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パリ発 五感の穴

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遊び心

昨日滑り台をした。階段昇ってするっと滑ってを、繰り返すあの代物です。東京の真ん中に立派な滑り台を発見。滑り台がある夜のその場所は、東京の繁華街でぽっかり空いて忘れ去られてた。夜遊びに出かける街の喧騒には似合わないもの。友人とたまたま通りかかり、わたくしは久々にハイヒールを放り投げて、無心に、いや全精神を集中させて遊びもうした。私が子どもの頃好きな遊びの一つに、「遊園地」があった。実の遊園地でなく、幼稚園児の頃やってた「遊園地」という遊びでは、我が家にある滑り台を土台に段ボール、図鑑でコースを作り、小さなソリを用意して勢いよく滑り台から滑り落ちる。造る楽しみ、本や図鑑でできたコースにぶつかり壊してしまう楽しみ、本物の遊園地みたいにわくわくして畳の部屋だってことも忘れるんだ。遊び心は想像力、遊び心は発明力、与えられた麗しい環境でお決まりの「夜遊び」に飽きたら、あの時の心に戻ってみればいい。子どもは大人になったことはない。大人は子どもだったことがある。お決まりの遊び心がない「遊び」の合間に「タイム!」って叫んで一抜けしてもいいよ。人生に鬼ゴッコの鬼はいないもん。
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by Haruka_Miki | 2006-05-26 00:00 | 五感

日本食の洋食

好物の一つにカレーライスがございます。夏に暑いといいながら頂くのよし。冬に家族や仲間とつつくのよし。先日、海外オフィスからやってきている同僚と新宿中村屋のカレーを食べました。わたくしは前日も自宅近くのカレー屋さんでカレーライスを食したばかりだったのでハヤシライスをオーダー。ふんわり優しい思わずにっこりのお味で、同僚にも大好評。「洋食屋さん」という響きが好きです。ハイカラでおしゃまな響きが。なんだかニッポンらしい。明らかに伝統的な和食じゃないけれど、他のどこにもない。洋食の定番、前出のカレーってスパイスは大体西洋のものでない。その辺もファジー。シンガポールからの同僚の彼女には、明らかに日本食。私達には洋食。結局、和とか東洋とか西洋とかそれはラベル貼りなだけで、そのどれも互いを内包してる。日本食に洋食があって、ベトナム料理にフランス文化が混じって、フランスの中国料理はベトナムのタッチが合わさる。どれが本物なんてナンセンス、様々な配色の水が流れ渦巻き交わりまた離れるのが文化なのだから。食もまた無限の交差の繰り返しなのだから。
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by Haruka_Miki | 2006-05-25 00:00 | Nippon

めおと

家族は家族、特に子どもの立場だったら父さんも母さんも同じだ。何が同じって、どちらとも血がつながってる。一方、両親同士は血はつながってない。だけどお互い誓い合って一つの家族になる。家族の基本=カップルほどものすごいことはないなと思う。物理的にはアカの他人だった二人が、他人じゃなくなりファミリーになる。親や兄弟姉妹、親戚が一気に二倍になる。当たり前なんだけど、すごいっ!友人がこの度結婚した。籍を入れ、苦楽を共にすると決心し誓うところに立ちあった。誰よりも近く互いを支えると決めるのって、素敵なこと。まずは自分がやりたいこと、夢、希望を胸に自分の幸せ探して、達成に向かってがんばる。それは第一ステージ。いつしかその熱く若き想いが、ほんのり温かい想いになるとき、きみに向かうときそれはまた次の段階。火傷する熱さも乙、ほんわかあったかもまた尊し。温かさは、当人だけじゃなく周りにも伝染する。うん、会場を出るみんなの顔もほころぶはずだよ、と納得。
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by Haruka_Miki | 2006-05-21 00:00 |

