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パリ発 五感の穴

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学生と働き人の決定的な違い

図書館てのが好きである。本が大好きで、と学識ぶる気は毛頭ない。どちらかと言えば、そこに集う人の雰囲気が多分好きなのだ。専門書で埋まった棚が高く備え付けてあって、静けさの中で、自分がいる隣の列を人が通るのがかすかに見えたり、足音が聞こえる感じが好きなのだ。だからといって、互いに干渉することなし。それがかえっていい。と、随分コアな話である。

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大学に行っていた時と今で何が一番違うかと考えてみたら、決定的な違いは図書館をめっきり利用しなくなったことだと気づいた。気づくのに三年を要した。久々に大学に足を運んでみる機会があって、真っ先に足が向かったのが図書館だったことで気がついた。

衣食住の面で言えば、思っていた程は変わらない。趣向や行動パターンにも大きな変化はないのだが、図書館を利用しなくなった代わりに、ネットで本を購入してしまうことが圧倒的に多くなった。音楽なども含めて送ってもらえる手軽さは何ものにも変えがたい。情報に溺れ、それを売買するのが当たり前の生活だけれど、やはり自身で購入する本の種類も、本棚ぎしぎしに積まれた本たちとはまたちょっと違う気もする。何より、ネットで本を買うと、購入のたびに私の好みリストが構成されていって、自身の世界に浸かるよりほかない。空間的な拡がりはもちろん、趣味の分野でもどんどん内面を掘り下げていっている気がする。

学校の図書館を利用させてもらうのもありなのだけれど、どうも足が遠のく。公立の図書館も蔵書が豊富でレアな本が所蔵されているところもあるけれど、いつもいかないと私もよそ行きだ。ちなみに、日仏会館は利用者もいい塩梅で少なくよい感じである。

本を読むという行為自体は、本&私というかなり個人的な時間なのだが、どうもその個人的な時間を思い思いに過ごす人々に囲まれるのが大変心地よく、なんだかんだいって自分が社会的な生き物だなぁと思う。
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by Haruka_Miki | 2007-10-31 00:00 |

作って食べる日曜日

旅中にヘビーローテーションだった、Nada SurfのInside of Loveが引き続き部屋にはかかりっぱなしです。音楽は、様々な記憶を呼び起こすものです。朝焼けの海とヌーメアの街の上の丘から見た幻想的な情景が思い浮かびます。5年前とそれなりに古い曲ですが、Tahiti 80やAIRに似た柔らかな雰囲気です。

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台風一過で気持ちがいい日だったので、自転車チャーリー二世を飛ばして買い出しです。公園でやっていたイベントで、有機野菜が美味しそうだったので買ってきました。この日のお店の一押しは、人参と紅玉。おすすめのまま購入。人参は、まるでアニメのうさぎのようなんですが、人参の葉っぱってどう食せばいいのでしょう。食せるのでしょうか。大根の葉っぱ位しか食べたことなく。その他、ミントの苗を購入。願わくばちゃんと育てて、モロッコポットでミントティを飲みたいものです。

紅玉は、紅玉→酸味がある→お菓子に適している、というそのまんまの思考回路のもと、アップルパイに。あまり考えずに作っていたら、あらまあ随分寸胴なりんごパイになってしまいました。次回はさつま芋も入れてみよう。
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なかなか平日だと、きちんと作って食べるを毎日はできないので、日曜日ならではの贅沢であります。
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by Haruka_Miki | 2007-10-28 00:00 |

ひよこ豆ぜんざいとミュージシャン

有機野菜のサラダバーやモロッコ料理のタジン用の鍋で作る蒸し野菜鍋など変わったメニューが並ぶで、友達との夕飯会があった。

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飛び入りで、友達の友人のギタリスト、エリックが参加した。90年代を中心に活躍したアメリカのオルタナティブロックのバンドのギタリストかつファウンダーで(ボーカルは真っ赤な口紅が印象的なあの人)、今年は、彼の友人でマルチに動き回るヴィンセントとの新しいバンドへの参加でフジロックフェスティバルにも出演していた。メロウな雰囲気が印象のまんまだった。

私はふと聞いた。ギタリストに「なぜ音楽をするの」と聞いたのだった。これはある意味、ナンセンスな質問である。ギタリストは言葉に困ってしまったのであった。考えた挙句、「それをせずにはいられないから。自分を突き動かすから」とのお答えだった。

Fameをかけのぼった人は、全く持って商業主義とはかけ離れた印象だった。味があり、シャイで、しかし内包する音楽に対するみなぎる思いが見て取れた。

○○のために○をする、とWhyやFor whatになれた私にとって、とても衝撃的な出会いだった。
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by Haruka_Miki | 2007-10-26 00:00 | 芸術

