社会保険の制度の良さと質の良さでしょうか。特に生を授かるこのセクションはとてもプロフェッショナルであり、安心して身を預けることができるのです。初めて見るその部屋はシンプルながら必要なものが取りそろえられており、部屋に入る道でも新しい命の泣き声が聞こえてきました。 日本で同じ経験を通る方とは比べ物にならないと思うのですが、一通りの痛みを経験し、その後麻酔を打ってもらいました。とはいえ、それでもシースルー越しに感じられる痛みというのは確実にあり、時が熟すのを待つ間もそれが徐々に大きくなるのでした。鋭い波が行っては帰る、そういうのを6時間程経験してから、いよいよ先生を呼びましょうということになって、その時がやってきたのでした。 よく、産む、という言葉を使うと思うのですが、私自身の経験では、間違いなくこちらはその営みをassister(助ける)側であるにすぎず、本当に大変なのはそこを通ってくる小さな存在なのだと強く思いました。十月十日を通じ育まれ、時満ちてさぁ出てみようと思う弱くて小さいけれど確実に力強いその存在。それは超現実的で神秘的で不思議な経験でした。痛いとか怖いとか面白いとかでなく、その神秘に寄りそう経験は唯一無二でした。 何の縁かは分かりませんが、そんなこんなで母になりました。 ブログはあくまで私の話でありますので、意思疎通ができるわけでないその人についてあまり話すこともできませんが、それでも今まで経験したことがない種類の経験であることは間違いなく、その意味ではこんなに興味深い体験もないわけで、時を見て投稿出来ればと思います。
土曜日の朝だけは、朝起きてから下のパン屋まで出かけクロワッサンを買います。通常は、田舎パンや雑穀パン、シリアル、マドレーヌにバナナ・時にバナナ他をミキサーにかけたジュースとコーヒーを食べるのですが、クロワッサンはささやかな週末だけの楽しみです。元々、ご飯党なので、白米にお味噌汁に焼き魚にお海苔と納豆というのも完璧素敵な朝ごはんなのですが、簡単さに負けて、上記のようなメニューが多いのです。
![]() 母が街に来ているのですが、母はパン好きなので、いくつか気に入りの種類のパンの頼み方を練習し、進んで焼き立てのパンを買いに行ってくれるようになりました。その他、コンテチーズが気に行った模様で、どのチーズが美味しいよ、とか、どのバターが美味しいよ、とか、イチジクのジャムは美味しいね、とか、この紅茶は美味しいね、とか楽しめてもらっているようで安心しています。日本に残した家族には母の不在中何かと面倒もかけると思うと申し訳ないのですが、やはり私としても心強いです。よく行くベトナム食材店、スーパー、市場、オーガニック食材店など一通り一緒に回って勝手が分かるようになった模様です。ありがたいことに買い物をお願いすることもあります。父がフランス語の会話本を持たせてくれたらしく、それを見ては市場の果実や野菜や魚、あとは万が一迷子になった際の諸々を控えています。実は、こちらに来る前に数カ月程ラジオ講座でフランス語をやってみたらしく、そういうことをちらっと話す母の気持ちが、心からありがたいです。 母を見ていて気づかされることは、「分からないことが分かる」ということによって、幾分も母の海外滞在が母自身にとっても、私や相方にとっても、日本で待っている父にとっても、楽になっているという点です。それは、遡れば、言葉が分からない環境でなんとか暮らさなくてはならなかった十四年前があったからなのだと思うのですが。 思い出すのは中学に転校したばかりの時に、なぜか唯一英語の能力を問わないはずの家庭科のクラスで落第点をつけられてしまって、メソメソ泣く私の腕を引っ張って、英語も流暢でない母はどうにかこうにか、気迫で教頭先生にかけあいに行ってくれたのでした。英語の授業ならともかく、家庭科でどうして?と。小さい村社会の学校には、そういう言葉が上手く操れない人への差別もあるのはある程度仕方なく、それに打ち勝つには、自分がその力をつけるしかなかったのです。それがまだ無理な子供を、押す姿勢を当時とてもありがたく思いました。 状況は変わりましたけど、今でも東京やここにいる家族に、そっと、そして時に強く支えられています。
都会の中の自然は、それが「自然」でなく、ある程度「人工」であってもとても落ち着くものですが、こちらに来て初めてブローニュの森に出かけました。東京でも代々木公園と明治神宮に似た性質のものを感じていたので、久々に木々や水に囲まれ、太陽を浴びるというのは、とても心地よいものです。
![]() ゆっくり沢山歩いて、汗をかいて、ちょっと休んで、麦茶を口に含んで。日焼けもしました。こういうことをすると、東京に置いてきたハイキング靴が欲しくなりますね。そこまで本格的にせずに、ゆったりの今週末は、街端の森の池向こうにあるレストランでゆっくりゆっくりご飯です。
パリ市立美術館のプチパレで行われている、イブ・サンローラン回顧展に行ってきました。
