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パリ発 五感の穴

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混沌ノートのお陰です

探し物をしていて、部屋の机の引き出しを開けたら、探し物は見つからず、代わりに大学のノートが出てきた。読んでいる間に段々面白くなってきて、探し物のこともすっかり忘れてしまった。(似通った日常のシーン:大掃除をすると必ず思い出の品々に思いを馳せ、なかなか掃除がはかどらない。)

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美しく理路整然とまとめられたノートかと言えば、かなしいかな、これ以上の混沌はない。筆跡うんぬんでなくて、最初の10頁は「簿記システム論」という不可解な授業名(受講したはずだろうに。何のクラスか定かでなく。自身の学部のものでないことは決定的)、その後は「仏思想史」(デリダという文字が次の10頁には多い)、その後は「哲学史」(今度はヘーゲルらしい。記憶にあらず。)、最後に副ゼミのメモだ。ルーズリーフでもないのに、よくもまぁ、色々な科目のメモを同じノートに収めたものだ。拡散しすぎ。

哲学の授業はすっかりお留守になったが、当時わたしは、西欧哲学にある種の隔絶を感じるから、どうも孤独に感じて私には無理だわ、などとしょうもない屁理屈を言って、当時、ドイツ哲学の博士の友人を困らせたことだけ思い出した。そこまで熱心に勉強しなかったことだけは思い出した。今になれば、なんていうもったいないこと。お金を払って時間も沢山あって本を読んで議論することが仕事であったのにと嘆くばかり。

哲学の不勉強を反省しながら、副ゼミのメモのところだけは記憶があると、ここぞとばかりに自身の名誉挽回を図る。当時は、イブン・ハルドゥーンという14世紀の歴史家の本を読んでいたみたい。ちなみに、彼の歴史序説はかなり面白い。面白い点は、当時、しかも西欧でなく北アフリカにおいて、イスラムについての深い考察と、同時に貨幣経済がなぜ力を持つかについて力説しているところが、時代を考えるととても先進的だから。

①イブン・ハルドゥーンの文明論の背景にはアリストテレス政治学がある。(アラブとか中東というくくりを飛び越えた歴史家)
②「文明」の定義を、人間が作る社会の統合原理とする
③多くの共時的、通時的な多くの文明(類型的)の存在を前提とする。→文明は多様であるということではなく、ある文明は上り詰め、他の文明はそうではない。

例)田舎の文明 対 都会の文明 = 「移動」と「定着」の二概念
田舎とは-ドイツ語でいうところのゲマインシャフト、砂漠の遊牧民ベドウィンみたいな(日本ではちょっとピンとこない)
都会とは-ドイツ語で言うところのゲゼルシャフト。定住民が基本。(これは文化的なものね)
「移動」の文明においては、拡散を防ぐため連帯意識が不可欠であり、そこで政治の原理が必要。「定着」の文明においては、文化装置としてのイスラム諸学があり、都会においては経済の原理が大きくなる→貨幣と技術の中心であるということ、よって都市が農村を支配。

二つの対概念としての文明を束ねる働きとしてのイスラム。そして、その中でやはり一方の文明を優位にしたてる貨幣資本主義。ゼミの先生が言いたいいこととしては、いかにイブン・ハルドゥーンが先進的であり、イスラームの文化が元々資本主義的思考を持ち合わせたものであるかというところにつきるみたい。ちょっとこじつけな気もするけれど、先生の情熱が、私の無秩序なノートからも読み取られる。なにしろ、やっぱり14世紀にこうした視点はとても興味深い。

混沌ノートがまだ我が家に保存されていたことは驚きなのだが、これも何かの思し召し、実は私は歴史序説は全4巻のうち1巻しか読んでいない。もう一度哲学も歴史もちゃんと本を読んでみよう。
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by Haruka_Miki | 2007-11-28 00:00 | 経済的営み
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