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パリ発 五感の穴

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怖さも分からず

ご承知の通り、地震があった。皆さん大丈夫でしたか。

びっくりしてタータンチェックのひざ掛けをとっさに防災頭巾に見立てた。気休めもいいところなのだが、小学生時代からの避難訓練の賜物といったところだろうか。我ながら、パブロフの犬の理論を自己証明した気がした。あいにく、これが本当の災害時に役に立つかは定かではないが。

会社のメールを失敬して、大急ぎで大切な人々の安否確認をした。こちらのビルの縦揺れ大きく、みなの安否知りたし、返答求む。すぐに母からメール。こちらもすごい揺れでしたが大丈夫です。多忙だった父からは30分後に返信。こちらも大丈夫です。一安心して業務を続ける。

なぜ思う 自分だけには 関係ない
その安易さが 明暗分ける

というわけで、なぜか自分だけは大丈夫な気でいるんだろう。淡路阪神地震で多くの親類が被害を受けたし、スマトラ沖地震・インド洋津波に巻き込まれた友人もいるのに。自分だけは関係ない気でいる。

防災の日直前のこの地震は、どこか教訓めいていて、気を引き締めずにはいられない。そう、祖母が生まれて一ヶ月後、その年から82年、関東ではまだ大地震がない。
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by Haruka_Miki | 2006-08-31 00:00 |

「他者に視線を向ける美術館」

私は、芸術活動は芸術活動以上の存在であってほしいと一鑑賞者としていつも思う。それは一鑑賞者としての意見でしかないけれど、政治にも、外交にも、経済一辺倒な流れでも成し得ない特別な力をもっていると信じているからだ。ハードパワーだけで人は動かない。人を動かすのは、心を揺さぶるのはそれ以外のところが大きいから。

逆手にとれば、人々へのインパクトがじわじわと、しかし大きいからこそ、過去にさまざまな政治的組織がそうしたように、芸術は政治的装置として扱われ、芸術家はその時代に翻弄されてきた事実もある。

それだけに、文化を支え、人々を動かす芸術が果たす意味合いは大きい。大きいのだけれど、さまざまな社会の問題を前に、芸術は余裕がある人々がなす暇つぶしのようにも捉えられる。芸術が成せる技は過小評価され、そのインパクトを人々は享受しきれていないもどかしさがある。が、その暇つぶしは、決して暇つぶしではない。人々の心を映し出し、扇動する「装置」でもあり、だからこそどのような芸術が世に送り出されるかは大変な事項だと思う。

先に、アフリカ美術について投稿したのだけれど、その先をゆくところで。パリにぜひ行きたい美術館ができた。巨匠ジャン・ヌーヴェル建築というのも気になるところだけれど、特筆すべきはそのテーマ。アフリカなどの美術品を集めたケ・ブランリは、「他者に視線を向ける美術館」をテーマに「文化と人の平等な尊厳を十分に示す平和実現の道具」になるべくオープンした。

「他者」と明言してしまうことは、つまり「自己」と「他者」といういわゆる「西欧的な」二分法的な香りを多いに内包するので、まあ考えさせられるところは多い。という憂慮点は置いておいても、こういうところがフランスってすごいなと、フランスの芸術基盤の成熟さを感じずにはいられない。

芸術が与えられるインパクトを吟味し、理想を高々に表明する、きわめて「フランス的」思考が、芸術においては存分に発揮されてる。その善し悪しは別にして、このスタイルこそがフランスを「芸術の国」にする所以なのかな。

ケ・ブランリ美術館公式サイト
http://www.quaibranly.fr/
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by Haruka_Miki | 2006-08-30 00:00 | 芸術

アフリカという記号

アフリカはなぜアフリカなのでしょう。

アメリカはいつもアメリカ合衆国であり。それは時に州レベルで、地域レベルで語られる。

ヨーロッパだったらより細分化されて語られるのに。イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、スペイン、スイス、ベルギー、ポルトガル…と国レベルで。各地域や国のイメージも沸き易い。

