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パリ発 五感の穴

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カテゴリ:人( 167 )

今を生きる

最近考える。何をしたいの?何を一番成し遂げたいの?
生まれてきたからには絶対したいこと。それは何。
自分に聞いてみて。聞いてみよう。

毎日が楽しく充実しているほどに、その状態を冷静に受け止めたい。
現状に満足したら、そのときは注意報がピカリ点滅。
喜びをかみ締めつつ、疑いを止めない人生を送りたい。

Do one thing every day that scares you.
~Eleanor Roosevelt~

自分て人間を覆すこと、びっくりさせるようなこと、毎日しでかしてる?
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by Haruka_Miki | 2006-04-15 00:00 |

属性を考える・女

女とは何か。気の置けない女友達との素敵な昼下がりのランチを終え、考えている。

「女に生まれるのではない。女になるのだ」と、かの有名なフランス人フェミニスト Simone de Beauvoirはかつて彼女の著、「第二の性」で言い放った。この説に賛成するかの如何に問わず、私はとりあえずは女だ。自分がそう認識をし、他の方々にもそう認識されている。女、女性、woman, lady, female, girlそのどれかは置いておこう。対概念としての「男」というのがあるとすれば、私はやっぱり「女」だ。

何が女を女とするのか。とっても奥深い問題だ。フェミニストという肩書きの方々は、このことを一生考えるようだ。はっきり言って尊敬というか、ある意味驚くべき執念とも言える。私にはできまい。私は、私であり、その中の一つとして女であることを認識して、楽しんだり、困ったりそいういう繰り返しなだけだからだ。その一つの属性に対して一生を費やす彼女達はものすごいなあと、ただ思う。

以前、いまは亡き名映画監督が言った。「自分は女を抱く。でも女性は抱かない」と。失礼、いきなり卑猥で物議を醸すことを言い始めてしまったのだけれど、そういうことなのかなと思う。私は、ある局面で女で、女性でもあり、また時に「女の子」だったりする。女の概念は、多様かつゆるやかなものだ。そのファジーさを互いに皆で共有してるのかな。と思う。同様のことが「男」ってやつにも言えると思うのだけど、何分私は自身が「男」としての経験がないため、とりあえずはとっつき易い「女」に焦点を絞ってみる。

女らしい、とか女っぽい、とかそのような形容詞がある。ファッションに、人個人に、仕草に、使われる。その多くは、昔の時代に多い。社会の要請として「女らしくあるべき」のようなものが一般認識だったりする・した。反対にウーマンリヴなどと言って、女らしさたるものを徹底的に打ち消して、ユニセックス路線も出る。

私は、一般に「女らしい」とはあまり形容されない活動も好む。だから、泥だらけ・埃まみれになって山のぼりをするとか、鞍をつけない馬に乗ってパッパカ走るとか、バックパックを一個背負って世を闊歩するなどの活動も好きだ。時に、「おてんば」と揶揄され、「かっこいい」と形容される。

だが、女っていうのはそう簡単なもんではないと思う。ある人が女らしくて、こっちの人は女らしくないとか、ではないみたい。最近、面白いなあと思うのが、きちんとした格好をする、自分なりの女らしさなるものに敏感になっている気がする。

例えば、靴が好きだ。うんと女を前面に押し出したスマートな靴が好きだ。スニーカーも大好きだけれど、こういうのを履くのもいいものだ。例えば、女らしいバッグに目がいく。ぱっと明るい朱色で一点を照らしたようなバッグを素敵だな、と思う。例えば、きちんとした所作に目がいく。お茶の世界に興味深々だ。

ウーマンリヴって、つまり女が生きるっていうのは、いまのコンテクストでは、ユニセックスに片意地張るんでなくて、女の人が女であること、女の子ということを楽しむことって言えるんじゃないかな。そういう自然な所作が「女」っていうのを形作るのかなあと思う。みなさまはどう思う?
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by Haruka_Miki | 2006-04-08 00:00 |

属性を考える・わたし

私というひとりの人間も、社会では様々な役割を担い、色々な属性を持っている。

私は、女性で、二十代だ。
私は、家族の一員で、時に娘で、姉で、孫娘で、従姉妹で、姪っ子だ。
私は、友人にとっては仲間で、学校のOBだ。
私は、東京都の住民で、神奈川のある市に戸籍がある。
私は、日本国の納税者で、有権者で、日本国籍を持っている。
私は、消費者だ。
私は、会社員だ。
私は、地球人だ。

