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パリ発 五感の穴

fivesense.exblog.jp

2007年 10月 04日 ( 1 )

ハローこちら東京、応答せよ

長いお付き合いになる大切な友人の一人は、研究者です。アルバイト先で一緒に働いてから、それなりに月日が経ち、しかし今でもたがいの嗜好・思考・志向に触れ合えるというのはありがたい話です。友人はフットワークが軽い人なので、イギリスだリトアニアだ地中海だと飛び回っており、待ち合わせと言えば、時に高田馬場、時にロンドン、そしてジュネーヴだったり全くまとまりがありません。(一度企画したアンマンでの待ち合わせはキャンセルになってしまいました。)

さて、その友人とお話したことが興味深かったので、今日はその話を。それは、どこに自分が住まうか、どこに暮らすか、ということです。物理的場所というものが様々な行動を限定する場面に遭遇することは余りにも多い気もするし、いやしかし、物理的場所はこの様々なツールが存在する社会で、さほど問題ではないという気もします。

私は、この物理的距離と環境を超えるスピードで世界を巡る情報、それを支える媒体と技術の恩恵を、150パーセント得て生きているタイプの人間だと思います。通じ合いたい人々は世界の各地に散らばりすぎており、それぞれの場所に出向くのはお金は尽きるは、そこまでお暇ももらえないわで、だからこそ、身体的に隣にはいないし、肌の温かみを互いに感じる近さではないけれど、声は聞こえる、文通はできる、というのはすごく画期的です。今程、通信面の発展がなかったら、大切な人々とつながりにくくなるでしょうし。

という前提を言っておいて、実は感覚的にはその状況についていけないというのが本音です。矛盾です。いいえ、多分矛盾ではないと思います。というのは、例えばロンドンというのはそれなりに遠いけれど、実はそこまで途方もないほど遠いわけでもない。では近いかと言えば、間違いなく近くはありません。そこでメールだ電話だを使うと、すごく近い。その実態を伴わない感覚に、困惑するのは当然な気がします。
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もう一つの困惑というのは、いかに自身が意思さえ持てば今すぐにでもあの街にも行けるし、この街にも行けるという現状です。それは、少しの忍耐を持てば、すぐにそこに行けるという感覚です。ついでに言えば、すぐにその地に溶けこめられるであろうというある程度の楽観さと経験知です。はっきり言って、未知の世界というのは、究極な意味で極めて小さい気がします。その現実に、ある意味愕然とします。時代が、様々な革新が、自身のスピード以上に何もかもを近く、簡単にしていってくれることに。未知の世界に、自身の日常とは一線を画す場所でも、行くという行為は近年いとも簡単です。イラクだって、私は行きたくありませんが、行こうと思えばヨーロッパより近い。そしていざ、行ってみると、時間の流れも何も違うかもしれません。けれど、ある程度それは隔絶された現実でありつつも、例えば国際社会に置いてけぼりをくっただとか、傀儡国家だとか、まそれを置いていても、メディア媒体を通じ、私はいとも簡単にまたいつもの日常に引き戻されると思うのです。

今後も、今までと同じように、もしくは今まで以上に様々なエリアの人々とつながっていくことでしょう。そう希望します。そして私も流浪の民の如く、様々な地をふらりと訪れ、その色に溶け込みたいという希望を抱きます。けれど、そこに少なからずの葛藤、言われぬ困惑があるというものまた、事実であります。
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by Haruka_Miki | 2007-10-04 00:00 |