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パリ発 五感の穴

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東京湾でサファリ

f0079502_017138.jpg大人というカテゴリーの私達は不思議なもので、どうも非日常的な経験をとても楽しみにする。日常が楽しいのが一番な気もするけれど、連続体としての非日常も心待ちにしてる。だから、場所を変えてみたり、シチュエーションを変えてみたり、大人は忙しい。それもある程度の冒険心と言い換えられたりもするのだろうか。

非日常的な経験ということで、先週末サファリルックで集まる会というのがあった。サファリルックで集まって、船に乗るからぜひ来てね、と言われてもちょっと理解しにくい。何、は分かっても、何故、は分からないままだ。サファリルックって、つまりあのヘルメットに、カーキの胸ポケットがついたシャツに短パン、それに長靴下という井出達のことと想像する。結構手持ちで自分がサファリに適した格好を持ち合わせていたことに逆に驚いたりする。ちなみに、ショートパンツは高校生の時の妹のお下がりである。物持ちいいね。登山靴まで履いていて、もう完璧。アフリカに六年前に行った時よりアフリカらしい。マサイ族のお兄さんから譲ってもらったタータンチェックのブランケットだけは見つからず、残念。

会に行ってみると、どちらかといえば、サファリをしにきた「人」ではなくて、サファリをされる「動物」に扮した人々も多かった。その中で、私は正統派サファリであった。船で私は友人の小学校の友達と意気投合し、あーだこーだと話し込んでいた。しかも、世界は小さい。昔、予備校に通ったときの友人にまで再会した。彼女曰く、当時私は携帯電話を持つことを頑なに拒んでいて、携帯電話の番号を聞くと、テレパシーを送るからそんなもんはいらない、と言っていたと旧友は教えてくれた。言った本人は忘れている。

この会で、新しい友達もできたし旧友に再会できた。通常のサバンナで行うサファリの掟は、対象の動物とはある程度の一線を画して触れ合わないことであるから、シティサファリは随分な様変わりだ。この会の主催者や会に呼んでくれた友人も含め、元気いっぱい、様々な道で頑張るガールズたちとお友達になれて刺激になったサファリ体験だった。
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by Haruka_Miki | 2007-10-08 00:00 |

鎌倉を上から見るか下から見るか

予定待ち合わせ場所、大船駅下りホーム最前部
予定待ち合わせ時間、11時

互いを見つけた場所、3両目辺り(私が最後部に間違って乗ったため)
変更後の待ち合わせ時間、11時半(私の寝坊による)
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土曜日。ただ昼ごはんをするのも久々に会うわけだしもったいないということで、大学の友と「東海道線で行く鎌倉散歩の旅」をすることになった。部屋の面積に対して、人口過多の誕生会ぶりだ。友は、色々と豆知識博士なため、小旅行をするのにもってこいの相方だ。ふくろう博士でバイトしたら結構名物先生になると密かに思っている。

まず由比ガ浜に向かうと、観光客がいない今こそサーファーの季節。多くのサーファーは自転車にボードを据え付けられるパイプをつけている。何に使えばいいかわからないけれど、とりあえず私もあのパイプを自身の自転車につけたくなる。カフェで油を売ってから、散歩を開始。住宅地に入ると、キンモクセイだ何だと花々が美しい。水色の小さな花が咲き乱れていて、ちょっと名前は分からない。一本道が多いので、少々苦労する。実はこの散歩の目的は、名越の切通しを見ることにあった。切通しが何かさえ分かっていない私だったので、ふくろう博士のレクチャーを受けつつ、水を飲みつつ歩く。切通しは山や丘などを掘削して、交通を行えるようにした道のことで、起伏が激しく三方に囲まれた鎌倉の陸路の入り口。鎌倉七口の一つが、名越切通しだ。途中で道を近くの人々に聞くが、どうも芳しい回答はない。九十は過ぎたおばあちゃまは、鎌で草を刈っていて、歯がないので道を尋ねたのはいいものの、聞きにくいといえば聞きにくいし、鎌がちょっぴりおっかない。新聞屋のおっちゃんも何となくあやうやである。最後に金物屋のおっちゃんが道を教えてくれた。よかった。

道が分かったところで、ここからが次なる挑戦だ。墓地ありますの看板を横目に、お寺の門をくぐり、急な石の階段を登り、腰の高さまで生えた草の中を勇敢に進み、木々が見えたら、道が二手に分かれ、会議の結果左に行くと、とても不思議な洋館が左手に見える。こんな急な小山の上になぜ住居があるか分かりかねるし、窓はふさがれているし、ステンドグラスまであったりで、あまり深いことは考えないように素通りする。素通りしたはいいが、今度は猫屋敷なるものが見えてくる。簡単に作られた木の小屋の周り、歩いても歩いても猫だらけなのだ。お日様も出ているし、連れもいるから平気だけど、一人だったら確実に怖い。といやーな気持ちになっていると、眼下に切通し。切通しのど真ん中に大きな石が置いてある。これは、敵の侵入を防ぐために、わざと置いたのだそうだ。そして...ここにも猫がいた!

