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パリ発 五感の穴

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意味づけのない空間のこと

二つの街を行ったり来たりの宙ぶらりから、いよいよ一つの街に腰を据える準備が整いました。これまではあれだ、これだと理由があっただろうけれど、これからは過信せずにゆっくり休みなさいよ、というモンパルナスのマダム先生の忠告を聞いて帰ってきました。この機会、せっかくなのだからあれもしたい、あそこにも行きたいという気持ちもさることながら、そう先生に言われた途端、そうだよなとやけに身体が反応するのは、言葉は多少乱暴だとお叱りを受けそうですが、結局身体に異物が居る、ということにつき、そのことを自然と受け止めるよりは、異なる個体を抱えているのだと思い生活をする方が、よっぽど自然なことなのだと考えたりするきっかけになります。

先生の診療所は、サーモンピンクの部屋に温かみがあるソファが置いてあって、いつもラジオクラシックがかかっています。ご主人が小児科の先生なので、アパートの一室を改造して、手前が小児科と小児科用の待合室、あちら側がマダム先生のオフィスです。通常は国立病院に厄介になっていますが、先週から助産婦さんのストライキが続いていて、そこでかかりつけのマダム先生のところに今月は急きょご厄介になることになったわけです。結論として、このマダム先生に会うのはとても面白く、彼女の触診には大層信頼を置いているので、現代機器が揃わないこのオフィスでも、マダム先生の知識と経験に勝るものはないのです。そうやって、本当は我々のお母さんたちも過ごしてきたのだから、それで事足りるわけだし、過度な情報と過度な情報革新が安心を運んでくれるようで、心配の種もまた増やしていることを、彼女に会うといつも感じます。

さて、先月母に持ってきてもらった女性誌に、ふとすれば全く雑誌全体の内容とは趣向の異なる、姜尚中さんのコラムがあります。私はこのせんせいが書くものが元々とても好きなのですけど、今回のコラムの一節が面白く。都市空間についての言及で、東京という街に触れて、この街を自由な街にするためには、意味づけされていない空間を増やす必要性を説いていています。

そんなコラムを読み、待合室に座りながら、意味付けされていない空間が、誰にとって意味付けされていないのか、逆に意味付けされている空間はどういう空間なのか、その意味付けは誰がするものなのか、を考えていました。そうして、その質問は必然と、自身が生まれ育った街東京を考える素材となるのです。(近年のオリンピックに伴う魚市場移転などいくつかの問題を除き)都市政策がさほどメインイシューにならないように思えてならない東京という街を意味づけるのは誰なのか、なぜ彼らがその力を持っているのか、「彼ら」と一色単に言っても、その存在自体も時代時代で揺らいできていて、いわゆるシティプラニング以外の、それこそ駅なか事業に始まる意味付けできる空間の発見。それはカイゼンというコンセプトに表現され、その進化・深化たるや驚くべきなのですが、感動と、同時にどの駅も、どの改札口も、どのロータリーも、どの店ももしかしたら似通うリスク。

今住まう街の不便さたるや、感じ方次第では甚だしいのでしょうが、無意味な空間に解放感を、安心感を覚える性質の人にはたまらない場合もあります。ふと考えるのは、あの無意味さに溢れた、混沌とした街、小学生の頃からなじみのある東京は下北沢という街だったり、中野という街だったりします。

再開発の色や形やデザインを見て一目で、あのデベロッパーだ、と分かる街の中の混沌さ、オスマン大通りやモンパルナスタワーやラ・デファンスのような国家とパリ市をあげての都市計画と反して存在する無垢な人間の空間。私の関心を捉えて離さない二つの街の意味づけのない空間に今一度深い関心を覚えています。
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by Haruka_Miki | 2010-06-22 00:00 | 五感
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