アジアにしてもより細分化。国への重きの置き方が欧米ほどでなくても、少なくとも、東南アジア、東アジア、南アジア、中央アジアと地域別にはなっている。

でも、アフリカは永遠にアフリカであり。各国や地域や民族というものは到底見えやすいとは言えず。開発や貧困や民族闘争などのコンテクストで語られる。もしくは、関心さえ薄い。時々起こる深刻な諸問題に際し、やっと国の名前がお目見えすることもある。が、メディア露出も私たちの理解も、欧米への関心・理解の比ではない。

現在、六本木ヒルズでアフリカをモチーフにした展示会が開催されている。アフリカの中の多様性に目を傾けるこの展示会だが、やはりまだまだアフリカはアフリカで。私たちのアフリカ的イメージを掻き立ててくれればいい。

精神的に、距離的に遠いその場所。その場所がテーマになったこと自体が無関心からの微かな脱却ではあるのだが、改めて自分を含め「アフリカ」というその大陸の遠さを痛感し、その反面、欧米諸国というある限定した地域にばかり熱い眼差しを注いでいるかが浮き彫りとなる。

アフリカがアフリカ一つで語られること、まずは世界の「周辺」に目を向けることの重要性の再認識だ。そこから次の段階にいけるといいな。

森美術館 アフリカ・リミックス
http://www.mori.art.museum/contents/africa/info/index.html
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by Haruka_Miki | 2006-08-28 00:00 | 芸術

神棚に飾れないもの

前回の記事に関連して。

見事に半袖焼けをした我が腕を横目に、地下鉄のGOLDEN minというフリーペーパーを見ていたら、ちょっと心に残る記事を読んだ。奥田瑛二氏の言葉です。「...9歳で映画スターに憧れ、その夢はかなったわけですよ。でも映画監督は夢じゃなくて志なんだな...夢は一度掴んだら、神棚にでも飾っておけばいいけど、志は無限だから」(Golden min 4号16ページより)

うーん。さすが50代をターゲットにしたフリーペーパー。というか、50代までの成熟さをもっていない私たち「若いジェネレーション」にこそ、また違う味わいと共に染み入ることばなのでは。

夢は終わることがないのね、志がある限り。

Golden min
http://www.golden.metromin.net/
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by Haruka_Miki | 2006-08-25 00:00 |

風を受ける

人生の悦びは色々あるけれど、中でもかけがいのない出逢いは絶大的な気がします。人はやはり社会的な生き物で、響きあっていくものだから。風鈴は鳴らない。風がないと。風は自身では出せない。風鈴の音を。とまたおかしな暗喩をお許しを。

偶然が重なるとき、それが縁になるのだけれど、まさに一期一会とは素敵なもの。お茶の世界にその根本が集約されているのはすごい!とずれた話はさておき。

ある尊敬する先生の紹介で、また素敵な方々に会う機会があり。その方々の一人は、そう私が志す分野に身を置かれておられます。聞きたいことは三百とある気でいたのに、いざ目の前にすると、何も聞けやしない。その分野を根掘り葉掘り聞く前に、人としてそのお方を感じていたかったのです。

時を少し置いて、何かしんみり考えます。その方を含む素敵な出逢いと、それを可能にしてくれた師匠とのありがたいご縁。そして、ちょっと一人しんみり静かになって、ふと、その志す分野にとりあえずは走り出したい衝動に今かられるのです。

人は時に風鈴になり、時に風になるのかな。志という名の風鈴を、揺らす風は吹きますかね。
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by Haruka_Miki | 2006-08-24 00:00 |

感服

昼どきによく通うすし屋さんがあります。いつもサラリーマンでいっぱいで、刺身と焼き魚の定食がお気に入り。OLが働きたい街の印象とは少々毛並みが違う、人情肌なお店です。

この店のウリはもちろん料理でしょうが、新鮮な魚と同じ位にご主人が粋であります。おもしろ親父というところだけれど、いやあ物知り。経済の話から江戸後期から明治にかけての日本の会社組織について、はたまた病院の歴史、海援隊に坂本竜馬に政治家の何々さん、実業家の何々さん、日本初の商社を創ったのはあの人でね、、と話は尽きない。

ちっとも説教臭くない。自分を卑下して笑わせる天性のものをお持ち。もちろん顔馴染みの常連さん、名前まで覚えているレベルの常連さんはいっぱい。カウンターに座る醍醐味は、この皆々様に交じり合うこと。

