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パリ発 五感の穴

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きみをおもう

何度あなたと食事を共にできるか、あなたと笑い合えるか、あなたと静けさも分かち合えるか、あなたと取っ組み合えるか。何度私はお腹がよじれるほど大笑いするか、ああ、まったくアホだなぁと呆れてしまうほどに愛を持ってコミュニケーションをとるか、ただいいなぁと時や場所を感じることができるか。一緒に頭がぶっとぶくらいに何かに没頭して、疲れをかえって笑ってしまうくらい集中できるか。
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(チチカカ湖の水, 2005年)

考えたら、いや輪廻を信じる否かを問わず、人生てのは有限なので、でも普通は考えないわけで。それよりも、責任だとかこの道で生きるんだとか、いや普通はそれも考えず、もっと近いことを達成することに集中しているわけで。しかも、自分のことばかりに集中してしまって、周りの人の大切さへの感謝を、考えたりあんまり表現できてないのです、思っているほどには。当たり前がなくなって突然、そのことに気づきます。

実は、大学の先輩が逝去されました。突然の知らせで、なんというかどうすることもできず、メールを頂いた時は、動揺を隠せず、仕事にも身が入らず。不謹慎な話しですけど、病床にいた祖父を看取るのとは全く次元が違う衝撃です。祖父が亡くなった時などを思い返すと、生と死ががーんと向こう岸にあるのではなくて、その間で死を受け止める側は少しずつ受け止める準備を悲しみを昇華する用意をしていったように記憶しているから、それとはもちろん違います。

大学では、書き物をするサークル活動に入ってたわけなんですが、名物な先輩で、部室に氏のベッドがあるような状況で。おっさん、と愛を込めて皆が呼んでしまうようなお人です。その方が着ているものが外出用か家着かよくわからない、部室もその方の部屋なのか部室なのかよく分からないような、ファジーな中での淡ーい記憶が、くっきり蘇るのです。

辛い知らせの連絡係を買ってくれたYくん。いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らん、と。本当にそのとおりだと愕然とする私。どうしたらいいのか。どうにもならないんですが。

どうにもならないので、先輩のことを知って今私ができることは、お線香代わりにお香を一本燃して、ロウソクの光を消すくらい。具体的には、大切な人たちとの時間を感謝して思いっきり感謝して、そして存分に楽しもう、自分は自分で、リスクをとった人生を送ろう、この二つが今一番のプライオリティでしょうか。多分、それに見合ったそれなりのご報告を、近々できるかと。

とにもかくにも先輩、達者で。寂しくなります。思い出になっても、忘れません。
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by Haruka_Miki | 2007-12-12 00:00 |
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