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パリ発 五感の穴

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カテゴリ:経済的営み( 52 )

Sitting on a gold mine

今週はなんだか様々な贈り物を頂戴しました。

しかも、私個人にというよりは、不特定多数に選ばれし贈り物たちが、縁あって私の元にやってきたので、これはなんとしてもありがたーく活用したいわけです。贈り物その1とその2は、勤め先の部署の年末パーティなるものがあり、そのビンゴ大会の景品です。太っ腹だなー、でもどうせ頂けるならあれがいいよね、これがいいよね、と意見した挙句、ルクルーゼが欲しい景品にないの、って人間欲深い。

頂き物その1は、アロマ送風機なるもの。

電池を入れてスイッチを入れれば、アロマオイルの香りがほのかに香ってくれるよ、という乙女なアイテム。今までアロマオイルといえば、ろうそくを灯す手間を省くべく、器にオイルを垂らして、そこに熱湯を注いで、と注いだ直後はアロマなわけだけど、しばらくすると香りはどこにやら、という状況だったので思いがけず重宝しております。つくづく色々な需要が必要か否かに関わらず、生み出され、それに対応した商品が作らていくなぁと。

頂き物をその2は、多分その道に詳しい人には嬉しいアイテム。ナショナルのナノケアプラチナという美顔器です。

謳い文句は「細胞から、肌年齢を変える 世界初"プラチナ美肌スチーマー"」ということで、よく分からないのですが、気合が感じられます。実はこの景品は、上司のTさん(男性)がもらうことになり、いやでも僕はこんなに肌もつるつるだしいらないよ(そういう問題でもない気が)となり、じゃあチームの女性でじゃんけんをしましょうとなり、いや私はいいです、多分使わないのでと言えば、いやそういうわけにもいかないし、Tさんのご好意だからここは盛り上がってじゃんけんをしましょうとなり、断ることもなくそうですねえじゃあ、とじゃんけんをしたところ、勝ってしまい!いややっぱりいいですとも言えずに、満面の笑みのTさんのご好意を受け止めありがたく家に持ち帰ったのです。

自宅にてさっそくやってみたところ、いやあこれはすごいです。その噂の"プラチナ美肌スチーマー"がものすごい勢いで出てきて、おもむろにスチーマーに顔を傾ける様子を背後から見られたらかなり怪しさ満点。本人もその気になっていたのですが、冷静になるとちょっとまだ効果は分からず、アイロンと同じ棚に仕舞われてしまいました。このままではあまりに世界初の偉業を成し遂げるべくして生まれてきた美顔器がかわいそう。

でも、なんといっても嬉しい贈り物は、その3、りんごでした。お歳暮で運送会社もてんてこまいらしく、家にいなかったら即送り主さんに返されてしまって、そこから再送してもらい、やっと出会えたりんごたち。もみ殻に守られてやってきたりんごたち。いと美味し。

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というわけで、近日中に我が家を来訪する予定の皆様にはもれなく、早々に宝の持ち腐れとなった美しい人はより美しくのナノケアと、いびつだけどおいしいりんごたちをお出しします。
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by Haruka_Miki | 2007-12-02 00:00 | 経済的営み

混沌ノートのお陰です

探し物をしていて、部屋の机の引き出しを開けたら、探し物は見つからず、代わりに大学のノートが出てきた。読んでいる間に段々面白くなってきて、探し物のこともすっかり忘れてしまった。(似通った日常のシーン:大掃除をすると必ず思い出の品々に思いを馳せ、なかなか掃除がはかどらない。)

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美しく理路整然とまとめられたノートかと言えば、かなしいかな、これ以上の混沌はない。筆跡うんぬんでなくて、最初の10頁は「簿記システム論」という不可解な授業名(受講したはずだろうに。何のクラスか定かでなく。自身の学部のものでないことは決定的)、その後は「仏思想史」(デリダという文字が次の10頁には多い)、その後は「哲学史」(今度はヘーゲルらしい。記憶にあらず。)、最後に副ゼミのメモだ。ルーズリーフでもないのに、よくもまぁ、色々な科目のメモを同じノートに収めたものだ。拡散しすぎ。