話好きの人好き。根っからの人好き。人が好きだから好きな魚を美味く出して、お客さんのことも研究。研究というと言葉は悪いのですが、知りたい探究心から料理以外のことも手広くチェック。勉強好きなんですね、と失言のあたくし。いやあお嬢さん、勉強じゃあないんだよ、あったりまえのことなんだ。お客さんが働いているような仕事のこと、社会のこと、そういうのを知ることは、知りたいってのは当然の欲だし、当然の姿勢なんだよ。自然だから勉強じゃないんだねえ。

何気ない昼飯の何気ないご主人のお言葉。こういうことをさらっと言えちまうご主人は粋だねえ。私は人間力が強い方にお会いするとべらぼうに弱い。あーいいなーとこみ上げてくるものがあります。ごまをすったり、皿回しでは人のご機嫌は取れても心に残らないのです。言わずもがな。本気のコミュニケーションで大切なことを、昼ごはんで知るのです。もちろん人間関係全般、またそれとは切り離されて語られる無味乾燥なイメージのビジネスっていうのでも、結局はこれなんだなと。相手を知りたいという気持ち。直接交流をすること。

おそらくは、多くの大企業の営業マンが気づかないこと、成し遂げないことを、彼はあのカウンターでいとも軽やかに、やってのけているのです。

お嬢ちゃん、「勉強なさい」と帰りには新聞の切り抜きを山ほど頂戴しました。ああ、私はあの主人を前に、まだまだ半人前です。
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by Haruka_Miki | 2006-08-22 00:00 |

アートとデザイン

友人の誘いで色々な人が集まる会があり、普段はあまり会う機会がない仕事の人々と話す機会がありました。なかなかいい日曜の昼下がりを過ごしました。その中でアーティストの人との話を。アートとデザインの違い、という話が興味深かったので一つ紹介。

アーティストとして仕事をしてきたのだけど、今度デザインをやることになった、と彼。アートとデザインは違うと彼。わたくし頭では確かに違うイメージだけれど、何が違うかなと考え。そこで申し上げたのは「消費主義的か否かかな」だったのだけど。

彼曰く、いずれもその視点ではどちらにもなり得ると。確かに。例えば、アンディウォーホール、てとこでしょうか。彼はアーティストであり、それは消費主義的なモチーフを取り上げていて。

彼曰く、アートはそれ自体が目的。デザインは目的がそこの先にあるというようなことを。お酒もまわっていたので、言い回しは定かでないのですが。かたじけない。それはどこか、哲学は考えること自体が目的。商学は目的がそこの先にあるというようなこと?

ということは、アート=芸術はそれ自体が目的なのである、という本来の目的を根源まで突き詰めると、つまり最終的にはじゃあそれをどう見てもらうかとか、どう集客するか、とかどう宣伝するかとか、いくらお金を集めるかということは二次的目的ないし目的ではなくなるのであるとすると、芸術を突き詰めれば突き詰めるほど、それ「芸術」として孤立し、それ自体こそが存在意義という中で、芸術をマネジメントするとか、芸術を社会に普及させるとか、それ自体が矛盾を帯びた活動になるわけで。

わたくし自身アートマネジメントに関心があるので、今日はなんだか考えさせられたのでした。

The Andy Warhol Museum
http://www.warhol.org/


Google View Question "What is the difference between art and design?"http://answers.google.com/answers/threadview?id=504064
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by Haruka_Miki | 2006-08-20 00:00 | 芸術

おんなのひと

働き始めて、いま初めて自分が女なんだなあと思う。

大学生の時、就職活動も、また日常生活でも、そういう意識が薄いほうだった。恵まれた環境で、それがいわゆる「足かせ」になることを肌で感じたことは一度とてなく、また自分を「人」と認識しても「女性」というくくりでしばってくるのが苦手でもあった。女であることを認識する必要もなかった。「私」は「私」という単純明快な理解でお終いだった。そうして自然と時は過ぎた。今もベースはそうだけれど、それだけではない。今くっきりと、自分はまた、女の人なんだなあと思う。

