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パリ発 五感の穴

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ヴェニスの商人、肉一切れの重み②

少し長くなります。ご了承を。

学生時代に、関心がある学術テーマが近かったこともあり岩井克人さんの本が好きだったのだけど、今読み返してもすごく鮮やかで、言葉って、概念って、経済学って、社会科学って面白いなあと。

f0079502_1218120.jpg今回の臓器売買に照らし合わせて、「ヴェニスの商人の資本論」(岩井克人/ちくま学芸文庫)を再読。かの有名な、シェイクスピアの喜劇「ヴェニスの商人」を経済的、資本論的観点から論考している名著。それは、ある意味で臓器売買が起こる現代社会を如実に表しているように思えるのだ。臓器移植がいいか悪いかは差し置いて、現実に臓器移植が行われるこの社会について考えたとき。

イタリアはヴェネチア。物語の登場人物は、ヴェニスの商人アントーニオと、金持ちで金貸しのユダヤ人シャイロック、そしてアントーニオの友人バサーニオとポーシャ。二人は、アントーニオにとって兄弟にも近い共同体の存在だ。さて、アントーニオは金が必要となり、兄弟のようなバサーニオに援助を求めるが、手持ちがないと断られ、やむを得えずアントーニオは高利貸しとして毛嫌いするシャイロックから金を借りる。それまでシャイロックのことを軽蔑していたアントーニオが今は自分に頼る。高利貸しという汚名と裏腹に、今回は利子と取らずに金を貸そうとシャイロック。代わりに、金の返済不可能の際には、アントーニオの身体の中で好きな部分を一ポンド切り取ると明記してほしい、と言う。さて、その後契約は不履行ということになり、二人は人肉裁判で対面することになる。アントーニオは友人二人の助太刀もあり、アントーニオは法廷で勝訴するかたちで物語は終わる。

このお話を、「ヴェニスの商人の資本論」では、表向きはアントーニオの前面勝訴、アントーニオと友人たちの麗しい関係でよかったよかったとなるところを、違う視点で捉える。

「だが、このことは一体シャイロックの敵であったアントーニオの全面的な勝利を意味しているのであろうか?答えは―否である。もちろんアントーニオは裁判には買った。しかし、この裁判の全経過をつうじて、アントーニオが体言しているはずの兄弟盟約的な共同体原理は一度として力を発揮したことはんかあった。いや、アントーニオが裁判に勝ったのは、けっして彼の懇願していた『話し合い』によるのではなく、逆に、シャイロックの発する『証文どおり』という言葉をわがものにしたポーシャがその論理を極限まで追求するようによってなのである。アントーニオは、等価交換の原則という共同体の外部の論理、すなわちかれがもっとも軽蔑していたユダヤ人の論理をみずからの味方にすることによって窮地から脱出しえたのである。」(文庫版38ページ)

私達は、前提として共同体のつながりの中での臓器移植を求める。その中での、ドナーカードの存在があり、このつながりを前提に臓器移植は可能となる。そして、今日の臓器移植問題を、等価交換という上で言われる「ユダヤ人の論理」で捉えることを忌諱し、ところが法の整備などという「ユダヤ人の論理」に解決を求める。というのも、「兄弟盟約的な共同体原理」、例えばそれが臓器移植に対する知恵、倫理観、世間的な何かにあたるのかはわからないけれど、そうした原理がもはや機能していない社会だからだ。臓器移植は、こうした現代状況をクリアに表している気がする。

しかしだ。いくら法の規制があっても、いくら能死や臓器移植が明文化されても、それだけでないのが社会なような気がする。もう「共同体」的なものが破綻しているのかもしれない。けれど、生命倫理においては、それが最後の砦として、法というプラットフォームに合わせて、私達一人ひとりが、グローバリゼーションの中で何らかの倫理を取り入れていかねば、法の抜け道やアンダーグラウンドマーケットなど、日の当たらないところでの取引が助長されるだけに思えてしまうのだ。

さしあたり、一市民として、生命倫理学に強い関心を持ち続けたいと思います。

Life Studies Blog by Professor Masahiro Morioka
http://www.lifestudies.org/weblog/
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by Haruka_Miki | 2006-10-05 00:00 | 経済的営み
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