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パリ発 五感の穴

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ソウル・表現する清かな心を

こういうところにくると、隠れた衝動を抑えきれなくなる。詩人になりたい。芸術家になりたい。いや、夢は大きく、欲深く、すべての表現に通ずる思想家になりたい。敬愛するフンデルトヴァッサーのように。

とまた突飛なことを言い出す自身に呆れ顔。いやしかし、そんな気持ちにさせてくれる空間がその地区にはある。ソウルから市バスで30分弱。平倉洞というその地区は、ソウルの高級住宅街らしいのだけれど、ぶってなくて、自然がたくさんで、何よりレンガや石造りの家並みの美しいこと。としばしうっとり浸りつつ、バスの運転手はそんな私が日本人であることを知るや否や、韓国ドラマのロケで使われた住居に行きたいんでしょ?と尋ねる。ああ、運ちゃんの期待を裏切る形に。残念ながら、私はそのドラマを見たことさえない。運ちゃんのご好意もむなしく、目指すはガナ・アートセンターだ。

平倉洞は今日美術タウンとしても知られているところだ。美術館にオークションセンター、そして画廊が多い。中でも最大の画廊がガナ・アートセンターだ。サムスン美術館の元アートディレクター率いるギャラリーで、一般の人も入れる。気鋭のアーティスト達の絵画や陶芸が見られてゆったりとした時間。表現することの楽しさと、様々な表現に触れて自分の心が清かになっていくのが分かる。屋上に上って、辺りの家々を横目に口笛吹くのも乙。

エステやマッサージや美味しい食事に舌鼓だけじゃない、パワー!と裏腹のはんなり、しっとりソウルはこういうところにあるのかな。
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by Haruka_Miki | 2006-09-30 00:00 | 芸術

ソウル・企業と芸術

今回の旅行で一番訪れたかった場所の一つは前述のLeeumサムスン美術館だ。企業体と芸術の関係、これに私はいたく関心がある。

日本でもサントリー美術館など、企業体が独自に社会貢献活動として、芸術活動に参画するケースは少なくない。「美術館」という器ばかりでなく、トヨタ自動車がメセナ協議会との強力のもと、アートマネジメント関連の情報サイトを運営している。

2004年にできたサムスン美術館は、ソウルの小高い高級住宅街という場所としても十分素敵な場所に、フランスの巨匠Jean Nouvelやスイス出身のMario Bottaという匠たちに建築を依頼し、その器の輝かしさに劣らぬ作品を擁する美術館だ。

まず作品。朝鮮半島の伝統芸術の美しさに言葉を失う。青磁器の模様と、形は日本におけるそれとはまた違い、暗い空間に色はしっとりとけれど鮮やかに浮かび上がる。それと対照的な現代芸術では、Park Soo-keunの人々を描いた油絵やNam Kwanの作品が印象的。韓国人アーティストだけでなくて、世界の名だたる芸術家の作品も見られる。今をときめくDamien HirstのDance of deathは、無数の薬のタブレットが反射板がはめこまれた棚に並ぶ。センセーショナルに生死をとらえる作品は、きわどくて、初めて彼の作品を目にした私もしばし圧倒されてしまった。今最も賛否両論を呼ぶアーティストと言われる所以だろう。ちなみに、彼の作品、今最も高値がつくという。それが喜ばしいことかは置いておいて、「芸術」は「お金」とどうしても密接な関係があるらしい。。

作品はもちろんなのだが、とても感銘を受けたのはやはり建築という器だろうか。器は、美術館として限定された空間を区切るものではなく、その器が果たすミッションをベースに、三次元以上のひろがりを見せ、人々の心に迫る。その空間に自分が内包されたとき、どこか自分が、芸術と一体になるような気にさせてくれる。Jack NouvelによるMuseum2。ぜひその目撃者にあなたも。

最後に。せっかくのこの感激もさながら、もしこの建築が朝鮮半島出身の建築家によるものであったら。そのとき、資本も中身も器も、名実共にこの文化を支えるアート空間になるのかなと思いました。

Leeum サムスン美術館 概観写真
http://fotografia.web.infoseek.co.jp/leeum/photo.htm
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by Haruka_Miki | 2006-09-29 00:00 | 芸術

ソウル・パワーカントリー!