今までは自分に近い世代の人たちの中にいて、同じラインで同じ方向に走ってきてた。いまもまだその過程なのだが。うっすり感じつつあることがあって。

社会に出ると、うん、今まで以上に様々な出会いがあり、自分だけでなくて、周りの人生の先輩の話を聞いたりして、今はまだ実感が沸かないのだけれど、ああそういうもんかなと新たな視点に気づかれされている。その一部が、女性であるということ、それに起因する生き方と取捨選択の必要性であり。

仕事とか
プライベートとか
夢とか
大切な人とか

大切なものを考えると、色々あって
優先順位を考えることは難しくて

いまよりさらに若造のときは、全て並行して手に入れられるもんだと思ってて、今でもそういう楽観さはあるのだけど、やはり人生の先輩方は、彼女達なりに色々な選択をしている。キャリアに家族、それはいろいろな選択をしている。

女の人であること、それは取捨選択に全身全霊を研ぎ澄ませること、五感で答えること?さあ、私はどういう選択をいたしましょうか。

選べない。選べない!全部ほしい!
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by Haruka_Miki | 2006-08-17 00:00 |

黒子の春

ウェストサイドストーリーのブロードウェーミュージカルを見に行きました。

ミュージカル、大人になってからは足が遠のいていました。他にも数々の舞台があるから。わざわざミュージカルという形をみることはなくなってしまった。特にアメリカ文化から離れて暮らすようになれば、これも必然的。

それなのに、ふたを開けてみれば。懐かしいのです。この感覚が。やはり高校時代に肌で感じた雰囲気は今でもここにあるようで。

オーケストラに俳優・女優達。セット。衣装。歌に踊り。高校時代に、合唱をずっとやっていて、毎春のお楽しみは高校生によるミュージカル。私は統括ディレクターなるものになり、奮闘しておりました。英語もへたくそな、私が、あのアメリカの勝気なハッピーな少年少女をまとめるというのは、やはりよく分かりません。もちろん、まとめられません。悩みました。それは。まとめるなど偉ぶったことはやめにしました。ディレクターなんていうのは、自分が方向性を示すことも重要だけど、それ以上に皆がいいパフォーマンスができるように黒子に徹し、仲介役になり、音楽と舞台上と舞台裏の裏方達の動きを秒単位で計り、疲れる踊り子を激励し、客席から、ステージの袖から、2ヶ月ぶっつづけで稽古につきっきりという地味な仕事を重ねりゃいんだとあとで分かりました。高校生だとあなどるべからず、高校生達の最強助っ人パパさんママさんたちの強力なサポートの元、ステージセットも衣装も全て手作り。おどりは全てプロを真似るわけで。

オーケストラの方々の黒いTシャツを見て、汗をいっぱい吸ったあの黒子シャツを思い出しました。スケールもスタンダードも雲泥の差かもしれない。けれど、あの汗まみれの高校時代は、間違いなく同じだけきらきらしてたのだ。
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by Haruka_Miki | 2006-08-16 00:00 | 五感

その日に関して

終戦記念日。そしてその行為。

落胆。困惑。歓迎。叱咤。激励。激怒。遺憾。無関心。

国内外の媒体を通じて、人々の様々な反応・感情が映し出される。当事者同士の感情のぶつけ合い、それが例年のように繰り返し、もしくは激化して報道される。繰り返しの結果は、鮮明さの欠陥であり、問題の所在のうやむやさにつながり、感情論的な印象を残して翌年に持ち越されていく。うやむやの中で、様々な欲望、願望が水面下で動きを見せ、世論だとかなんだとか言って一定の流れに「なって」いく。

第三者の報道を見る。当事者同士にしか分かりえないこと、とふんがえすかもしれない。けれど、この視点こそがいま必要なもの。私たち、「当事者」自体が、本当に「当事者」なのかも定かでなくなってこの怒涛のぶつかり合いが繰り返されるとき、そのドライさは、この問題で今失われている客観的な視点を添える。

おそらく第三者の報道は、大部分第三者に向けられ、当事者の報道は限られた当事者に向けられ、その方向性はさらに偏っていくのだろうけれど。

フランスの夕方のニュースでは11つのトップニュースの8つ目のニュースに挙げられてた。その報道の仕方は、このトピックに対する一つの見解でしかない。見解でしかないけれど、重要な見解だ。重要な見方だ。
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by Haruka_Miki | 2006-08-15 00:00 | Nippon