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パリ発 五感の穴

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文語の達人、口語の達人

先日、あいにく家の鍵を閉じこんでしまい、妹の帰りを手持ちぶたさで、静かに(とはいかず、妹に10回くらい電話をかけ続け、困り果て、あきらめたわけだ)待たねばいけなかったのですが、こういうときに限って、いい本に出会えるもんです。

がっくりきて、古本屋まで行き、手持ちの小銭で、中沢新一さんの「イコノソフィア」を手にとりました。「チベットのモーツァルト」や「カイエソヴァージュ」シリーズ以来の作品だったので、少々文体に慣れるのに時間を要するのだけれど、おそらく私が一番困りつつ好きな思想家の一人。最近は分かりやすいのもありますが、基本的にアンビバレントで、情緒的で、難解で、宇宙的で、多様的で、どうも分かったような、全く意味がわからないところが魅力的なのです。じゃあ、結局わかっていないのでは意味ないじゃないか、というご意見にはご愛嬌とお答えするしかありません。ふむふむ、うーん?とブラックコーヒーを飲み、すみませーん、とおそろしくはっきりとした発声で、ウェイトレスさんを呼んで、持ってきて頂いたシナモンをひとつまみまぶしたチャイを飲み干したところで、妹はやってきたのでした。

こうして、二冊目の谷崎潤一郎さんの「陰翳礼讃」はお預けと相成りました。

話はとんで、政界では党首討論があったようで。なんだか思えたのは、書き言葉がうまい人、話し言葉がうまい人、その中でも人を説得するのがうまいひと、魅了するのがうまいひと、などと個人の持ち味はいかようでもあるんだろうなと。上で本の話があったのですが、書き言葉がうまい人が、必ずしも話し言葉がうまいとは限らないのかなと。反対もまた然り。

これはものすごく偏見に満ちたもので、ご意見・批判も多いに頂きたいのですが。日本語を嗜む人の多くは、どちらかといえば、書き言葉に長ける人が多い気がするのです。ディベートとか、演説とか、そういうものよりは。いや、やはり語弊がある。たまに思うのは、日本語という言語の特徴やエッセンスが文語向きなのではないかしらと。情緒とか、心のひだとか、精神世界とか、特に向いている言語に思えてしまうのは、やはり私の母語が日本語だからかな。かわりに、そうこれも偏見ばかりだけれど、演説するとき、何かを人に訴えるとき、説得するとき、日本語てのはどうもまわりくどいし、いらない尾ひれがぱたぱたついてしまうような気がするのですが。

言語にはまあそれなりに、向き・不向きってのがある気がするのです。
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by Haruka_Miki | 2006-10-18 00:00 |
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