願わくば、その属性や役割にバランスが取れればいいものだが、やはり時と場合で
優先されるものがある。最近の私の場合は、断然「会社員」としての役割で、
それ以外では、「家族」の属性や、「友達」としての自分は色々な場面で登場する。
スーパーマーケットでの買い物や、休日のショッピングなど、消費者のしての一面も強い。

対して、最近気になるのは「市民」とか「国民」としての側面がお目見えする機会
は少ない。直接「有権者」として、政治に関心を向ける機会は年に幾度あるかだ。
国会ですばらしい決断ないし、茶番が繰り広げられようとも、私は恥ずかしながら
「傍観者」のことが多い。地域社会での自治体の活動に参加することもないから、
「市民」を実感する機会は稀だ。

唯一「市民」とか「国民」を強く感じるのも、非直接的なコンテクストの中でだ。
そう、「会社員」への全力投球からくるものくらいかも。

毎日の仕事人としての日々で、仕事は次々にでてきて、責任を任され、一日は
超特急に過ぎる。会社の一員は、それはそれでとてもやりがいがある。
組織に微力ながら貢献し、その対価として給料が支払われ、食べる糧となる。
その一部が税金や年金にあてられる。志高い組織だと、社会的貢献を考え、
様々なチャリティーイベントが開催される。それに参加すると、私は社会の
ボランティアスタッフとして新しい役目を果たすことになる。

この私のようなヒッピズムを謳歌するタイプの人間が、「仕事人」としての
役割に大きな比重を置いている。それが重なり、どんどんそれ以外の
属性は小さくなる。「会社人」としての私が大きくなる。楽しければ楽しいほど、
没頭するし、やりがいがあるから、比重は次第に大きくなる。

どうやら辺りを見回せば、そういう人は多いようだ。そう、どこか「市民」としての
自分を、「有権者」としての自分を強く念頭に置いた生活は薄くなっていく気がする。

経済活動へのコミットメントに比べて、社会や政治を考える「わたし」は、
小さく、小さくなっている気がする。
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by Haruka_Miki | 2006-04-05 00:00 |

お裾分け

大切なあなたにお裾分け。

ワイン好きなあなたに美味しいワインとグリュイエール地方で作られたチーズとサラミを。
ネクタイがきりっと似合うあなたにはネクタイを。
ワンピース貸して、とお願いの電話をくれるあなたにはサマードレスを。

何がいいかなと考えることって、とても嬉しい。
旅の香りと思い出のお裾分け。

久しぶりのみんなの顔が見たくって、
旅から帰ればスーツケースの中身全部きれいにして、大急ぎで洗濯して、
人でごったがえす渋谷を足早に通り過ぎて、地下鉄に乗るんだ。

真っ先にみんなの顔が見たい。
東京に居れば毎週帰ることもないのに、ひとり旅をするときまってこうだ。

明日は仕事だと帰ろうとする私に、帰り際に母がこの野菜持っていきなさい、と持たせてくれる。
それから、チーズとサラミ美味しいからおうちで食べなさい、とお裾分けのお裾分け。

最近ひとりでできることの幅が拡がった気がしてた。
仕事して、お金稼いで、好きなもの食べて、好きなことをする。

あ、ぜったいひとりでできないことがあった、
と気がつく。




「お裾分け」だ。




お裾分けって、お裾分けする「人」がいないとさ、ひとりじゃできない。
ただのチーズなんだけど、ただのサラミなんだけど、なんとなくあったかい。

あなたの思いがつまってるから、特別な存在になる。
「お裾分け」の「お裾分け」にもらったチーズはクセがあるけれどとってもおいしい!
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by Haruka_Miki | 2006-03-29 00:00 |

ありがとう

24年前の今日、真っ青な空の下に命を授かりました。

こう見えて身体が弱くて
早生まれだから小さい頃は身体も小さくて
肺炎やら気管支炎やら病のデパートのようでした。

仕事を愛し、家族を愛す父や
気丈で心の大きな母や
心優しくおっとりした妹や
大好きな祖母や
刺激や安らぎや歯ぐきを出して笑わせてくれる友人や
尊敬すべき師匠に出逢えました。

以前友人がこんな言葉をくれました。
「3.14、小数点のように無限大に!」
なんてことでしょう。

こんな言葉ももらいました。
「産まれてきてくれてありがとう!」
なんてことでしょう。

お誕生日おめでとう。そう言ってくださる人がいる度に、
心の中で(やっぱり恥ずかしいもの)こういいます。

お誕生日、ありがとう!