哲学の授業はすっかりお留守になったが、当時わたしは、西欧哲学にある種の隔絶を感じるから、どうも孤独に感じて私には無理だわ、などとしょうもない屁理屈を言って、当時、ドイツ哲学の博士の友人を困らせたことだけ思い出した。そこまで熱心に勉強しなかったことだけは思い出した。今になれば、なんていうもったいないこと。お金を払って時間も沢山あって本を読んで議論することが仕事であったのにと嘆くばかり。

哲学の不勉強を反省しながら、副ゼミのメモのところだけは記憶があると、ここぞとばかりに自身の名誉挽回を図る。当時は、イブン・ハルドゥーンという14世紀の歴史家の本を読んでいたみたい。ちなみに、彼の歴史序説はかなり面白い。面白い点は、当時、しかも西欧でなく北アフリカにおいて、イスラムについての深い考察と、同時に貨幣経済がなぜ力を持つかについて力説しているところが、時代を考えるととても先進的だから。

①イブン・ハルドゥーンの文明論の背景にはアリストテレス政治学がある。(アラブとか中東というくくりを飛び越えた歴史家)
②「文明」の定義を、人間が作る社会の統合原理とする
③多くの共時的、通時的な多くの文明(類型的)の存在を前提とする。→文明は多様であるということではなく、ある文明は上り詰め、他の文明はそうではない。

例)田舎の文明 対 都会の文明 = 「移動」と「定着」の二概念
田舎とは-ドイツ語でいうところのゲマインシャフト、砂漠の遊牧民ベドウィンみたいな(日本ではちょっとピンとこない)
都会とは-ドイツ語で言うところのゲゼルシャフト。定住民が基本。(これは文化的なものね)
「移動」の文明においては、拡散を防ぐため連帯意識が不可欠であり、そこで政治の原理が必要。「定着」の文明においては、文化装置としてのイスラム諸学があり、都会においては経済の原理が大きくなる→貨幣と技術の中心であるということ、よって都市が農村を支配。

二つの対概念としての文明を束ねる働きとしてのイスラム。そして、その中でやはり一方の文明を優位にしたてる貨幣資本主義。ゼミの先生が言いたいいこととしては、いかにイブン・ハルドゥーンが先進的であり、イスラームの文化が元々資本主義的思考を持ち合わせたものであるかというところにつきるみたい。ちょっとこじつけな気もするけれど、先生の情熱が、私の無秩序なノートからも読み取られる。なにしろ、やっぱり14世紀にこうした視点はとても興味深い。

混沌ノートがまだ我が家に保存されていたことは驚きなのだが、これも何かの思し召し、実は私は歴史序説は全4巻のうち1巻しか読んでいない。もう一度哲学も歴史もちゃんと本を読んでみよう。
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by Haruka_Miki | 2007-11-28 00:00 | 経済的営み

究極のマーケティング

こういうブログで記すことが少しはばかれるようにも思いますが、とても大切なことですし。今朝読んだ、新しいタイプのコンドームに関するAssociated Pressの記事がなかなか面白かったのです。

"Anti-AIDS campaigners attempt to boost condom use by appealing to Ethiopian love of coffee"興味を引く話だからでしょう、CNNでもヘラルドトリビューンでもGuardianでも取り上げられています。

『アディスアベバ(AP) エイズの拡大防止に努める米国の団体が、アフリカ東部エチオピアで、コーヒーの香りがするコンドームを販売している。コーヒー好きが多い同国で、コンドーム使用率の上昇を図っている。 エチオピア政府の推計では、同国のエイズウイルス(HIV)感染率は2.1%で、首都アディスアベバでは7%を超えている。感染防止にはコンドームが有効とされる。 コーヒーの香りつきのコンドームを考案したのは、米ワシントンに本部を置くチャリティー団体「DKTインターナショナル」。コンドームのゴム臭に対する不満の声が少なくないことから、今回の商品を開発したという。利益が目的ではなく、コンドームを抵抗なく使ってもらうことを狙ったとしている。 「コーヒーの香りはみんなに好まれる」とDKTのスタッフが話すとおり、販売を開始した9月には1週間で約30万個が売れたという。価格は1箱(3個入り)が1ブル(約12円)で、他のメーカーのものより安く、喫茶店のコーヒー1杯の半分ほどとなっている。 DKTはこれまでも、その土地その土地にあわせて、ドリアン(インドネシア)やトウモロコシ(中国)などの香りがするコンドームを開発している。 』(CNN.jp, 2007/11/3)

