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パリ発 五感の穴

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食べる

お家に帰ってきました。統計学の宿題をなんとなく終わらせ参加した昨夜のソワレは、バックグラウンドや年齢が異なる人々の集いでとても興味深い面子で、四時間強があっという間に過ぎました。それぞれ一品・二品を持ち寄りお酒を開ける会、多人数過ぎないというのはとても居心地がいいのです。

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メンバーの一人は、最近お菓子作りに凝っていて、今日はシュークリームを作るんですって。シュークリームのカスタードって、なんであんなに美味しいのでしょう。その方とお喋りしていて、先週はその方マドレーヌを焼いたとおっしゃっていました。マドレーヌというのは、私の場合は実家を連想させる言葉です。おそらく我が家の場合は、母が作ってくれたそれに想いを馳せるからでしょうか。昨夜のソワレのホストの方も料理が上手でいつも手料理をふるまってくれるのですが、結局私は食材を選ぶ→この自分の食事を作る→そして愉しむという時間の過ごし方がとてもとても好きです。高級レストランに赴いて食べるのとは異なる愉しみがあると思います。そんなわけで、今回の旅行中も、ホステルに泊っていたこともあり、一週間中ずっと外食というのも避けるため、キッチンを利用しました。ホステルというのは小宇宙で、ベトナム人の家族が麺を食べていたり、ロシア人の兄さんがマッシュドポテトを作ったり(というか粉ポテトを水とバターと牛乳でのばしたもの)、アメリカ人の大学生がお豆とパプリカのトマト煮を作ったりそういうのを見ているだけでも面白いです。当然、いわゆるロシア料理を食べるには外に赴くか、最善なのはローカルなご家庭に御厄介になるというものなのでしょうが。

作って食べるといえば、昨夜の面子のお一人は日本に住んだことがある北米人だったのですが、興味深い話をしていました。それは、当時ご自身(いわゆるコケイシアンに見える。本当はヒスパニックも入っているのだけれど、とにもかくにも「外国人」に見えることは間違いない)が日本に留学した際に、他に日系の留学生もいたんだそうです。その際に、彼自身は、日本人のローカルなご家族と食卓を囲む際に、文化の差からくる沢山の失敗を犯したのだそうです。しかし、彼が失敗すればするほど、ご家族は喜び、日本ではこうなのよと教えてくれた。対する日系の留学生は、とても苦労を重ねていたとのことで、なぜ「日本人」なのに日本の文化が分からないのかと、辛い日々を過ごした人もいたのだそうです。これが、個人的な体験、文化的な体験なのかは話し手によって異なるところでしょう。

食を共にすることがやらかな優しさに守られ、連帯感につながる一方、そこには歴然とした差があり、しかし私が関心があるのは、この差を当然のものとして興味深く受け止めつつ、しかしその根底に、一緒に鍋をつつく、時間を共にして愉しむというベーシックなレベルでの共感は可能なのではないかと思いつつ、さてはて戦場の戦士たちを、難民たちを、政治たちを、武器などを持ち込むことなく同じテーブルで食べることが、どれだけ争いごとの解決になるのだろうと思ったりしました。もしくは、いつしかかの牧師氏が言ったように、それはいつしか遠くない未来に、争いごとがなくなった後に、やっと同じテーブルにつくことができるというのが通常の運びなのかと考えたりしたのです。
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by Haruka_Miki | 2009-04-11 00:00 |
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