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パリ発 五感の穴

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Pink-Purple-Publivate?

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Happy Saturday. What can you expect more than waking up late, reading a book in a bed with a cafe latte bowl right next to yourself and having a lazy Saturday afternoon in a cozy cafe. Well, that sounds like Daisy in Great Gatsby..

Today, I had a late afternoon tea at Cafe Lotus. My friend was knowledgeable enough to notice Mr.Uichi Yamamoto, the producer of the cafe who was sitting right next to us. The wall of the cafe were painted in bright pink and purple, which only made me think of the works by my favorite Mexican architect, Luis Barragan. I somehow wished if I could paint one of my wall at my place, too.

So we gathered. One of the friends works for government, another works for semi-private company and I work for THE private company. The mission of the organization we work for indeed was different from politics to economics and from public welfare to profit making. We all chose for what we aimed for with the idea of what we prioritize in life. But somehow I was perplexed.

f0079502_2141028.jpgI decided to work in private organization because I knew private organization is the best place as theoretically it is the most efficient, effective, pleasant and least political. Yes, that was true after working for the company. By choosing these values, I didn't choose the values that non-private organizations may aim for, such as working for goods of society, despite the less efficient and potentially more political environment.

But wait, can't we ever aim for both? I was always this way. I wanted to be "Classical" and "Bohemian-chic", "Matured" and "Fresh", "Energetic" and "Selene". People say you can't get both! Am I too greedy or do I avoid to face the reality? In a bigger picture, we can never really differentiate the mission of an organization. Each organization should exist for the goods and happiness of earth, public, society and an individual. You are just dreaming, one will say. I am just dreaming, I will say. Then I just read a brilliant book called Let my people go surfing.

I was really perplexed in a pink and purple room but never in a negative way. It was a state of question for a possible break-through.
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by Haruka_Miki | 2007-03-31 00:00 | 経済的営み

TIF②エイプリルフールと言える世界で死を見つめる

芸術は、ただ綺麗だとか、美しいだとかの印象や残像をもたらすだけでなく、メッセージ性を持って、時に私達の心に差し迫る。そのメッセージは、時に綺麗事では済まされず、残酷で、重い現実を、現実以上の形でえぐりだすように思える。少なくとも、私が芸術に惹かれる所以はそこに大きくある。週末に観に行った東京国際芸術祭で、レバノンの奇才、ラビア・ムルエ氏による初演「これがぜんぶエイプリルフールだったなら、とナンシーは」はまさに、この芸術の魅力を存分に魅せつけていた。公演後には、演出家で脚本家で俳優のムルエ氏本人によるポストトークも行われ、興味深い三時間であった。

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黒い三人掛けのソファ。狭そうに座る四人の登場人物。色鮮やかに変わる映像。長方形の白い床には、アラビア語のテキストがところどころで映し出される。人の動きがほぼない変わりに、映像は刻一刻と変化する。

それは、レバノンという国の血なまぐさい歴史を如実に表す作品である。レバノン国内でも、国民間でも様々な党派間の闘争が続く。多くの人々が凶弾に倒れる。では、その血の歴史が、明るいレバノンを創ったか。答えはノーである。現在の緊張に見られるように。

作品の中で、登場人物は、それぞれ自己紹介をすませると、自分がいかに「死んだ」かについて語り始める。時に順番に、時に重なり合うように。始め一人には一つの「死」があるかと思っていれば、そうではない。四人の登場人物は、レバノン内戦から2007年に至るまで、彼らは何度も「死に」、また「死ぬ」。私達観客は、彼らが死を演じるのを見るのではなく、彼らが自分の死を語るのを目撃する。四人の背後にある四枚のパネルには、その死の語りに見合った様々な映像が映し出されては、次の映像に変わっていく。奇妙な光景である。

