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パリ発 五感の穴

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能楽堂イノヴェーション

休日思い立って何かしようと思ったら何をする?という問いに間を入れず、私の場合はそうですねえ、国立劇場に電話してみることがあります、と言うと、ああそうですか、それは風流な、とても二十代の方とは思えませんね、と感動とも敬意とも驚きとも苦笑いにもとれる返答をうけるのでしょうけれど。

それは嘘のような本当で、冗談のようで正気な話で。実際、能楽堂はなかなか当日券となることは少ないのだけれど、浄瑠璃だったら当日券で入れることもそれなりにあるのです。

問題は、あれだ。私はとことこ、思い立ったら一人でもその場に赴いてしまうのだけど、一緒に行きたい!なんて日本語が母語でない人に言われた場合は、ちょっと困る。まあ日本語が分かるつもりでいる私も、能の詞章なんてよく分からないのであれなんですけども。

毎日新聞によると、今度国立能楽堂で日英による字幕のサービスが始まるとか。これも、無形文化認定などの文化認定と保護のグローバル化に伴うものかしら。なんとなく、英語で、つまり無形伝統文化を尊んでいるのが、この文化外出身の方というようで気になるのだけど。ちなみに、日本語だったら、現在でも、浄瑠璃の場合、舞台の裾に字幕が出るので分かりやすい。

ま、ただ、何だろう、なんとなくお能も、その言葉の音程や間を「感じる」ことこそ大切なのかなと思うのですが。意味は、後からついてくるのかなぁと。吹き替えがメジャーなフランスなんかに比べると、字幕がメジャーな日本。総国民字幕文化のメリットは、元々の舞台のニュアンスに分かりやすさを添えるということでしょうが。分かりにくいってのが悪くない場合もあるのかも。特に芸術において。

とにもかくにも、一度この字幕能、拝見したいもんです。
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by Haruka_Miki | 2006-10-30 00:00 | 芸術

不完全からの出発

眼鏡を買いました。

質がいいセーターが欲しいなあと街を歩いたのに、何故か色とりどりの眼鏡の小宇宙に惹かれて眼鏡店に入り、眼鏡を買ってしまいました。コンタクトで過ごす日も多いのに、眼鏡も好きです。f0079502_12103127.jpg

思えば、中学生の時の通学時に、電車に乗ってあっちにおっとっと、こっちにおっとっとと、押し合いへしあいしながら漢字を覚えた時から目が悪くなってしまったのだ。悪いといっても、まあかけていなくても目玉焼き位焼けます。ほうじ茶位入れられますが。

目が悪いってのが、別に嫌いではないのです。いいにこしたことありませんが。なんとなく。不完全なとこも人間らしいので。人間らしいというか、私らしい、かしら。唯一、山登りのときとか旅行で荷物を小さくまとめたい時くらいかしら、支障をきたすのは。

思いっきり趣味にはしってみようと思ったけれども、それもどうも仕事には不都合だろうし、秘めた主張ができそうな、小洒落たオフホワイトに、耳のところがべっ甲柄のやつです。

「眼鏡」って位だから、まあ眼の鏡=眼に色々なものを映し出す手助けをしてくれるわけだけど、反対にそんなどんな眼の鏡をかけるかは、反対にめがねをかける人を見る皆さんにとって、その人を映す鏡になるわけで。

次回お会いした時は、眼鏡かも。
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by Haruka_Miki | 2006-10-29 00:00 | 経済的営み

奈良・文化財保護、オールニードイズラブアンドマネー

こんなに沢山の世界遺産登録記念碑を一同に介して見る機会はなかなかないかもしれない。

1993年12月日本ではじめて登録された「法隆寺地域の仏教建造物(法隆寺、法起寺)」、1998年12月に登録された「古都奈良の文化財(東大寺、興福寺、春日大社、春日山原始林、元興寺、薬師寺、唐招提寺、平城宮跡)」、2004年7月に登録された「紀伊山地の霊場と参詣道」と数多くの世界遺産が点在し、世界遺産以外にも数々の国宝や重要文化財がそこここに散らばる。

