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パリ発 五感の穴

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社会部の仕事がなくなる時

大学のゼミの面々で集まった。テレビのニュース記者になったゼミ生の話を聞く。

火事、ガス騒動、交通事故、いじめ
何だ、かんだ暗いニュース、その現場に駆けつける。
休日だとか、夜だとか朝だとかそんなことは関係ない。
現場に向かい、正確な記事を書くことが仕事だ。

日が新しくなる度に、それだけ様々なストーリーが紡がれ、けれど
『ニュース性』があるか否かで、ストーリーがニュースになるかは精査される。

社会部の彼の仕事がなくなることはないだろうし、
ストーリーがない社会なんてないのだろうし、
ニュースがない社会なんてないのだろうけど。

ナイーヴにも、社会部の彼の仕事がなくなる位の世の中になればいいのになあと思った夜だったのだ。
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by Haruka_Miki | 2006-12-29 00:00 | Nippon

止まる旅がくれるもの

いつもあちこちへと動いている。自主的であれ、受動的であれ動いていないと心配になる性質である。親しき人には、じっとしているということを知らないんだから、と愛情を持ってたしなめられる。

旅が好きなのは、こうした性格に起因するのだろうか。新しいものを見て、様々な感覚が揺さぶられる。人々に不思議がられるところに行くことも多く、周囲を心配させることもある。行き先も自分の日常からかけ離れるほどよろしい、旅のスタイルも泥臭いほどよろしい。もちろん、最近では風来坊に一ヶ月以上どこかに行くことも、時間的制約の中では難しいから、旅は全くもって忙しないものであることが多い。一言で言えば、「動の旅」の醍醐味は、時間的制約の中で「激動の旅」となり、その有り様には自身が目を回すほどである。

そのようなこともあってか、ここのところ「動の旅」では飽き足りぬ。矛盾を帯びた言い方であるが、「動く」ことにがんばりすぎて、きちんと目配りができていないのではという不安にかられるのである。「静」の中にこそ発見があることもある。「静の旅」の良さと意味合いが少し理解できるようになったのは、ここ最近だ。このように考えるようになったのも、人一倍「動の旅」を愉しんできたからかもしれない。

今回、クリスマス休暇を使って「静の旅」を楽しんだ。ゆるりとした湯煙や、好きな飲み物や美味しい食事や、想像力を掻き立てる本と楽しい会話の中で、ゆっくりとした時を過ごすわけだ。

色々なインスピレーションやエネルギーが沸いてくる。今までやりたいでとまっていたことが具体化される。今の私にとって、止まる旅は次なる方向性を考える大切な時間である。
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by Haruka_Miki | 2006-12-24 00:00 |

心からSeason's greeting

今、私は年末の喧騒の外部にいる。お休みをとってのんびり温泉につかりにきている。本を何冊もバッグに詰め込んだお陰で、荷物の大半は書物という状況だ。

さて、私は年末の喧騒と、その中に拡がる静寂が好きだ。テレビをつければ、日本の外では日本のお正月よりも一足早く、今週が休暇の大移動真っ盛り。アメリカやイギリスにおいては、例年になり吹雪や霧の影響で多くの旅行客が足止めを食らっているとの報道だ。特に「クリスマス休暇」という言葉を使う必要もなく、みんながみんな家族の元へ、友人の元へ向かいたいこの季節だが、天気はそんな人々の気持ちを汲み取ることもない。

さて、12月は一年のうちでもおそらく世界的にも宗教や慣習に関わらず、イベント盛りだくさんなわけだが、当たり障りなくSeason's greetingと言っておくのが安全には間違いない。米国においてのMerry Christmasはタヴーであり、さまざまな宗教への配慮が必要な点は、日本人の感覚には(そう、特に何の意味合いもなくメリークリスマスを多用する雑食の私たちには)相容れない点でもある。

そんな中、吹雪のニュースに続いて、イギリスの某有名デパートのサンタクロースが、アジア系の家族に向かって、「なんでアジア人がここにいるんだ」との暴言。なんとなく、悲しい。