その一見不可解な舞台装置と登場人物の語りは、ある種、同胞内にさえ、様々な意見が存在し、それ同士が反発・吸収・同盟・離別・利用し合うグループの存在、そのグループ間の闘争という哀れなレバノンの歴史を浮き彫りにしているかもしれない。またこの地域における『死生観』のようなものを映し出しているのかもしれない。

ムルエ氏が後のポストトークで強調したように、芸術とは、観る側が、それぞれの感性によって、自分なりの理解・解釈・印象・意見を持つものである。『正しい答え』は一つではない。とはいえ、レバノンという地理的にも精神的にも一見すると遠い存在を、己の観方だけにとどめておくのは余りに惜しい。実は、今回の作品には、思想アドヴァイザーがいらっしゃり、それだけに、作品の中で感じ取られる政治的・社会的意味合いには受け手が思う以上に綿密なプロットがあるようにも思える。

だからこそ、観る側としては、自分の解釈や疑問を投げかけたくもなる。ポストトークでは、その際に生じた疑問をムルエ氏本人に投げかける貴重な機会もあった。私は一つの質問を伺った。「作品で明らかなように、この作品で登場人物は何度も死を繰り返す。一度死んだのに、なぜかまた死ぬ。つまり、それは生物学的な『死』ではない。おそらく、百人百様の『死』というものがあるのだろう、では、『死』というのはムルエ氏ご自身にとっては何ですか」

ムルエ氏ご本人は、たいそう困った顔をして、「そのご質問は重要な質問です。が、残念ながら私からはお答えしかねます」と言われた。困り顔のムルエ氏に変わってお答えになったのは、思想アドヴァイザーのジャラール・トゥフィーク氏であった。氏曰く、おそらくレバノン人は死に方を知らない。自爆テロというものが世間で知られるようになって久しい。さて、自爆テロに出かける人は『二度死ぬ』のだと言う。まず、これから自爆テロに出かけるという表明をある一定の形式でビデオに収める。その後、身体的な死が待ち受けている。

その後で、ムルエ氏も口を開いた。興味深いことに、氏は自分が70年代以降何度も死んでいるとおっしゃった。もちろん氏はご健在であるわけだが、様々な政治的紛争が起こる度に、彼は国同様傷つき、心臓はえぐられ、皮膚はただれ、心痛以上の想いをされているに違いない。だからこそ、『死』はただの身体的な死ではない。いくら人の死が増えようとも、国内の状況は良くはならず、国はバラバラのままで、人々は当惑・疲労困憊・怒ったままである。

さて、私たち、レバノンの外の人間にとっては、その現実はあまりに非日常過ぎて想像もつかず、嘘のような話しである。そう、エイプリルフールのようである。ムルエ氏がこの作品につけたタイトル「これがぜんぶエイプリルフールだったなら、とナンシーは」は、あるアメリカ人のジャーナリストナンシーが、パレスチナの惨状を見て書いた記事のタイトルからつけられたとのことだ。

さて、舞台はナンシーはパレスチナとは変わってレバノンである。

ムルエ氏がどれほど心を痛めようと、もがこうと、それは彼にとっての現実である。エイプリルフールだったらと望むことさえ虚しい。それに引き換え、私は、そう、その舞台でムルエ氏が舞台の一部で、私はそれを観る側であったことに象徴されるように、エイプリルフールだったらね、と言ってしばらく現実に対面しないことを選ぶことができる世界に生きているのだ。

「彼」と「私」で、死の迫り方・速度・度合いが比にならぬことを、舞台をもって知ったのだった。

ラビア・ムルエ氏過去作品集(東京国際芸術祭サイトより)
http://tif.anj.or.jp/movie/rabih.html
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by Haruka_Miki | 2007-03-27 00:00 | 芸術

ほろ酔いのプロポーズ

タイトルで、どきっとされた方、すみません、それが狙いです。

金曜日です。大学時代の第二外国語のロシア語クラスの先輩と、ゼミの先輩とで麻布十番でご飯に行って参りました。ひょんなことから、三人が共通の友人だということが分かり、今に至ります。奔放な私を受け止め、激励してくれる有難い先輩方です。