これほどまでに多数の文化的なものに溢れ、国内外から沢山の観光客を惹きつける。修学旅行の学生も、外国人のツアー客も、へんてこなバックパッカー(あたくし)も、年配のグループの方も、老若男女、その場に来る。

さて、一つ一つの場所を拝観するには入場料を払う。それ以外にも、瓦一枚何円なり募金求む、との看板が掲げられ、文化財保護のお願いがあちこちに書かれている。そう、どんなに芸術が好きでも、歴史を大切にしようとしても、文化を保護するという行為はとかく「お金」がかかる。現実問題として、世界遺産登録をしてほしいとひっきりなしにキャンペーンすることのも一苦労、世界遺産されたところで、お金はもちろん空から、国際機関(UNESCO)からふってくるわけでもない。

唐招提寺が9年がかりで金殿の改修を行っている。境内で関係者らしき方を見つけては、質問攻めの私。改修の財政面はどのようになっているのですか?との問いに、半分は文化庁(国)から出してもらうけれど、半分はお寺自身、奈良市、奈良県が持つとのこと。それで賄えない分は喜捨に頼っているとのこと。もちろん、UNESCOから支援を受けているわけでありません、ときっぱり。

保護したい、文化を大切にしたいという想いの裏に、「お金」という現実問題がのしかかる。ちょうど新聞を読んでいたら、朝日新聞の奈良に関する地方面(25日朝刊24ページ)に、「藤原宮跡(特別史跡)」の管理にめぐる記事があった。藤原宮跡は、1300年前の日本最初の都城跡で昨年までは奈良文化財研究所が、国から研究所の運営費をもらって保護していたが、交付金の削減に伴い、文化庁が直接管理。だが、文化庁だけでは目が届きにいため、地元の橿原市は、文化庁から管理の委譲を打診されているとのこと。問題は、誰がお金を出すのかということにもなってくるようだ。

保護しなくちゃ。大切なのは分かっている。が、芸術は、文化はお金がかかる。文化政策のジレンマというか根本は、とどのつまりマネーに絡んできているのかもしれない。
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by Haruka_Miki | 2006-10-26 00:00 | Nippon

奈良・神さまが住む杜

ずっと行ってみたかった奈良に行った。
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小学生の日光・尾瀬以来、修学旅行という年中行事を通り越してこの方生きてきてしまった私。ずっと行ってみたかった奈良に行くことにした。社会人になったというのに、バックパッカーの悲しい性かな、わざと面倒くさい、辛い、遠い、時間がかかる道のり選んで、夜行バスで出発だ。

色々申し上げる前に言っておくと、私は特定の宗教を信じているわけでもない。それとはまた別次元で、宗教的なもの、それがソフトなもの、例えば慣例であったり、ハードなもの、例えば建築物でありには並々ならぬ関心を抱いている。個人的に信ずるところとして、経済やビジネスがいかに成熟しようとも、こうした観念的なものが人々の心の大きな部分を(意識しているか否かと)占めているように思える。何しろ、芸術や建築に関心があると、宗教的なものが自ずと含まれてくるのだ。それが一つの旅好きになった所以でもある。

不思議な場所だ。無数の寺とが神社を囲み、緑豊かな古都だ。中でも、建造物と自然の調和がとても興味深くて、私はふと立ち止まって木漏れ日を楽しみ、木々の間から見える遠い秋空を見渡す。うっそうとした木々は苔が生し、人工的に造られた建物と杜を一体化させてしまうかのように思う。

こういう感覚は、どうも特有な気がする。自然に、なにか神々しいものを感じざるをえないのだ。それは、仏教だ、神教だというもの以前の、どこか民俗信仰的な意味合いも含み、私が育った地域で語られる「でいらぼっち」(相模の国の巨人伝説)の世界であり、近年の「もののけ姫」の世界観にも通ずる。

と、色々考えているうちに、鹿のご一行様にご対面。餌をおくれよとうらめしい顔をする彼らを前に、私は後ろににじり歩き、一目散でその場を後にしたのでした。
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by Haruka_Miki | 2006-10-25 00:00

今日のお言葉

「行動するだけでなく、機を待てるのも一つの人間の資質だ。」
by 大学の先生。

確かに時の人たちもみな機が熟す瞬間の見極め方がうまかったなぁ。

いいアドバイスをくれるいい師をもったもんです。
感謝。
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by Haruka_Miki | 2006-10-23 00:00 |