クレジット社会に甘えて

わたしたちは信用社会の申し子です。何のことかい、ってまあいわゆる「クレジット社会」てやつです。クレジットカードで気軽にお買い物、引き落としは後ほど、手持ちの銭は入らぬ、お金の出入りも紙面やオンライン上で行われる。「貨幣」て何だろう。私はこの手の問いに目がありません。端的に言えば、それは金銭的価値を示すもので、津々浦々その価値が共通に認識されてるもの。そんな「貨幣」に代わって私達の消費活動の切札になるのはクレジットカード。かなりの強い味方です。さて、クレジット社会、それが可能にするのは対価交換の先延ばしであり、お金という現物から遠のくことでもある。お気づきかしら、私いまこの文章を携帯から記してる。実は、カードの自動決済だと思っていたインターネットサービス料が、実は滞納になっていたため、サービスが止まってしまったのだ!そう、フランスの思想家ブルックナーが言ったように、クレジット社会は時に人の当然の責任感さえ薄くしてしまうのかも。消費する自分が対価を払っていることさえ見えにくい社会。まずはつべこべ言わずさっさとネット代払いないって?一理ある。
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by Haruka_Miki | 2006-05-17 00:00 | 経済的営み

今もなお

母の日の花屋は、予想通り黒山の人だかりだ。赤やピンクのカーネーション、スプレーバラでいっぱいの店内は、その花の多さを感じさせないほどの人でいっぱいだ。普段なら女性が多い花屋に、若い男性や中年男性もいてそういうのは悪くない。なんだか、少し恥ずかしそうだけれどきちんと花を選んでいて、こういうことがきちんとできる男性って素敵だなと思う。母のことを思えばこそ、恥ずかしさも今日だけはかき消されるというもの。男性人の中には、どうやら奥さんにあげるらしい白い花を一輪だけ持った人もいる。私はそんな彼をこっちで勝手に見てはにこにこしている。

そんなウォッチングにも気が済んだところで、私もその黒山の群がりの一員となり、花を見る。ブーケのコーナーを見るがどうもピンと来ない。第一、これで3000円もするの、と少々驚いてしまう。今日ほどに花屋が売り手市場の日はないだろうから。どうも、花屋さんの作戦に乗るのはくやしい。ブーケでなくとも、どうもこうカーネーションやスプレーバラや変り種でもアジサイやカラーという母の日商戦セレクションにピンとこない。

それぞれの母さんが一人ひとり違うし、自分の母さんは唯一母さんだけだし、だから花だってそんな彼女にとっておきのものを選べばいいかな。花の種類が何百種と並ぶように、母さんに合う花も違うもの。私は、ケチンボかもしれないし、理屈っぽいかもしれないけど、だから母の日コーナーにはない、母の日の今日は少し申し訳なさげに店の横の方に配置された白い花を選んだ。花博士でないので、ちょっと名前は分からない、そんな野生的な花だ。人工的にきちんと並んだブーケには絶対入らないタイプの花。枝が縦横に広がり、その先に可憐かつ生命力強く咲く白い花を選んだ。なんとなく、それは母のイメージに近いし、ただ私が白い花が好きなので。

人はなぜ贈り物をしたり、されたりするのかな。ものは物だけど、それだけじゃない。そこに人の念が込められることが多い。念が込められると「贈り」物になる。贈り物を選ぶプロセス、時間、その時送り手を思う気持ち、そういうのが「物」をただの「物」じゃなくて、特別なものにする。子が親に感謝の気持ちを示すこと、親が子を愛してくれること、それって純粋なことでその純粋な気持ちを表す形として、大好きな人に「贈り物」をする。

「貨幣」と「物」の「交換」を土台として、しかしその目的は「贈与」という案外人間コミュニケーションの中でもベースとなるところにつながってる。「交換」ばかりが強調される現代社会だけれど、そんな今でも「贈与」は大きな存在なんだよな。資本主義社会って、どうも「交換」ばかりが先行するシステムに考えられる。けれど、だからこそ「贈与」をより可能にし、促進する「交換」で溢れる社会なんじゃないかな、とつくづく今日の日をもって思ふ。
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by Haruka_Miki | 2006-05-14 00:00 | 経済的営み

