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パリ発 五感の穴

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カテゴリ:旅( 89 )

チュニジアの夜

2002年3月にリュックサック旅行をしたモロッコぶり、少しご無沙汰のマグレブです。今回は連れのチュニジア人の友人宅にお邪魔して、お陰様でリュクス&ローカルな滞在を。ありがとうございました。
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パリからは飛行機で二時間半。東京から沖縄や、少し足を延ばして東南アジアに行くのと同じ手軽さです。この地の素敵さと言えば、いたるところに流れるゆるさ。なんという雰囲気なのか。最北端に位置し限りなくヨーロッパに近く、地中海の雰囲気満点。
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女性の社会進出も進んでいるお国です。キャミソールで歩く女子たちに、ギリシャやイタリアを思い、仏語とアラビア語を混ぜこぜに話す彼らはなんとも素敵です。美味しいフルーツに美味しいシーフード、ピリッとハリッサベルベルを効かせて頂きます。アフリカで最も経済的に豊かと言われるこの小国。
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特に目を引いたのが、おやじたちがとびきりかわいらしいさ。おやじたちは朝から晩まで、シーシャやらビールやらウィスキーやらを片手にカフェに集いお喋り。べたべた肩をさすり合い、キスをし合い、友達っていいのです。携帯電話は一時も離しません。だって、話すの大好きですもの。SMSを送っても、すぐ電話がかかってきます。この国は隠れたポテンシャルが万歳な気が。ほとんどのものを自国で作るので、ミネラルウォーターもソーダ水も食器まで大体チュニジア製。自由貿易がどこまで進んでいるのか。これも国の政策の一貫なのでしょう。とことんのゆるさの反面、じっくり眼を凝らすと割と警察が道に立っている、そんな側面もあるようです。その辺がまた興味深く。
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なかなか濃い同胞の方々にお目にかかったり、みどころ沢山の週末でした。シュックラン!明後日からは、学校の休みを利用して、ジュネーヴにてインターン、その後9月からロンドンでの大学院二年目です。めまぐるしく移動するのは少しドキドキ、めでたさも中ぐらいなり、おらが春(小林一茶)ですが、いい機会をありがたく楽しみます。ブログはその土地土地からまたレポートをば。
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by Haruka_Miki | 2009-06-29 00:00 |

ただちょっとだけれど存分にぜいたくをするということ

たまには、とことん食べ物のレポートというのをしてみようと思います。

意外と写真を撮っていないことが判明したのですが、連休に仲良しのお誘いで、アヴィニョンから少しのところにある町のお友達のところにお邪魔しました。なんというか。紅の豚の糸井さん風に言うと、ゼイタクとはこういうことさ、ということになるのだと思うのですが、フランスの底力、それは地方都市にあり、と今回改めて思いました。

最初は、小さな小さなプロヴァンスの村にある、仲良しの従妹の旦那さんの妹さんの彼氏の高校時代の親友のご両親(遠い!)のお宅を改造した民宿的お宿、それから最後の日は、これまた仲良しの従妹の旦那さんの妹さんの彼のご両親のお家(やはり遠いですね、もはや私なぞ棚ぼたの極みです)にお世話になりました。そのお父さんというのがお料理の先生ということで、とても美味しいお料理をご馳走になりました。このご家族が本当に素敵で、その息子(私の仲良しの従妹の旦那さんの妹さんの彼←しつこいかしら)がまたとてもサンパな男性なのですが、やはりご両親もとても素敵だったのでした。ちなみに、ご両親が手際よくお料理を出したり、ワインを用意してくださっている間、わたくしただその辺に腰かけてプールに入ったり、芝生に寝そべったり、完全に「華麗なるギャッツビー」のルーシーさながらいいご身分をしているだけでした。

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赤ワインとプロヴァンスハーヴが香るうずらのグリル焼き
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ワインたち。その他ご両親が元々ピレネーの方たちなので、その方面の発泡酒も
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この地方のデザート。名前を忘れてしまいました

結局、こういうおもてなし一つにしても、どれだけ土着の文化に根付き、自然かつダイナミックな時間と空間の共有ができるかということになるのだと思います。私も、こうした時空のぜいたくができる茶目っ気を持った大人になりたいものです。