今宵のお題は興味深いものでした。先輩の一人が、お付き合いしている彼女へのプロポーズを近いうちにするビッグニュースが飛び出してきました。プロポーズに至るまでのプラン、どのような場所でするかなどの段取りを聞いているうちに、私ともう一人の先輩まで、便乗して高揚し、ドキドキしてしまいました。そして思ったのは、一概に言うことはできないとはいえ、女性は女性でロマンをもちろん求める生き物であることは確かなのですが、男性はそれ以上に、もしかしたらロマンチストなのではということです。まあ、男性には一生なれないので、客観的な比較ではなく、あくまで主観論です。女性は漠然と、ロマンを求めるような気がするのですが、先輩の話を聞くと、どうも男性はロマンのための色々を、きちんと考えているように思えたのです。

一世一代のことであるから、プロポーズは素敵なところでしたい、という先輩の話は全うです。女性としては、男性がそこまで綿密にプランをしているのを知ると、感動・驚きさえするのです。そこで、私は、導入したばかりのテレビで見たCMを引き合いに出し、「SoftbankのWhite PlanのCMで、彼女にプロポーズする場面は自然でいいですよね」と申しました。それに対し、先輩二人は、私の認識に反し、「あれこそ、相当準備を重ねている、あのシチュエーションであれを言うには、事前の準備は必須だ」との見解でした。おまけに、「おそらくあれを言う日は、会社は半休はとって備えていたに違いない」という可能性さえ示唆されたのでした。これは、目からウロコです。

こんな会話の後で、わたしは、カンバセーションズという映画のキャッチコピーは、ある意味的を得ているのではないかという気にさえなりました。

「男はずるいロマンチスト 女は罪なリアリスト」 - Conversations -
真相やいかに。
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by Haruka_Miki | 2007-03-23 00:42 |

書物連鎖 -Appreciating book chain-

"The texture of the book or magazine is important. You can 'view' the book online and eventually, we may live in the world without any paper press but to 'touch' and 'feel' the texture of the publication is something special", said my friend a few years ago. I agree with his statement even though I admit I'm a big shopper at Amazon and in a long term future, all the paper books may be substituted with online books (yes that's more efficient and in fact earth friendly).

When I have a chance to take a promenade from Ebisu to Daikanyama, I stop by at hacknet Daikanyama, a book store specialized in designs and arts related books. I enjoy skimming through book to book to find some new inspirations. The inspiration makes the next inspiration arise and my curiosity gets deeper as it goes through this process, which I say "book chain" just like "food chain" in a way. This could be possible in the interplay of book shop online and offline.

f0079502_09257.jpg The first book (found at the book shop in street): 百年の愚行 One hundred years of idiocy
The title was so catchy and caught my eyes when I walked in to the book shop. The Japanese title is indeed very sharp, too. The book was quite powerful unvailing the idiocies humans have done for the last hundred years, such as war, poverty in terms of "man-made disaster" and environmental destrucion. There aren't so many words and the picutres as a whole play a critical rule to state their message.

I looked at the babies who were born with body shapes affected by the incidense of Chernobyl, the street children sleeping in the street corner of Phnom Penh and the trees cut which are piled up hight to the sky (yes, the piles are so high but the trees are laid down and they can never grow higher as they could). → The feeling created: sadness and shame to ignorant & powerless myself. I felt desperate and regretted I was just an obsorver for such issue afterall.

f0079502_092995.jpgThe second book (found online): Good News for a Change: How Everyday People Are Helping the Planet グッドニュース 持続可能な社会はもう始まっている
Thanks to reading the first book, One Hundred Years of Idiocy, I came home and searched for the books related to this topic. Then here was the book which could give a slight light to me, who was torn down by the shocking images I saw in the first book. →The feeling created: a slight hope and positiveness to affirm what we could improve in future.