ある外資系消費財の会社のマーケティング部で働く方に話を伺ったことがあります。マーケティングとは何か、その答えは、「いかに売りたい商品の売り上げを上げるか」だと明言されていました。私はその時、ある種の違和感を感じました。ニーズに基づいたマーケティングではなく、企業が売りたいものを売るためのマーケティング。それが現実かもしれません。しかし、言われぬ悲しさを覚えたのも事実です。

そのような現実が主流である中、エイズという目前の危機に挑戦するマーケティングは、とてもリアルで、必要不可欠で、しかし買い手が貧しすぎて利益を見込めないし、It just doesn't worth itという一言で片付けられ、市場がある意味目を背けてきたものです。

以前、とても興味深い話を聞いたことを思い出しました。カナダの大学に通っていた友人が取ったマーケティングのクラスでの先生の話です。マーケティングの教授曰く、「マーケティングは簡単だ。消費主義が当たり前の国において、それはいとも簡単な話だ。だけどみんな、そんなに高をくくるなら、考えてみて欲しい。発展途上国の、そうエイズで悩む国々で、明日ご飯にありつけるか分からぬ国々で、どうやったらコンドームを売れるか。これこそ究極のマーケティングだ。君達にそれができるか。」

私達にそれができるか。考え方によっては出来るようです。この記事に証明されるように。では、その資金をどうするか。ニューリッチの作った財団に頼る?チャリティーに頼る?NPOに頼る?国際機関が音頭をとる?それがまた次なる課題です。
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by Haruka_Miki | 2007-11-03 00:00 | 経済的営み

排出権ビジネスについて思うところ

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今、金融に身を置いているけれど元のバックグラウンドが社会学寄りなため、どうも経済的事象をそのまま見るよりは、もう少し大きなところで考える癖がある。商学が「いかに」を突き詰めて考える学問だとしたら、私は多分「なぜ」に慣れてしまった。今でもその思考回路は変わらぬままだ。。吉とでるかは置いておいて、先日ドキュメンタリー番組で見た、二酸化炭素の排出権取引について色々と考えるところがある。

私が大学時代からずっと影響を受けてきた概念に「リスク社会」がある。現代社会を如実に表すと考え、学士論文もこれを元に書いた。ある種流行りの概念でもある。ドイツの社会学者でこの分野の第一人者のユーリッヒ・ベックによれば、リスク社会とは、産業社会の次なる段階である(もちろんここに消費社会とかも段階的に入るのだろうが)。産業社会で、私達は目覚しい技術革新を遂げ、これは私達に富をもたらした。さして、チェルノブイリに始まり、産業社会は次なるステージに入る。リスク社会である。今まで恩恵ばかりが目立っていた技術革新の負の部分、例えば環境汚染など、今まで中心議題でなかったトピックに焦点が当たるようになる。少しリスクの意味合いがずれるが、金融でもエンロンなどに端を発しリスクマネジメントが今まで以上に大きな意味合いを持っている。

さて、リスク社会と大きな影響を持ち合うのは、近年のグローバリゼーションだ。リスク社会の特徴の一つは、リスクがもはや空間・時間に規定されえず、今の行為が将来のリスクになったり、北の諸国の行為が南の地域に影響を及ぼしたりすることだ。

もっと進めると、イギリスの社会学者、アンソニー・ギデンズが言うところ、リスク社会では現在の行動が将来のリスクにより影響を及ぼされるようになる。もう一つ大きいのは、リスク社会で言うところのリスクは、天災などと異なり、人的なものだ。リスクを最小化しようとする努力は、リスク社会の形を次々と変え続ける。その努力がまた、次なるリスクを規定する再帰性を持つ。

