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2010年 01月 30日
嗜好品の厄介なところは、美味しいものを食べると、自分の期待値もぐんと増すというものです。
日本という、主食がパンでないのに、本当においしいパンを作る(と思います。特に最近)国から、フランスというパンの王国にやってきて、その後のロンドン。これは、甘やかされた私の舌には、聞いてはいたけれど苦行でありました。スーパーで買う100円程のライ麦イギリスパン。初めて、パンを一口かじって処分してしまいました。お百姓さんごめんなさい。それからは、パリに帰る機会がある度に、パンを調達する日々です。もちろん、ロンドンも素敵なものはたくさんあって、例えば、パリでは3パックで3ユーロもする納豆が、4パックで1ポンド程、パリでこれっぽっちで8ユーロする牛蒡が、ロンドンでは太いしっかりした牛蒡で1.5ポンド。なので、ロンドンの面目のために、この幻滅はとりあえずはパンだけの話にしておきたいと思います。 そんな甘ちゃんになった私が、今日、この、ロンドンで、本当においしいパンに出会いました。パンだけでなく、すべてが美味しそう。お店自体に恋に落ちました。 ラッセルスクエアーから7,8分程のところに、最近巷でオシャレストリートの名を確立しつつあるLamb's Conduit Streetという通りがあります。オシャレといえば、Notting Hillでしょうとだけ思うなかれ。なかなか美味しそうなレストランや、ざっくりした洋服のお店、テーマ別本屋さんなども並びます。私は、今までは、Conduitと聞くと、あの証券化のVehicle(Special Purpose Entity)の''Conduit''(導管体)ばかり思い浮かんでしまい(SPEの利益に法人税が課税された場合、法人税を控除した残りの利益を投資家が配当として受け取る)、なんちゅうすっかり職業病。そんな訳で、この通りに関心を抱きながら、ずっと敬遠しておりました。今日近くに行く用があり、歩いてみたところ、とても素敵な通りだったのでした。 ![]() パンもいくつか置いてあり、中でも目を引いたのがオリーブのパン。ぱっと見ても、これはどう見ても美味しそう。思わずこのパンと、無農薬の豆乳を買って家に帰ってきました。結果は、もうばっちりでした。これならば、パリの行列パン屋にも引けを取りません。ハロッズのパンコーナーでもここまで感動しなかったので、感動も二倍です。 パリ同様、ロンドンでも、ボヘミアン・ブルジョア的食材店は大いに流行の予感です。 2010年 01月 22日
年末に、恒例のくるみ割り人形バレーを観て以来、これといった文化的な活動をしていないなぁと思ったら、思いがけず小野リサさんのボサノヴァソワレà Parisにお誘い頂き、行ってきました。日本人にとって、近くて遠い国の一つに、ブラジルがあるのではと思うのですが、いいものですね。音楽はもちろん、ポルトガル語への興味が一段と増しました。スペイン語の方がきっと、フランス語の後はやりやすいんでしょうけど、どうもフランス語にしても、ポルトガル語にしても、ああいう鼻母音に魅了されがちです。
高校生の頃、アントニオ・カルロス・ジョビンの、ザ・ボサノヴァというCDが大好きで、小野さんのコンサートも、そういったスタンダードナンバーで始まりました。ヘビーロテーションで聴いていた時期があったので、とても懐かしいです。ブラジル人の良き友人に言わせると、今の若い世代の人はボサノヴァをあまり聴かないんだそうですね。その代りにこういう音楽よ!というのを聴かせてもらうと、なんていうか、ボサノヴァの進化系かつよりポップにした音楽でありました。こういう音楽の不思議なところは、全然異なる地域の唄なのに、どこか郷愁を誘うところです。温かさがあります。と、それは理想形であるけれど、たまに異文化コミュニケーションに負けてしまうこともあります。昨年の夏は、スイス・モントレーのジャズフェスティバルに足を運んだ際、ブラジルボートというものに乗り込んだところ、サンバをB-BOYにしたような音楽で(どんな音楽だ)、皆様かなり露出の高い恰好で踊り狂ってらして、完全にワタシは出だしでくじけたのを思い出しました。戻って、小野リサさんですが、最後にアンコールで、ふるさとを歌われてました。これが、在仏日本人たちの琴線には相当触れた模様で、私はもちろん、右に座った連れも、左に座った友人たちも、思わず涙していました。 最近思うのは、人にはそれぞれ心地よいと思える音楽があるわけで、私の場合のそれは、俄然、ピアノ、ウッドベース、クラシックギター。ボーカルの場合も、何となく脱力系というか、ハミング系というか。もしくは、電子音でも、とかくしゃかりきでないのがいいのだということに気付きました。(例・はっぴぃえんど、井上陽水、UA、BEGIN、コーネリアス、Club Asiaでお馴染みの久保田真琴、ジャズピアニストの穐吉敏子、Feist、Chet Baker、サイモン&ガーファンクル 、一時期前のSonic Youth・AIRなど。) 先日、初めてロンドンでカラオケに行ってみたのですが、その際も、尾崎豊だ、いしだあゆみだと、古き良きメドレーが目白押しで同胞一同盛り上がりました。韓国系定食屋さんの地下にあるカラオケということで、日本の歌は相当限られていたのですけれど、あれでもっと昭和の名曲がそろっていたら、間違いなくテレサテンだ、狩人だ、イルカだ、レベッカだ、松田聖子だ、山口百恵だ、小坂明子だ、寺尾聡だ、小林明子だ、ジュディ・オングだ、オフコースだ、荒井由美だ、布施明だ、久保田早紀だ、太田裕美だ、チューリップだ。うーん、楽しいですね。この感覚はなぜかしら。多分、海外に出てから、毎年恒例の家族忘年カラオケができなくなったからだと思われます。笑2010年 01月 16日
パンダの切手が貼られた、一通の手紙を受け取りました。Par avionにU.K.ではなく、Grande Bretagneとあり、差出人は、2004年にホームステイで2週間お世話になったお宅のお母さんからです。クリスマスカードの返事だろうと思って、開かずにまずは夕飯の支度を。夕飯の後封を開けてみたところ、悲しいニュースが書いてありました。十数年連れ添った旦那さんとこの度離婚の手続きに入り、1月末に三人の子供を連れて、パリの同じ区内にある他のアパルトマンに移るとのこと。
![]() 彼女はとてもよくしてくれて、一度ホームステイをしただけなのに、それからもパリを訪れた時は家に泊まらせてくれたり、パリに移ってからも、子供たちに会いに来て、と夕飯に呼んでくれたり、よくしてくれました。中学生の長女が日本文化に関心があるとのことで、日本語を教えていた時期もありました。日本人を受け入れつつ、完全なるフランス人の彼らは、ある意味で私にとって、フランスの家族はなんたるか、フランスの男女はなんたるか、フランスの子供はどう教育されるか、別荘に連れて行ってもらって、日曜日に一緒にチキンを丸ごと食べたりと、活きたフランス辞典でした。お母さんが田舎の人で、お父さんが生粋のパリジャンだったので、フランスのパリと地方の関係性について考えたりもしました。 数年前から、少し関係が難しいことは聞いていましたが、年ごろの三人の子供たちを考えると、いてもたってもいられない気持ちになりました。両親が仲が悪いよりも、別れた方がいいという考えかたもあると思うし、なにより3組に2組は離婚しているパリのこと、これは特段特別なことではないのです。けれど、統計が、実際に知っている女性や、子供たちの身に降りかかるとき、複雑な気持ちにならざるをえないのでした。 男と女だから、結婚したが最後、ずっと仲良くというのは当たり前ではないのでしょう。カップルが幸せに暮らせることを、当たり前と思わないこと、おごらないこと、相手を尊重すること、子供を愛すること。このカップルはそういう結果になってしまったけれど、子供たちの傷が、お互いの大人の傷が、どうにか最小限で済むように、陰ながら願わずにはいられません。 現在、日仏の映画、「ユキと二ナ」が公開されています。日本でも、恵比寿のガーデンシネマでやっている模様。タイムリーなので、私も観てみたいなと思っています。 2010年 01月 15日