韓国はソウル。二度目の地だ。

初めてのソウルではまだ気づかなかったこと。よくわかっていなかったこと。キムチもパジョンも、人情肌のおばちゃんや子連れの若いお母さんとの地下鉄の触れ合いも、食堂のお母さんとのジェスチャー大会も、そしてもちろんこの国のアートシーンも、キーワードは「パワー」だ。これ見よがしではなく、人間的な温かい血が通い、何かやったるで!というエネルギッシュさを感じる。パワーは特に激しく、たいがいは温かい。

パワーのキーワード.人

とりあえず、公共機関においても、隙あらば世話を焼こうとしてくれる人が多い旅だった。儒教の国だし、日本に輪をかけて、年配の方や子連れママには席を譲るものだろうという固定概念のもと、私はあちこちで年配の方や子連れママを見かけると片っ端から席を譲ってみた。皆本当に嬉しそうな顔をして、その後はじゃあ荷物を持ってやるとか、降り際には丁重にお礼を言ってくれる。電車の中で地下鉄路線図をひろげようものなら、ここは何駅だ、次は何駅だと何かにつけて世話を焼いてくれる。ギャラリー行きのバスでは、手塚治風ベレー帽の運転手と多いに盛り上げる。もちろん、私は韓国語が話せない。なのに、必死になんだか話してくれるのだ。山手線での帰り道、何かちとさみし、世話焼き役を無意識に探してしまう。

パワーのキーワード2.アートシーン

これは、四年前には考える暇もなかったのだけれど、今回はとかくできるだけ多くのアートシーンに触れてみようとした。実は、韓国は知る人ぞ知る現代アートが進んだ国らしい。アトリエ、ギャラリー、私営・国立の美術館、アートを支援するシステム、なかなかーと感動して、うなって、すっかり刺激された。経済だとか政治だとかの脈絡でしかこの国が語られないのは、余りに惜しい!テレビ番組やスターだけでしか賞賛されないのは、余りに惜しすぎる。

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おそらくは、自国であればたくさんの問題があり、またその地を知れば改善点は多くあり、隣の芝生的要素は多いのだろうけれど。それでもいやあ、そのパワー誇りに思っていいと思う。なんたって、私はドキドキしたし、笑顔になれましたぜ。
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by Haruka_Miki | 2006-09-28 00:00 |

突然ですが

大韓民国に行って参ります。美味しい料理に舌鼓を打つのはもちろんだけど、
二回目のソウルなので、個人的なテーマは、ソウルのアートシーン巡り。
以前から行きたかったLeeumサムスン美術館国立中央博物館は是非。

それから、日本人の評判(韓流ブーム?ナショナリズム?)もチェックしてきたし。

ちなみに、微熱があってふらふらしているのですが、
横で妹にも熱を測らせたら私よりも熱がある。
なのに平気な顔で、すこぶる元気。病は気からを身を持って証明。

チャートマンナヨ~。
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by Haruka_Miki | 2006-09-27 00:00 |

天心さん、国境を越える

すいません。今宵は少々興奮気味なので長いです。

オペラなるもの、そうあの魅惑の華麗なる世界に初めて足を踏み入れました。まあ、ジーンズてわけにもいかないでしょう、大人の色気?上等!というわけで、藤色のハイヒールでオペラに初めの一歩です。いや、そこまで気負う必要ないと思うんだけど。

オペラが見たいというよりは、今回のテーマに心惹かれて舞台を見てみたいと思った方が正確かと。フランクロイドをも魅了し、影響を深く与えたという、「東洋の思想」や「茶の本」で有名な岡倉天心の茶の思想。急激な西洋化の荒波が押し寄せた明治の中で、日本の伝統美術の優れた価値を認め、美術行政家として近代日本美術の発展に大きな功績を残した彼。その彼の思想に感銘を受けた劇作家、タンドゥンが作曲、台本、指揮をするこの作品。元は中国から始まり、日本を初めとする世界に拡がった茶の文化、特に日本において、一つの「道」にまで発展を遂げた茶の文化を、唐代の聖典「茶経」に沿って悲恋を交えたお話です。
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岡倉天心曰く、アジアは一つ。今のグローバリゼーションの世界で、EUだとか、ASEANだとかそういう時代でも、まだなんとなく抵抗ある考え方ですが。これをやっと明治になったって時代に言っていたわけだから、そりゃあ異端児だし、まさにコスモポリタン。ともすれば、アントニオネグリ流な考え方にまで行き着く突飛さを帯びていますが。現状は、国と国の境界線に結局固執して、国境を越えたかと思えば、今度は宗教、思想、社会の強者、弱者間、日が当たる場所にいる者、そうでない者間でのいがみ合いが絶えませんなあ。

オペラのテーマ、茶という奥深い文化を核に、それを求める人々の情熱は変わらない。国だとかそういうものではない、と思わせてくれるんですが。さて、オペラの節々に出てくる台詞。「碗 空なれど 香り漂い 影 消えさりとて 夢ふくらむ」ここなんて、天心さんの「茶の本」を深く継承してるのでは、という林原美術館館長さんの言葉です。なるほど、老子のくだりを用いて「真に本質的なものは虚のうちにしかない」と言ったあれです。ちょっと引用します。