宗教への関わり方が世界的に難しくなってきた今日この頃、表面的なあいさつでいざこざを回避したいのが世の風潮だ。そんな中で、自分とは異なる宗教や文化圏での慣習に触れることも、話すことも、意見を交わすことも控えることがよしとされるのだ。もし、上の場合で、その家族がクリスチャンであったかとしても、その哀れなサンタクロース役のアルバイトの彼には、アジア人のその家族は残念にも「他者」でしかない。

f0079502_1251723.jpg私はクリスチャンではないけれど、クリスマスの雰囲気が大好きだった。米国の中でも、特にクリスチャンが多い地域であるかもしれないが、その雰囲気にある程度浸かり、その時期の意味合いを自分なりに理解することは、ゆくゆくは相手の理解にもつながった。ユダヤ教徒の友人に、ハヌカの伝統を教えてもらうことは、それもそれで興味深いことだったのだ。クリスチャンのとユダヤ教徒のカップルがいて、家族ぐるみで仲良くしていた。彼らは、互いを認めることが自然で、その姿に学ぶところは多かったのだ。

Season's greetingが慣例的な言葉ではなく、相手との差異を汲み取る言葉であり続けますように。思いやりと慈悲が裏側にあり続けますように。
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by Haruka_Miki | 2006-12-22 00:00 |

Mother

f0079502_092917.jpgOkay so she is amazing.

She's greater than I ever thought. She's full of wisdoms based on her own experiences. She knows me more than anyone else. She accepts what I do, what I think and who I am. She gives her frank opinions and I'm greatful for that.

Talking to her, I feel I'm still a kid. There is much gap to fulfill inbetween you, an experienced woman and myself, still trying to strive to know more.

You inspire me a lot mother!!! Arigatou for being there and being who you are.
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by Haruka_Miki | 2006-12-20 00:00 |

通った道、通った道、第三の道

最近は、自分の世界がいかに狭いかを知り、出来る限り違った人に会えればと思う。特に、女性の生き方とかキャリアとかを考えるにあたり、女性の人生の先輩と話をするのはいいもんだ。機会を見つけては、様々な人々の話を伺いたいと思っている。人にお話を伺うというのが好きなのは、大学時代に大学新聞の一記者だった頃から変わらぬものかもしれない。

今日は通訳をされている方の話を聞いた。大変著名な方の右腕である。スマートで颯爽とされていて、言葉のプロだけあって言葉選びが賢明で、素敵な方だった。

興味深かった話は、彼女が今のキャリアを15年前に描いていたわけではないことだ。漠然とした関心であったり、興味があり、それをもっと短期間に区切って極めてこられたわけだろうが、これをしたいという志一偏に生きてらっしゃったわけではない。その瞬間で出来ることを精一杯されて、その時の興味関心に合ったものに全精神を注がれてきた結果今があるのだ。そう話される彼女は、自然体で沢山のインスピレーションを頂いた。

彼女が通った道は、私の道ではない。第三の道もあるだろう。けれど、先人の道しるべは、とても心強く、心地よく、激励と温かさに満ちている。

感謝の念をここに。
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by Haruka_Miki | 2006-12-17 00:00 |

"False food"

Let me say that I'm a proud consumer supposedly eating healthy food and taking as many safe products as possible. I try to take as much organic vegetalbes and fruits as possible, eat as safe fishes and meats from ceritified stores where they don't use chemicals to grow fishes, chickens, pigs and cows as possible.

As a health conscious consumer, there are a few words that attract me; "organic" and "non generically engineered". Then the question comes. How can I prove that what I eat IS really safe products? In another word, what I read in the label at the back of each product really IS true always? The answer could be NO.

ORGANIC- My family is a member of some coop stores, and we enjoy buying products from them because they provide reliable informations to shoppers that their products are safe. Not only safe but their foods are very tasty and fresh. However, we can't buy from the stores all the time, Sometime, we need to run to the conventional food stores (yes, the word "conventional" was used as a comparison to "organic". I saw that word first time when I was in NYC at super market chain called Whole Foods Market. The shops were popular among health-conscious new yorkers.) Even it says "organic", can we be really certain that they are really "organic"? How comfortable can we be when we look at the label?