今日は最近お気に入りのものも含め、メディアについて少し記してみようと思います。海外にいて、ないし、寮生活という生活スタイルに起因して少し変わるもの、それはメディアへの触れかたでしょうか。
テレビがないロンドンでは、France interを聞いてみる・BBCのラジオ(4チャンネルの国内政治で、朝から政治家たちへ、ぐいぐいBBCの切り込んでいくところが、とても面白いです。)などもあるんですが、最近は、一日全体では、ラジオでクラシックをよく聞き流すのですことが多い気がします。Radio classiqueというサイトから、いつでもどこでもラジオが聴けます。というわけで、引き続き「ながらラジオ」が大好きです。今はオンラインで、ラジオ寄席なども聞ける便利な世の中なのでありがたいですね。NHKの15分ラジオニュースを必ず聞いていたのですが、最近パソコンの調子が悪いからか、聞けなくなってしまい、ANNの動画ニュースに切り替えてみました。それから、テレビ東京のビジネスサテライトも、番組の一部はウェブサイト上で見ています。 そこまでアンチテレビというわけでもないので、テレビもあるならば観てみています。フランスでのとびきりお気に入り?は、2チャンネルでやっている「テレマタン」という朝のニュース番組です。朝から完全フレンチエスプリで飛ばしていて、メインキャスターのウィリアムがとても意地悪(というか、これぞフレンチエスプリ?他のコーナーを担当する担当者たちの話に関心がある時とそうでない時の差が半端ではありません)。 例として、エストニアでの動物の大会を紹介する話しでは、(ウィリアム)「その大会どこでやってるの?」、(担当キャスター)「エストニアです。」、(ウィリアム)「そんなところ、行かないな」とPolitically incorrectな発言は日常茶飯事です。また、さすが小さい頃から両親たちに厳しく切り込まれて育っている国民だからか(ステレオタイプです)、脇役たち(というか担当キャスターたち)もキャラが際立っています。たとえば、朝から飛ばし過ぎているので、たわいもないおしゃべりの仏語は依然分からないこともあるのですが、全体的にフランスのおはよう日本?ズームイン?目覚ましテレビ?はやっぱり違います。 2010年 01月 12日
ご無沙汰しています。新年、学校も再開し一週間が経ちました。今週中に締切だった二本のレポートを提出し、ゆったり読書に時間が割ける週末になりそうです。前期と比べて授業のコマ数が少ない代わりに、今学期はグループプロジェクトのプレゼンと論文提出が春までにあり、初夏に最終試験があるので、今のうちにできることはやっておければなと思っています。
短いものでしたが、冬休みを利用して、東京にとんぼ帰りしていました。あいにく、クリスマスだ、お正月だと、お会いしたかった皆さんにそもそも連絡ができたというほどでもなく、外出はたいがいにして、家族との団らんを楽しみました。離れていると特に感じるのは、家族のありがたさであり、久し振りに祖母も誘って、自動車におにぎりやお煎餅を積んで、温泉に行くのも楽しい師走でした。温泉では、温泉→ご飯→歌番組を家族で観る、とある意味温泉以外は家でもできることなんではないかと思ったりもしないのですが、こういう当たり前が、海外にいると嬉しいです。ま、海外でなくても、家族から離れて暮らしている皆さん共通ですかね。帰りは、箱根でお蕎麦と言えばここ!というお店で年越し蕎麦を食し、箱根でお饅頭と言えばここ!というお店でお饅頭を買占め、心なしか頬がふっくらして自宅に向かったのでした。 ![]() こう考えると、つくづく、自分が独立独歩の人間ではないことを実感します。傍目には、とてもしっかりした印象をあわよくば与えるのかもしれませんけど、結局は私は永遠に両親にとって娘であり、祖母たち・両親・妹含め、多くを共有し、教えを乞い、時に互いを助ける存在であるのだと思います。とはいえ、一応は曲がりなりにも年齢としても、培ってきた経験としても、それなりに自身の行動に自信と責任を持って生きる年になりました。独立独歩は目指せそうにありませんが、家族と、パートナーと、独立共歩を目標に2010年も精進していきたいと思います。 と真面目くさったところは置いておいて、今年のヨーロッパは大変雪深いです。ロンドンはあいにくのどんより空。寒さでユーロスターの運行が大幅に乱れています。寒い地方での海底トンネルの落とし穴、なのかしら。パリに至っては二日に一度は雪が舞っているほどです。寒いとエネルギーを消耗するようで、外出すると隣の美味しいパン屋のケーキに目が釘付け。ちゃっかりケーキを買いつつ、家でお茶が嬉しいです。 空模様と比例して経済もまだまだエンジンがかからないのか、通常パリのセール(Solde)時期はフランス政府の指導に基づくもので、正式日程は一か月前に決まるのですが、今年は例年、少なくとも昨年よりは早い印象です。東京でも、クリスマス前にセールが始まっているお店を見受けました。 私も、寒さ対策に引き続き、ホッカイロ・手袋・帽子・ブーツが手放せません。大学生の頃から着ていた、気に入りの丸襟の黒いコートがだいぶくたびれてきたので、私もセールでは、奮発してカシミヤのこげ茶のコートを購入しました。黒いコートはウールとカシミヤの混合だったので、どうしても長年着た結果、毛玉が出てきてしまったのです。 その他、どうしても風邪を引きたくないので、ロンドンでも気にせずマスクを着用して、手袋を外さない徹底ぶり。この井出達は、東京では通常に受け入れて頂けるものでしょうが、こちらでは怪しいようで、先日も英国紳士にチューブの中でまじまじと見られてしまいました。私は図太いので、紳士に怪しがられても、風邪を引かないようにこの井出達を続けまーす。 2009年 12月 15日
学校の前期授業が終わり、しばしの休暇です。レポートと卒論などの道具をスーツケースに忍ばせ、パリに帰ってきました。久し振りにパリの同級生たちとの夕飯。三十人程集いました。そうです、このおっとりさ、ゆったりさ。ダブルデッカーの赤が鮮やかな街で、忘れていました。ロンドンの同級生とは異なるニュアンスの学生たち、それぞれ、パリだとフランス人が多いわけでも、ロンドンだとイギリス人が多い訳でもなく、いずれにせよ外国人が多いことには変わりないのですが。そこにいる人は随分と違うなと二つの街を経験して思いました。