So it goes on and on. Thanks to the modern technology, wonderful book store in the street and the friendship circle, the book chain only evolves and never stops. Enjoying the book chain defenitely changes my mentality and affects what I can and want to do from tomorrow!
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by Haruka_Miki | 2007-03-22 00:00 | 経済的営み

イスラームの時代

出版社の回し者以外の何者でもないようなのだが、イスラーム金融の感動をもう一度、ということで、勝手に感傷的な私のこの想いを。

いつもの帰り道、恵比寿駅東口で人の波に流されそうになりながら歩いていたところ、キオスクの本置き場には全く似つかわしくない『イスラム』の文字が赤字で躍っていた。通常ならば、キオスクでお買い物は殆どしないのだけど、その瞬間に千円札を出している自分。イスラーム病の発病である。世の消費者は、ものが必要か否かではなく、購入することに満足を覚えるとの談もあるが、この日私は、必要性と購入欲の両方を、瞬時に満たされた思いだった。

『イスラム』の文字の正体は、雑誌を購入してからやっと冷静に確認した。3月24日の週間ダイヤモンドは、何を隠そうイスラーム特集の号で、イスラームと経済と言えばおきまりの、オイルマネーに起因するイスラーム圏の活況ぶりについての記事はもちろん、少数派である、驚くべきイスラーム金融のいろはまでカバーしている。f0079502_2140526.jpg

なぜここまでの、正気を逸脱する購入行為に走ったかと言えば、申し遅れると、私は曲がりなりにも大学でイスラーム経済のゼミに在籍していた。イスラームに関心を持ったのはもちろんだが、レトロなこげ茶の窓枠が素敵な教授棟の一室にある先生の部屋で焚かれる香の薫りに惹かれたと言った方が正確な気もする。その香の薫りに惹かれてから二年間、イブンハルドゥーンの歴史序説や先生のご専門であるエジプト地域経済の話も含め、お菓子とお茶とナツメヤシを頂きながら、時間を過ごした。その中で後半取り上げたのが、イスラーム金融だった。

二年前であれば、ポピュラーな週刊誌にこうしてシャリーア委員会(金融取引や商品等、事細かにイスラーム法への適合性を判断する委員会。イスラーム法学者で構成される。なお、記事によれば、国際協力銀行も法学者を抱えているとのこと。そこまでは存じてなかった。)のことを取り上げることもなかったと思う。時代は変わった。思わず嬉しくて、ゼミの先生にお便りしたいところだが、「どうも骨のある議論よりはバブルな雰囲気ですねぇ」とにこにこしながら、辺りの騒ぎを遠巻きに見守るようなことをおっしゃるのが、目に浮かぶ。バブルで終わらないことを、元ゼミ生としては願って止まない。
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by Haruka_Miki | 2007-03-20 00:00 | 経済的営み

TIF①: body, identity and religion

f0079502_22173552.jpgIt's been a year since I've worked as a weekend volunteer for Tokyo International Art Festival(TIF) in 2006. I was honored to be invited to a perfomance, "Corps Otage囚われの身体たち)" by Familia Productions, a company from Tunisia for this year's TIF.

The themes of the play were so heavy, real and deep for Friday night after work. Although the sub-themes it covered are vast, I felt that there's one main theme; "identity". (1). Social and group identity in term of a social instability and concern exploding as a result of 9.11 in Tunisia. (2). Individual identity crisis as young generations are so confused of who & what they are, and why they exist. Finally, (3). Identity as a key element bouncing in between society and individual after incurring the impact which affects all the "Islamic society" and "Muslim".