皆様のご声援と激励、しかと受け止めてます。
ありがとうございます。
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ありがとう。

ははっ。
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by Haruka_Miki | 2006-03-14 00:00 |

往復書簡

私には定期的に手紙を書く相手がいる。

電話でも済んでしまうことだし、大して何か用件があるわけでもないのだが、その人のことを考えると、つい筆をとってしまう。旅先はもちろんのこと、東京にいても葉書や便箋を店先で見つけると、その人のことを思い浮かべてストックを買ってしまう。

祖母はたいてい私からの葉書がくると大喜びしてくれる。年も召しているので、最近は特に物忘れが多いのだが、その中でも葉書がきたという喜びと、自分も私にお返事しましょう、という意気込みを、日々祖母の世話をしている母に伝えるようだ。

昔の人だけあって、祖母は習字が上手い。郵便局で買ってきた真っ白な葉書一面に、さらさらと文面を書いて送ってくる。近況報告をし、私の近況や身体のあんばいを尋ねる。何でも感動や驚きを素直に表現する人なので、葉書の文面も活き活きしている。自転車に乗って一人で散歩に出かけるのが祖母の日課だが、そうはいっても若い私ほどフットワークが軽いわけではない。旅先からも手紙をしたためる。遠出がおっくうになった祖母の、専属旅先案内人を買って出ている。

往復書簡が途切れることもある。祖母が面倒ぐさがって、手紙よりも電話を選ぶときだ。少し恥ずかしがりながら、ごめんねぇ、手紙を書こうと思ったんだけれどねと前置きをする。そんな時は、お祖母ちゃんの声も嬉しいけど、手紙も嬉しいなぁと伝える。

往復書簡は、大切な祖母との関係をつなげていくだけでなく、祖母のリハビリの意味もある。テレビをみましょう、困ったことがあれば母に頼りましょう、という生活スタイルが身に付いた祖母が、自分で何かをすること、それが祖母の物忘れの軽減にもつながるからだ。

何歳になっても、自分で動くことは尊い。

長生きしてね、おばあちゃん。
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by Haruka_Miki | 2006-03-04 00:00 |

シンガポール・友達とその先生と

シンガポールに行って、いやあしみじみ思ったわけだ。先生と生徒。この関係がうまくいくことほど、幸せなこともないなぁ、ってね。

何を持ってそんなこと思ったかって?そりゃあシンガポールでお邪魔したお宅が、友達の中学校時代の英語の先生でさ。そりゃあ人間味溢れる方なんだ。仕事の関係でシンガポールに赴任しているらしいけれど、とにかく器が大きい人ってのはこういう人のことを指すんだろうね。目は温かく穏やかで、ひげをわしゃわしゃ生やして、人懐っこく笑う。奥さんもこれがまたとびっきり。化粧の一つもしてないようだが、自然美あふれる優しい人でね。インフルエンザの研究をするお医者様だけど、ちっともインテリぶらず、フランクな人なんだ。

十年前に師弟関係だった二人が、今もこうして密な関係を持っているてのは、ほんと尊敬すべきことだなとしみじみ思ったよ。十年前、ねぇ。そりゃあ私がいきなり米国はミシガン州の新興住宅街の街に越して、英語がわからないもんだから、倫理のクラスに行っちゃあ居眠りして新米の先生を困らせたり、香水がきつ~い、科学のMsシュナイダーのクラスに行って、文字通り鉛筆転がして試験の答案用紙埋めてた時代から、って頃だもの。

中学校があった中国の瀋陽の話しをする二人のとびっきりの笑顔といったらないよ。瀋陽に行ったことがない私でさえ、にこにこしてくるんだから。この友達は、とにかく人を思いやる気持ちが人一倍強くてね。いやあ、忘れもしない、シンガポール最後の夜、お腹を壊してうずくまる私を、夜な夜な寝ずに看病してくれるなんて。そりゃあ、口で言ってもなかなかできないよ。

生徒が生徒なら先生も先生。初めて会ったその日から、すっかりその人柄に魅了されたよ。大胆なのに柔らかく、エネルギッシュなのに思いやりが溢れている。自分は自分、人は人、って割り切るタイプの私がだよ、こんな「人」になりたい、って思ったんだから、ただ事じゃないよ。

そんな二人を見てて感じたんだなぁ、生徒と先生。そのいい関係は、魅力的な先生だけでもだめだし、魅力的な生徒だけでもだめみたい。やっぱり最後は人と人。「人間力」溢れる生徒に出会い先生は「先生力」をあげ、尊敬すべき先生に出会い生徒は成長するんだなぁ。
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by Haruka_Miki | 2006-03-02 00:00 |