ニューカレドニア・フランコフォンの夕べ

ニューカレドニアでは、ここ数週間、気象庁に国内線の飛行機や救急車などの公共機関を上げて、ストライク中だ。

目的が特にリゾート巡りでもない私も、一日位は観光しようと、それは綺麗だと評判のイル・デ・パンへの船のチケットを買い、朝一番の船に乗り込む。周りはニューカレドニアンとフランス人しかいなかった。船は順調に動き出して、本を読みながらウトウトしていると、一時間後また同じ風景が見えてきた。寝ぼけて状況が分からないので、隣の人にどうしたのか聞くと、波が高すぎて、船が街まで引き返してきたとのこと。気象庁のストで、波の高さが分からずに船を出したところ、予想以上に高い波が待ち構えていたので、迂回したらしい。チケットの払い戻しがまた長蛇の列で、そうこうしているうちに昼前になった。特に予定もない私は、まいいかという感じで、近くの島に行く以外は殆ど首都で過ごした。

時間もできたし美味しいものを食べようと入ったイタリアンの店は、海の前に位置し、どこにでもありそうな店構えだった。早起きをして、カフェオレしか飲んでいない私は、11時に店に入ると、さすがに早すぎるから座って待っていて、と店員がとりあえず店内に案内してくれた。お構いなく、と私は船でいつのまにか居眠りしてしまったために、どこまで読んだか分からなくなった本を開いてみた。この店のパンが本当に美味しくて、11時半まで待って、下ごしらえが終わらないからと言うだけのことがあるのだ。11時に店に入ってきて、お構いなくと座っている日本人の私は、よほど珍しく映ったのか、店のピザ職人と仲良くなる。

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旅ってのはこんなもので、それが醍醐味だ。結局、このフランス人のピザ職人(名はメラネシアの自然の神様の名前だった。洗礼名でないフランス人に初めて会った)が大層フレンドリーで、夜はピザ職人とその友達のビールを飲みながら語る会に飛び入り参加した。同じ年代であるが、ストがあって私がピザを食べなければ会わなかったであろう顔ぶれだ。Numero 1という現地のビールを片手に、ピザ職人と牡蠣の会社経営者とインテリアの修理工と衛生士と私が語り合った。どうも、この地のフランコフォンは、おおらかなようで話し口調もゆったりしているので、私にとっても有難かった。

これは理屈でないのだが、本国を出たフランコフォンというのは、とても波長が合う人々が多い気がする。モントリオールのケベッコワに通じる雰囲気だ。多分、英語に身を置く機会が多い中、どこかで第三の道を探している自分に心地よいのだ。

皮肉なもので、ヌーベルカレドニーはフランス領として植民地主義万歳でフランス語を強いられてきたという紛れもない事実がある。1億3千万とも言われるフランコフォンだが、うちフランス人は半分以下と聞く。元はといえば国際語として幅を利かせていた仏語も、今では英語に押されっぱなしだ。そこで、どちらかといえば文化の多様性としての仏語の意味合いが近年大きくなっているような気がする。それは、カナダなどの多文化主義にも象徴される。

言語と文化と植民地としての事情が複雑に絡み合い、しかしそれをあえて隠すことも憂うこともなく、穏やかなフランコフォンの時間は過ぎていった。
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by Haruka_Miki | 2007-10-19 00:00 |

ニューカレドニア・風景

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ウィンドサーフィン、去年もっとちゃんと学んでおけばと思いつつ

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朝市の海老たち、これで海老煎餅作ったらさぞ贅沢だろうに。ちょっとグロテスクでもあるけれど

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日曜のフリーマーケットのおばちゃんたち、ドレスの色がとても綺麗

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市場の目印はハート、売り場にいるのはいかつい顔のおっちゃん達です
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by Haruka_Miki | 2007-10-18 00:00

ニューカレドニア・天国への道のり

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ニューカレドニアに行ってきました。想像以上にいやあ面白いところでした。実は、行くと決めた割には情報が少なすぎて、出発する前に、友人らに、飛行機はハネムーナーばかりだよと言われ初めて、そうか巷ではそういうところなのだ!と思ったり。私はどうもピントがずれています。実際には、飛行機はハネムーナー1割、エールフランスで東京乗り継ぎでニューカレドニアに向かうフランス人8割、メラネシア人と私のようなその他1割といった感じでした。そうです、ニューカレドニアは列記としたフランス領です。

