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パリ発 五感の穴

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金融と人

金融って、と考える。

プラクティカルで数量的で冷たい世界のように見えて、実はものすごく哲学的で、玉虫色で、人間的で、社会的な側面があると思う。いま、どんな金融商品が市場で売買されているなんていうトレンドも、人間の「あったらいいな」という「希望」・「ニーズ」・「欲望」が商品になる。特に、ものづくりのように目に見えた「もの」がないからこそ、そういう人間の「あったらいいな」があらわになり易い気がいたします。

例えば「リスクをヘッジする」という考え方。為替リスクとか、金利リスクとか、信用リスクとか、政治リスクとか、地理的リスクとか。とてつもなく様々な種類のリスクがあって、そのリスクが完全になくなることはないけれど、あの手この手でリスクをヘッジする。「保険」ができたこともそうだし、そのほか「金融派生商品」の数々がそれを物語っている。「オプション」という最古の金融商品(そのときは金融ではなかったのかも?)もある。

例えば「リスクをとる」という考え方。ヘッジしたい人がいるなら、そのリスクを喜んで買ってあげて、そこで「一儲け」しようとする相手もいる。リスクが高いがらくたみたいなものほど、案外掘り出し物だったりするのかもしれない。付加価値をつけて、いいものにしてあげる。

もちろん、自分の思い通りに市場が動くわけでもないかもしれない。だって、みんながこうなるに違いない、と自分なりの予想をたてるけれど、自分だけの考えでなくて、「市場」がどうなるかを考えるから、「自分以外の人」がどう考えているか考えるかなんて。そんなことを繰り返していくのだから、人間の思考や試行錯誤やお互いの顔色伺いが積もり積もって、それはそれは合理性だけでは語れなくなっていくのではと。

と、日々のめまぐるしい市場の変化を見て、数字さえ人格化・社会化して見てしまう私です。。
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by Haruka_Miki | 2006-03-31 00:00 | 経済的営み

お裾分け

大切なあなたにお裾分け。

ワイン好きなあなたに美味しいワインとグリュイエール地方で作られたチーズとサラミを。
ネクタイがきりっと似合うあなたにはネクタイを。
ワンピース貸して、とお願いの電話をくれるあなたにはサマードレスを。

何がいいかなと考えることって、とても嬉しい。
旅の香りと思い出のお裾分け。

久しぶりのみんなの顔が見たくって、
旅から帰ればスーツケースの中身全部きれいにして、大急ぎで洗濯して、
人でごったがえす渋谷を足早に通り過ぎて、地下鉄に乗るんだ。

真っ先にみんなの顔が見たい。
東京に居れば毎週帰ることもないのに、ひとり旅をするときまってこうだ。

明日は仕事だと帰ろうとする私に、帰り際に母がこの野菜持っていきなさい、と持たせてくれる。
それから、チーズとサラミ美味しいからおうちで食べなさい、とお裾分けのお裾分け。

最近ひとりでできることの幅が拡がった気がしてた。
仕事して、お金稼いで、好きなもの食べて、好きなことをする。

あ、ぜったいひとりでできないことがあった、
と気がつく。




「お裾分け」だ。




お裾分けって、お裾分けする「人」がいないとさ、ひとりじゃできない。
ただのチーズなんだけど、ただのサラミなんだけど、なんとなくあったかい。

あなたの思いがつまってるから、特別な存在になる。
「お裾分け」の「お裾分け」にもらったチーズはクセがあるけれどとってもおいしい!
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by Haruka_Miki | 2006-03-29 00:00 |

ジュネーヴ・銀行のち国際機関ときどき仕立ての良いコート

旅の拠点をジュネーヴに移した。ロンシャンのバッグをきっと持っているような巻き毛のフライトアテンダントに、私がエールフランスでホットチョコをもらっている間、ロンドンから来る友は、完璧に効率的なオレンジのシャツを来た職員(アテンダントではないらしい)を横目にEasy Jetでジュネーヴに向かっていた。

