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パリ発 五感の穴

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人を愛する

映画を見ました。恋愛の話です。恋愛を前面に出さない、究極の恋愛映画です。雄大な山と、カウボーイたちのワイオミングやテキサスを舞台にした恋の話。チアリーダーの金髪のステファニーと、アメフト部のジョンが知り合って、紆余曲折を経ながらめでたし、めでたし、という軽いタッチのラブコメディではなく(そんな映画あるのかな。でも実際にそういうステファニーやジョンが、米国の特にミッドウェストにはたくさんいるものだ、と個人的経験から私は実感。そういうステファニーがジョンが多いということは、それだけステファニーやジョンが喜ぶような恋愛ものの映画もこの世の中には存在するはず。)、随分と「恋愛」を重く感じる映画でした。今回、この恋愛ものの映画を見て、愛するって何だろう?なんで愛するんだろ?と考えとります。実は、「どう」愛するとか、「誰を」愛するとか=HowやWhatへの回答はお得意の私たち、しかしWhyにはちと弱い。

なんで人は人を愛するんだろ?

様々な障害が行く手を阻んでいようとも。自分が結果的に傷つくことになろうとも。幼稚園のバラ組の頃に、みんながクラスのスター、オサムくんを好きだから、じゃあ私も好き!という便乗型の好きな人選びをした時代や、友達から始まって仲良しだった子がいつのまにか初めてのボーイフレンドになったとか、そういうのも含めて「人を好き」なのかもしれませんが、まあ「愛する」というのはこれはとても特別な響きで。

なぜ人は人を愛するんだろ?

その疑問は永遠かと思われます。そして永遠に曖昧かつもろいものでもあろうかと思われます。対等に互いを愛していないと、など問題は力関係やバランスまでに発展したり。それに、あまりに愛だなんだ言っていると、現実味のない、夢みがちな人に思われるかも。人を愛するからには、その人が単に愛おしいとか、自分以上に大切な人、といかそういうことになるかもしれない。が、それはあるベクトルでは、「他者」に映る「自分」を愛することに他ならないのかなと考えてしまったりするわけで。自分はこんなにあんたを愛しているから、あたしのことも同じだけ愛してくれていいはず、となるのかな。そうしたら、純粋に人を愛するとか可能なんだろうか、とか堂々巡りをして。

そんな理屈のあちら側では、こんな声も聞こえてきます。「愛なんてないんだよ、ぜんぶ、欲望なんだよ!」(映画・メゾンドヒミコより)

という私という人間一個人のそこまで多くもない経験を通しても、恋愛をめぐる諸問題はどんどん拡がってゆくわけです。それをぎゅーっと凝縮した映画が、2006年アカデミー賞を三つ取ったとなると、なるほどそれだけこの問題は多くの人々の関心事のよう。

とりあえずは、身近なところで、次の休みに母と父にインタビューに一つでもしてみようかな。「なんで好きになったの?」って。あの二人なら、熱弁をふるってくれる、はず?
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by Haruka_Miki | 2006-04-04 00:00 | 五感
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