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パリ発 五感の穴

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掃除の客観性と主観性

部屋の掃除をする必要性が日に日に増してきたので、これは致し方ないと本棚を見てみたり、クローゼットを開けてみるけれど、ちっともはかどらない。おや、このCDは、おや、この本は、とやっているから埒があかない。言い訳になると思うけれど、引っ越し屋にとって、依頼人のものは単なる『もの』でしかないから、仕事=片付ける、梱包する、運び出す、に終始できるというものだろうが、自分のものを片付けるとなると、これはもう楽しいものばかりが次々に飛び出てきて、仕事にならない。仕方がないので、布団を干したり、洗濯物をしたりというルーティーンにはさんで、合間にまずはものを全て出す→少し余韻に浸るのもよいとする→心を鬼にして片付けに終始する、を繰り返している。

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と、久しく聴いていなかったCDたちがぽろぽろ出てきたので、Patti Smithベスト版を聴きながら、あっぱっぱー(死語?)を着てちょこまかしていると、家ロック!な感じでよい。以前聴いていた音楽を聴いて、急に現実を超越してそれを以前聴いていた環境に引き戻されるような錯覚に陥るが、結局、年を重ねても、人というのは例えばプロフェッショナルなコンテクストでどう動くはともかく、気を抜いた状況での立ち振る舞いは、三つ子の魂、でそう簡単には変わらない気がする。

さて、部屋の掃除をしながら、余韻の掃除も同時並行で行っているわけだが、面倒なのは、これはまた自身の癖でもあろう、一つの余韻を掃除すると、次にその余韻が他の思いを引っ張り出してきて、例えば、Patti Smithのライブを観たときに感じた衝撃を今一度思い出すわけだが、そうこうしていると、すさまじく凛とした破壊的にも美しい女性、とより大きな概念が頭に出てくる。

先日、女性の一人晩酌の話が話題になったことがあって、男性がからんとウィスキーグラスを傾けるとか、いやそういう物憂げなかっこよさでなくとも、缶ビールを開けて一杯といくというのを、公共の場でやることはまあこれは通常の画としてとらえられているけれど、女性がそれをしたときはやはりどうも異なる印象を与えるとか、女性は女性で、暗がりのバーでウィスキーはともかく、駅前の居酒屋で一人晩酌はどうも超えていいものか迷う一線だという話になったのだった。とりあえずその場に居合わせた女性陣の結論としては、自分はまだその一線を越えられないけれど、それを迷いもせずに背筋伸ばしてヒールの靴でがらがらっと引き戸を上げて店内に入って、腰を下ろしてビールを一杯、を成し遂げられてしまう女性は相当かっこいいだろうという話になった。Patti Smithの歌を聴いただけで、ここまで飛躍的な思考をしてしまう癖は一向に直らなく、直そうとも思っていないのだが、現実的な掃除が、とりあえず思考の中に散乱した事象たちもstraighten outしてくれると信じて、この七月の暑い日にクーラーもつけずに部屋の掃除に勤しむこととする。
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by Haruka_Miki | 2008-07-19 00:00 |
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