NON GENERICALLY ENGINEERED (GE) - So my sister brought back home an interesting brochure called "True Food Guide" one day. This free brochure tells whether the products with non-generically engineered really labels ARE non generically engineered or not. They come up with the products we can purchase at the store and how some of them are actually GE products even they state they are non-genericlaly engineered! The booklet decides whether the product is GE or non-GE as based on the producer went through the certain processes to prove that they are non-GE products. Surprisingly, some of the producers are not going through these processes and still labeling their products as non-GE.

Well, so after all, we can never be 100% certain of what we eat. Still, as long as we have strong interests of knowing what we eat, we can at least prevent the world to go to the whole chaos of "don't know what we are eating but oh well" situation. It's us who consume and isn't it a fair right to advocate this? After all, what we eat come back to ourselves!
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by Haruka_Miki | 2006-12-14 00:00 | 経済的営み

あげる、あなたに

クリスマスが間近なので、大切な人に何をあげようかなと思案する時期である。友人には、少し早いけれど、次にいつ会える分からないしと逆にプレゼントをもらったりして、嬉しい。贈呈する、されるてのは、やっぱりいいなあと思う。

プレゼントというのはなんともいいもんだ。もらうのも嬉しいし、あげるのも楽しい。そんな理由で、お歳暮の季節は何かと楽しい。歳暮と無関係な年頃である。むしろ前出のクリスマスだとか、はたまたバレンタインデーの重要性を痛感する年頃だろうが、どうも歳暮という慣例はまたいいなあ。歳暮商戦と揶揄されるが、それはそれで個人的にその賑わいは好きだ。時代が変われど、風習は続くのだ。なんとなく、それは、近所のおばちゃんが夕暮れ時にやってきて、親戚から柿が沢山送られてきたのでどうぞ、という感じである。その親分的な存在が歳暮である。

歳暮にあたるか、クリスマスプレゼントにあたるかは別にして、大切な人に何をあげようか考えるうちに、例年であれば、それなりのものを自分で見繕うわけだが、今年はその人に何が欲しいのか聞く作戦にでた。父にせっかく何かをあげたところで、たんすの肥しではちとさびしいし、母は華美なものよりも食器など身の回りのものを好むし、妹は私と異なる美的センスの持ち主である。それならいっそ、おおっぴろげに聞いてしまおうという話なのだ。

これが案外吉と出そうで、何をもらうかという驚きは薄れる代わりに、実に実用的でもらう側も嬉しくなれる。何が欲しいか差し上げる相手に聞くという風習は、一風日本の伝統に沿ったものではないかもしれないが、欧米でベビーシャワーがあるように、それはある意味もらう側の立場に立ったありがたいプレゼントの仕方なのかもしれない。
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by Haruka_Miki | 2006-12-12 00:00 |

国家、権力、それよりも今の関心は朝ごはん

あいにくの雨だから、雑穀ご飯に、きのこと赤ピーマンとホタテの炒めものを作って、おとなしくブランチをする。濃い目の緑茶ももちろん頂く。本降りの中で、前のお宅が堂々と洗濯物を干しているのは気になるが、おっぴろげに生活をする東欧からの隣人の生活は、今日に始まったことではない。彼らの隣に住むことは、さながらヒッチコックの「裏窓」のようである。雨でも晴れでも洗濯があればとりあえずは干してみるというのが、彼らのポリシーのようだ。だから、お節介はヤメにして、彼らのポリシーを尊重しようではないか。

ゆっくりめの朝食の片手間に広げた新聞より。今日の、ニューヨークタイムズからの記事はなかなか面白かった。イラクの研究グループのレポートの詰めの甘さを指摘する内容だが、書き出しはこうである。

"You can train an army and police force in the best academies... You can arm them and provide them with laminated IDcard... But if they do not identify with the nation they represent - in this case, Iraq - you have a problem... The report's premise is that Iraq is a country that eisrs eather than a country that nees to be unhered into being, a process that is generational undertaking. that is a dangerous assumption.." (International Helard Tribune, Dec 9-10, 2006, page 2, extracted from an article by Roger Cohen)

通常であると、国家という確固たる(としておく)枠組みがあり、その中に暮らす人々の平和のために警察がある一定の権力を司るという流れだが、枠組み自体があってないようなものなのに、そこに権力をぽっと置いたところで、うまく機能するというのはちょっと甘いんだよ、と記者は言う。

