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パリ発 五感の穴

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CEOの掟

会社にはCEO(Chief Executive Officer)がいて、仲間内にはCEO(Chief Entertainment Officer)がいる。仲間内のCEOの特徴としては、自分の幸せよりも人の幸せを第一に願い、宴会部長などという域を超えて、会のために、皆のために、自身が何も口にせずとも、みんなの笑顔を見るだけでお腹いっぱいだよ、などと素で言えてしまう真心精神がある。これを、冗談でやるのでなく、本気でやるから仲間内のCEOには頭が上がらない。

昨夜は、仲間内のCEOの計らいで、忘年会おさめがあった。仲間の一人がロンドンから東京に来ていることもある。まずはCEO宅にてお鍋(CEOの掟①鍋はいつでも大人数でできるように鍋・コンロは一人暮らしでも複数常備すべし。)→花火鑑賞(CEOの掟②CEOたるもの、東京周辺のイベント情報は歩くるるぶ並に網羅すべし。)→お酒の肴としてのおいしいピザと食後の感動もののデザート(CEOの掟③満を持しておすすめできる品々を知っておくべし。美味しん坊レベルで食の通であれ)というフルコースを満喫。しかも、2007年で一番よかったことをみんなの前で発表するなどという企画まで飛び出し、もはや学校のプロジェクトの様相。

じゃあそろそろ夜も遅いしなどと、忘年会おさめにはあり得ないことを言い出す空気が読めない私。いやいや、これからロシア料理とグルジアワインを楽しむから、しかも、今日のスパンコールつきふかふか帽子、ロシア料理にぴったりだよ!などとおだてられ(丸め込まれ)、ロシア料理に。

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これが、もう本当に、本当に、本当に美味しかった。さすがCEO。サラダからスープから何まで、さっぱりしているのに後引く美味しさ。ロシア語専攻だった忘れ去られた過去を思い出しつつ。六本木のバイカル。普段この界隈に足を踏み入れないあなたもぜひ。グルジアワインも相当美味。

そんな具合で夜は続き、忘年会おさめにふさわしい忘年会に、一堂脱帽、2007年もう忘れても差し支えないという感じだったのでした。2007年ありがとう。CEOありがとう。
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by Haruka_Miki | 2007-12-29 00:00 |

Taxummunication

今日はタクシーに乗った。

タクシーが好きである。そこまで頻繁に乗るわけでもないけれど、たまに仕事先から乗って帰ることもある。タクシー自体が好きというよりは、タクシーの運ちゃんとのあの空間がとても興味深いなと思う。タクシーの運ちゃんは沢山の人生を積んであっちだこっちだ走ると思うと、これはものすごく特異な仕事な気がするから、どうにか運ちゃんの話を聞いてみようという気になる。電車との違いは、電車は不特定多数が乗り合わせるので、会話を交わすことは滅多にないという点だ。

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運ちゃんに対するそのような気持ちが以前大きくなり、ある構想を持ったことがあった。彼らへのインタビューを一つの本に収めたら、相当面白いだろう、政治家やその他の方面の有名人から、新橋のサラリーマンから、銀座のお姉さまで、どんなフィクションよりもグロテスクで、もしくはマスコミの報道よりもリアルな世界が見えるだろうと思う。数年前、いつかそんな本をつくりたいという話をしていたら連れに、「残念だけど、先に書いた人がいたみたい」とある本をもらった。Taxi Driver Wisdomという本だ。そうかー、やっぱり先を越されちゃったかー、と読んでみた。人様の人生を暴露する本というよりは、ニューヨーク・マンハッタンのイエローキャブの運転手達の格言集だが、様々なバックグラウンドの運転手達の目の付け所が面白い。

さて、先日乗ったタクシーの運ちゃんは、ラジオの浪花節に聞き入っていて、浪花節はまぁ、落語のエッセンスもありますし、唱のエッセンスもあって、都々逸のようなところもありますし、まあ理屈はともかくうんぬんの時間帯にラジオを聴いていただくといいと思います、とご丁寧に浪花節が聞けるラジオの時間まで教えてくれた。落語もお好きと見えて、幾つかの落語のお話を持ち出して話してくれた。落語の耳を持っている人は、どうも語り口調にそれが出るのが特長。厚みと情が垣間見える。