近況報告

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色々悩んでいることも、考えることもあるさ
それもなんだかすっきり消化し、気分一掃、

十年ぶりの友達にとあるきっかけで再会し
普段はめぐり合わないタイプの人とお喋りし、
あたらしい感覚をもらい、なんだか愉しい気分。

人が自分の仕事を心から楽しんでいるのを見て
親しき人から様々な人生の決断をしたよという報告を頂き、
そういうのは清清しく、こちらまでにっこり、なんだか嬉しい気分。

自分が消費社会に侵されているという不安も、
要は自分が選択をできるだけの
その目と度胸を持っていればいいのだと実感し、
案外自分が選べば、そこまで消費社会に
取り込まれなくて済むらしいと分かり、なんだかいい気分。

じぐざぐ歩むのは遠回りで、厄介で。
悩む、考える、躊躇する。
傍目にスムーズに見える道を歩めば歩むほど、
この悩みや躊躇、拡大するものぞ。
道を外れて一からスタートが最善な道か考える。
ああ、理想主義者は面倒くさい。

けれど、それもいいさ、日々を全うしたいのさ
日々考える後は、結局は楽観主義者。
ブレークスルーして、とてもいい気分。
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by Haruka_Miki | 2006-10-22 00:00 | 五感

文語の達人、口語の達人

先日、あいにく家の鍵を閉じこんでしまい、妹の帰りを手持ちぶたさで、静かに(とはいかず、妹に10回くらい電話をかけ続け、困り果て、あきらめたわけだ)待たねばいけなかったのですが、こういうときに限って、いい本に出会えるもんです。

がっくりきて、古本屋まで行き、手持ちの小銭で、中沢新一さんの「イコノソフィア」を手にとりました。「チベットのモーツァルト」や「カイエソヴァージュ」シリーズ以来の作品だったので、少々文体に慣れるのに時間を要するのだけれど、おそらく私が一番困りつつ好きな思想家の一人。最近は分かりやすいのもありますが、基本的にアンビバレントで、情緒的で、難解で、宇宙的で、多様的で、どうも分かったような、全く意味がわからないところが魅力的なのです。じゃあ、結局わかっていないのでは意味ないじゃないか、というご意見にはご愛嬌とお答えするしかありません。ふむふむ、うーん?とブラックコーヒーを飲み、すみませーん、とおそろしくはっきりとした発声で、ウェイトレスさんを呼んで、持ってきて頂いたシナモンをひとつまみまぶしたチャイを飲み干したところで、妹はやってきたのでした。

こうして、二冊目の谷崎潤一郎さんの「陰翳礼讃」はお預けと相成りました。

話はとんで、政界では党首討論があったようで。なんだか思えたのは、書き言葉がうまい人、話し言葉がうまい人、その中でも人を説得するのがうまいひと、魅了するのがうまいひと、などと個人の持ち味はいかようでもあるんだろうなと。上で本の話があったのですが、書き言葉がうまい人が、必ずしも話し言葉がうまいとは限らないのかなと。反対もまた然り。

これはものすごく偏見に満ちたもので、ご意見・批判も多いに頂きたいのですが。日本語を嗜む人の多くは、どちらかといえば、書き言葉に長ける人が多い気がするのです。ディベートとか、演説とか、そういうものよりは。いや、やはり語弊がある。たまに思うのは、日本語という言語の特徴やエッセンスが文語向きなのではないかしらと。情緒とか、心のひだとか、精神世界とか、特に向いている言語に思えてしまうのは、やはり私の母語が日本語だからかな。かわりに、そうこれも偏見ばかりだけれど、演説するとき、何かを人に訴えるとき、説得するとき、日本語てのはどうもまわりくどいし、いらない尾ひれがぱたぱたついてしまうような気がするのですが。

言語にはまあそれなりに、向き・不向きってのがある気がするのです。
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by Haruka_Miki | 2006-10-18 00:00 |