![]() ファッション関係の展覧会はそれほど行ったことがなく、覚えている限りは埼玉県立近代美術館のファッションとスペイン文化展、ベトナムでたまたま観たピエール・カルダン写真展と、森美術館のヴィヴィアン・ウェストウッド展位なものかと思います。あまり縁がない世界ですが、プレタポルテにはないオートクチュール独特の世界観だったり美的感覚だったりが、世界の人々に与える影響というのはこうして歴史にしてみると明らかな訳で、特にイブ・サン・ローランというその人がフランス社会に与えた影響というのは、ココ・シャネルやクリスチャン・ディオールのそれと同じ様に、とても大きい様です。 私は日常に追われ、そんなことをすっかり覚えてもいなければ、おそらくはその記事さえ読んでいないのですが、相方曰く、2008年にイブ・サンローランが逝去された時、フランスは深い悲しみに包まれたのだそうです。ル・モンドは、一つの美しい花が散ってしまった、という風なこの上なく上品で上等なフランス語で彼が逝ってしまったことを追悼したのだと。 60以上の高級ブランドを傘下に持つコングロマリットが幅を利かすきらびやかな世界は、とてもまぶしくて、時に色艶が見えない位に、金銭的価値で計られ、私自身そうした状況にある程度の距離感を置いてしまうのです。値札がついていない空間で洋服が見られて、そうしたことが逆に浮き出てきて、なんとも味わい深い展覧会でした。
フランスに多くの人が住むマグレブ地域を始めとする多くの地域で、ラマダーンが始まった様です。
![]() フランスにもイスラム教徒が多く住んでいるので、昨夜と今朝のトップニュースもラマダーン開始を知らせるニュース。ゆるり信仰のチュニジアの友人も、一昨日からウィスキーを断っているとのこと。オフィスの仕事なども朝早め始業で、休みなしに15時前に終えるという形式をとったり色々な工夫がなされるようです。しばらくは自動車の事故などがどうしても多くなってしまうこの季節、特に今年は酷暑の中のラマダーンなので、少し心配しています。インドネシアとイエメンにカシミール出身で米国に帰った同級生、日本にいるイスラム教徒の友人のことを考えつつ。 私自身はよく日本でありがちな、いいとこどりの申し子で、よく聞かれがちな、あなたは何の宗教を信じているの?に、うーんと祖父はこういうお墓に入っていて、祖母は毎年お盆ていうのをして、でも初詣というので神社も行くし、除夜の鐘というのを聞いたりお寺巡りもするし、クリスマスにチキンも食べるし、あとは、ガンジス川の流れにいたく心打たれたわよ、というタイプです。とはいえ、そういうRigidな宗教が持つ様々な規則と、それ以上にその背景にある意味合いには結構関心がありますし、分からない・知らない中でもリスペクトしていきたいと願っています。 当然、宗教もそうですし、人というのは様々で、イスラームの教えの信仰の仕方も地域性や家族の中、また個人の中で大きな幅があると思います。そのことが頭では分かっているけれど、限られた理解の中でリスペクトを示す時、逆に一つの固定概念に囚われる危険性もあるかなと思うと、簡単な話ではないと思ったりします。友人夫婦に、マグレブ出身のご主人と、ユダヤ教のフランセーズのご夫婦がおられます。二人をただの夫婦と言ってしまえばそれが一番シンプルです。言い方を変えれば、異教徒のカップルという言い方もでき、そこにポジティブ・ネガティブなコノテーションをつけることもできます。そういうお二人は、それぞれの信仰を割り切っておられるところと、許容されているところと色々あると思うのですが、こだわりすぎてもうまくいかない。 宗教以外でも、国籍や一つの文化圏の慣例というのも海外においてはしばしば尋ねられます。日本ではどうなの?てやつです。日本人はこういうときどうするの?だとか。明らかに、自身が日本代表というにははばかられる気がするので、そういう質問がある度に、個人的には、と一言加えて始めることになるのですが、そうはいっても、ある程度、一つの文化圏での「傾向」というのはあるわけで、自身も含めその傾向に影響されていることも本当であり。例えば、それは家族についての考え方や、パートナーシップに対する考え方、「愛」という概念の揺らぎなど、最近よく他の文化圏の友人と話す機会がある話題一つ取ってみても如実に表れています。もっといえば、女って、だとか男って、だとかそういう議論も、ある人にしてみれば性差による違いが明らかにある場合もあるし、そういう議論を好まない方もいます。 個人的には、会話を個人的には、で始めて、こういう傾向があるように思えるけれど、最終的には国籍や宗教や倫理や慣習の組み合わせによって、色々な日本があるんじゃないかな、と答える自分は、最善の答え方をしているのかもしれないし、ちょっとばかり外交的すぎるのかなと思ったり、さじ加減はなかなか難しいところですね。
先日、敬愛するべーシストのRon Carterが来仏すると聞いて、なかなか行く機会のない界隈、Chatêau d'eauの老舗ジャズライブハウスNew Morningに行ってきました。