次の日の朝は、6時代の新幹線に乗るべく早起きだったのですが、お父さんが朝から美味しいエスプレッソを淹れてくれました。ありがとうございます。おかげ様でリラックスの三日間でした!
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by Haruka_Miki | 2009-05-05 00:00 |

春の日差しの楽しみ方

サンクトペテルブルグにも春の息吹が感じられます。春の花はないにしても、日差しが、和らげです。
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しかし、これはまだ寒いと思うんですが。
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だって、まだ一応零下だったりしましたし。風も強めなので暖かい帽子・手袋・マフラーは必須の気温です。という心配は余所に、思い思いにお天道様をありがたみつつ、しばし団らんする方あり、読書する方あり、昼寝する方あり。
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段ボールを持ってきてマイスペースを作っているあたりが玄人と見ました。ちゃんとパンツやシャツも壁にかけているし...家?
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寒中水泳とかと同じなのかしら。寒風摩擦とか?あとは、雪の中の露天温泉は寒いけれど、心地よいのと似たニュアンス?最初は、きょとんとしてしまい、インスタレーションアートかと思いました。

あいにく参加する勇気と耐久性は日本女子にはなく、すごすご退散です。
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by Haruka_Miki | 2009-04-12 00:00 |

なまえのこと

ロマンを馳せる都市の名前というのはいくつかあって、小生の場合、例えばアルゼンチンのブエノスアイレス、アメリカのサンタフェ、ウズベキスタンのサマルカンド、イランのエスフェファーン、ポルトガルのリズボン、中国の敦煌、ウクライナのキエフ、ブラジルのリオデジャネイロ、イタリアのヴェネツィアなどがそれに含まれるのですが、そのうちの一つがサンクトペテルブルグかと思います。今回、イースターの休みを利用してこの地へ来ました。キリル文字が持つ柔らかみに触れ、ホステルのお兄さんに教えてもらった地元の食堂ではメニューもなかなか解読できずとも、とても居心地がいい街です。

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都市の名が持つイメージというのはどこまで「現実」と合ったものなのか、これは確実に個人的な経験でしょうから、これが本当だとかという安易な結論には至れずとしても、その名前と土地の関係性について考えたりしています。そういえば、国で言うとGeorgiaがロシア語読みの日本語標記を改めてほしいと外相会談で伝えたことは記憶に新しいのです。

名前というのは不思議なもので、やはりそこに一種のアイデンティティが宿ることは、都市の名前でも人の名前でも同様な気がします。そして、名前がまた、政治に翻弄されることも、この地は身を持って示しているように見えるのです。話は少し異なりますけれど、このことは、例えば日本においてもエスニシティを覆い隠すように、もしかしたら自身の出身のエスニシティとは異なるかもしれないけれど、戦略的に「和名」的な名前を名乗ったり、もしくは社会が、エスニシティの多様性を歓迎するといよりは、暗にそうした統一性を推奨することにあるのかもしれません。

近年、都市の合併が多くみられましたけれど、この場合も、新しい都市の名前をどうするかということがかなり話題になっていたように思います。少し気になったのは、新都市の名前の決定方法は、どのようなプロセスが一般的なのでしょうか。仮定として街・町の名前が帰属性に繋がっていて、また政治経済方面に影響を与えるのだとしたら、この意思決定プロセスというのはとても重要に映ります。というわけで、Googleで「合併 新市名 決定方法」をキーワードに検索してみました。オンライン上で情報が公開されている場合がいくつかあるようです。

岩手県西根町・松尾村・安代町の場合
「新市の名称の決定方法について (協定項目4-1)新市の名称は、三町村が一体感を醸成し、新たな地域づくりを行っていくことから従来の名称は使用しないこととし、新市にふさわしい名称を公募し、協議会で決定する。」

