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パリ発 五感の穴

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属性を考える・家の族

様々な属性の中で、家族は間違いなく、私が属するものの中で一番大きな存在だ。代わりがいない存在だ。

困ったときにじっくり目を見て話を聞いてくれ、落ち込んだときには激励をし、喜びを共有し、一喜一憂は家族の人数分だけ多くなる。父と母と妹と私ならば、4×喜、4×憂、となる。

随分と不思議な縁だ。ものすごくすごいことなのだ。生物の神秘。父の母のその父の父のその前の母の・・・と私という人間を作る前に、ものすごい数の先祖がいて、無数の「命の連鎖」があって、ここに私がひょっこりいる。この世におぎゃあと産まれた時から、恵まれたことに家族が待ち構えてくれて、歓迎をしてくれて、毛が三本の動物的な存在だったときから、少しずつ人として形作られる過程で、あれだこれだとたくさんの経験をさせてくれて、見守ってくれて、現在に至る。

考えてみれば、産まれて初めて出逢う「集団」が家族だ。属性なんなりを考えるまでもない自然な存在だ。自分自身ではない、けれど他人でもなく、文字通り自分の血となり肉となる存在だ。

「血となり肉となる」ってのは現実として自然だけれども驚くべきことだ。他の全ての属性の中でも群を抜いて、「私」という存在との境界線が曖昧な属性な気がする。父は父だけれど、私は父の一部を受け継ぎ、母は母だけれど、母なるものも秘めているのだから。

次のようなときに、私は自分が、ただの私という個人だけ、とは言い切れないなあと思う。例えば今日の母との長電話だ。私は、最近感じていること、仕事のこと、将来のこと、日常のことをだらだらと母に話していた。面白いことに、今日母も同じことを考えていたのだと言った。奇遇ねえ、と笑った。当たり前よ、親なんだから子どもが考えていることは想像がつくわ、と母は笑うかもしれない。いや、それだけじゃない。なんだかものすごい予言者かマジシャンのように思えてしまうほど、ぴったりなことを、驚くべきタイミングで言ったりする。インスピレーションの感じ方がぴったり合ったりするものすごい存在、それが家族だ。

代えがいない存在だから、自分を形作る存在だから、もはや家族は属性というだけじゃない感じがする。家族は私である。だが、家族は私自身ではない。大きな部分で「私」と重なり合うけれど、完全にオーパーラップはしない。そのラインを保ち、そこで「私」という個人が顔を出す。

最近、「個を持とう」というような文句が世で幅を利かせて久しい。が「個」も何も、それは結局様々な自分を先行する人々の部分、部分の寄せ集めであり、それを「意志」という私なりのものでぴったり一つの「絵」に仕立て上げるそのプロセスを続けること、それが「私」ってものを形作るんじゃないかな。

性別みたいに、「私」の身体や精神になんらかの印があるものではない。けれど、「他者」では決してない。「家族」と呼ばれる人々は私以外のファミリー構成員であるし、時に自分自身も含めて「家族」という言葉を使う。属性が「私」の前にあって、他の属性以上に「私」はそれなしには語れない計り知れない存在だ。家族は私じゃないけれど、確実に私の一部であり、私もその一部だ。それがずーっと続いていくのだ。命の連鎖があるかぎり。
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by Haruka_Miki | 2006-04-11 00:00 | 五感
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