![]() この界隈は、ウィッグや髪の編みこみをしてくれるアフリカ系の人口が多い地域で、これがニューヨークであれば、さながらハーレム的なエリアと言ってもいいかと思います。カルチエ毎にマグレブ系の人が多い地域、中国・ベトナム・カンボジア系が多い地域、ユダヤ系の人が多いエリアとBOBOが出没しがちなエリア、レインボーフラッグが目立つ自宅の近く、移民が極端に少ない左岸、韓国系が多い左岸のエリアなどある程度の住み分けがされ、それもまた面白いパリです。 鬱々とした気分だった高校時代に聞いた彼のアップライトの演奏に感銘を受けた十代。二十代になって、東京でJim Hallとのセッションを観に行って約二年が経ちますが、変わらずの長身と優しい語り口調、きちんと仕立てた黒いスーツを着てすっと座る彼は本当に色艶のある素敵なおじさまです。今回は、一度聴いてみたかったギターリストのRussel Maloneもトリオの一員として参加していて、それは熱いソワレになったのでした。空調が効いていないことが多いこの街の建物、ライブハウスもご多分にもれず。入口のセキュリティのおじさんも、皆の熱気と暑い夜の相乗効果で、今夜はLa soirée du hammamだね、と笑っていました。 さて、当日は本当に白人の観客が多かったです。アフリカ系の人が多いこの地域で、局地的に異なるデモグラフィー。それにプラスしてアジア人はわれら位なものだったんではないかとお見受けしました。結局ジャズ文化がニューヨークやニューオーリンズ、そしてデトロイトのそれほどではないかもしれない、もしくは一風異なる位置づけがされているように思える音楽だからかもしれません。とはいえ、こちらでタクシーに乗った中でジャズのラジオを聴いているのは、今までの経験だとたいがいアフリカ系の運転手さんでした。ですから、白人のお客さんだけに受けているわけでは決してないのだと思うんですけど、実際に会場に足を運ぶ人口と、ジャズが好きな人口にある一定のギャップがあるようにも思えました。 皮肉なことに、Ron Carter氏がジャズを始めたきっかけ、それは彼が黒人であったことというのを雑誌か何かで読んだことがあります。デトロイト出身(というのも一つ親近感が湧くポイントです)の彼は、元々チェロ奏者を志し学校に行っていたそうですが、人種が問題になり、オーケストラに入団できなかったとのこと。白人のジャズミュージシャンがいても特段奇異に見られないのに、その反対は。そしてアフリカ系であるならばジャズでしょうという固定概念の深い根。それは私の中にもあるのかもしれないのですが。反対をつくと、演歌を唄うアフリカ系米国人のジェロがとても人気になったりで、ワインの如くブラインド・テースティングがあったら、演奏者と聴き手に何か変化があるのだろうか、興味深く思っています。
初めてこの季節に街に残っています。この夏は特段街を出る予定もないので、街に残った友人との家の会が多い今日この頃です。
![]() 河沿いに集まって、市が作ったゴザやイスの上でチーズ・ワイン・パンとオリーヴのゆるい会に参加してみたり、お魚料理をふるまってくれるというので友人宅に出かけてみたり、ちらし寿司やお惣菜を作ったというので河を渡ってお邪魔してみたり、こちらもかき揚げとうどんの会を開催してみたり、皮から作る水餃子の会をしてみたり、そんな感じで家周辺での活動を活性化させています。東京にいる時も、家が大好きだった私は、半ば無理やりそれなりの頻度で家の会を開催していた方かなと思うのですが、パリという街はこの家飲みというのが一つのジャンルとしてかなり確立していて、通常東京のコンテクストで行っていた「飲み会」に匹敵するのが、家でゆるーく食べたり飲んだりする"Fête"にあたるんではないかと思われます。 お呼ばれするのも家で開催するのも、すこぶる楽しい家の会です。先週は目に鼻に舌に美味しいごちそうにありつきました。日本人の奥さんもこちらにずっとおられて完全にパリジェンヌであるし、あのいつか行ってみたい、バオバブやおサルさんで有名なインド洋の美しき島出身の旦那さんの腕の良さと言ったら、違う職業(そしてこのお仕事も大変な知識と技能を必要とするお仕事なわけですが)をされているのがもったいない位です。久々に五感全体に訴えかける素敵な嗜好をお持ちのカップルに、とても感化されたのでした。家には旦那さんが描いた色彩豊かな画も飾られていて、趣味なんでしょうけど、なんとも豊かな気持ちにさせてもらいました。その夜のメニューは、唐辛子に魚のすり身を入れて焼いたん、茄子の煮浸し、タヒチ風鯛のカルパッチョ、マダガスカルレシピの牛の尻尾を圧力鍋で甘辛く煮てご飯と頂くメイン、最後はアモリーノのココナッツとマンゴーのアイスを食べながら食後酒のラム酒と、エスプリが効いていて、最高に刺激される会だったのでした。 それから、一歳半の小さい子もいましたが、こんなに大人慣れした子供を見たことがないのでびっくりしました。知らない人が大勢のはずなのにちっとも怖がらないし、むしろにこにこやっているのが印象的でした。彼の性格なのか、環境なのかは分からないのですが、歯が生え始めたばかりのあの子も、一人の立派な「人」でした。夜も更けると、パジャマに着替えるのを合図に、バイバイと愛想をふりまいて自分の部屋に大人しく連れていかれて自分で寝てしまいました。 女の子が女性になる中で、「女子高生」になったり、「女子大生」になったり、「OL」になったり、「アラサ―・アラフォー」と呼ばれたり、そのうち「お母さん」以外の顔を見せなくなったり、そういうのに多少の違和感を感じたりの、相変わらずあまのじゃくの私です。けれども、その社会的な括りが妙に自身でもしっくりきたり・こなければ、ストレスを感じながらがんじがらめになるも、それは最終的には社会の括りを自分がいかに受け入れるかということであって、これも・あれも・それも私であるし、私の大好きな時間はこんな・あんな・そんな時間もあるのです、という生き方も当然可能なのだと思うと。これからがもっと楽しみになるし、家を中心とした生活も楽しみになるのでした。