千葉県長生郡市の場合
「新市名称決定方法
1. 応募作品の多数意見をもって長生郡市合併協議会において決定します。
2. 集計にあたっては、長生郡市合併協議会委員のうち各市町村の議会議長が集計確認者として確認を行います。また、有効・無効の区分け、グループ分けに疑義が生じた場合は、集計確認者が協議により定めます。
3. 集計に当たっては、以下によりグループ分けを行い、グループ順位1位を決定し、更に1位グループ内の最多数意見のものを選定します。
・ 読みが異なっても、漢字が同一のものは同グループとします。
・ 漢字が異なっても、読みが同一のものは同グループとします。
・ かな(カナ)表記のもの(漢字まじりを含む)は、同一の読みがある漢字のグループとします。 」

愛媛県西条市の場合
http://www.city.saijo.ehime.jp/gappeikyougikai/pdf/kyougikoumoku/h_shiryou_11meishou.pdf

結局、都市の名前一つをとっても、その問題は民主主義とは何かという命題にかかってくるわけで、民主主義のベースとなる情報公開、意思決定に参加する方法の確保について考えてみたいと思います。

"No one is born a good citizen; no nation is born a democracy. Rather, both are processes that continue to evolve over a lifetime. Young people must be included from birth. A society that cuts itself off from its youth severs its lifeline."
—Kofi Annan, Ex-United Nations Secretary-General
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by Haruka_Miki | 2009-04-07 00:00 |

クレムリン

大学時代の第二外国語が他ならぬロシア語で、その割に今は全く覚えていないというよくあるパターンです。
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唯一この言語の恩恵と言えば、一学年上の先輩たちがとても面白く、(このクラスに限っては、何故か横のつながりよりも縦のつながりが強かった)今でも時々近況報告をしたりです。

共産党圏に足を踏み入れた経験は実はそこまで多くないのですが、どこか無機的なマスタープランを感じさせつつ、モスクワは常に進化しているのでしょう。そして。無機的な「箱」に原色の色を注すイメージとは程遠い、淡いモスグリーンやピンク色の建物がそこここにあるのを見る時、この文化圏の知らぬ顔を伺い知るのです。

詳しくはまた。
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by Haruka_Miki | 2009-04-04 00:00 |

ブリュッセル

ロンドンの姉妹校と共同Public Policy Internship Fairなるものがあって、ブリュッセルに行ってきました。パリからは電車で1時間少々で到着します。旅のお供のi pod shuffleを紛失してしまったので、無音の小旅行です。結論から言うと、私のような一度仕事をした人よりは、学部生を対象にしたものなので冷やかし半分であったのですが、東京ではなかなか見られないJob Market模様が見られて興味深かったです。

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そもそもブリュッセルに本部ないし支部を置く機関ということで、EC, European Parlament, 戦略系コミュニケーションの会社(て何だろうという感じですが、平たく言ってLobbyingなどのコンサルティング・手助け)、小さめのシンクタンクなどの参加が多く見られました。私の場合日本人なので、そもそもEUの公共政策・ロビー活動でどういうインパクトを与え得るのか、もしくは与えたいのかは未知数ですし、そもそもヨーロッパ市民に比べると自身の関心も雇う側の興味も少ないのです。が、結局ロビー活動も政策決定も、EU、それ以外の国や団体が与えるインパクトがそれなりに存在するわけでその辺を感じることができたのは、学校に行ってOdéon界隈を闊歩しているだけでは分からないことかと思われます。特にパリの場合は、ディオスポラの問題を多分に含みつつも、ぱっと見はブリュッセル的・ジュネーヴ的な「インターナショナルさ」、もしくはニューヨーク的・ロンドン的な「マルチカルチャルさ」は少ない都市だと思うのです。

昨夜いくつかの団体の話を聞き、やはりここでも日本でいうシンクタンク、ロビー活動(というのがそもそもあるのかは疑問)というのと、大陸ヨーロッパで言うそれがもはや全く異なるものなのではと強く思いました。興味深いのは、EUという存在が大きくなればなるほど、国の影響力が少なくなるのでは必ずしもなく、どちらかといえば、EUが大きくなればなるほど、規制が強くなればなるほど、国の力も大きくなり、その複雑性はいまだかつてないほど高まるのではという空気です。だからこそ、ロビー活動ができるニッチが多くなるし、シンクタンクは声高にThink and do tankと言ってはばからない。