今日乗ったタクシーの運ちゃんは総じて話好きで、私が降りてドアが閉まるまで話しをしていた。10分の道のりで運ちゃんは話通しだった。昨日は水曜日なのに道には金曜の如く人が溢れていたこと、やはり長距離のお客は嬉しく、特に高速に乗ってくれると嬉しいとのこと。長距離でも下でえんやこやされては、時間ばかり食うので全く有り難くないこと。夜間は二割増しになって、長距離の料金はやはり減ったこと。運ちゃんのポリシーで新宿周辺では絶対流さないこと。理由を聞けば、昔9年程歌舞伎町でお手拭きの会社勤めで、なんとなくあそこが好かないし、もう十分あの界隈を見たという理由から新宿は避けるとのこと。たまには六本木に出向きたいが、どうもその方面には行かず渋谷区が多いこと。六本木に行きたい理由は、あそこのサラリーマンは長距離でもひょっと乗ってくれるからとのこと。話は戻って、お手拭だけど、あれは一本いくらではなくて、千本幾らという最低料金を各店舗が支払うとのこと。お手拭は大体25回再利用するということ。ただ全てのお手拭が戻ってくるわけではいので、紛失したお手拭分を買い足してたりすると、毎年お手拭の会社はその買い足しに1億円は費やしているとのこと。

すごい会話量だ。「いやぁ、タクシーの運転手でコミュニケーション嫌いな人はあまりいないんじゃないですか。務まらないですもん。」とそれは運ちゃんあなたのことだ。人と話すの大好きでしょう。今日の運ちゃんはざっくばらんな人で、遠慮なく、結構悟っているところもあった。

「ま、なんで話すかと言えば、分からないからね、相手の心なんて。分かるって言うけど分からないことだらけだ。だから話すんですよね。分からないから語るわけだ」と運転手。

そりゃあ人間だから、話している人に対して、もー、なんでわからないかなぁとなることってあると思う。でも、そうだ、分からないから喋るんだ。分かりたいから喋るんだ。そう思ったら、運ちゃんが饒舌なのも、ただのおしゃべりだからだけでなくて、色々な意味合いがあるんだと思った。
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by Haruka_Miki | 2007-12-27 00:00 |

私が最も欧米化していると思う瞬間

今年は、私以外の家族は皆アメリカでクリスマスを向かえます。自身が「欧米か!」していると感じる瞬間ナンバー1は間違いなく、クリスマスです。私はクリスチャンではありませんが、やっぱりクリスマスは家族のものというイメージが強いのです。しかも、ジョンとヨーコさん的な世界になってきますが、どうも「愛」を感じるのがこの日です。

クリスマス、幼いときはサンタクロースからのプレゼントを指折り待っていました。ここだけの話、中学三年位までサンタクロースを信じていた気がします。というのも、渡米してからもサンタクロースからのプレゼントを受け取った記憶があるからです。小学生三年頃には、母と妹とで「サンタクロースっているんでしょうか」を読み、お話もさることながら、カバーを外した時の布地の赤い装丁と中のクラシックなイラストがとても気に入っていました。

さすがに中学二年にもなると少し懐疑心も芽生えてきたのでした。衝撃的だったのは、その懐疑心を誰にも言っていないのに、その年はサンタクロースからのプレゼントがなかったのです。恐るべしサンタクロース、深く反省する私の元に、翌年には再びプレゼントがきました。やっぱり心が見破られるんだと切に思ったものです。後に両親は、「もう気づいているかと思ってプレゼントは置いておかなかったのよ、ごめんね」と言っていました。

というわけで、実質的にはそれらのプレゼントをくれたサンタクロースは両親だったようですが、あの時の懐疑心を見破られたという衝撃は結構大きく、今でもそういう存在を全否定できないでおります。中学生の頃に経験した、あの後ろめたい気持ちと寂しさと言ったらないからです。そうしたことを懐疑的に思ってしまう自身が、とても寂しいのだと思います。ナイーヴな言い方ですが、何より、こうした一環した経験が、全て家族の「愛」があってこそと思うと疑うなどこの上なく申し訳ない気持ちになるのです。

さて、家族の「愛」は、別に血のつながりの中での話しではないかもしれません。それこそ「汝を愛せ」な発想で、高校生の時にはあわや凍死しそうになりながら、ショッピングモールの横で、サルベーション・アーミー(あの赤い器を横に、ベルを鳴らして募金を呼びかけている)のボランティアをしたり、所属していた学校の合唱隊のみんなで、老人ホームでクリスマスキャロルを歌うとかそういう活動が多かったので、必然的に、クリスマス=年末助け合いのイメージが大きくなったのかと。