髪の毛を切りました。肩下15センチ程になった髪がそろそろ長すぎたので、思い切って襟足ぎりぎりのボブにしました。
![]() 髪の毛を洗おうにも、ヘアパックをしようにも、洗う部分もパックをする部分も少なくて不思議な感じです。山田優ちゃん位短くなったのですが、どちらかというと故・南田洋子さんに似た髪型であることが分かりました。海外に出ると、たいてい悩むのがどこで髪の毛を切ってもらうかということだったりすると思うのですが、私もこちらに来てから切ってもらっていた美容師さんが東京に帰ってしまって、今回は自宅で切ってくれるヘアメイクのお姉さんにお願いしたのでした。ビーチサンダルで現れたお姉さんは、普段はコレクションのヘアメイクをしている方で、カザニエ(出不精)の私にはうってつけな話しです。お姉さんは、美容師のくせして、美容院が苦手なのだそうです。あの、お客さんがオシャレ空間で話さなくてはいけないとがんばってしまう空間がなんとも、ということらしいんですが。華やかな世界の裏方をする方の発言としては、なんとも興味深いです。確かに、出不精たち以外のも、なんらかの事情で外に出られない人たちに、こういう出張サービスは好都合なのです。 この街にも、色々な職業の邦人がいるのですが、こういう美容関係の方も少なからずおられます。普段は全く縁がない世界ですが、やはりそこが伊達にクチュール・プレタポルテ問わずコレクションが多い街であり、一応は美容といえば、の街であることがうかがわれます。 この街、またロンドンにおいてもよく見かけたのですが、日本で言ういわゆるエステよりもゆるい感覚のInstitut de beautéが街の至る所にあります。お金を積んで何カ月コース・何回コースでするというよりは、一回ずつ予約をするタイプで、美顔・マッサージ以外でも特に夏に需要があるような(つまり、ブラジルで盛んの、セックス・アンド・シティのシーン的なコースです)単発のコースが沢山あり、安価です。一見さんお断り、というところはないので、ありがたい、という話しです。 美容院にしてもこういうエステにしても、どうやらこうなのかなと思うところは、やはり美で気にする対象が東京でのそれとはかなり異なることです。シミや肌の透明度、まつげの長さ(「盛る」という言葉、私が日本を出てから流行ったようですが)、芸が細かいネイル、髪型の完璧さに目がいきがちかと思うのですが、こちらの場合は、ネイルはたいてい自分でやったんだけど、利き手の反対はやっぱりちょっとはみだしちゃったわ、位なもので、日焼けなど、日本の美白の巨匠が怒りそうな、もう少し自然児的なオシャレだとか、大切な人の前でしか見えない身だしなみというのがとても重要視されているような感じです。海外に出た日本女子たちは、ヨーロッパ・アメリカ・その他の国々に問わず、たくましく日本で使っている化粧品や現地調達をしつつケアを怠らないのだと思うのですが、こちらで大切に思われている身だしなみは、他方自分で出来る範囲が限られている気がします。海外かぶれした・ないし外国から日本に移り住んでいる女子たちは、日本と自身の国のエステ事情に少なからず困っているんではと思った次第です。 こういう違いに思うのは、彼女の美意識が、誰の美意識であるかということであって、東京で慣れ親しんだ美容は、男目線の、彼の嗜好もさることながら、やはり私の美意識、雑誌などが誘導する私たちの美意識という女子目線が強いものだと私個人は思ったりしています。当然東京を出てみても、私たちの美意識だとか、彼の美意識というのが当然刺激になり美容の流行を作っているのだと思うのですが、その両者のどちらがより、と言えば、おそらく後者の男子目線というのがすこぶる大切で、その中で上のような身だしなみが当然視されているのかなと思ったりします。 美意識・エステ事情に通じるところは、多分その国の恋愛のお国柄であったりもするのかなと思いつつ、昨日は仏人の友人とその辺りについてとても興味深い話をしたので、またそこについても記せたらと思います。
5月以降寒空が続くパリですが、昨日からはとてもきれいな太陽の陽がさしています。パリジェンヌも待っていましたとばかりにサンダルに履き替え、半そで・チューブトップに大きなレイバンのサングラスで闊歩している人が多くなりました。私は大貫妙子の都会を聴いてお掃除です。