南北富めるもそうでない人も、政治的権力の否かに関わらず、環境破壊の影響ってのは地球上のすべての私達を多かれ少なかれ、覆う。人的要因によって作り出された「リスク」がそこここにある。今私達が対面している環境破壊は、南の国の急激な発展によるところもあるけれど、それ以上に先に発展した北の私達に因るところが大きい。だからこそ、その責任の具合に応じて、排出率が途上国では発展国よりも低く設定されている。そう、今問題になっている二酸化炭素の排出問題は、リスク社会の最たるものだと思う。実際、私達発展国は、自身の排出量を下げようとする努力では足りず、排出権ビジネスの需要は日に日に拡大する。

排出権を売買することで、途上国は発展のための資金調達ができる。日本などの発展国は、排出量の基準を超えずに済む。その先には、京都議定書の国別排出枠というとりあえずの目標達成があって、途上国にとっての発展の権利も同時に認める。

けれどそのもっとさきには、リスク社会がある。この二酸化炭素の排出量を売買するというリスク対応は、多分次なる社会を形作り、皮肉にも二酸化炭素を誰が排出したかという点で、地球上の私達に平等にその影響が決定されるわけではない。

そう考えると、全てはこの「リスク社会」の一連の動きとして見えてきてしまうのだ。といつもの思考の癖を思い存分書き出したところで、とりあえず自分が何ができるか、ちっとは商学的マインドで考えよう、かな。
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by Haruka_Miki | 2007-10-14 00:00 | 経済的営み

市場の神

先日、シンガポールのカヤを塗ったパンとチャイで朝ごはんをしていたところ、存じ上げている顔がテレビにでてきた。

有名人と呼ばれる人と私は縁遠い生活をしているので、日々は平和に過ぎていき、テレビに露出する人の素顔はよく分からないケースが多いのだが、そんな中でひょんなことから実際にお話する機会があり、言いがたい感銘を受けたのはバーナンキ連邦準備理事会議長である。

まだ学生の頃に、私は大学新聞の記者をしていて、いつもであれば学校の中のバリアフリー事情だとか、草の根の話を取り上げていたのだけれど、あるときバーナンキさんが来日し、私が通う大学にやってきて、講演をすることになった。新聞部としては、さほど大きなニュースではなかったが、当時の私にとっては、まさに次期FRB議長になるかもしれない人だと思うと、これは一度取材を理由にぜひお会いしたいと思って、取材の記者に手を挙げた。

当時のバーナンキさんはまだFRBの委員の一人で、その言動は注目されはすれど、もちろんグリーンスパン議長(当時)とは比べ物にならなかった。それでも、講演の後の質疑応答では、金利を上げるのか、とかそういう現実的な質問は控え、あくまでその日の講演内容に限定され、氏の専門である大恐慌時代のデフレに関しての質問を受けつけた。会場には経済系通信社の記者も数多くいて、学生の突拍子もない質問になにかうっかり氏が大切なコメントをしないか一言も漏らさず聴いているようだった。講演会は拍手喝采で終わった。

大学新聞の方、十五分で取材を済ましてくださいと関係者に言われ、秘密部屋があり、氏をそこで待った。それはなんとも贅沢な空間なのである。大学というところには、こういう部屋が学生が知らぬところに存在している。あまりに立派な部屋で、こちらが恐縮した。私は経済学は専門ではなかったし、FRBの委員などといえば、とても自信に満ちていて、鋭くて、ポイントがずれた質問をしたが最後、ずたずたに噛み割かれてしまうんではなどと杞憂していた。

氏が部屋に入ってきた。講演会の時よりも自然体である。失礼だけれど、どちらかといえば、地味な雰囲気で、それでも何か内に秘めたオーラを強く放出していた。素人が経済のことを聞いてもノンセンスなので、氏の学生時代や研究内容の設定やご家族のことなど、ざっくばらんに伺った。

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(Prague, Czech Republic, December 2003)

静かな海のような人で、クラシック好きで多分、音楽のことをインタビューで一番話していた気がする。お子さんや奥さんのことを話すと目を細めた。普通の人で、でも、普通じゃなかった。言葉選びは学者ずれして難解なわけでなく、極めてシンプルで、スマートで、気取っていなかった。直接経済の話をしたわけでも、暗喩したわけでもなく、もっと大きな流れを表現していた。静かな、しかし強い印象がずっと心に残った。