![]() 海外と一色丹に言っても、「そこ」を目指すときに、フランスのエッセンスに惹かれる人、イギリスの色に感化される人、ドイツ・イタリア・北欧・スペイン・オランダ・ベルギーに赴く人、ヨーロッパという選択肢はなくアメリカを目指す人、時代はアジアとシンガポールに向かう人、現地主義でラテンアメリカや東欧、アフリカ、南アジアに飛ぶ人。その留学が自分の選択であるのだとしたら、勉強の地を選ぶことが、次の何かを導いてくれて、そういうことを考えると、住まう街を選ぶことがとても大切な気がしたりします。これは少なくとも私には言えることで、なんだかんだと大学二年生の時からフランスに執着していたことも何かの縁かもしれません。結局は何を重要視するかなのでしょうが。 これから留学を考えているBrilliantな皆様にささやかな自身の独断・感想を共有できるのだとすれば。GREを受けて、GMATを受けて、GPAを出して。それはそうなんですが、勉強の場は、北アメリカだけが選択肢ではないかなと。もう少し言えば、英語圏だけが選択肢ではないかなと。当然、そういう決断をした時点で、ある種のメインストリームから逸れるわけですが、それもまた面白さかと。思ったりしております。いえ、矛盾するようですが、アメリカの高等教育というのがこれだけ世界標準になったのは理由があって、それはそれでやっぱりすごい!と思うのです。自身の学校も、ヨーロッパにあれど、そうした教育方法がAppreciateされているのです。なのですが、こう英語圏でないところに身を置いた、「伝統」ががちがちの大陸にある面白みもあるかなと。思ったりしています。 いずれにせよ、二つの異国の地で今日を語り、明日を語る友人らに会えたことは、二つの街に留学するシステムにのっかったことに一番のメリットかもしれません。ロンドンというワールドキャピタルに恍惚し、パリというヨーロッパの都にほっとする。結局、二つの街を選んだことは、私の生き方、価値観に依拠するところが多くある気がしますし。二十代半ばから後半の大切な時期に、こういう生き方をすることの背中を押してくれた家族や友人たちに感謝です。 さて、昨日と今日と、ロンドンに、パリに雪が舞いました。青のスパンコールの帽子にコートに赤いブーツにホッカイロに手袋。ファーのマフラーが手放せません。雪化粧をしたパリは一段と冷えて、母に送ってもらったポン酢醤油で水炊きのお鍋を。 2009年 12月 05日
この週末は、とても楽しい週末でした。週末を利用してのパリ滞在中には、懐しい顔にたくさん会いました。
最近引っ越しをして、内装を完成させた友人宅で引越しパーティ(仏語では、crémaillèreというのだそうです)、それから久々に会う友人カップルとモンマルトル近くのカフェにて。こちらに来てサクレ・クール寺院(アメリ、ですね)に初めて入ったというのも、どれだけ右岸に行かないのだという話なのですが、まぁそんなものです。東京に住んでいても、谷中の魅力を知ったのが随分と経ってからだったから、と言い訳をしておくことにします。ドイツ出張で立ち寄った日本からの友人を迎えて家呑みというのも最高であります。なぜならば、私はあまりお酒が強くなく、家好きなため、家呑み程心地よいものはありません。 そして。とても嬉しいことがありました。私が大好きなまあるいバラも満開です。 ![]() 2009年 11月 28日
英国博物館にて、社会政策の先生と同級生たちとメキシコシティの労働者に関するドキュメンタリー、En el hoyo/In the Pitの上映を観てきました。映像の力を感じて、ドキュメンタリーを制作したくてテレビ局に入った大学の友達を思い出しました。
メッセージはさることながら、音にとても敏感な監督さんの作品です。エレクトリック音楽好きの感性にも響くのではと。Youtubeだと映像荒いですが、もし機会があればぜひ。サンダンス映画祭でも上映されてます。 このクラスは半期のクラスなのですが、学生が少なめなのと、デモグラフィーが他のどのクラスとも異なっていて刺激が多いクラスでした。ちなみに学生は、アルバニアから一人、ナイジェリアから一人、ガーナから三人、ハワイ・香港から一人、日本から二人、イギリスから一人、インドから四人という感じです。社会政策のクラスでは「南」の国からの人が多めで、開発のマネジメント・行政学関係のクラスは、総じて「北」の国からの人が多い、一つの傾向があります。 2009年 11月 05日
火曜日と木曜日は気に入りの授業があるのでなんとも楽しいです。
私の場合、現在教わっているのは公共政策・行政学の先生が数名、都市政策の先生が二人、それに自由選択のフランス語の先生がおられるのですが、特にそのうちの一人の先生から目が離せません。都市政策の先生です。青空を思わす水色のチェックのシャツにVネックのセーター。極めつけは真赤のソックス。本日オフィスアワーに先生のところを訪ねたところソックスに気づいてしまい、終始目が釘付けだったのでした。いや、自身の聞きたかったことはアドバイスを頂戴したので悪しからず。というルックスばかりでなく、故・岡田真澄氏ばりにディープな声で延々と話していることも(70パーセント意味が分からないです。形容詞と動詞の選択肢が変わってます)、パワーポイントの文字の大きさが小さすぎてさっぱり読めないところも、それを全く気にしていなさそうなところもツボです。実際オフィスアワーでの先生は、いつもと全く変わらず、自然体でHelpfulでおられました。先生の論文を読むと、よりハードボイルドなお方なのでは(政治的にもある程度ラディカルであろうことが授業の話の端々から感じ取られます)と思うのですが、授業を聞いている限りにおいてはそのようなことは全くなく。 ![]() このクラスが素敵なところのもう一つは、先生だけでなく学生の素敵さでもあろうかと思います。公共政策・行政学の学生、つまり私が所属する学部の学生は、以前少しお話したような感じでとてもナイスでスマートな人々で満ち溢れているのですが、地理学(都市政策はこのデパートメントの一部になります)の研究室の学生というのは、また少し異なるニュアンスが。都市について考える時も、公共政策という一種の特殊訓練を施された学生のはしくれのわたくしと、地理の学生だとTakeが多少異なります。自身の場合、どうしても都市計画をその計画にかかわるアクター達の関係性という観点で見てしまいたくなるところですが、それは一つのとらえ方にしか過ぎず、様々な切り口が互いを高めてくれることを理解するのです。他の学部の授業が取れることのメリットはそこにあるのかと。 課題図書を全部一人で読めれば素晴らしいのですが、そんなことをしていたらとても眠れない。ということで、必殺読書サークルというのが自然に、そして必然的に作られます。これは、一つのクラスの一週間の読書が3冊の本と5本の論文だったとしたら、あいにく全部を精査してノートを取っていたら無理ということで、全体をさっと目を通して、あとの要約は他の人と手分けをして行うということをしています。要約を作る理由は7月に試験があり、その試験でほぼ100パーセントの成績が決まるという学校であるが故です。人間、やはり圧力があるとこつこつやるというものです。この読書サークルの女子たちがとても楽しい! ![]() 2009年 10月 23日
本本本!社会学部のはしくれの血が騒ぐ課題図書達に郷愁を覚える木曜日の夜。アペロのお誘いを断り、寮でシラーズを開けてみました。隣人たちが風邪だということで、お互い助け合いの隣人愛。レモンとシナモンを落として、ホットワインを。ゲゼルシャフトの中のゲマインシャフト!と叫び出しそうなのは、社会学復興の印です。