動の学、静の学

ビジネス界に没頭して早一年、久しぶりに勉強したい欲が高まってきた。ここ一年は、会計や金融の『動の学』に触れられる毎日で、とても刺激的な日々だ。新鮮で社会学畑からの私には挑戦のしがいもあって、『動の学』の専門家に囲まれることは極めて貴重で勉強になる。とても運がいいなとつくづく感謝している。

『動の学』はHowやWhatやある種のWhyに有効だ。同時に、私は貪欲な人間だから、Whyに徹する『静の学』にも興味がある。それは、思考することで、プロセス的なことをああだこうだ考える学と認識している。人間の営み自体の方法論や結果ではなく、何が人にそうさせるのか、包括的なことを思考する学。幸せなことに、政治学、イスラーム経済、生命学、イスラーム建築と地域交流論と様々の分野の専門家を存じている。

実は先日、大学の学士論文の大筋で引用させて頂いた研究者の方のブログにも、ご無沙汰している旨、また先生の本を手に取り自己研磨に勤めたい旨を書き込んだ。オンラインの普及性、情報の流動性を改めて感じるのだけれど、実は学士論文で引用させて頂いた先生に、私が個人的に教えていただいたことはない。自分の論文(それは未熟だが永遠に自分が書いた唯一の学士論文であり続ける。だから激励も批判も真摯に受け止めてきちんと世に出したと申告しなくちゃいけないかなと思う。テーマは『社会学的観点から考えるリスクマネジメント』だった。)で氏の理論を多用した。リスクマネジメントなのに、なぜ生命学の先生の本を引用さえて頂いたか、まあそれは別の機会に。ゼミの方針で、全ての学士論文はゼミの先生のウェブ上で公表されるのだけれど、たまたま、私の学士論文が、その引用させて頂いた研究者の方の目に止まったことから、メールを頂いた。それから一年、その先生のブログに書き込みさせて頂いたら、激励のメッセージを頂いた。あなたの自己研鑽で私にできることがあれば何でも言って下さい、と。

あれ待てよ。『動の学』も結局人とのつながりで学んでいくものであります。会計のプロとか、金融のプロとか。それと同じかなあ、実は。『静の学』も人に学び、己も考え、それを形にしていくから。特に、このコミュニケーションの方法が多様化した時代で、それまでは雲の上だった方ともより簡単に意見交換できたりしてしまう。学の上でものすごくありがたい時代なのだ。そういう時代の流れを享受した『静の学』を学びたいな。ただ本を読んで、勝手に好き勝手では絶対にない。それじゃあ自己満足になってしまいますもの。自己満足に留まらぬ『静の学』、それを私は高く志そう。そして、それを支えて下さる方々に感謝を忘れず。
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by Haruka_Miki | 2006-05-12 00:00 | 五感

「身体」は知ってる

我輩ははる香である。名前はもう言った。どこで生まれたか見当もつかぬ夏目さんちの猫さんとは違い、どこで生まれたかは両親に教えてもらった。ありがたいもんだ。

さて、生まれの話はどうでもいい。我輩休み中には随分と贅沢をしたので、休み明けの今は割と食事に気を使っている。30品目を目指してがんばろうと(その気だけはある)している。すっかり日焼けをしてホッペの皮が向けたので、肌ロテーションにも協力的になってあげている。日本全国で、東京と大阪に次いでお酒の消費量が第三位という驚きの高知では、美味しい鰹の他、土佐の日本酒ばかりでてきた。特段のん兵衛ではないので、お夕飯でお店に行ったのに、ご飯も食べずにいきなりお酒とはなんということかと嘆いた。嘆いたが、出てきたら致し方ないので、杯は乾した。そんな休日だったので、なんとなく滞っている感じがする。体内のものものが。なんだか体内をめぐる血液が、も少しさらさらしてもいい気がするので(気のせいかしら)、ああこれは野菜様と果物様の厄介になろうと思った。