今思えば、その時に感じたオーラはなんとなく、見えざる神の手によって導かれるとされる市場経済を、いやしかし見えざる神の手だけでは問題をきたすから、時に介入する世界に絶大な力を持つFRBの議長の素養、神がかり的なものだったのかもしれない。
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by Haruka_Miki | 2007-09-03 00:00 | 経済的営み

Bid/Offer for My Trip to Iran

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(Picture from Cuzco, Peru, 2005)

I was talking about my trip to Iran in mid September and my friend tought me a very interesting site called "Intrade Prediction market".

In the site, you can basiclally trade any idea people predict about. Let's say "USA and/or Israel to execute an overt Air Strike against Iran by 30SEP07". The bid/offer of this is 2.5/3.4. That means, people predict there are around 3% chance of U.S attacking Iran in September 7, 2007! What is amazing is the fact the bid/offer has dropped dramatically since October, 2006 and it goes up again for December, 2007 and March, 2007.

We buy and sell risk, gain revenues or protections out of the trade and the modern technology certainly helps the idea and the purpose of the market to be pushed to its extreme.

So my friend strongly said he didn't mean to scare me but he also suggested to buy the protections. How interesting and blow minding thought it is! On the other hand, many of the markiet participants, whether I go to Iran or not, people will continue the predictions and keep bidding and offering the price. The prediction is sometime nothing to do with the reality as the prediction itself.

What if the prediction becomes solely a game to predict? What if the reality is not so important but merely to make money? You don't care if Iran is attacked, as the essence of the concern is whether your prediction is right, not if the society is in a risk of attack?

The modern society is so good at spreading ideas, sharing ideas, trading ideas but yet, if the ideas themselves have less spece to be considered about, that is a bit scary.
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by Haruka_Miki | 2007-08-18 00:00 | 経済的営み

The next books to read

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I happened to know the newly released book, "Discover Your Inner Economist: Use Incentives to Fall in Love, Survive Your Next Meeting, and Motivate Your Dentist", by PhD. Tyler Cowen. I don't know much more than how the book is introduced and talked online as I am still waiting Amazon to ship me the book and in the midst of anticipation how the book will be.

As I know more about the author, I found that I should have known better. His blog, Marginal Revolution is one of the most popular blogs with smashing volume of accesses a day. On the other day, Mr.Cowen was in a radio show hosted by my favorite, Mr.Tom Keene, a CFA and Bloomberg host. In the show, with the quotes by Aristotle, Mr.Cowen has talked about "unhealthy" side of today's economy. That is , to name one, a lack of concern with other value.

He also mentioned about "Creative Destruction", the concept he introduced in his previous book, "Creative Destruction: How Globalization Is Changing the World's Cultures". Just looking at a review in Amazon, Washington Times described the book as "The book's basic point is that cultural globalization can increase the diversity of choices for the individual while reducing the diversity between societies across the globe". Hmm, Isn't it a bit contradictory? That is certainly the next book in the list, too.

Came from sociological and area study background, I have always been sceptical (sorry!! for those who have passionate in the topics I will mention now) for any theories where people try to draw a ground design that can explain any social phenomena as a whole. This scepetism goes for economics, finance, sociology, psychology or whatever social sciences you name. How can a scholar comes up with the ultimate theory that can explain the entire social status?

Being such a hard-headed, I could actually go well with Mr.Cowen's way of thinking. Maybe you and me, who live in everyday life already knows about economy even if we are not the greatest economists of time.

