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パリ発 五感の穴

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一杯$1.38のコーヒーで3時間話す夜

高校時代の友達と会いました。車社会では、一杯引っかけようとはいかず、家でパーティをするか、夜にカフェで落ち合うのが相場です。我々も例に漏れず、隣町にある、かわいらしくこじんまりしたダウンタウンのカフェで落ち合いました。自動車の達人の彼女たちとは異なり、私はどうもウィンカーを出す時に右のワイパーばかり回してしまって、ミシガン人からは程遠い状況です。

卒業してから八年会っていなかったのですが、テクノロジーの恩恵にあやかり、今回会えることに。二人とは国語のクラスが一緒で、文学だ芸術だファッションだ、その他諸々の女子の話題ではいつも盛り上がったものです。地元でいい評判の大学を出た後、なんと二人して教師になっていました。一人は私が通った中学校で社会を教え、もう一人は近所の町で国語(文学)の先生です。高校時代から、年齢に合わず洗練されて落ち着きがある二人でしたが、その印象は今も変わらずなんだか感激したのでした。

あの子はハワイで今旦那さんと暮らしているとか、あの子はノースキャロライナで心理学の博士で講師をしているとか、あの人はシカゴで公認会計士だとか、噂話も含め、とかく色々と話し楽しい夜でした。嬉しいのは、彼女たちが生きているこの町のことを語れたことであり、それがこの八年でメディアの中の話題と化して、自身の生活とは一線を画したもの、例えばそれがアメリカの銃社会の影響であったり、アメリカ社会が内包するエスニシティの問題であり、有権者の視点からの大統領選挙であり、それとは別次元で教師であること、子供と大人、教育のことというあまりにも日々の視点とはかけ離れたものについて語り合ったことでした。

私が通った中学で教師をする友達の話では、私達が学生の時と比べ、この市を構成するエスニシティが大幅に変わり、市がその変化に追いついていけていないこと、親たちの間にも自分達と他者といった意識を持ってしまっている人が少なからずいることを聞きました。近所の市の高校で教える友達の話でも、似たようなことが起こっていて、越境通学(この地域ではSchool of choiceと言い、デトロイトダウンタウンなどのエリアから、よりよい教育を求めて、親が毎日高速道路で送り迎えをしている高校生たち)とそれに対する一部の親たちの反発、学校内での喧嘩について話してくれました。また、中学の先生の友人は、授業でパレスチナ問題を話す時、ユダヤ教とイスラム教の学生がいるため、とても繊細なトピックで、中立的な立場で教えることが思っているよりも難しいこと、また高校の先生の友人は、学校の必読書である本に黒人の差別用語が多用されているのですが、この本が書かれた背景などをきちんと話すけれど、しかし自身はその言葉がいかに歴史的に使われていても、実際に口にすることさえ自身ははばかっている現実などを教えてくれたのでした。

もう一つ、非常に興味深かったのは、以前は年に二度ほど、竜巻の避難訓練をするのが常でしたが、今では竜巻の避難訓練の変わりに、不審者が学校の侵入した際の避難訓練をするとのこと。こんなに平和なのに、そうやって不安が煽られるのよね、と二人は嘆きます。

全ては、私が以前に経験したこと、けれどいつのまにか第三者の目で学問の一環として見るようになってしまったことです。彼女たちは毎日、その現場に立ち、若いながらも情熱をもって、そしてストレスで時に不眠症や白髪(!)を作りながらそこに居るのです。

当然、その社会に生きれば、特有の問題に直面し、悩みながら生きています。が、アメリカ社会はその諸問題があまりに現代社会の縮図というか、外界に与える影響も大きく、それだけ濃縮された諸問題に見舞われているように思えてなりません。その中に生きる二人(しかも、かなりの見識がありコスモポリタン)を見て、アメリカが今なぜアメリカなのか、内部的に悩みに悩んでいるのか、少しだけ垣間見た夜でした。
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by Haruka_Miki | 2008-03-20 00:00 |
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