![]() 彼女たちのちょっと悲しい経験は以前記しましたが、そんなこといつまでもくよくよしていても仕方ない。前見て歩くお母さんは、お母さんの顔もするけれど、女性の顔もあって、誰かいい人がいたら紹介してよね、と笑えるまでになりました。子育てで少なめにしていた仕事も少しずつ増えて、海外出張も多くなったようです。私も嬉しいです。 幼少時代に、そして大人になって海外に出てみて思うこと。言葉の障害を理由にすることもあるけれど、実は人間関係に言葉の違いなんてたいしたことじゃないです。証拠に、今でもわたしの仏語なんてまだまだ。例えば獣医という単語を発音するのが苦手なんですけど、それだって、笑いをさそって、子どもたちが根気よく教えてくれます。もう言えないなら、省略版を言えばいいよ、と言われると、くやしいので何度も練習です。それも、笑ってしまえばいいのです。この家族の(お母さんの、そして子どもたちの)早口なフランス語と子どもたちの言葉遊びや早口言葉を真似るとたちまち失敗して皆で大笑い。文化の違いを障害に感じることがないわけでもないけれど、実は人間関係に文化の違いなんてそもそもあって当たり前なんだと。だって、日本人同士でも、難しいことなんて山ほどあるのだし。久々に白いパールのジェルネイルとデザインを施した私の爪を見て、とても珍しそうに見つめる下の子に、日本の女の子は皆こういうのやるんだよ、と話して、ふーん、日本って超現実的な国!と目をくるくるされる彼女とお喋りすることもまた楽しいです。 そして。結局家族のつながりの独特さを感じて帰ってきました。私とあの家族が、そして友人と心を通わせるのはまた違う次元でのつながり。元々家族の礎となるお父さんとお母さんは、やっぱり他人様だけれど、なんだかんだ一つの家族になって。ずっと一緒のわけじゃない、そんな緊張関係と安心感。そんなことちっとも子供のころは考えませんでした。感じさせない男女が築いた家庭に育ったからでしょう。 三人はどんな大人になるかな。今から楽しみです。
二つの街を行ったり来たりの宙ぶらりから、いよいよ一つの街に腰を据える準備が整いました。これまではあれだ、これだと理由があっただろうけれど、これからは過信せずにゆっくり休みなさいよ、というモンパルナスのマダム先生の忠告を聞いて帰ってきました。この機会、せっかくなのだからあれもしたい、あそこにも行きたいという気持ちもさることながら、そう先生に言われた途端、そうだよなとやけに身体が反応するのは、言葉は多少乱暴だとお叱りを受けそうですが、結局身体に異物が居る、ということにつき、そのことを自然と受け止めるよりは、異なる個体を抱えているのだと思い生活をする方が、よっぽど自然なことなのだと考えたりするきっかけになります。
先生の診療所は、サーモンピンクの部屋に温かみがあるソファが置いてあって、いつもラジオクラシックがかかっています。ご主人が小児科の先生なので、アパートの一室を改造して、手前が小児科と小児科用の待合室、あちら側がマダム先生のオフィスです。通常は国立病院に厄介になっていますが、先週から助産婦さんのストライキが続いていて、そこでかかりつけのマダム先生のところに今月は急きょご厄介になることになったわけです。結論として、このマダム先生に会うのはとても面白く、彼女の触診には大層信頼を置いているので、現代機器が揃わないこのオフィスでも、マダム先生の知識と経験に勝るものはないのです。そうやって、本当は我々のお母さんたちも過ごしてきたのだから、それで事足りるわけだし、過度な情報と過度な情報革新が安心を運んでくれるようで、心配の種もまた増やしていることを、彼女に会うといつも感じます。 さて、先月母に持ってきてもらった女性誌に、ふとすれば全く雑誌全体の内容とは趣向の異なる、姜尚中さんのコラムがあります。私はこのせんせいが書くものが元々とても好きなのですけど、今回のコラムの一節が面白く。都市空間についての言及で、東京という街に触れて、この街を自由な街にするためには、意味づけされていない空間を増やす必要性を説いていています。 そんなコラムを読み、待合室に座りながら、意味付けされていない空間が、誰にとって意味付けされていないのか、逆に意味付けされている空間はどういう空間なのか、その意味付けは誰がするものなのか、を考えていました。そうして、その質問は必然と、自身が生まれ育った街東京を考える素材となるのです。(近年のオリンピックに伴う魚市場移転などいくつかの問題を除き)都市政策がさほどメインイシューにならないように思えてならない東京という街を意味づけるのは誰なのか、なぜ彼らがその力を持っているのか、「彼ら」と一色単に言っても、その存在自体も時代時代で揺らいできていて、いわゆるシティプラニング以外の、それこそ駅なか事業に始まる意味付けできる空間の発見。それはカイゼンというコンセプトに表現され、その進化・深化たるや驚くべきなのですが、感動と、同時にどの駅も、どの改札口も、どのロータリーも、どの店ももしかしたら似通うリスク。 今住まう街の不便さたるや、感じ方次第では甚だしいのでしょうが、無意味な空間に解放感を、安心感を覚える性質の人にはたまらない場合もあります。ふと考えるのは、あの無意味さに溢れた、混沌とした街、小学生の頃からなじみのある東京は下北沢という街だったり、中野という街だったりします。 再開発の色や形やデザインを見て一目で、あのデベロッパーだ、と分かる街の中の混沌さ、オスマン大通りやモンパルナスタワーやラ・デファンスのような国家とパリ市をあげての都市計画と反して存在する無垢な人間の空間。私の関心を捉えて離さない二つの街の意味づけのない空間に今一度深い関心を覚えています。
