と至るところで宣伝しているので、単純な私は段々洗脳されてきて、そうかもしれない、と真っ白な年賀状を何枚か買った次第です。
真っ白なので、何かを描こうと思い、針ねずみを描いてみましたが、針ねずみがなぜか羊に見えます。困ったのでひげを描いたら少しは針ねずみらしくなりましたが、どちらかといえば、ひげがはえた羊というのが正確な気もします。可笑しい。(ちなみに、針ねずみって英語で何て言うのだろうと調べたところ、Urchin、ウニと同じ単語のようです。姿が似てるものねぇ)
年賀状の国を離れ、一度この慣習から離れてしまったので、年賀状を殆ど出さなくなってしまいました。残念なことです。今年はちょっとがんばってみようかな、とりあえず目標設定は限りなく低く年賀状を10枚だけ購入しました。今までお世話になった先生達にしか書いていなかったことを考えると、大変な飛躍です。
筆を進ませると思い出すのはその昔、父がいつも自分でイラストを描いて、それをプリントごっこで何百枚と刷るのが師走の恒例行事でした。色々なスポーツをしている家族の図を描くわけですが、我が家族はお世辞にもスポーツ一家では必ずしもないので、なぜスポーツが選択されたのかは謎でした。あれ、でも私以外はみんなテニスができるし、妹はサッカーやテニスクラブに入っていたし、アルティメット(格闘技じゃない方)のユース世界大会などというものでフィンランドに行っていたし、どうやら私だけスポーツ肌でないだけでした。恒例行事だった年賀状の制作も、いつしか、八十年代の大フィーバー商品も我が家では使わなくなってしまいました。
それにしても、民営化というものを、近頃とても強烈に感じます。この話の始め、「年賀状は贈り物だと・・・」のキャッチコピーも含め、某広告代理店は巨額の富を得たといいますし、様々な媒体を通じて広告を打ち出しています。
私がそうであるように、広告活動にまんまと誘導されて年賀状を書く輩は少なくはないはずです。年賀状自体は一つの慣習として一年に一回くらいはいいものかなと思いますが、それと別次元で、そうした慣習までもあからさまなマーケティング活動によって誘導されたものだと思うと、ちょっぴりやる気を失くします。
やる気を失くすどころか、すっかり広告の思う壺じゃないかと言われればまさにそうなので、返す言葉がない、消費者な私です。
とりあえず、私が珍しいことに、お住まいの住所を存じ上げてる非常に限られた方々は羊とネズミのあいのこを、楽しみにしておいてください。