それにしても。今のジョブマーケットはやはりなかなか競争が激化していそうなことを今回肌で感じて、その点も一つ新鮮でした。最後に、EUが一つのlegislationを可決するのには約2年の年月がかかるということですが、それにしても27カ国が一つのConsensusでなくても折衷案を出すというのはとてつもないことと改めて思うのでした。
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by Haruka_Miki | 2009-03-20 00:00 |

中国研修後

ご無沙汰しています。東京を後にして、学校の研修で中国にいました。上海→西安→北京と二週間で駆け足。このブログも当局の規制でアクセスできなかったので、長らく時が経ってしまいました。研修ということで、学校での講義大半、観光もそれなりにというものでしたが、とても楽しい旅でした。

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私にとっては初めてのメインランドチャイナ。今まで近くて遠かった国です。北京オリンピックを終え、2010年に上海での万博を控え、また世界経済の波を受け、それ以外に内なる辺境でのあれこれ。急激なモダニゼーションと都市と地方格差。中国共産党のエリート育成学校の先生の話、地方官僚、人類学者などの話はそのダイナミズムと、この国が抱える矛盾のようなものに少し触れさせてくれてとても興味深かったのでした。

個人的に私は私ですが、そこに国籍という問題が関わる場面にも数回出くわしました。特に他の国籍の学生と旅をしていると、その差が歴然としている場面もあったのですが、好きであろうとなかろうと、それはそれで一つ私という人間に、どこまでいっても、一つのベクトルに出身国という物差しがあるということです。そして、そのことを再認識し、しかしそこに留まらぬやはりアジアの民としての通ずるものを多く発見しました。

中国初心者として、見えるもの見えぬものは多く、ここで述べることは所詮、その文化の言葉を話さない中で可能な限り集めた限りある情報を元にした主観的な意見でしかありません。なので大それたことは一つも言えぬと記しつつ、分からぬ者として感じたことも多々あったと思います。

誤解を恐れず感想を言えるのだとすれば、この国は多くの矛盾を抱えた国という印象を受けました。しかし、矛盾がネガティブなものと理解することこそ偏った見方で、私にはこの矛盾こそ、この国最大の魅力に映りました。長い文明の歴史の記憶が人の髄まで浸透し、その反面封じ込めるような劇的な政治転換。規模がものを言う都市計画と小さな路地。外を侵略することはないけれど、中なるセパレティズムには強硬な対応を取る帝国の側面。ODAの受け手でありつつ、アフリカへのドナーでもある国。金銭的なアフリカへの繋がりだけでなく、人材面での育成も盛んで、清華大学を始めとするトップ校にアフリカ出身の学生を招へいしての特別の大学院コース。外のメディアでは、メディアの当局の規制が激しいのだと勝手に思っていたのだけれど、どちらかといえば、規制という見えざるレッドラインを踏まないように、自己規制の幅が案外広いのではという発見。

特に東京において、私には多くの親しい中国人のお友達がいます。その友達と話してみたいことを沢山垣間見ました。

一つ感じたこと。ああ、私はアジアの民です。全く違う、けれど沢山共通点を持つこの地をいつかまた訪れてみたいと思うのでした。摩擦があればあるこそ、そう思うのです。
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by Haruka_Miki | 2009-02-22 00:00 |

郷に帰ることと、知らぬ地を旅することの違い

東京にしばし戻ってきました。前半はとかく家族との時間を楽しみ、後半は海外からのお客さんを迎えてです。

この地を離れてほんの少しですけれど、慣れた場所での生活というのは、それが自身が育った文化だからかは定かではないのですが、いつもすんなり溶け込める部分が多いです。でも、恐らくこれで今住む地に戻った際には、それはそれで割合と日常にすっと入りこむことに時間は要さないのでしょう。

これは、どうやら私の性格もありますけれど、今現在とても守られた立場で海外に住まうことも大いにあるでしょうし、それを支えてくれたり激励し合える大切な人々がいることがあるでしょうし、そう考えると、あの街でもこの街でも、いとも簡単に生活できるというのは、ある程度本当であり、とはいえある部分では、そうした守られた環境だからこそ、そういう悠長さがあるのだという現状に、気づいていないだけなのかもしれません。