恵比寿のセロ弾き

いつもと違う方向から帰ると、いつもとは違う風景がある。

今日は、大きく回り道をして別の方向から駅に上がると、セロ弾きのおいちゃんが、階段のつなぎ目のところでセロを弾いてました。ちょうどいい角度でチェロを持てるように、腰を落として、壁に寄り添い、それは気持ちよさそうにチェロを弾いてました。

なんだか、かの「セロ弾きのゴーシュ」みたいに、今にも動物達が集まってきそうな素敵な音色だけれど、少し下向きで歩く人の流れは、絶え間なく駅に吸い込まれてく。ふとおじさんに気がついたけれど、足を止めることなく階段を上がる自分も、その流れの一員なのです。

昔は、新宿のしょんべん横丁に流しのおじさんがきたらしいけれど、今はそれも禁止されているらしい。ちなみに、パリの地下鉄の通路には沢山音楽を奏でる人がいるけれど、あの人たちは皆地下鉄の中で演奏する許可をお持ちなんだとか。

公共のスペースとか、権力とか、騒音問題とか、いろいろなもの中で少しずつ物事は整然としていくわけですが。○○ホールで、とか○○劇場で、とかでない、サブカルチャーなアクター程、人間味があって、面白いものはないなあとたまに思います。不完全で、アマチュアで、だから時にものすごく味があるものもあるのにな。
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by Haruka_Miki | 2006-10-16 00:00 | 芸術

日常、パブロフの犬

今宵の発見。

日常的に同じ空間で繰り返しやっていること
ひとたびその一つでも変えると

空間だとか
時間帯だとか
行為の内容だとか

全然違います。頭で考えているより、これは不思議な感じです。
家から遅い時間の電話会議に参加してみて。
この感覚、いとおかし。
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by Haruka_Miki | 2006-10-14 00:00 | 五感

「すっげーんだぜ」

小学生のときのことを書いたら、なぜか小学3年生の頃のあの子を思い出した。

同級生の男の子の一人(前田くんてことにしておこう)は、とても人がいいタイプで、シャイだけど、大げさに色々なことを話してくれる子だった。たまたま同じ習字教室なるものに行っていて(習字したり、かるたしたり、小学生も忙しいもんだ)、そこで前田くんはある自慢をし出した。

「おー、そういえばなぁ、すっごいんだぜぇ」
何がすごいんだろう、と教室の子どもたちは聞いてた。

「田中(という子が同級生にいる)がなぁ、今度家族でハワイ行くんだぜぇ」

ほーっ、と皆目を輝かせた。ハワイ。そう、あの青い海、生い茂る椰子の木、透き通った空の、ハ・ワ・イ。80年代の赤や黒のランドセルの小学生にはそれはそれは刺激的な響きだった。そして前田くんは続けた。

「田中もすごいけどなぁ、うちもすごいんだぜぇ」

うんうんと聞いた。なにがすごいんだろう、エメラルドグリーンの海以上なのかしらと誰もが期待した。

「うちなんかなぁ、伊豆のなあ、民宿にみんなで行くんだぜぇ、すっげーだろ」

子どもでも、ハワイと伊豆の民宿も、随分違う場所なことは把握できたのだけれど、彼の勢いに圧倒されて、ふーんと聞いた。あとで、家に帰って面白くなって、夕飯の支度をする母に、今日は前田くんがすごく面白かったんだー、って話した。

多分前田くんは、仲良しの田中くんのビッグニュースが嬉しくて、つい自分のことのように皆に報告をし、その後、自分もいいニュースがないかなと考えて、民宿に行くんだった!って思い出した。自分のことも話して、やっぱりハワイとはちょっと違うのだけれど、小学生にとっては、それでも十分楽しみな出来事だったんだ。はにかみながら、彼は楽しそうだった。

なんか、

今私たちは満たされてて、満たされていること自体も、その意味もよくわかってなかったり、当たり前になっていたりして。

でも、幸せってそんなもんなのかも。感じ方次第で、どんなことも「すっげーんだぜ」になるんだと思う。自分の悦びも、そして人のこともそんなに嬉しそうに自慢できちゃう心の持ち主の前田くんは、つくづく「幸せ者」だなぁと思った。
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by Haruka_Miki | 2006-10-12 00:00 |