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パリ発 五感の穴

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<喜び>から始め、<喜び>だけを追求するということ

休暇中に、「スピノザ 共同性のポリティクス」(浅野 俊哉著・洛北出版・2006年3月)を読み始めました。
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(ある日目覚めれば、絵のような空)

メディアに触れ、辺りを見渡せば、個人の幸福、国家、共同体、法、制度、それぞれの現状の分析と、批判と、尽きない悩みと悲しみが、多く語られ、書かれているのが常です。また、哲学関連の書物を読むと、大抵考え込み、悩み、問答するが再生産される場面が多いのですが、スピノザに触れて、久々に頭をがーんと殴られた感覚になっているので、スピノザの原書を読んでいるわけでもなく、この書自体が読み始めなんですが、とりあえず記しておこうと思います。

スピノザにとって、目下の関心は<喜び>にあると。「私たちが行動を起こす際には、『常に喜びからの感情から行動へと決定される必要がある』、『善とはあらゆる種類の喜びである』といった考えを示し、<喜び>の感情を事実上、倫理的な行為規範の地位にまで高めた。何より彼は、私たちのあらゆる思想と行動および学問の目的は、...すなわち人間が最も能動的な力に満たされた状態―を実現することであると考えていたが、それはスピノザによれば、私たちがより大きな<喜び>へと触発されていくプロセスを積み重ねることの中にしかない。」(14ページ)

「『各々の人の喜びまたは悲しみは、ある人の本性または本質が、他者の本質から異なっている分だけ、異なっている。したがってその限りにおいて、いかなる個人の感情も他者の感情と決して一致しない』。... スピノザは、この多様な<喜び>を交差させながら―すなわち人々が自らの特異性/固有性をいささかも失うことなく― 一つの共同性、より大きな<喜び>を構築していくというプロセスを構想している。スピノザにおける共同性とは、過去や未来に投影された理想郷でもなければ、現在の関係性に安住することでもない... むしろ、『今・ここ』にある<喜び>をもっと十全に、全面的に、かつ集団的に味わうために、自らの思考と身体を構成する力の諸関係を絶えず組み替え、解体し、構築し直す過程の中で実現されていく、『出来事』としての共同性なのである。」(28ページ)

究極的なところでの<喜び>を追求する、つまりは自身の活動力を最大限化するように行動することが、共同体にとっての究極的な倫理的定式であり、その意味で倫理は共同体の存続のために要請される道徳とは全く別物であると。

学士時代から続く興味関心として、特に経済活動を舞台とした―例えばそれが金融市場―人間の本質的な姿を見つめるというのがあります。その一貫で、倫理学、人間の欲望とは何か、等々考え続けています。その大きな流れのヒントの一つは、スピノザにあり、かもしれません。

政治活動にせよ、経済活動にせよ、いやそれ以前に自身の生活というレベルでも、各論と同時に、こうした大きな流れを見たい、考え続けたいものです。
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by Haruka_Miki | 2008-05-06 00:00 | 経済的営み
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