ニューカレドニアですが、首都のヌーメアまでエアカランというエールフランスの子会社で東京・大阪からの直行便が飛んでます。フライトアテンダントの笑顔がもう南国と言わんばかりで、飛行機に乗った直後から、この土地のゆるさを期待させるものでした。まあ、ゆるさは時に上手い方向に向かないこともあり、道のりはなかなか遠いものでした。夜20時半に飛ぶはずが、ドアの故障の修理が余儀なくされ、JALのテクニシャンを総動員でがんばり、最終確認をエアバス本社と取ろうとしているうちに成田の夜行飛行時間リミットの23時を超えたため、私達はホテルで一夜を明かすことに。朝起きたら真っ青な海!とまあ海は見えるのですが、それは紛れもなく浦安のヒルトンベイからの海でありました。

ハネムーナーの方々はかわいそうにと私は完全に外野で、私自身は結構この遅延を楽しんでました。フランス人の皆々様も長旅で疲れているだろうに、文句を言うでもなく、それこそC'est la vieと肩をすくめるのです。悠長に、翌日から成田までのバスの車窓の眺めを楽しんでいるようでした。隣に座ったおばちゃまは、1年の7ヶ月をニューカレドニアで、5ヶ月をブルターニュで過ごすのだそうです。大変羨ましい状況です。ちなみに、このバスの乗客は私以外は全員フランス人というかなり不思議な状況で、荷物の積み下ろしや、成田空港に入る際に係員がバスに入ってチェックなどがある度に、私が拙い説明をする状況。そのうち、段々私が団体の添乗員のように祭りたてられるのでおかしなものでした。

翌日のエアカランは平謝りで、各食事毎にシャンパンを出してきて大盤振る舞い。2月のエアインディアに鍛えられた私は、こんなによくしてもらっていいのかしらと恐縮でした。ようやく予定より15時間遅れて、ヌーメアに到着。うん、いやしかしこの遅延は始まりであり、終わりではなかったのです。
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by Haruka_Miki | 2007-10-17 00:00

季節外れにこんがり焼けよう

ちょっとひとっとび、ニューカレドニアに行ってきます。考えてみれば、今年は花火も海もパスだったのです。お供は雷神堂の二度付け醤油煎餅と、オルハン・パムクの「雪」、バルザックの「ゴリオ爺さん」、大江健三郎の「人生の親戚」、永井荷風の「ぼく東綺譚」。
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by Haruka_Miki | 2007-10-16 00:00 |

排出権ビジネスについて思うところ

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今、金融に身を置いているけれど元のバックグラウンドが社会学寄りなため、どうも経済的事象をそのまま見るよりは、もう少し大きなところで考える癖がある。商学が「いかに」を突き詰めて考える学問だとしたら、私は多分「なぜ」に慣れてしまった。今でもその思考回路は変わらぬままだ。。吉とでるかは置いておいて、先日ドキュメンタリー番組で見た、二酸化炭素の排出権取引について色々と考えるところがある。

私が大学時代からずっと影響を受けてきた概念に「リスク社会」がある。現代社会を如実に表すと考え、学士論文もこれを元に書いた。ある種流行りの概念でもある。ドイツの社会学者でこの分野の第一人者のユーリッヒ・ベックによれば、リスク社会とは、産業社会の次なる段階である(もちろんここに消費社会とかも段階的に入るのだろうが)。産業社会で、私達は目覚しい技術革新を遂げ、これは私達に富をもたらした。さして、チェルノブイリに始まり、産業社会は次なるステージに入る。リスク社会である。今まで恩恵ばかりが目立っていた技術革新の負の部分、例えば環境汚染など、今まで中心議題でなかったトピックに焦点が当たるようになる。少しリスクの意味合いがずれるが、金融でもエンロンなどに端を発しリスクマネジメントが今まで以上に大きな意味合いを持っている。

さて、リスク社会と大きな影響を持ち合うのは、近年のグローバリゼーションだ。リスク社会の特徴の一つは、リスクがもはや空間・時間に規定されえず、今の行為が将来のリスクになったり、北の諸国の行為が南の地域に影響を及ぼしたりすることだ。

もっと進めると、イギリスの社会学者、アンソニー・ギデンズが言うところ、リスク社会では現在の行動が将来のリスクにより影響を及ぼされるようになる。もう一つ大きいのは、リスク社会で言うところのリスクは、天災などと異なり、人的なものだ。リスクを最小化しようとする努力は、リスク社会の形を次々と変え続ける。その努力がまた、次なるリスクを規定する再帰性を持つ。