その昔、フェアトレードに関心がある大学の友がペルーのあるお嬢さんと友達になったのが縁で、私もペルーに行った際にそのお嬢さんのご家族の家に泊めていただいたことがあります。2005年の2月~3月のことです。とても温かく迎えて頂いて、リマから始まったバックパッキングの旅は、その後、アマゾンの町イキートスのいとこ宅、クスコのいとこ宅とペルーを横断して一族を訪ねる旅になりました。わたくしさっぱりスペイン語ができないのに、なんとかコミュニケーションがとれていたのは、オープンマインドな実業家のお父さんとお母さん(二人ともエンジニアで会社をやっていました)のお陰というものでしょう。
![]() そんなお嬢さんから、今日五年目にしてお便りがありました。というのも、私のメールアドレスから思わぬことからスパムメールが送られ、皆さんにお詫びしたら、その返事をお嬢さんがくれたのです。久々に近況を報告し合い、あんなにご厄介になったのが最後、今までのご無沙汰を恥じると共に、なつかしいご家族の顔を思い出しました。 そんな彼女の夢は、ペルーの女性、特に山岳地帯に多いケチュアの方々のEmpowerment草の根でしつつ(彼女のお母さんはケチュアの出です)、ツーリズムに携わる仕事をすることでした。五年して。彼女は夢を叶えていました!リマでゲストハウス(と言うにはかなり豪華だと思うんですが)を経営しているとのこと。Casa Yllikaというとても素敵なゲストハウスで、今はまだ英語のサイトしかないようですが、親日家の彼女(日系ではないんですが)は、近いうちに日本語サイトも立ち上げるということなので、ペルーにお立ち寄りの際はぜひ。私もまたペルーを再訪したいと思ったのでした。ああ、あのファミリーとまたクスコ片手にセビーチェ食べたいです。 このご家族もそうなのですが、「Global South」の国出身のええとこのお嬢さんのパワーというのは、すごいものだなと思ったりします。現在通っている学校においてもそうなのですが、南を見る目が、やはり「北」の人々とは違うんですよね。同胞ならではのしがらみだとか問題もあると思うのですが、ローカルに政治力があり、経済力がある人が力を発揮すること、それと外からの力の根本的な意味合いの違いと、インパクトの違いを感じるこの頃です。 Casa Yllika: http://www.casayllika.com/
最後の試験は科目が最高に楽しいので、机に向かうのが楽しいです。ロンドン最後の一週間、やり残したことは?といえば、いまだナショナルギャラリーに行っていない(ボッティチェロ!)とかもあるんですが、まぁいいのです。ロンドンにも夏がきました。まだ日によって雨が降りしきる日もあるけれど、女子はみんなワンピースに着替えてさっそうと歩く暑い初夏の日もあり。嬉しい陽気です。
さて、試験勉強ときどき、今週の脳内ヒットチャートは小坂忠さんです。大学生のころにはっぴぃえんどが寮内でリバイブしていたことがあったんですけど、「ほうろう」、なかなかのかっこよさです。今年、この1975年の名盤のニュー・エディションが出たとか。特に、「ふうらい坊」、大好きな曲です。記憶が正しければ、数年前にカヒミ・カリィさんがライブでカバーしていた気が。別に何か大切なメッセージを言っているわけでもないんですけどね、空気感、最高に70年代中期なんですね、この時代をリアルタイムで知らないことが残念なくらい。続けてはっぴぃえんどの「はいからはくち」を。 ![]() ![]() パリに家族がやってきた昨月の土曜のソワレ、友人宅2階のテラスを貸してもらって、父、そしてカリフォルニアに居を移した三十年来の父の友達とそのご家族にも来てもらって、ちっちゃなギターで何曲か彼らの歌を唄ってもらいました。それがすごくよかったのです。詩とメロディ、情感と暑っ苦しさとけだるさ、それはアップサイドな時代を若者として生きた彼らの音楽です。特によかったのが、彼らの作った70年代の歌を、私と年が変わらない父の友の娘さんも一緒に歌ったこと。私自身は、彼らの歌を暗唱もしてないんですが、子どもが自分たちの歌を唄うなんて、粋。母も、父の友達の奥さんも嬉しそうでした。大学生の頃の若き二人を見たのかな。二人とも、年をとった、声が出ないと嘆いていましたが、とてもよかったです! そんな父と母、この夏で真珠婚です。道理で私がそこから○年引いて今の年なわけです。など、どさくさにまぎれて母の日と父の日の御祝いが合算されめですが。とにもかくにも、いつまでも二人で仲良く、元気でいてほしいです。
フランスとイギリスで好きな科目を勉強する幸運に恵まれたことで、何度も心に繰り返されるのは、論語の「之を知る者は之を好む者に如かず。之を好む者は之を楽しむ者に如かず。」だったりします。