これがとても気持ちがいい。朝にはキウイ、リンゴ、グレープフルーツ、ヨーグルトは少しだけ。パンは好きなので、少々消費。水もたくさん採る。夜ご飯も手抜き野菜尽くしで、お浸しや(しかも筍など春のものと夏のものをレンジで温野菜にして、カツオ節を塗してゆずポンで頂くだけのツワモノ手抜き料理も多いが。。いいのだ、食べられれば。)ゲンキンなもので、もう既に体内中の毛細血管がひきしまったような、さえわたったような気分になってきた。身体はちゃんと分かってる。おー、野菜じゃん!なんだまた手抜きしたでしょ?までもいいよ、野菜自体はありがたい、果物!うわ酸っぱい。まこれがじわじわ効いてくるんだよー、さんきゅ!と身体が言っている気がします(妄想ベース)。

きちんと「選んで」、できるだけきちんと「作って」あげよう。身体はごまかせない。精神的にウソついても、身体はウソつかない。自分の弱さに自分が負けても、身体は正直。どんな重病にかかったのか?どんな悪いものを食べていたのか?と思われそうだけど、まあ元来ご飯はしっかり採る方なのだ。身体が弱かった私のために、有機野菜だなんだと試行錯誤してくれた母の食育に感謝。

とりあえずは、身体について熱心に考える今日この頃。
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by Haruka_Miki | 2006-05-09 00:00 | 五感

松山・息を呑む作品

松山、ものすごく素敵な城下町。すっかりトリコになった。ゆったりのんびり、史跡も多い。さて、そんな中、街の綺麗さや面白さに輪をかけて、特に目が釘付けになってしまったのが愛媛県美術館に常設してある李禹煥の作品。がーんと頭を打たれた感覚だ。現代美術でこれだけずっしり心に残るものは久しぶりかも。特に企画展でないところが味噌。

松山の美しさは言葉で言い表せないのだけれど、それ以上に李禹煥の作品が頭に残って離れない。美術館という器の中のものって、どこか人工的な静寂があって、見る手の私もどことなくよそ向きの顔になるのだけれど、李さんの作品には文字通りドキドキした。百聞は一見にしかず。李さんの作品のインパクトの余韻に浸りつつ、東京に戻り早速、李さんの著を購入。このドキドキは、久しぶり。街についてはまた追って。

余白の芸術
李 禹煥 / みすず書房
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by Haruka_Miki | 2006-05-07 00:00 | 芸術

高知にて・偉人の功にあやかる

旅をするとき、色々な旅の仕方があると思うけれど、とりあえずガイドブック順にまわるも一つ、あとはテーマを決めて巡る旅というのもあるでしょうぞ。私は、勝手に毎回自分のテーマを決めるのがスタイルです。テーマを決めると旅の意味合いが濃くなるのでお好みです。今回高知と松山をまわったのは、シンプルだけど、明治前後の偉人達を巡る旅、が旅のテーマです。

歴史の中でも、明治前後の社会の移り変わりが激しい時代の話が好きなもので。京から外れた江戸の町民文化なども興味を惹くので、そこから日本の伝統芸能への関心も尽きないのだけれど、やはり様々な社会の思想、常識が覆される時代は、衝突も多いけれど実にフレッシュで、何か「今」へのメッセージ性が大きい感じがするからかしら。