突然Chet Bakerが聴きたくなり、引っぱり出してきました。大学四年生の頃によく聴いていたので、なんとなく懐かしい歌声が、武蔵野の並木道を思い出させてくれるというものです。彼の曲は、たいがい始まりが好きなのです。秋がお似合いの声質。と、しんみりした後にJonis Joplin。お次は忌野清志郎とハナレグミ。隣人はさぞかし不思議がっていることでしょう。夜な夜な聴こえてくる不思議音楽セレクションたちに。そして、ロックな音楽家の、はちゃめちゃさと温かさのバランスって、なんなんでしょう。 それにしても、社会科学という括りがいかにざっくばらんであるかを思うこの頃です。ここだけの話、実社会に出た際に感じた、一本槍な前提・議論展開、大学三年生の夏にインターンをし、溜池山王で朝の明かりも夜の灯りも見て、入った世界。そこにある前提に疑問を抱かないことはないのだけれど、そのNormativeな状況に一度身を置いてみたかった新社会人の経験。さっぱりわからないその論理!窮屈!とまでは言わないとしても、Status quoが疑問視されないことが興味深かった3年間。そして今、毎日授業で聞くのは、その議論の裏にあるのは規範的質問?ポジシティヴな質問?やっと2005年以来、同じ言語を話している気がします。 でも、待てよ私。ここはとても特殊なちろりん村であることを忘れるなかれ。一歩キャンパスの外を出れば、規範的質問を疑問に思わないことが当然の世界が待ち受けています。それを変えようとするのか、それに入らないでおくのか、むしろ中に貪欲に切りこんでいくのか、それはまたそれぞれの選択なのでしょうが。社会科学を勉強するならば、様々なStatus quoをどんどん壊すのが無理なのならば、深化させていけばいい。と思わせてくれる先生が結構いて、同時にシティの引き続きの議論が当然な先生もいて。同じ屋根の下、大変なことになっています。100人先生がいれば皆違うことを信じている。けれど、やっぱりどこかでNormativeにならないことを理想としている人が多いか、もしくは自分がNormativeであることを認識して、これが自分のスタンスです!と言ってはばからないか。 ユートピアの「知的活動」と実世界が互いを照らし合わせるその間にいれたら。と思うのです。 2009年 10月 19日
お久しぶりです。ロンドンはいつの間にかすっかり秋めいて、今週などは随分冷え込んでいます。Pコートでは寒いくらいのこの頃です。雨に悩まされるので、長らく購入しようか検討していた長靴(しゃれっ気がある人はレインブーツと言い換えるのでしょう)を購入しました。小学生の頃からかれこれ十数年ぶりの長靴です。黒地に赤と白のマークがかわいいです。今年一番の投資のような気がします。それにしても、男性のお洒落な長靴というのはあまりないですね。皮靴に防水スプレーをすればいいのかしら。
さて、最近の生活と言えば、なんとも学生らしい生活をしています。寮→学校→寮→学校、これに時にパリに行く・帰ってくる、とかシティバンクに行く、とかそういうものも入ってくるのですが、一端生活が始まると、これはどこでも言えると思うのですが、行動がパターン化してくるというところがあります。このパターン化に閉塞感を感じる場合もあると思うのですが、私の場合はここ2年弱程、生活の拠点が変わりすぎて、ある程度リズムがあることが日々を動かしてくれるというところもあるかと思います。そのパターンの中で、時に人々との会合があったり、そういうことがパターン化した学生生活の色どりになってくれます。ロンドン自体を歩く機会があいにく限られていますが、そういうコミュニティ的なロンドンでの立ち止まり方は新たな視座を与えてくれます。昨夜は寮の同じフロアのドイツ人の女の子の呼びかけで、ザワークラフトとフランクフルトをご馳走になりました。 ところで、学校で一番厄介なのはCapstoneという名のグループプロジェクトでしょうか。民間なり政府系なり国際機関なりのクライエントにお題を頂いて、その問題のソルーションを提供せよ、というのがミッションです。それでなくても本の波に押され、論文を書かなくては、とやっているところですが、このプロジェクトが、自身が所属するプログラムではとても重要視されており、そこがMScの学位と異なる所以なのかと思われます。今まで習った理論やモデルやメソドロジーをどれだけ実社会に利用できるか、そのことを使命とするプログラムなのです。 ロンドンでは、パリに増して都市計画と都市化関連の書物を読んだり、授業を受ける機会が増えました。パリを離れてから思うことは、もっとパリの都市計画について知りたい、というところであるのですが、それは自身で行うこととして、授業でこうした自分の興味ど真ん中の勉強を受けられるということがとてもありがたいなと思っています。面白いな、を仕事なり今後の糧にする、そこを心のどこかで考えつつ今できることに没頭しようと思っています。 ![]() "To see complex systems of functional order as order, and not as chaos, takes understanding. The leaves dropping from the trees in autumn, the interior of an airplane engine, the entrails of a dissected rabbit, the city desk of a newspaper, all appear to be chaos if they are seen without comprehension. Once they are understood as systems of order, they actually look different." (Jacobs, J. quoted in Scott, J., 1998. Seeing Like A State. New Haven and London: Yale University Press.) 2009年 09月 30日
なんというか開眼させられる、というのはこういうことだろうと思ったのでした。大学院の制度を利用して、ロンドンにやってきたというお話をしたわけですが、なんという興味深いところなのでしょう。私、街に関しても、教育機関に関してもまっさらな状態で来て体験してみたところ、見事にポジティブな驚きに満ち溢れています。パリでは感じ得なかったものを感じています。つまりはどちらがいいということではなく補完的な関係であるのでしょうが。これから社会科学の大学院を考えられている方には、ひとまずおすすめいたします。
それは、街がそうさせるのか、学校のプログラムがそういう気持ちにさせるのか、もしくはそこにいる人々か、おそらくはそのコンビネーションによるところなのでしょう。とにかくまだ復習クラス?(統計学と数学は大切だからある一定の基準はクリアしておいてね、もしそういうバックグラウンドがなければこの2週間で追いついて下さい、というクラス。しかし、社会学をしていた身にしてみたらかなり最初から飛ばしている印象です。少なくとも統計学は去年1年勉強したにも関わらず、また受講してそうなんだー、と頷いている始末。)なのでなんとも言えませんけれども、よい意味で、これはとんだところに来てしまったという印象です。そして、大学が完全にビジネス化しています。ビジネス化というと聞こえが悪いのですが、とにかく限りなくシステム化が進んでいて、事務手続き等も一本化されスマート。金銭のやりとりも、もはやスーパーで買い物する感覚です。その上キャンパスがロンドンの中心にあるため、イメージ的には飯田橋の理科大キャンパス?という感じです(他方、理科大は日仏学院近くに大きな建物を建てたりしておられるので一概な比較はできないかもしれません)。とりあえず、学生が皆異常な程のポジティヴエネルギーを放出しており、しかし押し付けがましいというよりはスマートで軽やか。学部から直接上がった人もちらほらだけれど、基本的には実務経験がものを言うマスターなので(パブリックセクターのMBAをうたい文句にしています。)たいがいが投資銀行・コンサル・NGO・政府機関などの職歴あり。ちなみに学校の80パーセントは外国人だそうです。なのに皆英語が完璧です。発音からして、イギリスか米国に以前留学したことがある人が多いのではと。つまり、鼻につかないとはいえ、完全なるエリーティシズムがそこにはあるわけです。そして、多くの学生が髪の毛や洋服にいとても気を使っています。ん?ここはファッション・インスティチュート?と錯覚するほど。訳が分かりません。