と警察という組織のこの国における難しさを横目に、今朝の新聞ではまた、中国におけるThe act of public shamingの強化が一面を覆う。深川における娼婦達のデモを受けて、警察による取締りが強化されているという内容だ。記事では、これを受けて、中国国内でも違法行為はきちんと対処するべきだが、こうした政府の政策が時折行き過ぎたものを気にする人々、人権上の問題点を気にかける人々が、ウェブ上のコミュニティでこうした心配を書き記しているとのこと。

外に目を向ければ、国家、権力が強大化した際の多大な問題点を思い、その反面、ある一方の場所では国家という枠組みやある程度の権力の必要性が見え隠れする。しかし、私自身はといえば、この暖かくゆったりした家の中にいる分には、そのようないことに目を向ける必要さえない。ああ、70年代に井上陽水が「傘がない」を歌った時代から、進歩はあるのだろうか。
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by Haruka_Miki | 2006-12-09 00:00 |

女性の生き様

母と話すと、最近新しい発見がある。母はいつまでもママであるが、女性同士としての話ができることもあり、自分がそれなりに年を重ねてきたこと、そのレベルで話してもらえること、その喜びを感じる。

母は、一人の日本人女性で、プロフェッショナルな主婦としての顔を持つが、それだけでなく、ある意味でとても先進的な人だと思う。私と妹にとっての大切な母であることは間違いなく、こどもの幸せを願ってくれている無二の存在だが、たまにすこーんと竹を割ったような潔さを見せ、その言動に驚くこともある。

驚きの多くは、母の子どもとして感じる場面が多いことは間違いない。私がウズベキスタンに行こうが、タンザニアに行こうが、気にする素振りはなく、幾分か心配をかけていることは間違いないが、それを見せずにどんと構えている器の大きさがある。

その他、祖母の面倒を見るという大きな人生の仕事にじっくり向き合う温かさと忍耐力には頭が上がらない。自分を犠牲にすることが多い人生を、苦と思わず、それも女性の人生の一つの過程だと受け止められるのは並大抵のことではない。

それだけでなく、この間話をしたときは、母の女性としての一面、人としての一面に触れられて、そうした話ができたことは本当に素敵だなと思えた。それは、愛する男性のことであるが、父と母が連れ添ってそれなりの年月が経つ。母曰く、「家族の核は夫婦。カップル。子どもはもちろん大切で、沢山のすばらしい経験や悦びを与えてくれるけれど、それも全てカップルが基本。」子煩悩の母だからこそ、その言葉を聞いた時には一種の感動を覚えた。カップル文化よりも、お子様主導の世の中であるからこそ、その考え方は新鮮で、そう言い切れる母はとても素敵な一人の女性だ。

母は永遠に唯一の母さんだが、お母さんである以前に、最近一人の女性としてすこぶる大きな存在である。
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by Haruka_Miki | 2006-12-07 00:00 |

"El amor en los tiempos de colera"

I'm reading a book of Gabriel Garcia Marquez, "Love in the times of Cholera" (邦題:「コレラの時代の愛」).

Gabirel Garcia Marquez is definitely one of my favorite writers. I enjoy his view of the world full of colors, especially his observations and depictions of the world around the characters are just astonishing. Definitely the theme of the books may differ, but I feel sometihng similar when I read books of another favorite writer of mine, Kenzaburo Oe.

But hey, it takes as long as 21 years for the book to be tranlated into Japanese! Well, the book itself was originally published of course in Spanish in 1985. If I have to wait so long to read good books written in foreign languages, that alone gives a good reason to study foreign languages. If you can wait, you can expect some good translations, especially the translations for the top class writers'books. For this, the translation version of Garcia Marquez is of course magnificant. I've started reading in Japanese first and I can still feel the breath and the dinamism of the writer.

Thesedays, I'm much interested in the romance of elderly people, something that has been hidden and ignored from society. Okay so I'm just in my twenties and I AM in the age that society recognizes that we SHOULD be in love. Well, why only us?
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by Haruka_Miki | 2006-12-05 00:00 | 芸術