その後は山を降りたい、しかも鎌倉の街の方に降りたいと思うのだがこれがなかなか至難の業である。進んでも進んでも一向に下界には降りれない。眼下に見える街々がとても遠い存在に思えた。と、どきどきしていると、たまに他の切通しファンがにゅっと草むらから現れるので、これは心臓によくない。鎌倉はポピュラーなのに、この小山と言ったら鎌倉からぽっかり切り離されたようと考えていると、展望台というのを見つける。ここからの眺めが大変美しい。自分が、世にも奇妙な物語の一員になったような経験だったが、この時ばかりはその不安を忘れた。

それなりに長い間歩いて、最終的に小山を出られた時の喜びと言ったらない。その喜びの反面、鎌倉の住宅街は、そんな小山の小宇宙や、私のどきどきを全く気にすることなく、ごくごく普通の住宅街として落ち着きを払っている。近くでは、新築物件の見学会などをしていて、なんとも平和な雰囲気。何かこう、さっきまでいた小山との時空の分断を感じる思いだった。疲れた時はお茶をしましょう。浄妙寺で抹茶とお菓子を頂く。広い座敷から枯山水の庭を見て落ち着く。

鎌倉の切通しの旅にぜひ。切通しを見つけられるかは少し運次第、そして下山できるかも運次第。なんともスリリングな気持ちであるが、その後の抹茶は格別、なはず。
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by Haruka_Miki | 2007-10-06 00:00 |

ハローこちら東京、応答せよ

長いお付き合いになる大切な友人の一人は、研究者です。アルバイト先で一緒に働いてから、それなりに月日が経ち、しかし今でもたがいの嗜好・思考・志向に触れ合えるというのはありがたい話です。友人はフットワークが軽い人なので、イギリスだリトアニアだ地中海だと飛び回っており、待ち合わせと言えば、時に高田馬場、時にロンドン、そしてジュネーヴだったり全くまとまりがありません。(一度企画したアンマンでの待ち合わせはキャンセルになってしまいました。)

さて、その友人とお話したことが興味深かったので、今日はその話を。それは、どこに自分が住まうか、どこに暮らすか、ということです。物理的場所というものが様々な行動を限定する場面に遭遇することは余りにも多い気もするし、いやしかし、物理的場所はこの様々なツールが存在する社会で、さほど問題ではないという気もします。

私は、この物理的距離と環境を超えるスピードで世界を巡る情報、それを支える媒体と技術の恩恵を、150パーセント得て生きているタイプの人間だと思います。通じ合いたい人々は世界の各地に散らばりすぎており、それぞれの場所に出向くのはお金は尽きるは、そこまでお暇ももらえないわで、だからこそ、身体的に隣にはいないし、肌の温かみを互いに感じる近さではないけれど、声は聞こえる、文通はできる、というのはすごく画期的です。今程、通信面の発展がなかったら、大切な人々とつながりにくくなるでしょうし。

という前提を言っておいて、実は感覚的にはその状況についていけないというのが本音です。矛盾です。いいえ、多分矛盾ではないと思います。というのは、例えばロンドンというのはそれなりに遠いけれど、実はそこまで途方もないほど遠いわけでもない。では近いかと言えば、間違いなく近くはありません。そこでメールだ電話だを使うと、すごく近い。その実態を伴わない感覚に、困惑するのは当然な気がします。
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もう一つの困惑というのは、いかに自身が意思さえ持てば今すぐにでもあの街にも行けるし、この街にも行けるという現状です。それは、少しの忍耐を持てば、すぐにそこに行けるという感覚です。ついでに言えば、すぐにその地に溶けこめられるであろうというある程度の楽観さと経験知です。はっきり言って、未知の世界というのは、究極な意味で極めて小さい気がします。その現実に、ある意味愕然とします。時代が、様々な革新が、自身のスピード以上に何もかもを近く、簡単にしていってくれることに。未知の世界に、自身の日常とは一線を画す場所でも、行くという行為は近年いとも簡単です。イラクだって、私は行きたくありませんが、行こうと思えばヨーロッパより近い。そしていざ、行ってみると、時間の流れも何も違うかもしれません。けれど、ある程度それは隔絶された現実でありつつも、例えば国際社会に置いてけぼりをくっただとか、傀儡国家だとか、まそれを置いていても、メディア媒体を通じ、私はいとも簡単にまたいつもの日常に引き戻されると思うのです。

今後も、今までと同じように、もしくは今まで以上に様々なエリアの人々とつながっていくことでしょう。そう希望します。そして私も流浪の民の如く、様々な地をふらりと訪れ、その色に溶け込みたいという希望を抱きます。けれど、そこに少なからずの葛藤、言われぬ困惑があるというものまた、事実であります。
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by Haruka_Miki | 2007-10-04 00:00 |