では、鼻につかないというのはどういうことなのか困惑していたところ、同じ大学院を以前に卒業した仲がいい友人が、そういう学校なんだよ、と同意してくれたので、どうやらこの第一印象は共通したもののようです。とりあえず、強烈な印象を残した一週目。一年生に混ざってRetreatに行ってきました。○○王国へのコンサルゲームなるものがプログラムに入っており、プログラムの卒業生でコンサルに就職した方が来てレクチャー。スピード感があるのが面白いです。 これを既視感と言わずして何と呼ぶ。一学期目が始まる段階から毎日のようにキャリアセミナーがあるというのはすごい話だと思わずにはいられず。周りの興味が「公共政策」大学院であるにも関わらず、コンサルに向いているところが不思議です。でも、プログラムを見るからに一年目はエコノメトリクスの授業ばかりだし、パリの大学の学位共有制度があるとはいえ、同じプログラム名であるとはいえ、だいぶ状況が異なるのでした。とりあえず、このポジティヴなエリーティシズムでポリティサイズされたお洒落なキャンパスの日々を、今後もアップデートして参ります。びっくりしつつ、小生はほどほどにマイペース、ええ、寮からほうじ茶とおにぎり持参でこの不思議空間を楽しみたいと思います。 2009年 09月 23日
大学院の二年目、ノマド人生は続きます。またしても拠点を変えてロンドンにやって参りました。愛するパリからスーツケースでお引越しです。心強い助っ人なしでは国境を越えての電車での引っ越しは大変だっただろうな。
![]() すこぶる快晴のロンドン、木々が優しいです。海峡を越えたのだと思わせる風景ばかりが目を奪い、人々のファッションがパンクなこと。80年代ファッションの取り入れ方も、違います。女子は基本ミニスカートなど攻めてます。パリでどこかしら自分の色合いもまた、落ち着いた装いに・コンサバになったものです。学問の面でも、フランスとは少し異なるプログラムを受けられそう。アメリカとはやはり異なるわけですが。またこの一年が実り多いものになりそうな予感。アートシーンが相当興味深そうなのでそちらも楽しみです。 2009年 08月 25日
去年の9月7日に日本を発ったので、東京から生活の拠点を移してから、もうすぐ一年が経ちます。
![]() 立ち位置が変わることで何か変化があったのか、そう考えると、変わったところもあるし、変わらないところもあって、結局これはどこの国に住まおうが、どの都市に居を構えようが、社会人だろうが学生だろうか変わらないものがあります。三つ子の魂百まで、なのです。どうやら。小さな変化と言えば、OL時代に増して堅実な生き方をするようになったこと。貸方よりも明らかに借方が多いのだから、これは当然なのですが、後ろ盾のありがたみをこれほど感じた年はなく。変わっていないところと言えば、相変わらず旅が好きで、和食が好きなところ。そうした生活面以外での信じるところは、相変わらずさして変わっていないようにも思えるのですが、去年よりも爪の白い部分位だけちょっぴり、世の中を斜に構えすぎず見られるようになった、ないし見ようと思えるようになったこと。世の道理でふと疑問が湧いた時に、感情に任せて結論付けを急ぐよりも、そのプロセスに興味が湧き、道理と思っていること自体が、実は自分の色眼鏡を通じてかもしれないこと、そういうことを感じたのでした。 これは勉強面でも言えることで、というか勉強面で特に思えた変化でした。社会人になるまで、学校で社会学をメインに学んだ私は、社会学的思考というのが好きであり、今でもその気がかなりあるのですが、証券会社で三年働き、内を垣間見て今は外に、その後公的機関で働き、内を垣間見て今は外に、そしてジュネーヴで国際機関の内を見て、もうすぐまた外に、こういう反復練習の中で見えたものは、社会学的思考が実は実社会では意外にも大変役立つのだという発見であり、同時にそれは始まりであり、途中経過であり、結論付けに活用していくものではあるのだけれど、決して一つのDefinitiveなロジックを見いだせるものではないということです。矛盾するようですが、その中で社会学というものが与えてくれる世界の拡がりを今一度認識しました。これは、たぶん社会学だけでなく―というのもこれは一つのカッコ付けの学問という意味でなく、形而上学・人類学・理論経済学と他の分野にも言えるわけで、社会科学の礎に流れるもの全般―、それが示唆するものは大きいのだということを感じました。 今私は、より実践的な勉強をしていて、それは行政の政策分析などを含みます。現在ジュネーヴで行っているインターンもまさに政策に関わるところなのです。たいがいは経済学者や法律家のバックグランドがあり、私はそういうところで沢山学ぶところがあるなと思う日々なのですが、社会学というバックグラウンドに短いながらも仕事をし、公共政策というマクロだけれど実践的なものが重なり今が在るなと多いに思ったりしております。都市開発に関心を抱いて公共政策大学院に入りましたけど、その中でのベクトルがよく定まらなかった一年目、ようやく今になって、過去の勉強・今の勉強・有給無給両方の職歴を通じで感じた関心が、ある程度まとまってきたと思われます。 人様の中には一つ一つの目標を明確に設定し、それをこつこつ成し遂げていく方がいて、私はそれをとても尊敬するのですが、私の場合は、これが今はよさそうという直感で選択をし、けれどそこに何らかの執念がどこかしらあって、何となく気づいてみるとそれを重ねてみたら何となく道だったかしらという感じの人生です。 9月下旬からいよいよロンドンで二年目です。この一年は、大学院一年目で、ジュネーヴで明らかになってきた都市開発の中で見出した関心を温め、色々と見聞きして、そのうちの小さい事象をこつこつ学ぶ年にして参りたいと思います。 2009年 08月 02日
昨夜は建国記念日で沸いたスイス。スイスの国旗や動物をあしらったまあるいランタンがとびきり可愛らしく。湖沿いには大きなチーズフォンドュがお目見えしたり、ボートレースが行われたり、ジュネーヴはいつもの静けさとは考えられない大賑わいでした。ジュネーヴはいまいち文化的面白みがない、という思いで今までいたのですが、夏のジュネーヴは芝生の上で、公園で、街角で、楽器を演奏したり、歌を唄ったり、それもクラシックからアフリカンタムタムをベースにしたオルタナティヴまで様々。こうして見ると、今まではなぜ彼女のような人が、といまいちよく理解できなかったのですが(失礼な)「存在の耐えられない軽さ」の芸術家・サビーナが一時住んだ街というのも納得する最近です。
![]() お話は皆様の楽しみを奪ってしまうから省略させて頂くとして、この映画が日本でも公開されることを切に願います。というのも、監督さんは、大の日本びいきで現在もご夫婦で京都のヴィラ九条山にお住まいとか。元々はベストセラーの小説をベースにしているのだそうですが、映画で映像化されているイラストなどの世界観がとても素敵でありました。ちなみに、le hérissonとはフランス語でハリネズミのことだそうです。私が大好きな二大動物の一つです!(もう一つはアルパカ)その辺りでも個人的にかなり自身の情感に合った映画でした。 "Toutes les familles heureuses se ressemblent, mais chaque famille malheureuse l'est à sa façon".『幸せな家族はすべて似通っているが、不幸な家族はそれぞれ違う風に不幸である』アンナ・カレーニナの冒頭より 2009年 07月 30日
やっぱり海!
![]() 思い思いに楽しむチュニジア・マハディアの海岸。淵がとびきりオシャレなバスクの布で囲われた砂浜用タオルの上で昼寝をするのもよし、波と戯れるもよし。 曇り空の日は、チュニジアの空を見上げたし! 2009年 07月 28日
ごめんくださ~い!