今回郷に戻ってきてふとした瞬間に感じたことは、当然ながら私が学生として様々な気づきをしているそのまさにその時に、この地の大切な人々の生活、仕事、プライベートは当然ながら現在進行形なわけです。プライベートのことですと、仲がよいお友達のことはもはや身体的に隣にいるかのように日々アップデートするわけですが、実は仕事をしている友達の横顔ほど、遠い姿になっていることは、紛れもない事実かと思われます。

今の地でも、社会人の方々は周りにたくさんいますので、これは東京にいる、海外にいるという話だけでなく、自身が一度仕事から遠のいたことで鋭さを得た部分、同時に鈍くなった部分を、今回の帰国で切に感じたと言えばよいのでしょうか。そのことは、特に海外にいると、それ以外の緊張もあり当たり前のようですっかり考えず仕舞いでした。パリでの生活にだいぶ慣れてきたからこそ、このことに気づいたことはとても大きいですし、今後の日々の送り方にしても、今一度こうした機会を得た幸運を真に感謝しつつ日々を最大限有意義に重ねていかねばと心新たにしたところです。
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by Haruka_Miki | 2009-02-01 00:00 |

パリの東と西を走る旅のこと

この年末には、両親がこちらに来ており、夫婦&まだいっちょあがりでない娘一人の家族旅行と相成りました。我が家のがちゃぴんちゃん(妹)は東京で祖母とお留守番です。がちゃ、お留守番ありがとう。そして、両親にはまず、ご馳走さまでした、を言っておかねばです。お料理美味しいね、みんなで食べるともっと美味しいね、なひと時でした。

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フランスに着いたその日にアルザスに移動し、ストラスブールからミュールーズのワイン街道をひたすら車で走りました。ストラスブールとコルマールの美しさと言ったら。ピノキオの世界です。そして、おそらくはこれは限りなくドイツに似た地域です。歴史を考えれば言わずもがなだとは思うのですが、私はあいにくドイツに足を踏み入れたことがないため、ああこれはイメージのドイツだと思い、ドイツに行ったことがある両親の情報を持ってそう結論付ける他なかったというものです。

その後パリに戻り一息ついて、今度は父が行きたいと言っていたベルギー・ブルージュに車を飛ばしました。私も一応日本の免許証の翻訳(これがあるとこちらで運転ができる)を用意しておいたのですが、肝心なことを失念していました。欧州は基本、マニュアル車だということです。私はその昔、米国にてろくなトレーニングも受けずに運転免許を取得、書き換えを経て日本の免許を取得しました。ある意味、これは危険です。大きな道をひたすら走るのと、赤信号を見たらとにかく止まるのと、パラレルパーキングの方法と、高速を走る際に踏み込まずとも一定の速度で走り続けられるシステム(これ何と言うのですっけ)の操作方法だけわかっておけばなんとか車社会で生きられる、という大味なオートマ運転方法しか習わなかったので、到底マニュアル車の運転は厳しいというものです。まぁ、そもそも免許がないというものですが。というわけで、それぞれの運転で、父がハンドルを握り、私は後ろの席で気楽にしているというものでした。

私は、家族旅行といえば、昔からこのとりあえず自分たちで車を借りて自力でその地に行くというのがスタイルで、ヴィンセント・ギャロと同じ位に父は自動車の運転を厭わないのだと考えていました。(なぜギャロ、という感じですが、彼はLAからNYまで、バイクであれツアーバスであれ、とりあえず自分で運転するんだそうですよ。というのも、絶対に飛行機に乗らないからなのだそうです。当然ながら、ヴィンセント・ギャロはお友達でもなんでもありません。悪しからず。)とはいえ、久々の長い運転に、父はへとへとのようでした。昔は、プリンスエドワード島でも、キーウェストでも、すべて一人で運転したというものです。キーウェストには一人でハンドルを握り、休みなしで1日半で五大湖近くの自宅に帰ったり。それを考えると、父も年を重ねました。運転お疲れ様、ありがとうです。

とまぁ、各地の観光情報なるものはいろいろ書き連ねるところもあるのですが、それはあくまで私なりの旅の記録でしょうし、どちらかというと両方の旅で感じたのは、両親と旅をする、というところがテーマだったので、どうしてもそこの印象が強い旅でした。