Saying that, I still feel that I should study Econ from more theoretical views. Too bad I didn't have any formal Econ trainings but it would not be too late. Hey, my friends, possible future Economists, teach me the theories! I will prepare myself with the mentality side of Economy, starting with books by Mr.Cowen.
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by Haruka_Miki | 2007-08-11 00:00 | 経済的営み

NYC: 今回の旅のテーマ

久しぶりにアメリカを訪れて、何がよかったかといえば、今一度自分が金融市場の中で仕事をし、それでおまんまを食べていることを再確認したことである。日々の仕事から一歩離れてみて実感したことは、どうやら、自分が思っている以上に、金融市場の可能性というものを信じているし、その恐ろしさも含めて、興味が尽きないらしい。よくよく考えれば、学部時代から政治学のゼミを取りつつ、社会学を学びつつ、哲学に触れつつ、社会心理学を受講しつつ、金融体系を常にその焦点に置いていたのだ。先に述べたヴァイオリニストに、「あなたのようなどちらかといえば繊細な感性や文学性やアヴァンギャルドなマインドに興味を持ちそうな女性が、なぜ金融を選んだのか」とふと聞かれたことが、ある意味今回の旅行のテーマになったような気もする。
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マネーゲームはマネーゲームに過ぎないし、そこに何か価値を見出せるかといえば、それは各人の価値観によるだろう。けれど、私はどうもそこに人間性をとても見て、それがおそらく私が初めての仕事に金融を選んだ所以かと思う。何が人間性だいというお言葉はまことだと思う。ただ、結局、秒毎に変わる数字の羅列は、人間の読みが大きく影響するのだし、それこそ人間の欲望や感、将来の予想というものが無数に重なってできていると思うと、ものすごく面白い社会的活動だと思えてならいのだ。

そう思うと、今まで以上に自発的に金融市場を知りたいと思えてきて、帰国してから、朝の支度時には、今までのNHKラジオ日経ポッドキャストに変えて、ブルーンバーグのサテライトラジオを聞いている。これが大変興味深く、アメリカの経済系メディアの質の高さを思う。

さて、金融市場にある一定の可能性を信じたい部分として、多分私がそうは言っても興味とは別の次元で、いかに社会に貢献できるかという大それた野望を秘めていることだ。公だからできることがあり、私企業だからことできることがあり、最近はこの私企業だからできる社会貢献というものに、前にも増して高い関心を抱いている。例えば、私が大好きなスーパーマーケットに、Whole Foods Marketがある。会社の研修で訪れた際のアパートがこのアパートのすぐ横だったことでこの店を知った。最近のアメリカのスーパーではこの形式が多いよ、と母が言っていたが、野菜売り場でも、Conventional従来の生産方法でできた野菜と、Organic有機野菜の二つのラベルがあって、消費者としては嬉しい。食品から惣菜、生活用品までいわゆるLOHASな商品が並んでいる。余談だが、それに加えてチェルシー店の店員さんは皆感じがいい。この店の株主が、店の方針をどのように評価するかは置いておいても、この店が全米でかなり大流行なのは、紛れもなく市場との関係がある。その絶妙な関係の中で、利益も追求するけれど、自然や人に優しい商品を提供する。

先のブルーンバーグラジオを聴いていて興味深いのが、ラジオの中身もあるのだが、それと同様にラジオの合間のコマーシャルの内容だ。様々な金融機関が盛んに自社の宣伝をするのかと言えばそうではない。その殆どはボランティアをしませんかとか、寄付をお願いしますとか、そういう社会貢献に関するものなのだ。そのギャップがものすごく面白い。

市場は万能ではないだろうけれど、様々な欲望で形成される資本市場が、ゆくゆくは様々な社会貢献に目を向けざるおえず、必要性にかられなくても、このコマーシャルに見られるように、自分が社会貢献したいと思う次なる「欲」につながっていくのであれば、マネーゲームは本当にマネーゲームだけではなく、マネーメーク&マネーユーズとなる。その最先端がニューヨークであると今回強く感じ、有意義な経験となった。
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by Haruka_Miki | 2007-08-01 00:00 | 経済的営み

ブランドのアイデンティティ

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街を歩いているとここにこういう会社があったりするのか、と思わぬ発見があったりする。先日も、そんな具合にISSEY MIYAKEの本社を通り過ぎた。何となくその後も街中で路面店などを目にする機会があって、その後は自分も興味を持ってこの店に注意をもっていたら、この度、2007年秋冬物からデザイナーが切り替わることを知った。

他の商業的製品以上に、一人のデザイナーの意図、インスピレーション、アイデンティティが直接的に示されるのがファッションのように素人目にも思える。プレタポルテであれ、デザイナーが一手に自分の時代のそのブランドを形成するように感じられる。