ジュネーヴというあまりに唐突な場所で、我々は再会した。場所は非日常だけれど、なぜだか、あたかも大学の友人達がキャンパスの門で待ち合わせするかのように、自然で日常的な再会を果たした。じゃあ市内まで参りましょう、ということで電車に乗り込んだ。友にすすめられたチョコレートは甘くて美味でぼりぼり食べた。この街はチョコレート屋しかないらしいよ、とスイス製でないチョコレートを薦めながら友は言った。

不思議な街だ。想像以上に「地方都市」の香りが立ち込め、パリという大都市とは装いを異にする。「垢抜ける」という言葉はあまり適当でないのかもしれない。じゃあ「垢抜けない」のかって、そんなこともない。国際機関や各地域の金融機関がある土地柄、行き交う人々は千差万別だ。旧市街に入ると、石畳のその町並みの中で、夕暮れ時に人々が広場でビールを手にお喋りする。駅の辺りで道を間違えると、道でお客を待つ娼婦に出くわして少し面食らう。

不思議な雰囲気だ。欧州系の金融機関だけでなく、イスラーム銀行の存在が目立つ。スイス=金融の国、とはこういうことかなと、やっぱりチョコレートを口に放り込みながら思う。彼らの銀行としてのミッションや哲学は独特で、イスラーム銀行には、大学時代にかなりの関心を抱き、卒業論文にも取り入れたくらいだ。私一人、並々ならぬ興味を示す。

不思議な人々だ。静かに街をゆく人々が着ているコートの仕立てがよいこと。ヒッピーティックな言動を好むけれど、こういうのも好きだ。テイラーメードだとか仕立て屋という言葉に敏感だ。職人の仕事を感じるし、きちんと何かを着るという所作は素敵だ。コンサバで典型的ビジネスファッションも着方しだいなんだ。

意外にもメトロポリタン都市の異名を持つこの街は、どこか懐かしく、どこか地方ぽい。国際機関と金融機関という巨大組織がそこここに散々するのに、どこかグレイでオープンでヒッピーな香りがする。なんだか、こんな雰囲気ならばルソーもああいう考え方になるよなあ、と納得しながら、いやしかし、この土地にこれだけの金融機関や国際機関が集まったことに、どこか不思議な気持ちを抱きながら、小ちゃなベッドに横たわった。
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by Haruka_Miki | 2006-03-28 00:00 |

パリ・東京帰着

日曜日午前11時過ぎ、東京帰着。
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今回の旅では色々なものを見て、色々なことにめぐり合い、色々な人に逢いました。
過去と、この瞬間と、将来をつなぎ、創っていく大切な旅になる予感。

またパリ、ジュネーヴについては追って。とりあえず顔を洗おう!
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by Haruka_Miki | 2006-03-26 00:00 |

パリ・自分で動く

日々を送りながら、毎日できることから精を出す。
一日を刻みながら、将来のことも考える。

考えているだけではどうにもならないし、頭でっかちになってしまうから、自分で動いてみようと思う。考える方が得意なら、動いてみたらいい。動くのが得意なら、少し立ち止まってみるのもいいのかも。

私の場合は前者かな。そう、考えるだけではどうにもならないので、今回の旅に至った。温かいハートのスマートな大学の先生に紹介いただいて、ある方に話を聞きに行った。

数字だけでは割り切れない世界、けれどとても大切な世界。緊急性や短期的な成果が見えにくい世界、けれど少しずつ考えていきたい世界。さまざまなバックグラウンドの人が、国籍を超えて働いている機関だ。ある種の夢の機関で、理想を高く強く持つ機関だ。今まではずっと興味がある止まりだったけれど、今回現役で働かれている人とお話した。

理想と現実、夢と葛藤、いいも悪いも、それを全部丸ごと見れるだけ見ようと眼を見開いて見たい。色々な選択をするときに、その瞬間、その瞬間を精一杯見極めたいし、選びたい。そのために、自分の場所から見えないものも、できるだけ教えてもらって知りたい。自分の人生だし、生きるからにはしなやかに、かつ情熱的に生きたいから。