蛇足ですが、今回両親のスーツケースが紛失しました。経由便ということが災いしたのでしょうか。一つのスーツケースは3日遅れで、またもう一つのスーツケースは両親が帰国する前日に、電話ではもはや埒があかないと空港に父が押し掛けてやっと発見されたのでした。見つかったから2008年もなんとかよく終わったというものですが、父の執念がなければ、キャリーオンケースの中の明太子も、うなぎパイももはや食べられないものになっていたことでしょう。クリスマスは係の方が少ないからか。年末年始に経由便を使われてCDGに来られる方はどうぞお気を付けください。

飛行機に車と、とにかく交通がメインの年末でありました。

追:いまだSDカードが差し込めない状況が続いています。写真は依然として最近のものが利用できない、ないし友人に送ってもらった写真での代用です、申し訳なし。
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by Haruka_Miki | 2008-12-30 00:00 |

器で頂くクリスマス

初めて、この地にてクリスマスを過ごしました。と思ったら、実は二回目だということが判明しました。6年前、現在の自宅よりももうすこし西寄りの区でクリスマス前を過ごし、アパルトマンでシュクルートを食べたのを今更ながら思い出し。初めてのフランスでありました。

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アメリカのクリスマスは、雪がしんしんと降る中で、キャバレー張りの派手な電光が近所を彩り、それを見送りつつロードトリップにでるのが我が家の習慣でした。日本ではどうだったでしょう。なんだか直近のはずなのに、記憶が曖昧です。鍋とか?チーズフォンドューとか?カーネルさんのフライドチキンとか?しかしそれよりも鮮明なのは、子供の頃に家族でしたクリスマスパーティというやつでしょう。

今年のクリスマスはオペラガルニエでライモンダのバレーを観てきました。なぜか今にいたるまでオペラというものを観たことがなく来年こそはと思っているのですが、結構バレーが好きなので、大晦日も大晦日バレーということになりそうです。まぁ、大晦日だよドラえもんのようなノリでしょうか(違う?)。とりあえず観とこう、と。クリスマスディナーという意味合いでは、リースリングの白を飲みつつ、チーズのオニオンスープ、オリーブの実をたっぷり入れた鶏肉料理、フォンダンショコラを食しました。

クリスマスイブの、自宅前の商店街の混み具合といったら。いつもは店を出していない牡蠣の業者も様々な大きさの牡蠣を並べ売っており。さながらそれは上野のアメヤ横丁のような様相でした。ちなみに柿もKakiという名前で一つ1ユーロほどで売られています。甘そう、柔らかそう。私は柿のよさがまだよく分からないので、ここは柿好きの父に食べさせてあげたいです。

このクリスマスにはいくつかのプレゼントを頂戴しました。桜の花々をあしらったティーカップとソーサー、ボルドータイプのワイングラス(丸みが少なく、下の部分がすこしはっていて素敵なんです。私はこれがずっと欲しいなぁと思っていました)、和三盆のお茶請と御抹茶です。いかに私のイメージが、送り主さんらの間で、食べ物や飲み物に彩られているのか手に取るように分かります。うちの祖母のモットーが、「プレゼントは食べ物が一番。食べちゃったらものは残らないから飾る必要もないよ。味わった幸せだけ残るんだよ。」というので、結構この辺はなるほど、と思うところであります。もちろん、これは食べ物だけでなく、食べ物・飲み物周辺の小物というのは、やはり一つ一つの食との出会いをより個人化してくれるので、とても嬉しい限りです。

とはいえ、器は器。いつかは壊れるかもしれません。だからこそ、ワイングラスをくれた時に添えられたあなたの言葉が響きます。「器はいつかは壊れるかもしれないけれど、がっかりしないで。その時の思いはずっと残るんだ、大切なのはそっちなんだと思うんだ。」そういう器をくれる人に恵まれているのは、すごくありがたいことですし、儚くも温かく、私はそういうことにはかなり敏感な、クリスマスでした。
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by Haruka_Miki | 2008-12-24 00:00 |