![]() インド人の先生による、南の社会政策に関するクラスの試験が終わりました。試験の前はかなりのプレッシャー、ぴりぴりしていました。けれど終わってしまうとやけに寂しいものです。次の試験が最後の試験、ロンドン生活もあと一週間です。フランスの大学院は、基本的にエッセイで成績判定がなされるのですが、イギリスの場合はエッセイというのは勉強の一環であったり、成績のほんの一部になり、最後の試験というのがとても大切で、2時間から3時間書き続けるというのが通常です。骨が折れますし、一気に疲れますが、何よりこんなに好む科目に、学問的な側面から触れられる機会はもうこれから少ないのではないかと思うのです。社会人になった時には、学生の試験のプレッシャーというのは社会人時代のストレスとは異なる、何より、大人になってから知りたいという好奇心を全面に、お金を払って勉強するということの凛とした想いを抱ける2年間は、本当に尊いものでした。 少し前に、イギリス映画の「Education(邦題・17歳の肖像)」を観ました。何のために勉強するのか、何のために「いい大学」に行かなくてはいけないのか、親の目、先生の目、女性の生き方・女の生き方。映画の外でも、こういう「すべき論」が世界には満ち溢れていて、私はある意味日本の社会人生活からポジティヴ・一時的な離脱をしたのですが、社会人になる前も、学生時代からセクターの異なる企業数社でインターンを行い、(その後に大学院に行く可能性を考えて)GPAもよく保っておこうだとか、就活スーツはたいていはこういうのだ(2つ・3つボタンの紺か黒の短すぎないスカートのスーツ、チャックで中が見えないようになる黒の鞄。結局いずれも私は買いませんでした。というか、なんとも着心地・持ち心地が自分には合わないように思えて、買えませんでした)とか、大学を卒業する前に就職活動をしないと、そこで失敗してしまうと、その後にもずっと響く新社会人傾倒主義はどうにかならないものでしょうか。そういう「すべき論」に満ち溢れた世界を、学生皆が、そして企業・組織もどこかで行きすぎだなと思っているけれども、それを多様性に富んだプロセスにすることは今更到底難しくて、そこでの「ドロップアウト」が袋小路になってしまうのは、もしかしたらシステムの功罪が大きいのに、そんなことは全く批判できない、弱い「彼ら」が悪いのだ、という論があまりにもまかり通っているように思えて、切なく、悲しいです。と、私自身偉そうにシステムを非難するけれども、結局その柱を補強したのは、社会そのもの、私たちそのものだったりするのだと思うと、思わずやるせない気持ちになったりします。 Institutionが変われば、その中で似たり寄ったりの問題が存在し、フランスという国の新社会人の就職率の悪さもずっと問題になっています。通常の大学出の場合は難しい、大学院を出ていることが当たり前、大学院でもUniversité(高校卒業資格バカロレアがあれば入学できます。他方卒業できる学生はそこから絞られるわけですが。友人が通うソルボンヌでは、大学一年目に入学生の25パーセントが学校を辞めてしまうそうです)か、もしくはコンクール(競争試験)を受けて入学するGrands-écolesか。いずれの学生にせよ、基本はインターン生として実績を積むことが前提です。そして、Grands-écolesを卒業した外国人の学生のみに許される、「職探しビザ」。半年間の間、フランス国外に出ることはできないという条件の元、また就職する際は最低賃金の○倍のお給料が得られ、フランス国の利益になることを条件とするビザを発給してもらうことができます。その辺りが、外国人というコンテクストで言えば、もしかしたら日本以上の就職の足かせがあるお国柄なのではと思ったりもします。 国が変われど、基本的に「戦略的目的で学校で学ぶ」といううねりから逃れることはもはや難しくて、そういう意味で、時代が時代、で済まざるを得なかった頃にそれを打ち破った先人達(桐島洋子さんなど)はものすごいなと思わずにはいられません(時代によっては、大学中退がスタイルという頃もあったでしょうし)。時代は変わりました。生きやすくなったのか、生きにくくなったのか、それは分かりません。けれど、高度成長期とは異なる意味での走り続けるをしなくてはいかない、そういう世代が私たちなんだと思います。それはそれで、息切れしたり、しなかったり。 その中で一番丸儲けなのは、やっぱり学ぶことの楽しさを感じてどっぷり浸かれるということであり、ナイーヴにも夢を見られるということであり、それをこういうぎゅうぎゅうのシステムの中でどれだけ楽しめるか、いい学校に行く必要もないし、もしいい学校に行くのであれば、それを楽しめてしまう「のりしろ」がどれだけあるかが大切なんではと思ったりするのです。 こういうことを考えるのは、自分の次の世代を考える様になったからでしょうか。学べることは本当に尊く、そのことをすっかり横に置きがちなのがとてももったいないと思う反面、横に置かないとどうしようもないでしょうというシステムの中で、選択はなかったり。それを好きなことに没頭し、それを形にする、そういう次の世代の手伝いを、理想的にはしたいです。
ペディキュアをしたら引き立つ季節になりました。ブルージーンズに赤・白・赤・白を合わせて、夏気分です。試験があと二つあるのですが、気分はもう夏休みな私はどうしたことか。嗚呼、東京に置いてきた麦わら帽が欲しいです。