(暖簾を挙げて)おかみさ~ん、ちょいとー。 ![]() お天気がいい日は、シーツやカバー類を総洗い。部屋の一階部分の部屋を横断してシーツを干して。部屋が分断されてしまうから、キッチンに行くときはついつい、ルームメートとお互いで、ごめんください、の図に。 こういう生活臭さと、ゆったり時間のバランスが、わたしのツボです。 2009年 07月 23日
久々にパリに行ってきました。帰ったらすぐ美容院!とうずうずしていたのです。髪の毛をストレートにしてもらおうと思って美容院に行ったのですが、話し合いの結果、沢山レイヤーを入れて随分と短くなりました。完全に肩上で頭が軽いです。
実は先週も行っていたのですが、土日だけだったのであっという間にすぎてしまいました。今回は二日お休みをして長めに帰宅。最近は随分とジュネーヴも勝手が分かってきたので、パリに着いても帰ってきたなー、ジュネーヴに戻っても帰ってきたなー、と不思議な状況です。よく考えれば、いずれの都市も自身の故郷からはそれなりに離れた地であり、随分と異なる文化圏な訳ですが。その意味では、やはり、パリという街、見慣れたカルチエと、ジュネーヴにはいない人に再会できるのが嬉しくて仕方なく。いつも何とも言えない匂いがする地下鉄も、皆が大好き左岸のデパートで買い求めた美味しいシリアルパンも、久し振りに会う友達カップルにお呼ばれしての夕飯も、久し振りに購入できたお豆腐とネギで作る麻婆豆腐も、通り雨が毎日のように降るけれどやっぱり納得の美しさのセーヌ河も、とにもかくにもこの街に住んで学べたことを、本当に感謝します。 ![]() 引き続きジュネーヴでは、サブ・サハラの国のエトセトラにコミット中です。たまたま今週パリでは、いくつか思いがけない出会いがあり、様々教示頂きました。その二人は、それぞれ大学の一学年上であったり、将来探し(就職探しよりももう少し大きく捉えたし)をしている方々なので、かしこまらずにそれぞれのこの一年の経験をアップデートして下さり。結局は、こういう中でのたわいもない話は、案外視差に富んでいて興味深く。このタイミングで二人の話を聞いたのも、何かの縁。ジュネーヴに居る間しかできないこと、それはここにいる間に、より多くの人と出会い、また新たな視差を得ることなのだと閃きを頂いたのでした。 2009年 07月 17日
先々週になりますが、とっても美味しいフランス料理を食べる有難い機会がありました。
ジュネーヴ市内から電車と乗合いバス(ジュネーヴの中心地を離れ、通常の公共交通機関がないところにいくと、小さなバスがどこでもお願いしたところに迎えに来てくれるのです。スイスという国の偉大さはこういうところにあるのかも)を乗り継ぐかして行く小高い丘の上。穏やかな緑を見ながらの贅沢なランチです。ミシュランの二つ星なんですって。私、フランスでもそうでしたがスイスでは輪をかけて自炊生活の鬼ですので、本当に夢心地でした。パンも、小麦粉をフランスから取り寄せているのかな、世にも美味しいパンの数々でした(永世中立国のスイスでは新しい小麦粉を備蓄に回すため、パンには古めの小麦粉が使われているのだそうです。残念。) ![]() ![]() ![]() ![]() 今までもミシュランだなんだと東京でも皆興味があるもんだなー、と周りの関心の高さに尊敬と驚きを抱いていたものでしたが、いやいや。今まで頂いたフランス料理の中で一番手が込んでいて、けれどかしこまらず、美味しい美味しいランチでした。今でも思い出すだけで。どうもご馳走様でした。 2009年 07月 15日
ある部分で、ずっと考えてきたことだと思います。
漠然とした中で常に頭の中にあった国際機関という職場。学部生の頃から、一つの選択肢として頭をかすめ、そして民間企業に勤め、どこかで残り続ける思いがあり、大学院に進学した去年。そして、学び舎があるパリを離れ、ジュネーヴという地にやってきました。英語とフランス語、その他の何語か判断できない言葉で溢れる街。溢れる職場。一人として同じ肌の色がいないその地は、まさに多様性を地でいっています。百聞は一見にしかず、とはこのこと。しがないインターン生という立場でありますが身を置き、短期間ながらに見えてきたものも多々あります。それは、個人的な体験ですし、国際機関といっても、その中の各エージェンシー、チームメンバー、またエージェンシーが世界中のどこにあるのか、ニューヨーク・ワシントンDC・ジュネーヴ・パリ・ローマ・東京などのオフィスなのか、それともフィールドオフィスなのか。また、各機関も、フィールドオフィスがある場合とそうでない場合もあるでしょう。今、私が毎日通勤している組織は、この組織内の改革を行っていて、その改革とは、同じ機関下に沢山の組織があり、リーダーがいて、アジェンダが場合によっては重なり合う状態を解消し、一つの国に一人のリーダーを置き、コーディネートを促進することで、効率化を高め、プロセスよりも結果重視に移行しようということを随分頑張っている雰囲気です。 最貧国と言われる国の一国について色々調査を行っています。援助・開発のためのビジネス、外国直接投資をいかに呼び込めるか、この地にあるリソースを可能性を調べています。まだ見ぬ、訪れたことがないその地への期待と心配、いつか自分の目で確かめてみたいという想いが募るばかりです。 気づきの一つは、自分が漠然と描いてきたもの、それはこの機関がまさにやっていることでもあり、同時に他の機関も行っていることだということ。また様々な規模で行うことが可能だということ。援助のためのビジネス、という大それたものではないのであれば、いくらでも、そうそれは明日からでも自分が始められることなのだと。一度自分でやってみなくちゃ分からないことがたくさんあって、ジュネーヴのオフィスで机に向って初めて芽生えた感情を大切にしたいと思います。 2009年 07月 07日
エスパドリーユが似合う街チュニス!いまだ完全にチュニジアへの愛でいっぱいで、今でも写真を見てはうっとりしていたりします。ああ、あのアフリカの土地の雰囲気。
![]() といいつつ、忙しない6月末。引越しってやはりめんどくさいといったらウソになりますね。荷造りをする時はいつでも、人生で必要な荷物は何であろうと思いつつ、とりあえずうどん一袋とソバ一袋と鰹節と書きやすい文房具を入れる自分。どんなものだか。厳選の割にはそんなことしてるもんだから、荷物は結構重くなるものです。 先週の水曜日にジュネーヴに着きました。ジュネーヴはパリからですと新幹線で3時間半。さほど遠くはありません。ジュネーヴは二度目です。まとまった期間滞在するのは初めてです。実は私は、ジュネーヴのことはどこかで敬遠するところがあって、それは完全に主観なわけですが、フランスからやってくると、なんともカラーがない感じがして仕方がないからです。パリに住まうと、そこはよくも悪くも強烈な価値観(がちがちの固定概念含む)が存在していて、それを人が文化と言ってみたり、アクと言ってみたりすると思うのですが、この街はあまりにもインターナショナルでそれがないように思えて仕方なかったのです。スーパーで質問をしてみても、ゆっくりしたフランス語で話してくれて、なんと外国人の気持ちが分かる街だと衝撃を受けたりするのですが、それもそのはずこの街は80パーセントが外国人だそうでして。それに加えて、一国の首都、大都市とジュネーヴという一つのとても特別な町を比較すること自体がナンセンスなのだと一週間でやっと理解するに至りました。 そう思わずにはいられない山と湖を目にしたとき、それが比喩としても実質的にも仮に桃源郷的存在であったとしても、この街にこれらの機関が存在して、人々がいて、というのはやはり特殊で、特筆するに値するのです。 さて、この街で物件を探すのは、パリ以上に大変で、売り手市場。数カ月滞在の者が物件を探すのは難航する、と言われていたのですが、幸いジュネーヴ大学の掲示板で夏期に国外に行く研究者の部屋を借りられることになりました。職場までは歩いて20分。まだちょっぴり慣れないのがスイスのスーパーなのですが、フランス国境がトラムで20分のところなので、土日にフランス側まで訪れるというのも一つの手かもしれません。この夏の目標は仕事をしつつ修士論文の調査もそこに絡め、それから仏語の向上につきるかと思われます。Grammaire utile du françaisという地味だけれど内容が濃い使えそうな参考書をこの度入手したのでこれを使い倒すべし。 2009年 06月 29日