旅は旅でしかないかもしれない。しかし旅は旅以上になる。旅を終えて、また明日からしっかり歩こうと思う。一日、一日をしっかり受けとめよう!一日、一日をきちんと生きよう!
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by Haruka_Miki | 2006-03-26 00:00 |

Paris: Culture of stone and culture of wood

One thing that strikes me when I walk around Paris: how different the city is from Tokyo. Hmm, people would probably say how silly you are, it's without saying! Well, it sounds obvious but visiting Paris for the third time, I can see city in more objective way than I did for the first or second visit.

In the first visit, I was all excited about seeing "Arc de Triomphe", "Tour Eiffel", "Musee de louvre", "Notre-Dame" and all the other touristic monuments and buildings within the city. In the second visit, I was all motivated to see all kinds of other museums. I was curious to see how modern architecuture exist among the most classical types of buildings you can imagine.

This time, I probably know better about the city. At least I acknowledge I'm seeing things differently from the past two stays. What caught me the most is how city is all about stones everywhere and after a few days, I could even feel some type of "difficulty breathing" as I'm not very much used to city with culture of stones.

If you are architecutre majors or if you are European city lovers, you surely understand this. For me, I understood theoretically but it never stroke me like the stay this time. More than I thought, every type of building is made of stones or bricks if you want to call but clearly not so many of the wood-made buildings.

In Tokyo, we no longer see so many wood-made buildings. There are more of the buildings with solid, rather colorless cements and every road you see in Tokyo may be paved with concrete. Still, if you go inside a small road or little apartment like my place, you have large chances to see wood pillars or verandas.

Coming to culrue of stone, I then understand I'm a girl from the culture of wood. When I see small wood doors, I smile without reason. When I saw wood sculptures in the art exibitions held in Grand Palais last week, I felt like staying in front of it forever.

Afterall, I understand little things like this makes the cultural difference even if we aren't aware of them.
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by Haruka_Miki | 2006-03-22 00:00 |

Paris: City full of not only historical but personal experiences

It's the 4th morning here in Paris. The city is rather quite with all the histories and stories concealed within the city. I wake up with the sound of garbage collector which circulates city. I hear children's voice from the next door and here, sun rises again and the life or parisians and parisennnes start.

I used to stay with the homestay family with whom I stayed 1yr and 6months ago. The family was nice enough to offer me to come back and stay with them for this visit as well.

Three children grow rapidly. When I see teenager's difficulty(as it's too radical to say "teenager's crisis" at this moment) started to the elder daughter, I understand no matter where you live, what you eat, what you feel, humans take the similar path in ones' lives. Seeing that, I remember how I was all gloomy and having "anti-parents/society what-so-ever" attitude back then.

I talk with the younger daughter and get surprised how she is practicing spellings of verbes and how the forms of verbes change with each subject. I remember I was Kanji fanatic back then collecting "star-shaped" stickers which we could get once we got 100 percent of the Kanji test.

I talk with mother once her husband leaves to work and her children leave to school in the morning. She is someone I respect as from someone outside, she is the perfect mother of three children, wonderful wife and powerful career-woman working for the luxurious brand shop. Here, we talk as two "women". We talk about every little small thing about my life and her life without any of the position within the society or family.

Then I feel something. This city, full of all the historical events back then and nowm is not only about important events written in newspaper or history books. When newspaper talks about "demonstration of students against government's employment policies", or TV discusses about "immigrants' policy", we focus much to the image of the city within the context of media.