The play talks about such theme in a context of "body". The play takes place in Tunisia, a peaceful Maghreb country. The themes of the play are posed to the audiences as we go through the dramatic story of an Tunisian woman, a daughter of a couple, extreme leftists, anti-religion campaigers and bohemians, who discovers her strong belief in Islam after encountering 9.11 when she was studying in Paris. After coming back to Tunis to become a French-language teacher, she was rejected by her parents for being Muslim. After some struggles, she starts room-sharing with another high school teacher, who eventually bombs herself in a middle of school yard. That's when the woman starts going through the crazy investigations of police. The questions are as follows; Why the school teacher bombed herself? Was she an terrorist? Is it the religion which made her do that? What is to be Muslim?
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Such themes are posed in a relationship with the concept of "body". What am "I"? Why do I dress like an oxidental woman? Why I don't hide my hair? Why don't I wear a traditional Tunisian cloth and scarf? The daugther chooses to go return to Islam. On the other hand, the bohemian mother laments. Why my daugter hides her beautiul hair and body? Why she chooses to conceal herself and abondons to be herself?

Although the story talks about Tunisian society, people and Muslim, the themes are rather universal and thus I can never be the "third person" to these topics.
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by Haruka_Miki | 2007-03-18 00:00 | 芸術

この時ここであなたと

今日は昼下がりから夜まで、自宅にて友人らと集まりました。お家で集う珍しい機会でした。家はわいわい大盛況で、参加された方は幾分窮屈な思いをされたかもしれません。が、おかげさまで、大変優しい時間を過ごせました。

f0079502_23541380.jpg寝坊した私は、ほうれん草とベーコンのキッシュをオーブンに入れ、ニース風サラダと、鮭と大葉のまぜご飯を早めに来た友人の手助けも得て超特急で作り、あとは来てくれる友人皆に一品持ち寄りをお願いしました。ものぐさな私も、こうして皆の力を借りれば、パーティも意外とできるものだと、感謝感謝なのでした。

土曜日の昼下がりからお喋りに花を咲かし、とても楽しい時間でした。西日が入る時間も、うるさすぎぬ温かい空気が部屋中に漂い、ゆるく心地よい気分でした。持ち寄りの品々、頂いたものは心のこもったものばかりです。

感傷的なノスタルジーや、気持ちは、世の流れに合っていないかもしれませんが、どう言っても、青臭くいくのが自然なスタンスならば、それを認めるしかありません。忙しい合間を縫って、皆で一堂に会すこと、それはものすごいことで、素敵なことで、ありがたいことで、胸がいっぱいになるのも訳ないのです。

いつも友人からは、正真正銘、最高級の笑顔を頂きます。写真の表情がこの上なくよいのです。お布団に潜り込む頃には足の先までぽかぽかの温かさを頂きます。これもしたい、あれもしなくちゃ、の刺激を頂きます。

ありがとです。
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by Haruka_Miki | 2007-03-17 00:00 |

ヴァンサンカン

昨夜、町田康の『パンク侍、斬られて候』を読み始めて、いつもながらの町田氏の独自の世界にはてなで頭がいっぱいになっている間に、めでたく25歳になりました。

元来、日本人ということもあり正月や桜の季節でものごとを区切る癖は、私にももれなく当てはまりますが、誕生日というのはまた一味違った区切りになります。365日、毎日どなたかの大切な区切りです。

ここ最近の自身の誕生日を考えてみました。ミシガン州でプロムのドレスについて試行錯誤し、モロッコ~ポルトガルの旅の途中のエジンバラの街で炭焼き鰯を三匹食し、カンボジア~マレーシアの旅の途中でプノンペンで友人の親戚の婚約式に参加し、その後は日本で静かに過ごし、ペルー・リマの友人宅にお邪魔し、また日本で穏やかに迎えるという、「外への旅行」と「国内での落ち着き」を繰り返しているといっても過言ではありません。一年のうち一日の動向一つでも、ある意味私という人間の有り様を表しているように思えてなりません。

