本日のニュースに関して。
オーウェルの
1984年を読んでいて、共産主義国家、社会主義国家について考えつつ。それはまた随分、精神的にも地理的にも遠い世界の話のようですが。
そんなことありません。反対意見も述べられないような国が、何もそのような昔の遠い世界の話でも、また今日世界の注目を集めている国家でも他でもない、私が住む地にも当てはまり得るのです。
なぜ、反対意見が言えないのか、反対意見を持つものが徹底的に排除されるのか、その状況も信じがたいけれど、そのこと自体への憤りを感じるのだけれど。反対意見があるのなら、論議すればいいし、討論すればよろし。それでも無理な場合は、多数決という、今日最も多用される民主主義的解決(としておきましょうぞ)があるわけです。
という不甲斐なさ以上に、そのことに焦点を当てず、キャッチーな言葉で政治のゴシップばかりが幅を利かせているメディアこそ、どうしても分からないです。
だからテレビもつけない、という私のような方法もあるけれど。メディアの方向性が一方的なものから双方向性、多方向性になりつつある今日このごろ。けれど、マスメディアの重要性は言わずもがな。その中で、批判的精神がないマスメディア、それ自体が矛盾、それ自体が罪と、どうしてもこの件に関しては一歩も引けませぬ。