『老子によれば、真に本質的なものは虚のうちにしかないというのである…水差しが役に立つのは、その形や材質によるのではなく、水を容れるから空っぽの空間によるのである。虚はすべてを容れるが故に万能であり、虚においてのみ運動が可能になるのだ。自分をからっぽにして自由に他人が出入りできるようにすることをこころえた者は、どんな状況でも自由にコントロールすることができるようになるだろう。』(「茶の本」より)

まさに、フランクロイドが影響を受けた部分。オペラでも、それを証拠に水差しを用いた音を奏でる女史たちが物語に色合いを添えてます。

本が世界に出したお茶の道の専門家は、思想家としてもかなり乙。小娘は小娘なりに、ここらでじっくりまた読み返してみたし。
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by Haruka_Miki | 2006-09-24 00:00 | 芸術

シタールの昼下がり

家からそう遠くはないところに、代々木公園てのがあるのですが、ここの雰囲気はなんとも言えぬゆるさがあります。

ロカビリーな踊りをするリーゼントのお兄様、スケーターの皆様、日光浴をする人、何かの劇サークルの練習をする人(○○レンジャーのちびっこショーらしき台詞を聞くこともあり)、マラソンの練習をする人、タムタム(アフリカ発の太鼓、ドラム)を演奏する人(ちなみに、ここ二・三ヶ月でタムタム演奏者人口が急増しているような気がします)、なお林の中に入ると、トランペット奏者、フルート奏者の方々なども多く。

公園の外のエリアでは、毎週のように様々なイベントが開催されていて、この空間もまた、ヒッピズムを助長しているのかもしれません。いつものように散歩がてら歩いていていると、今週はインドフェスティバルなるものがやっておりました。いつものように、出店がたくさん出ているわけで、昼時にお腹を空かせていた私と妹もその仲間入り。

キングフィッシャービールを片手に、ナンとサモサとカレーをぱくつくのは悪くない。インド人の皆様の姿も多く、学生時代の旅が鮮やかによみがえる感じです。黙々とナンだけを食べるフランス人の少女、サリー姿の純日本人。インド人の男子学生の皆様。ここはどこなのでしょう。あとは、あのねっとりとした蒸し暑さがあれば、ここはインドのはず。

思いがけず出くわしたこのイベント、ラッキーだったのは有名なシタール奏者Nishat Khanの演奏が聴けたことでしょうか。なんだか、私日本て欧米崇拝主義だと(主に米に重きあり)思っていたんですが、そこに集まったお客の数、熱気、うーん草の根では様々なグローバリゼーションがあるようです。

シタールの演奏がある舞台の横にはテントがあり、インドクッションとカーペットに寝転んでもよし。子どもがわさわさ走り回る隣で、魅惑のインド舞踊もやっています。シタールは、眠りを呼びますね。あれ、今日の午後はお勉強するはずだったのになあ。
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by Haruka_Miki | 2006-09-23 00:00

秋晴れの空を見上げる。
秋刀魚にスダチかカボスをぎゅっと絞って大根おろしと一緒に食べたくなるねえ。
ああ外で仕事がしたい!と思わずにはいられなくなる季節です。

空の澄み渡る青さは、なんとなく、空気からも伝わってきます。
少し肌寒いような、しかしときにはまだ夏の残り香も感じるような。

いつもの道、通勤途中に踏み切り渡って線路沿いの道。

初夏は紫陽花があざやかに、真夏は真緑の草草が生い茂る道。
この季節、心が大きい家主さんの家の庭先には、色とりどりの花が
咲き、「お裾分けです」と種まで頂戴できます。

ふと立ち止まって、目をつぶります。朝から悠長なもんです。

今年もこの季節。
金木犀の薫りがたちこめ、五感を刺激します。

秋ですね。
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by Haruka_Miki | 2006-09-22 00:00 | Nippon

義務の亡霊

「義務」という言葉は、正義的であり、責任感の香りが充満し、その反面、なんらかの違和感と反発と面倒くささと危うさを感じるのは私だけでしょうか。

何かをしていいよ、と言われれば気にもしない、むしろじゃあやろうかと自発性を促すものの可能性もあるけれど、何かをしなければならない、と言われれば、突然反射的に拒否反応が出るか、順応にそれに「従う」かになる気がします。何かをしなければならない、と言われれば、頭ごなしにじゃあ嫌だとなることもあります。

「義務」って何だろう。教育、納税、勤労、私たちはそれを果たす際に、法律や契約や約束の縛りの中で、その重要性を認識し、それを果たすことを「しなければならない」ことと自然と心得ます。

さて、その誰がそれを決めるのか、義務とそうでないものの境界線は何か、何を目的にどんな形でその正当性が語られるのか。正当性などというのは、後からとってつけられるもんだ、などと反論もできるだろうけれど。ちなみに、義務と一口に言っても、例えば日本において、戦中と戦後ではそれが指すものはまた随分と違うわけです。