特に、たいがいの方々がそうであるように、私も例に漏れず、司馬遼太郎には感銘を受けて完全に影響を受けているなあと。(但し、幸か不幸か、多感期に教科書丸暗記教育や受験対策はしなかったため、細かい歴史などは想像を絶するのが本当のところ。歴史マニアの子が今度丁寧に勉強会を組んでくれるとのことです。ありがたや。)まずは「梟の城」、「功名が辻」、その後友人の薦めで「坂の上の雲」を読み松山への想いが強くなり、やっと「坂の上の雲」を読み終わると、「竜馬がゆく」を手にとりまして。今回の旅行と相成りました。

偉人てのは、やはり偉人です。なんというか、歴史を動かしただけの「器」、それが後の時代にもこれだけの人々を彼らの地に赴かせるわけだから。面白いのは、街や自然の風景を見て、ここがあの歴史上の人物が見た○○という言い方をすること。人間よりも前にあるものなわけで。環境が人を創るわけだから、その環境に偉人への想いを馳せるのは真逆な感じもする。けれど、そうしてしまう。桂浜を見て、なんだか完全に坂本さんの意志を汲み取るような気になってしまうんだから。

「ぐっとくる偉人」の存在は大きい。「ぐっとくる時代」の存在も大きい。以前、高校時代の米国史の先生が「歴史は繰り返すなんてウソだ。歴史は繰り返さない。同じ歴史なんてない」とおっしゃっていて衝撃を受けた。それはある意味そうだけれど、ちょっと屁理屈かなあとも思う。「同じ歴史」自体はないかもしれないけど、ある「瞬間」や「状況」にどんな風に「人」が交わったか、対面したか、その「姿勢」に意外と共通点は多いはず。学ぶところは多いと思う。

好きな偉人は誰ですか、時代はいつですか?
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by Haruka_Miki | 2006-05-06 00:00 | Nippon

高知にて・一旗×人数分

いつも同じオフィスで自分の仕事に没頭しているとどんどん専門家され、知らずと視野が狭くなっているかもしれませぬ。今回、東京の外を旅して思うことを。ある意味当たり前な、ある意味お間抜けな話なのだけれど。

私には、高知で、博多で、神戸で、札幌で、尼崎で、大阪で、そして東京で、埼玉で、千葉で、神奈川で働く友がいる。ロンドンで、パリで、香港で仕事に勉強に勤しむ友がいる。ドキュメンタリー番組制作者として、映画製作会社で、中央銀行で、核燃料の海外営業として、素材メーカーで、自動車メーカーの海外営業として、MRとして、経営戦略のプロとして、記者として、政府系金融機関で、永田町で、会計・税務のプロとして、証券会社の営業として、投資銀行のバンカーとして働く友がいる。法曹のプロとして、また人類学や芸術の研究者を目指して研究に勤しむ友がいる。

という一つの事実の羅列だけれど、こりゃすごい。まず、それぞれが自分の道を進むということは素敵なこと。そして、それ以上に自分の道を進む友が、それも様々な道を進む友がいるということは、ものすごいなあと。ものすごく幸せなことだなと。自分にいくら興味があっても、問題意識があっても、やりたいことがいっぱいあっても、到底人間一人じゃやり切れない。極めきれない。けれど、あなたがいるから、あなたが私の道でない道は切り開いてくれる。

一人一人が道を進んで、一旗上げて、それが重なったら、ものすごいことができる。社会はいくらでも変わるし、もっと良くなる。一旗上げましょう、私も。負けず嫌いな性質ではないですが、あなたの気負いと気合いと意志に負けじと頑張りましょう。全国各地でいろんなことに勤しんでいる仲間がいることの大切さを感じたら、うん、道を進むことって自分のためだけじゃない、もっとでっかいものの気がしてきたわー。

こんなシンプルな、けれどいままでお恥ずかしながら見落としてたことを実感した大型連休は、ある意味本当に「ゴールデンウィーク」です。このことに気がつかせてくれた、高知の海と、高知出身の歴史人たちはほんとに「偉大・偉人」です。
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by Haruka_Miki | 2006-05-05 00:00 |