2002年3月にリュックサック旅行をしたモロッコぶり、少しご無沙汰のマグレブです。今回は連れのチュニジア人の友人宅にお邪魔して、お陰様でリュクス&ローカルな滞在を。ありがとうございました。
![]() ![]() ![]() ![]() 2009年 06月 05日
先日、経済協力開発機構(OECD)・アフリカ開発銀行(ADB)・国連アフリカ経済委員会(UNECA)主催でアフリカ経済に関するカンファレンスがあり、ちょうど大学の先輩が会議のオルガナイザーであったこともあり聴いてきました。この会議は、OECDのアフリカ経済アウトルックというレポートが出されるタイミングで毎年行われているようです。午前中はアフリカ経済概況、午後はテレコムに関する話のテーマが絞られ、最近授業の関係でブルキナファソなどフランスが旧宗主国のサブ・サハラの国々における水道の民営化に関して調べ物をする機会があり、発展途上国におけるユーティリティの民営化に関心がある私にとってはとても興味深いものでした。以下少し長いですが備忘録に概況を。
GDP成長率は08年4月予想では3%を割り、09年5月時点で4%弱(アフリカ開発銀行データで09年5月時点で石油輸出国の平均GDP成長率は2.5%、石油輸入国2.4%、中央アフリカ2%、西アフリカ5.1%、サブ・サハラ1.4%。)。ここ数十年で初めて一人当たりGDP成長率が初めて減る見込み。アンゴラやボツワナなど一つのコモディティに依存する国、また南アフリカなど世界経済の近い国が世界経済不安の影響を一番受けている。石油輸出国で最も打撃を受けた国々としてアンゴラ、赤道ギニア、スーダン、今後、ナイジェリア、ガボン、カメルーンなど。共通するのは経常収支が少なく、財政赤字を抱えている点。なお、ケニアなどに関しては鉱物など輸出の飲み悩みがあるものの、農業分野での安定により打撃が少ない。また海外直接投資からの財源の多くは、資源関係に集中しており、その意味で不況の影響が大きい。その他、アフリカにおいて、今だ公式な形での海外送金のチャネルが不安定であることに関する懸念も提示された。また、株式市場では、エジプトや南アフリカなどアフリカ経済の牽引役間での市場価値の下落が目立ち、貯蓄も減少、欧米に比べても損失が大きい結果となった。 情報通信技術分野では、OECDの経済アナリストからまずパネル。アフリカ横断的eネットワークイニシアチブでインドの医療チームとアフリカの患者をつなぐ試み、農業分野では携帯電話のショートメッセージsmsで穀物の価格の情報の共有をするシステムがあり、その他送金の手数料が通常の送金手段に比べると安価であること(ウェスタユニオン比で10分の1程)などメリットと利用方法が挙げられた。また、2011年1月から欧州の輸入業者はぺーパレスに移行するため、こうした業者とのやり取りに適応する技術革新の浸透は必須。民間投資はもちろんのこと、支援の意味合いでは、プロジェクトごとではなく、Aid Management Systemに取り入れた地域全体、国全体のマクロな改善が望まれる。(エチオピア、エジプト、ルワンダ、スーダン、タンザニア、ザンビア、南アフリカ、ケニア、タンザニアではこのAid Management Systemが取り入れ始められている)なお、アフリカの中でもサブ・サハラ地域での遅れは深刻。携帯電話の投資に関するOECDの提案は二つ。まず一つ目に目覚ましい加入者の伸びに追いつくこと、また支払方法も前払い、後払い、マイクロファイナンス利用の支払いなど、新しいモデルを考察する必要あり。またアフリカで初めてケニア・タンザニアで始まった、アフリカ全土での通話量一律などのサービスが他の国々でも採用され始めている。インフラとしては、内陸のネットワークを整備し、東アフリカ全体をサテライトでつなげる必要がある。また、テレコムのオペレーターが利益源を独占しないなどの規制の確率が望まれる。現在、アフリカで情報通信技術分野での規制が十分でないにしろそれなりにある国はナイジェリア位しかない。その他、アフリカでは携帯電話の普及が目覚ましいが、固定電話の普及は伸び悩んでおり、同時にインターネットの普及率も鈍い点など今後発展が求められるエリア。最後に、情報通信技術分野でのアジェンダが貧困削減戦略ペーパーやミレニアム開発目標などよりマクロなドナーターゲットに具体的な形で含まれることへの提案がなされた。 これに対して、数カ国の閣僚や欧米通信会社の社員によるパネルディスカッションが行われて興味深い意見の一部を。まずサテライトの会社Eutelsatのディレクターからは、ナイジェリアにおけるサテライト設置で中国がサポートをしたものの失敗に終わった例を挙げ、インフラ構築以前の教育の重要性について言及。Vodaphoneは、より地域統合を進め市場を拡げる、また南北における家庭でのインターネット普及率の格差の縮小(OECD国では50%以上、OECD外の国では5%以下の普及率)が二つの戦略。この際、発展国におけるモデルをそのまま利用するのではなく、口語文化が大切なアフリカというコンテクストを考えた戦略が必要。 ![]() 2009年 05月 30日
先日、オペラTOSCAの初日公演に行きました。プッチーニの音楽が聴きたい!という気持ちで胸が膨らんだわけですが、実は私にとって今回が初めてのオペラ観劇でした。パリ八ヶ月目にして。バレーは数回あるのですが、オペラは機会がありませんでした。
どちらかといえば能や文楽の方が俄然親しみがあるのは、やはり今まで東京在住だったからでしょう。プッチーニ、素敵でした。悲劇の王道。オペラの王道、なのでしょうね。ちなみに、普段14区のダゲール通りでは見かけない紳士・ご婦人が沢山おられました。ああ、この世代の人(五十以上の大人の方々)というのは、あいにく交わる機会が少ないですし、実際会話ができなさそうなブルジョワ感に満ちている方々沢山だったのですが、ひとつ。ああ、そうなのです、この世代の方々は、きちんと「ドレスコード」というのを心得た世代なのだと。私たちの普段着はカジュアル化の一途。私もたいがいはかなりラフな格好をしており、カンペール・コンバース万歳・GAPキッズのカーキ色ジャケット(150センチ弱の女子の皆さん、GAPキッズおすすめです)をひっかけて歩いている日も結構あるのですが、メリハリを楽しむ余裕というのも、実はとっても楽しい金曜日の夜の過ごし方なのだと分かりました。ちゃんと髪の毛をブローして、あまり着る機会がないものを着て出かけるのも楽しいのです。さて、トスカは「歌に生き、愛に生き」なわけですが、最近とても素敵なカップルと仲良くなったので少し記しておきたいと思います。パートナーとして共に生きて十年ちょっとの四十代、それぞれが素敵な二人です。時に、社会の中で幾つかのチャレンジもあった関係のようですが、その話を聞いていて今の二人がある、私はとても胸が熱くなりました。そして彼が言うのです。「僕らは、自分たちの関係を長期に計画しないよ。けれど本当に幸せなことに、おととしよりも去年、去年よりも今年、時を重ねれば重ねるほど好きになってる。」そんな台詞を、しかも友達に面と向って言えること、なかなかないかなと。今年が図らずして本当に素敵、相手がもっと大切、未来向きでない今を重ねて振り返ったら長い道を一緒に歩いてきた、そのことへの驚きと感謝を繰り返し感じて行ける関係を紡いでいる二人をとてもリスペクトしています。 ちなみに。私が好きな文楽の演目に、伊達娘恋緋鹿子というのがあるのですが(人形使いが見事で、お人形なのにやけに色つやがあるのです)、悲劇的なトスカのエンディングと、同じ悲劇とはいえ伊達娘恋緋鹿子のエンディングの違いに、なんとなく日本と大陸ヨーロッパの悲恋のニュアンスの違いを描いているなと思ったのでした。やっぱり悲劇は、できれば芸術の中だけで、現実には上のようなカップルで溢れていて欲しいなと思った金曜日です。 2009年 05月 25日