先週までのお天気の心配はどこやら、高気圧がやってきたらずっといい天気、すこぶる大陸的な今週のパリです。ひさしを下げずにはいられない、そんな陽気に戸惑いつつも、太陽の恵みの中で散歩をするのが楽しい季節となりました。5月は日本さながら祝日が多く、飛び石連休を満喫しようと、祝日と土日の間の平日も休んで連休にする、faire le pontというのをする人が多いようです。そんなわけで、街は地元の人々よりも観光客で賑わっています。我々は街の外には出ず、街を楽しもうではないか!と必要な買い物・外ご飯・散歩・疲れたらがんばらずに昼寝をする週末と心を決めました。 ![]() 今週末は凱旋門からコンコルドの間を緑で埋め尽くすイベントが行われていて、ちらり散歩に行ってみたのですが、個人的には多分緑で埋め尽くせずとも、十分世界に語られるオーシャンゼリゼな通りなわけで、早々に後にして久々に左岸を歩き回ってみました。普段はたいがい家ご飯なのですが、たまには外もよい感じです。へとへとに疲れて、昼は天ざるだ!と心を決めて向かったところ、あいにく満席だったので、大幅に予定変更で隣ステーキ屋でステーキを。重い赤ワインが合う感じです。昨年の学校はこの近くだったので、なつかしいエリアではありますが、通学の際はたいていお弁当か、学食か、学食のバゲットサンドイッチと相場が決まっていたので、まだ発見が多い界隈です。 さて、イタリアほどではないかもしれませんが、フランスにもいくつか美味しいアイスクリーム・というのがあって、特にサン・ルイ島に多いBerthillonのアイス(などと偉そうなことは言えません。つい最近初めて食べました。塩キャラメルが美味しいです)、イタリア発チェーンのジェラート屋Amorino、全国津々浦々に存在するハーゲンダッツなど色々あるのですが、個人的な一押しは、スローフード・無添加が売りのトリノ発イタリアジェラートGromです。パリではまだオデオンにしかありません。東京にも原宿・新宿にお店があるようです。東京という地の食の感度のすごさといったら!さて、ここのリモーネも、トロンチーノ、ミントバニラアイス(普段は絶対敬遠する味です)も大人向けで最高に美味でした。そして、スローフード留学を果たした広島の友人を想いました。 食べて歩いてを繰り返して、帽子をかぶっているのにへとへと。予定通り昼寝に移行し、全粒粉のひやむぎというのを母に持ってきてもらったのですが、これがとても美味しい季節です。ベトナム食材店のサイゴンビールをきんきんに冷やして飲む連れを、横目でうらやましげに見つつ、わたくしはきんきんのレモン水を。
私事ですが、去る土曜日、結婚しました。そんなわけで、今まで慣れ親しんできた名前が突然Hyphenateされる事態となり、少しずつその状況に慣れようとしている最中です。
![]() それまで一週間程は、信じられない寒さでカシミヤコートを引っ張り出し、ティッシュの大箱をどこにでも持ち運んでぶるぶる震えていたのですが、当日は雲一つない晴れ。20度近くになり、雨男の名を世界にとどろかせている連れにしたら、九回裏ツーアウトからの満塁逆転ホームランといったところだったと思われます。 日本からもお招きしたい友人が沢山いて、パリでの式にその点だけが唯一の心残りとなりましたが、いつか近いうちに皆さんと杯を交わすことができると信じています。その時はぜひ一杯お付き合いください。結婚式という宴に限っては、代わりにこちら方面の友人たちに温かく支えられ、祝われ素敵な会となりました。沢山の祝辞、お祝い、そしてその比較にならない笑顔に囲まれ、互いに連れを紹介するのが初めての友人もいましたので楽しく穏やかな一日でした。会に来ていただけなかった方も含め、今一度自分が支えられ生きているのだと思い、感謝の気持ちがありません。 日本の式を経験したわけではないので、比べる対象がないのですが、ラテンのフランスのつっこみどころ満載の、その日にならないと何が起こるか段取りさえ分からない式が和やかに進んだのも皆さんのお力添えのお陰かと思います。マイクを貸して下さい、とカクテル中にお願いするのも、スピーチの通訳をするのも、段取りを決めるのも、全部自分たち。そういうのがすこぶる大変で、けれど本当に楽しく、我々らしくもありました。出会ったその地で様々な変化が起き、日本でそれぞれを行うことももちろんできるのだけれど、あえてここで全てを行うことにしました。その我儘を聞いてくれた家族の温かい眼差しが、ありがたいのです。 当日は、住んでいる区の区役所で式を挙げました。女性の区長さん(おそらくイタリア系と思われます)がゆっくりと詩を読んでくれて、互いが署名をし、結婚の証人も署名をし、式を終えました。なお、最初に身分証明書の提示を求められましたが、式の15分前まで準備に追われた当人にその頭はなく、思わず、苦笑いで、すいません、でも信じて下さい、我々本人です、と言うよりありませんでした。区の担当者も苦笑い。それでなんとかなるのがこの国です。ありがとう。その後緑に抱かれてカクテルを楽しみ、夜に気のいい友人宅にお邪魔をし飲むわ踊るわよくやりました。フランス人が結婚式の際に必ず皆で踊る踊り、というのもやりました。その面子は、両親だったり海外在住の人であったら、年齢も国籍もばらばらでしたが、とても愉しいものでした。 宴は終わりますが、よく眠り、すっかり部屋をこぎれいにした後の日常を歩む足取りは軽いです。何より、窓の外がこの上ない明るさで、気分爽快!です。さぁ続くはあと二本、試験がんばります!
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