ともすれば、一日は余りに短すぎ、一時間は更に短いわけですが、その積み重ねが大きなところでは、想像力を豊かにしたり、知恵を蓄えたり、何かを成し遂げたりにつながるみたいです。そう考えると、いまこの瞬間を誠に生きねばと思う生真面目さあり、まあ気長に見てみればいい、という気楽な面もありの自分です。25歳は相対的に見れば青二才だったり、いい大人だったりすると思いますが、四半世紀はそうそうないですし、ここは相対的かつ絶対的な何かを見出せる年にできればと、ささやかに、しかし欲張って思う今日です。

メッセージやお祝いを頂いた皆さま、ありがとうございます。この場を借りて、お礼申し上げます。素直に嬉しく、楽しく、元気な、温かい気持ちになります。どうぞ今後とも、引き続きご指導と叱咤と激励と笑顔とウィットとユーモアをお願いいたします。
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by Haruka_Miki | 2007-03-15 00:00 |

Surpassing "just cutting out the reality"

Thanks to my employer's social benefit, Mori museum has been a casual meeting spot just like a cafe at a street corner when I meet someone around Roppongi Hills. It's not the most proactive way to enjoy museums compared to the time when I go to the other arty, not so commercial museums. Proven to that, Mori musuem definitely offers a new way of enjoying museum, "casual" in the "commercialized" atmosphere. The Mori, whom I believe to have had a great impact to the trends among Japanese museums sometime offers such a "lovely" exhibition.

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Not only lovely, but in fact I was moved by their most recent exhibition, animal totems: a prelude to ashes and snow by Gregory Corbert. Gregory Corbert is a Canadian artist who takes sepia-colored pictures and films of animals and humans. His work chooses and cuts a piece of reality and make is something internal and deeper than that. Nature, animals and humans are dynamic and regarded as one "organic" as a whole.

f0079502_22525452.jpgThe exhibision is a pre-show to Gregory Conbert's main exhibition, ashes and snow which just started yesterday at Odaiba. The museum named "nomad museum" is indeed "nomad". The exhibition has been travelling around the world but exhibition isn't the only one travelling. The museum itself is made of tons of containers you may see in dock. Once the show is over, they'll be taken down and used as a normal container once again.

Luckily, I had a chance to see Gregory Corbert, the artist himself in Odaiba. If I wasn't wrong (as besides myself, no one noticed he was Mr.Corbert himself), the guy with long hair tied at the back who was walking casually around the museum must have been him. It seemed that he was also an organic individual with such tender eyes. Perhaps, we are touched with his art or in another word, who he is or the way he looks at the world through his eyes and he regard the world with his mind and heart.
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by Haruka_Miki | 2007-03-12 00:00 | 芸術

和敬静寂を持ち帰る

お茶の教室に通っています。初めてのお茶会でお会いしたご婦人がおっしゃったように、続けること、を続けられたらと思います。お稽古の時には、日々ではなかなか考えることもない、和敬静寂の気持ちでいっぱいになります。たまたま席を共にする社中の方々との語らいは、なんとも安らぎに満ちたものであります。

和 互いに仲良く
敬 尊敬し合い自らを慎む
清 見た目だけではなく心の清らかさ
寂 どんな時にも動じない心

今週のお稽古時の茶花は、「木五倍子(きぶし)」という花と椿でした。果実に含まれる成分が、黒色染料の五倍子(ごばいし)の代用とされていたこと、また形が藤の房を彷彿させるので、木藤(きふじ)が名前の由来だそうです。私にとっては初めての出会いだったので、まじまじと見ていたところ、帰り際に先生がその日のお花を持たせて下さいました。「つぼみの椿だからこれから咲くわよ」と言われて、顔をほころばせながら帰路につきました。
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あいにく、茶花用の水差しが自宅になかったのですが、水切りをしなくても、活き活きとして生命力を感じ、共に穏やかな週末を送れそうな予感です。ちなみに、木五倍子の花言葉は「待ち合わせ」だそうです。春を待ちわびてるんでしょうか。
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by Haruka_Miki | 2007-03-10 00:00 | Nippon