南北富めるもそうでない人も、政治的権力の否かに関わらず、環境破壊の影響ってのは地球上のすべての私達を多かれ少なかれ、覆う。人的要因によって作り出された「リスク」がそこここにある。今私達が対面している環境破壊は、南の国の急激な発展によるところもあるけれど、それ以上に先に発展した北の私達に因るところが大きい。だからこそ、その責任の具合に応じて、排出率が途上国では発展国よりも低く設定されている。そう、今問題になっている二酸化炭素の排出問題は、リスク社会の最たるものだと思う。実際、私達発展国は、自身の排出量を下げようとする努力では足りず、排出権ビジネスの需要は日に日に拡大する。

排出権を売買することで、途上国は発展のための資金調達ができる。日本などの発展国は、排出量の基準を超えずに済む。その先には、京都議定書の国別排出枠というとりあえずの目標達成があって、途上国にとっての発展の権利も同時に認める。

けれどそのもっとさきには、リスク社会がある。この二酸化炭素の排出量を売買するというリスク対応は、多分次なる社会を形作り、皮肉にも二酸化炭素を誰が排出したかという点で、地球上の私達に平等にその影響が決定されるわけではない。

そう考えると、全てはこの「リスク社会」の一連の動きとして見えてきてしまうのだ。といつもの思考の癖を思い存分書き出したところで、とりあえず自分が何ができるか、ちっとは商学的マインドで考えよう、かな。
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by Haruka_Miki | 2007-10-14 00:00 | 経済的営み

人の目線の色

小学生のとき、太陽と雲の絵を描きなさいと言われたとする。日本の小学生がもれなく赤色で太陽を塗りたくり、水色で雲の輪郭を取る。色というのは多分実際に視覚している(と感じている)ものと、色そのものは必ずしも一致しなかったりするのかもしれない。様々な概念が社会的に形作られるのなら、訳もない。文化間の違いもあるだろうし、個人間の違いも確実に存在すると思う。自身の思い込みで感じていた色と、他の人の視点で見た場合の色が異なる場合も、いい意味でショックを受ける。

勤務先の隣にある美術館に行ってみて、この衝撃を受けたのであった。写真美術館で開催されている「鈴木理策:熊野、雪、桜」展である。ある程度の敏感さを持っていれば当然のことかもしれないが、白にも様々な白があり、白は紛れも無く「色」である。このことを忘れてしまう日常を私は生きている気がする。第一に、その辺の感覚を研ぎ澄ますことなく鈍らせてしまっているというのもあるだろうし、前提としてある種の固定概念が自分にあるからだろう。

写真を通すと、他の人の目線で、カメラを通してものを見る。「いつものもの」もまた、新鮮味を帯びる。例えば桜である。桜は、ソメイヨシノなど私にとってはかなり白に近いイメージがある。けれども、写真を通じて見えてくるその色は、白みがかっているが紛れも無くうす桃色である。雪の色は逆に、真っ白ではないようにも思える。不思議な陰影を含んで見える。

白黒つける、という言葉があるけれど、言葉と違い実際にこの世の中はそんな二文法ではカテゴライズ不可能な存在で溢れていて、色はそれこそ、その最たるものかもしれない。
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by Haruka_Miki | 2007-10-13 00:00 | 芸術

名残の茶

秋だなあと思う瞬間が多い。それは青く澄んだ高い空であったり、清かな風を受けてだったり、個人的には、パンプキンケーキが大好きな同僚のKさんが、ケーキ屋の片っ端から電話をかけてパンプキンケーキを予約し出すという年中行事にもある。まそれと同じ位四季を敏感に感じさせるのは、お茶のお点前かなと思う。

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仕事の合間に茶道の先生のところに行っている。秋が深まり、お茶のお点前も随分様変わりしてきた。十月、つまり神無月の茶趣は中置き、だ。お茶では、風炉か炉(お湯を湧かす釜)を使うが、今まで勝手付(壁側)に常据していた風炉が、少しずつ畳の中央に近くなり、お客さんに火を近づける。夏であれば、風炉の右側に水指を置くけれど、中置では風炉の左側に、細長い水指を置く。初夏からずっと使ってきた風炉が来月からは炉になる。その別れを惜しむ心情から、名残の茶とも言われるのだそうだ。

私がお茶を始めたきっかけは、岡倉覚三の「茶の本」である。忙しさに感けてお茶もご無沙汰になっていたから、明日は、ちょっと頑張って自転車で東京藝大美術館の岡倉天心展に出かけよう。
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by Haruka_Miki | 2007-10-12 00:00 | 芸術