Without saying but often we tend to forget that the city is full of all the personal experiences. We get too excited and gossip-like when we see or hear the stories from media. Being too theoretical or critic-like, we dismiss all those personal stories which may could be shared to culture to culture; just like the experience of one family or the feeling of one woman.
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by Haruka_Miki | 2006-03-20 00:00 |

巴里

一路、パリへ。
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by Haruka_Miki | 2006-03-18 00:00 |

そのほっぺにあるもの

いつもと同じ朝だ。朝起きて寝ぼけ眼で鏡を見る。

いつもと同じ朝なのに、何かが違う。とりあえず気にせずに顔を洗う。無添加せっけんを泡立てる。「泡立てる」という動作がどうもおかしくて、私はいつも必要以上にもこもこやっては、入道雲ほどに巨大化したそれを、おでこにつけて、ほっぺたにつけて洗う。

いつもと同じ朝なのに、突如感じる激痛。主に右ほっぺたに何か異物を感じる。痛く、かゆく、違和感を感じるため、丁寧に泡立てたせっけんを、泡立てに費やした1/3ほどの短い時間でさっさと洗い流す。まじまじと己の顔を見ると、そこに立派なポッチがある。もこもこせっけんに刺激を受けたのか、ピンク色になっている。そう、それは何を隠そう「おでき」のお出ましだ。

「にきび」とか、二十歳を過ぎてから「吹き出物」など、肌荒れにはあまり悩まない方だと思う。だが、そういうあまっちょろいものではない。にきびができたことなんて、数える程しかないのだが、できるときはもっとスケールが大きいのができるらしい。とにもかくにも、私の顔の、しかもほっぺという極めてイロジカルな場所に、「おでき」はできた。ぐーぐーすやすや寝ている間になぜかほっぺの上におできの一つでも作ってみようかということになったらしい。

ほっぺの上のおできというのは、とても厄介だ。顔の上にあるということは、自分には見えないということだ。日常の生活に支障はない。日常の営みを行う際、仕事をし、昼食を取り、水を飲み、ミーティングに参加するために、おできがいくらほっぺで頑張ろうと、こちらの知ったこっちゃない。

だが、奴をあなどってはいけない。ふとした瞬間に、頬づちの一つでも打とうものなら、手がほっぺを触れた瞬間に、激痛が走る。あーあ、だから気をつけてと忠告したのに、とおできが言う。後悔先に立たずだ。

おでき一つで何を言う、とお思いか。そんなこと、一人でその苦難を乗り越えるがいいとおっしゃるのか。それはあまりに殺生だ。無理な相談だ。なぜなら、痛いものは痛いし、いつも痛いのでなくて、無意識の動作やふと忘れた瞬間、突然罰ゲームがやってくるようなものなのだもの。

ここまで厄介なおできだと、おできに教訓を学んだかの錯覚にまで陥る。無意識になるとき、細部に気をつけないとき、大切なものを見逃してしまうのかも。見えてないからいいや、なんていい加減な気持ちを少しでも持ったとき、そのしっぺ返しは自分にかえってくるのかも。

おできにここまで振り回されるとは。わたくしもまだまだ修行が足りぬ。
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by Haruka_Miki | 2006-03-17 00:00 | 五感

ありがとう

24年前の今日、真っ青な空の下に命を授かりました。

こう見えて身体が弱くて
早生まれだから小さい頃は身体も小さくて
肺炎やら気管支炎やら病のデパートのようでした。

仕事を愛し、家族を愛す父や
気丈で心の大きな母や
心優しくおっとりした妹や
大好きな祖母や
刺激や安らぎや歯ぐきを出して笑わせてくれる友人や
尊敬すべき師匠に出逢えました。

以前友人がこんな言葉をくれました。
「3.14、小数点のように無限大に!」
なんてことでしょう。

こんな言葉ももらいました。
「産まれてきてくれてありがとう!」
なんてことでしょう。

お誕生日おめでとう。そう言ってくださる人がいる度に、
心の中で(やっぱり恥ずかしいもの)こういいます。

お誕生日、ありがとう!

皆様のご声援と激励、しかと受け止めてます。
ありがとうございます。
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ありがとう。

ははっ。
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by Haruka_Miki | 2006-03-14 00:00 |