それは、ある程度、職人技を要し、同時にその家・店ののれんに各人の能力やスキルが後世にも語り継がれる状況に似ているのかもしれない。茶碗一つをとっても、楽家の何代目が作った作風と何代目が作った作風の相違点は、今も語られる。職人が違えど、職人の仕事は、一人の職人の名声と同時に、のれん全体の評判に影響を及ぼし、アイデンティティを形成する。

ブランドマネジメントなどのマーケティング用語にはとんと疎い自身だが、興味を持ったのは、デザイナーが世に送る一つのブランドのイメージと、同じブランドでデザイナーが変わった時にブランドイメージはどう引き継がれるのかという点だ。プレタポルテが商業的な量的生産を目的にしているものであれ、やはりそこには方向性がある。その方向性、大きく言えばアイデンティティは、その時代のブランドを担うデザイナーの裁量と個性に任されて然るべき。けれどブランドとしてのアイデンティティも一本あって然るべきのようで。おそらくその隙間を埋めるのが、アートディレクターの存在なのかしら。では、もしアートディレクターとデザイナーの方向性が違ったら?

どうも夜中の考え事は、堂々巡りも甚だしい。
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by Haruka_Miki | 2007-07-06 00:00 | 経済的営み

古くを美しく住む

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海に行きたいなあと思っていたら、昨年行った桂浜の写真が出てきました。とはいえ、海まで遠出するのも何なので、とりあえずベランダに椅子とPCと本とコーヒーを出してエンジョイ日曜朝のゆったりとした時間です。

さて、現在の住まいは素晴らしい住み心地で、私の引きこもり度を確実に引き上げているのですが、そんな私は引越しをよくしています。たいがいは必要に駆られて、それ以外は気分でなのですが、そんな中で友人に教えてもらった東京R不動産のサイトは、引越しを特段考えていない時にも、非常に素敵で冴えていてチャーミングなサイトです。ただの間取り図とお値段に留まらぬセンスのよさです。

このサイトを見えていて思うことは、素敵に暮らすか否かは、アイデアと腕次第なのだということをつくづく考えさせられます。基本、古いマンションなどのリノヴェーションを行い、そうした物件を貸したり売ったりしている不動産屋さんなのですが、いわゆる億ションというものは少ないですし、逆に億ションの場合は、郡を抜けて馬鹿高い超高級マンションだったりするので、かえって見ていて野次馬根性を誘うものです。

以前このサイトで、神楽坂にある神社の鳥居をくぐった、まさに境内の中にある一軒家が貸しに出されていて、古いながらも茶室まで備え付けてあり、友人とこれを借りない手はないと多いに盛り上がったものです。結局、その一軒家は現在小料理屋さんになったようですが、こういうリノヴェーションがどんどん盛り上がったら、面白いなと思う今日この頃です。

少し前に、両親が家を建て直す話をしていたときに、古民家の移築を考えていた時期があったようです。現在の東京都内だったら、それもちょっと厳しい話ですし、まず古民家の移築には、大黒柱等の総入れ替えが必要になり、莫大なコストがかかるでしょうが、東京がそんなリノヴェーションで溢れた街になったら、それこそ世界に誇れるのになと思うのです。浅草でなく、原宿でなく、六本木でなく、ただ住宅街を歩くだけでも絵になる、そんな町、素敵じゃないでしょうか。おそらく、自身が異国に行った際に、観光スポットと同じだけ、そうした裏道を好むからかもしれません。

石の文化ではなく、木の文化である日本の建築、その上地震が多い土地柄、挑戦は数多く、そのために建物の寿命も、ヨーロッパのそれに比べたら極めて短いのが現状のようです。でも、なんとなく寂しいです。懐古主義だと思うのですが、どうにか古き美しき建築を育て、守って、進化を遂げていく、そのような街づくりはできないものでしょうか。それは、大企業によるシティプランが当然の今日で無理な話でしょうか。

と、父が久々に一時帰国するのを前に、また父の日を前に、父の好きな番組「改造劇的ビフォーアフター」的な発想をした次第です。
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by Haruka_Miki | 2007-06-15 00:00 | 経済的営み