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パリ発 五感の穴

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甘い果実の誘惑

残暑の日差しの今日、一番のごちそうはちょうどよい日陰のできたベランダで、入道雲を見ながら、冷えたアイスコーヒーと、果物をベランダで食べることのような気がしてました。ぶどうに梨、りんご、バナナと果物ばかり食している気がします。水を飲むにも、レモン水を飲んでいます。

ちょうど今読んでいる、V.S.Naipaul旅行記に、次のようなくだりがあります。

f0079502_1814419.jpgWe stopped at a bus-and truck halt, with a big rough cafe in Mediterranean colours and a watermelon stall on a platform beside the road. The watermelon man, seated at his stall below a thin cotton awning that gave almost no shade, was sleeping on his arms.

We woke him up and bought a melon, and he lent a knife and forks. Behzad halved the melon and cut up the fresh, and we all three - the driver joining us without being asked - squattered round the melon, eating as it were from the same dish. Behzod, I could see, liked the moment of serving and sharing. It could be said that it was a Muslim moment; it was the kind of sharing Muslims practised-and the driver had joined us as a matter of course. (V.S. Naipaul, Among the Believers, 1981, Paper cover, Page 39)

こういう風景を、旅人はよく目にすると思われます。地平線に続く埃っぽい道中央アジアのであれ、熱帯の青々した木々に覆われた東南アジアの道であれ、どこかで果物をぶらさげて売っている人々を必ず目にします。カンボジアの道ではドリアンを買い求めたり、ベトナムの飛行機で友達になったおじさん(かなり哀川翔似)にはスターフルーツなどご実家でとれた果実を山ほど頂いたり、セビージャの市でバナナを買ったり、ペルーのホームステイ先ではとても気に入ったフルーツの種を日本まで頂いてきたように記憶しています。なんとなく、お茶を囲むと同じく、旅人を癒してくれる、そんな存在が果物です。もしかしたら、私のバナナ好き(学生時代の友人は、それを証言してくれるはずです。バナナ携帯ケースを誕生日に頂いた位です。)は旅に起因している気がしてきました。

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そんな残暑の空を見て、とてつもなく食べたいのがマラクジャです。ペルーのお家には、いつも熟したマラクジャを水につけたジュースが、日本のお家の麦茶のような感覚で冷蔵庫に入っていました。私はこのジュースが大層気に入っていました。マラクジャは中が種でできており、果実を食べるときも、基本的にこの種のまわりの果実部分を食すのですが、パッションフルーツであり、さっぱりとしていて美味です。強い木だそうで、種を植えるといいよと言われたまま、三年が経とうとしています。

という果物へのこだわりも、おそらくは隣の芝生な部分も往々にあり、またその果物に旅を感じずにいられないからだと思います。良き友人のシンガポール人は、東京在住中に果物が美味しくて感動し、東京を離れる時、いちごをそーっと両手いっぱい手荷物で持ち帰っていました。私にしたら、パッションフルーツを中心に南国は果物に恵まれていると思っているわけです。

とりあえず、今はマラクジャの写真でも見て、今はマラクジャへの想いを絶つことにします。
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by Haruka_Miki | 2007-09-16 00:00 |
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