東京は武蔵野、中央線で普通電車しか止まらない国立駅から南武線まで一本の大きい道が一本通り、そこを中心に扇型に拡がる街、国立があります。東京で、Boulevardという言葉が似合う道を持った街というのはここ以外には少ない気がします。ここが放つ空気感というのはかなり特別で私は大好きです。おそらく、この界隈で学生をしていた人は同じような気持ちをこの街に持っていると察するのですが。中央線と総武線の喧噪に、郊外独特の家族の香りに、この街特有のふわりとした品の良さ・悠長さが混ざり合い、中でも国立、というファンは多いはずです。
![]() というわけで、以下国立おすすめのお店たちを。 国立邪宗門 国立店の壁には、時計がたくさんかかかっていて、コーヒーカップがそれぞればらばらで味があったように記憶しています。チェーンでは決してありませんが、お仲間が開いた同じ名前の店がたくさんの場所にあります。 ロージナ茶房 1954年創立。ロシア語の店名です。コンサートもたまにしています。寮の先輩らがバイトをしていたことを思い出し。お茶使いがおすすめです。 西欧菓子伊藤屋 とても素敵なマダムがいらっしゃる店で、ケーキもチョコレートも優しくておいしいです。 レ・アントルメ国立 瓦屋根の店内、ケーキもパンもこだわっておられるのでしょう。 萬笑 にらラーメンに味噌ラーメン。元フレンチのシェフのお店でとても美味です。 ステーキテキサス コーヒーが薄すぎます。でもいいんです、テキサスだから。29日は肉の日なので、行くなら肉の日に。 農家の台所国立ファーム この店は割合と新しいのですが、野菜をただ蒸したものなども濃い野菜の味。 韓国料理たんぽぽ ゼミの先生がここが大好きで、何かにつけて打ち上げにはここに出没。やさしーいお母さんが美味しいごはんを山ほど出してくれます。 帽子アトリエ関民 年配になった時に帽子が似合う女性になる、というのが一応個人的抱負なのですが、この店の雰囲気は圧倒的です。 たばこ・喫煙具サンモ―クさえき 私はタバコを吸わないのですが、寮の仲がいい友人がバイトをしていたこと、ないものはない、の有名コピーでこの店を知らない人は界隈ではいないこと、それから煙草が描き出すけだるそうな雰囲気が、嫌いでないのです。 2009年 05月 24日
学校カレンダーで言うところ、早いもので今年もあと一週間です。一週間後からはもう少しブログのアップデートも頻繁にできるようになるかと。先日、マレのバーにてジャズのセッション、オペラバスティーユにてトスカを観る機会に恵まれたので、そちらの報告も含め。ちなみに本日のパリは快晴なり。シャワーを浴びてもすぐ汗ばむ陽気に、カフェにはこぞって人が集まっていることは言うまでもありません。ビールに手が伸びそうですが、ここはくっと押さえてミントティーにミントの葉を煮詰めて砂糖を加えたミントティーで代用。
今日のところは菊地成孔氏のちょっと素敵な音源を。やはりジャズとエレクトリックな音に目がありません。 2009年 05月 13日
五月になって、めまぐるしく毎日が過ぎていきます。一学期が割合平和だったので、フランスの大学院とはこんなものなのかと思っていたところもちらいあり、しかしその頃ののほほんさが今頃効いてきました。試験だ、レポートだ、プレゼンだ、それは社会人の時の忙しさと毛色が異なる忙しさなのですが、なんとか乗り切りたいもの。他方、前述のように外出する機会もあるのですから。
![]() そして秋からロンドンに拠点を移します。いつからこんなにノマドになったのか。そういうつもりがあるわけではないのですし、腰を落ち着かせてゆったりとしたい理由もそこここにあるのだし、陽の移ろいを楽しむことが好きなわけですが、なんだかんだ忙しない最近です。 バケツをひっくり返したような大雨がFM89.9に烈しい音を射しているパリより。 2009年 05月 06日
友人が高校生の時、一年だぶったということで、ふーんと車の後ろできいていたのだけれど、その理由がとてもらしかったのです。
「数学などよりも、当時の関心事はもっぱらもっと実存的なものだったんだよね」 ![]() 「雨は止んだ。大気は暖かく、空をゆっくりと黒い美しい雲が流れている。完璧な瞬間の額縁として、これ以上誂え向きのものはない。アニーだったらあれらの雲を映しとるために、私たちの胸の中に小さな暗い潮汐を生まれさせただろう。だが私はこの機会を利用する術を知らない。私は心安らかに虚ろな気持で、この利用しようのない空の下を、あてどもなく歩くだけだ」(サルトル・「嘔吐」116ページ) 話は変わりますが、最近は久々にTei TowaのLet me knowがヘビーロテーションです。 2009年 05月 05日
たまには、とことん食べ物のレポートというのをしてみようと思います。
意外と写真を撮っていないことが判明したのですが、連休に仲良しのお誘いで、アヴィニョンから少しのところにある町のお友達のところにお邪魔しました。なんというか。紅の豚の糸井さん風に言うと、ゼイタクとはこういうことさ、ということになるのだと思うのですが、フランスの底力、それは地方都市にあり、と今回改めて思いました。 最初は、小さな小さなプロヴァンスの村にある、仲良しの従妹の旦那さんの妹さんの彼氏の高校時代の親友のご両親(遠い!)のお宅を改造した民宿的お宿、それから最後の日は、これまた仲良しの従妹の旦那さんの妹さんの彼のご両親のお家(やはり遠いですね、もはや私なぞ棚ぼたの極みです)にお世話になりました。そのお父さんというのがお料理の先生ということで、とても美味しいお料理をご馳走になりました。このご家族が本当に素敵で、その息子(私の仲良しの従妹の旦那さんの妹さんの彼←しつこいかしら)がまたとてもサンパな男性なのですが、やはりご両親もとても素敵だったのでした。ちなみに、ご両親が手際よくお料理を出したり、ワインを用意してくださっている間、わたくしただその辺に腰かけてプールに入ったり、芝生に寝そべったり、完全に「華麗なるギャッツビー」のルーシーさながらいいご身分をしているだけでした。 ![]() 赤ワインとプロヴァンスハーヴが香るうずらのグリル焼き ![]() ワインたち。その他ご両親が元々ピレネーの方たちなので、その方面の発泡酒も ![]() この地方のデザート。名前を忘れてしまいました 結局、こういうおもてなし一つにしても、どれだけ土着の文化に根付き、自然かつダイナミックな時間と空間の共有ができるかということになるのだと思います。私も、こうした時空のぜいたくができる茶目っ気を持った大人になりたいものです。 次の日の朝は、6時代の新幹線に乗るべく早起きだったのですが、お父さんが朝から美味しいエスプレッソを淹れてくれました。ありがとうございます。おかげ様でリラックスの三日間でした! 2009年 05月 01日
今朝学校に行ってみると、学校の郵便受けに祖母からの手紙が来てました。
![]() 先週はロンドンからお客さまがいらしてて、いろいろお話する機会がありました。久々に、というか実は今回こちらに住まってからは初めてではないかというほど、セーヌ河沿いを右に左に歩きました。お客さんにゴシック建築の美しい見方・方向というのを教えてもらったので、早速次にパリ案内(というかたいがい案内されている側なんですが)をする機会があったら、この知恵を他の方に伝授したいと思います。来月には、東京から仲良しこよしがやってきます。2000年に予備校に一緒に通っていた彼女は、仕事で夏からアメリカへ。まぶしさ満天のあなたの活躍を真に応援しつつ、いつまでも女の子としてのわーわーあーだこーだの同意感のレベルでは、きっとどこで会おうとも、いつ会おうとも変わらないのだという安心感があります。 ちなみに、5月1日はわたしの妹がちゃぴんの誕生日なのですが、それ以外にフランスでは勤労感謝の日・またMuguet(すずらん)の日ということで、日頃お世話になっている方々にすずらんを差し上げるという日なんだそうです。大晦日の松飾り並に、街はすずらん売りで大賑わいです。 ![]()
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