何かこう、義務がつくものはそれが好きであろうとなかろうと、必要なものなのかもしれません。義務にしないと、何でもかんでも大切だから義務にすればいいってわけじゃないだろうし。

義務にすることが社会のためのもの、そうでないものはあるだろうし。納税が義務でない社会、それは労働する者にとって楽な社会だけれど、なかなかそれでは今の生活もないでしょうぞ。さて、義務の存在意義を考えつつ、それでも何かを義務にする際、そこには必ず何らかの力が働いているのかなと。何かが義務な場合と、そうでない場合と何がどう違うのか。

こんなことを考えるきっかけとなるのは、今日出てきた時事ニュースを見てでしょうか。今までは個人の心情のものだったけれど、近頃はあたかも国民の義務のように語られる問題に触れてでしょうか。個人レベルで受け止め方が違う問題が、国家レベルで義務のように語られたり、反対に、話題によっては、反対に個人の自由に重きを置かれるアンビバレントな社会。そのアンビバレントさが均衡するわけでなく、近年やはりどこか、意外にも必要以上に義務の亡霊に取りつかれているように思えていたのですが。そんな中で、今日の裁判結果は、とても興味深い法の結論でした。
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by Haruka_Miki | 2006-09-21 00:00 | Nippon

寄席=ジャズのセッション

「落語はジャズみたいなものだよ」と彼は言った。

落語愛好歴云年、私達世代でもそれ以上でも、この世界ではかなりの通の友人に、落語とは何たるかを尋ねた際の回答だ。これを聞いて、マンガの一コマであれば、私は目を見開き、稲妻が走るような衝撃を受けた。

ジャズ!落語が。そのこころは!

今日は、新宿は末広亭まで、落語好きの友人に連れ立ってもらい、寄席を見に行った。私はちゃきっちゃきの、完璧なる初心者であり、右も左も分からず、三味線の音さえ新鮮さを感じ、きょろきょろしだす仕舞い。通のアドバイスで、まずは伊勢丹で弁当を調達する。いつもこうして弁当を買って末広亭まで向かうのさ、という落ち着き払った面持ちの通とは異なり、私はさながら遠足の気分で心躍った。食い意地が張っているから、色とりどりの食品を前に夢中になったのも事実だが、何かこれは並々ならぬ期待のさせ方。弁当を購入するというイントロダクションだけでも、期待度は増した。

お金を払い、中に進み、横っちょのお座布団の席に進む。いやあ、これがなかなか。話し手の一席、一席に私は大笑い。さて、通のレクチャーによれば、噺というのは決まったものがあり、古典であり創作されたものであり、そのお話を、それぞれの話し家がそれぞれの間の取り方や話し方、などなどで色づけしていくらしい(間違っていたら、修正してください、師匠。)私などは、話し手達が奏でるお話しの粗筋など存じておらず、そのため、「ジャズ」というメタフォーが意味する核までは到達しかねるのだけれど。友人の言葉がなんとなくわかるような気がした。

覚めやらぬ興奮と裏腹に、終演後のギネスとモヒートでいい気持ちに眠くなってきたので、ここらで続きはまた今度。
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by Haruka_Miki | 2006-09-18 00:00 | Nippon

ペルシャの風

十月にイランに行く予定でしたが、残念ながらキャンセルになり申した。

勤め人の限られた日程を駆使してイランを横断するには、お馴染みバックパックの旅というわけにもいかず、初めてツアーというものに申し込んだわけです。が、今日のさまざまな政治的状況を憂慮する人は少なくなく、ツアー予約客が続々とキャンセルを入れたとのこと。9月17日現在で言えば、内政は安定しているし、問題はないのだと思うので残念。10月の旅行予定日は断食期にあたるため、一人旅でレストランが見つけられないのも旅行者には大変ですし、今回は泣く泣く諦め、日を改めることにします。

その気持ちを断ち切れず、穴埋めとまではいかぬとも、ペルシャに触れるために日曜朝は東京都美術館へ。ペルシャ文明展に行ってきました。朝は割合と人が少ないものですが、これが意外と朝から盛況で押し合いへし合い。政治的、経済的な混乱と混沌とプレッシャーのかけ合いが続く中、文化や芸術のレベルでは、市民レベルではこういうものに偏見なしに興味を持ち、触れようと美術館まで足を運び、その美しさや奥深さに感嘆する人々は少なくないようです。

断ち切るどころか、想いが募るばかり。あの輝かしい文明の産物が、経済的制裁の後に物理的に壊されるような事態に陥らないよう、もちろんそれ以前に、人々の生活が壊されるようなことがないことを祈りつつ。

ペルシャ文明展 煌めく7000年の至宝
http://www.asahi.com/persia/index.html
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by Haruka_Miki | 2006-09-17 00:00 | 芸術