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パリ発 五感の穴

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排出権ビジネスについて思うところ

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今、金融に身を置いているけれど元のバックグラウンドが社会学寄りなため、どうも経済的事象をそのまま見るよりは、もう少し大きなところで考える癖がある。商学が「いかに」を突き詰めて考える学問だとしたら、私は多分「なぜ」に慣れてしまった。今でもその思考回路は変わらぬままだ。。吉とでるかは置いておいて、先日ドキュメンタリー番組で見た、二酸化炭素の排出権取引について色々と考えるところがある。

私が大学時代からずっと影響を受けてきた概念に「リスク社会」がある。現代社会を如実に表すと考え、学士論文もこれを元に書いた。ある種流行りの概念でもある。ドイツの社会学者でこの分野の第一人者のユーリッヒ・ベックによれば、リスク社会とは、産業社会の次なる段階である(もちろんここに消費社会とかも段階的に入るのだろうが)。産業社会で、私達は目覚しい技術革新を遂げ、これは私達に富をもたらした。さして、チェルノブイリに始まり、産業社会は次なるステージに入る。リスク社会である。今まで恩恵ばかりが目立っていた技術革新の負の部分、例えば環境汚染など、今まで中心議題でなかったトピックに焦点が当たるようになる。少しリスクの意味合いがずれるが、金融でもエンロンなどに端を発しリスクマネジメントが今まで以上に大きな意味合いを持っている。

さて、リスク社会と大きな影響を持ち合うのは、近年のグローバリゼーションだ。リスク社会の特徴の一つは、リスクがもはや空間・時間に規定されえず、今の行為が将来のリスクになったり、北の諸国の行為が南の地域に影響を及ぼしたりすることだ。

もっと進めると、イギリスの社会学者、アンソニー・ギデンズが言うところ、リスク社会では現在の行動が将来のリスクにより影響を及ぼされるようになる。もう一つ大きいのは、リスク社会で言うところのリスクは、天災などと異なり、人的なものだ。リスクを最小化しようとする努力は、リスク社会の形を次々と変え続ける。その努力がまた、次なるリスクを規定する再帰性を持つ。

南北富めるもそうでない人も、政治的権力の否かに関わらず、環境破壊の影響ってのは地球上のすべての私達を多かれ少なかれ、覆う。人的要因によって作り出された「リスク」がそこここにある。今私達が対面している環境破壊は、南の国の急激な発展によるところもあるけれど、それ以上に先に発展した北の私達に因るところが大きい。だからこそ、その責任の具合に応じて、排出率が途上国では発展国よりも低く設定されている。そう、今問題になっている二酸化炭素の排出問題は、リスク社会の最たるものだと思う。実際、私達発展国は、自身の排出量を下げようとする努力では足りず、排出権ビジネスの需要は日に日に拡大する。

排出権を売買することで、途上国は発展のための資金調達ができる。日本などの発展国は、排出量の基準を超えずに済む。その先には、京都議定書の国別排出枠というとりあえずの目標達成があって、途上国にとっての発展の権利も同時に認める。

けれどそのもっとさきには、リスク社会がある。この二酸化炭素の排出量を売買するというリスク対応は、多分次なる社会を形作り、皮肉にも二酸化炭素を誰が排出したかという点で、地球上の私達に平等にその影響が決定されるわけではない。

そう考えると、全てはこの「リスク社会」の一連の動きとして見えてきてしまうのだ。といつもの思考の癖を思い存分書き出したところで、とりあえず自分が何ができるか、ちっとは商学的マインドで考えよう、かな。
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by Haruka_Miki | 2007-10-14 00:00 | 経済的営み
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