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カップルのクリスマスもそれはそれでとても素敵なのですが、クリスマスはどうも、もっともっと大きな愛で彩られています。いえ、別に大層な愛ではなくて、いわゆる家族的なゆるい温かさです。イメージとしては、映画「A Christmas Story」です。ちなみに、あの映画はかなりシュールで滑稽でしかし温かく、この時期には必ず観たくなります。そして、やっぱり家族でご飯を食べたいなぁ、家族に会いたいなぁと思う一日でした。みんな私の分まで団らん楽しんで。そして明日からはきっとクリスマス明けのセール。セールも楽しんでね~。
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by Haruka_Miki | 2007-12-24 00:00 |

Do you live in a room with a view?

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(taken by my parents in their silver wedding trip to Hungary and Czech in 2005)

After probably a decade of reading the original book and the movie taken following the book, I watched the movie version of "A Room With a View" again. How beautiful the sceneries are and how delicately each character is depicted in the story. I would say this is one of my most favorite movies among those I have seen.

It is silly to start talking about what the story is about but if I am allowed, let me say the beauty of the story is heavily on its theme, the way it used the symbols and the metophors effectively.

The story takes place in Italy and England and the author Forster use these two countries as a comparison to depict his theme through the symbols. Another metophor is, just described in the title "a room" versus "a view". A room implyng the old fashioned traditionals, rituals and mind sets on sexuality, social classes and more and a view or in another word the outside a room implying open, free mind which can break through the former norms.

Do you live in a room with a view? Do you live in a room with your own view? Although the story itself takes a place in Europe in early twenties, the theme truly echoes to me and there are many points I can synthesize with even now.
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by Haruka_Miki | 2007-12-22 00:00 | 芸術

半休の愉しみ方

「文字は言葉の代用品」
~河井寛次郎~『蝶が飛ぶ葉っぱが飛ぶ』(講談社文芸文庫)73ページより

言葉が先立つことは間違いないですけど、代用品と言う域を、間違いなく超える力を、文字は持っているなあと思います。特に、これは漢字という文字に特に言えることで、それを使う民の思考回路に間違いなくなんらかの影響を及ぼしていると。

f0079502_17525187.jpg国立新美術館では、今多くの書展が開催されています。文字というのが好きです。人が書く筆跡も好きです。中でも、白峰社書展の作品の多くがとても印象深く心に残りました。黒と白の世界、漢字と仮名とシンプルで本当に奥深く味わい深く。躍動感とほとばしる力を感じるのです。水曜日の昼間から書展に来ている方はやはり年を召した方ばかり。

これから、クリスマスのお決まり、くるみ割り人形のバレーのチケットが予約できたようなので初台まで行ってきます。クラシックバレーにあまり縁がないですが、この演目だけは子どもの頃から数回観ていて今でも観たくなるのです。

平日の半ドンは人が普段だったら多いところに行くに限ります。
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by Haruka_Miki | 2007-12-19 00:00 |

年賀状は贈り物だと思う

と至るところで宣伝しているので、単純な私は段々洗脳されてきて、そうかもしれない、と真っ白な年賀状を何枚か買った次第です。

f0079502_23141980.gif真っ白なので、何かを描こうと思い、針ねずみを描いてみましたが、針ねずみがなぜか羊に見えます。困ったのでひげを描いたら少しは針ねずみらしくなりましたが、どちらかといえば、ひげがはえた羊というのが正確な気もします。可笑しい。(ちなみに、針ねずみって英語で何て言うのだろうと調べたところ、Urchin、ウニと同じ単語のようです。姿が似てるものねぇ)

年賀状の国を離れ、一度この慣習から離れてしまったので、年賀状を殆ど出さなくなってしまいました。残念なことです。今年はちょっとがんばってみようかな、とりあえず目標設定は限りなく低く年賀状を10枚だけ購入しました。今までお世話になった先生達にしか書いていなかったことを考えると、大変な飛躍です。

筆を進ませると思い出すのはその昔、父がいつも自分でイラストを描いて、それをプリントごっこで何百枚と刷るのが師走の恒例行事でした。色々なスポーツをしている家族の図を描くわけですが、我が家族はお世辞にもスポーツ一家では必ずしもないので、なぜスポーツが選択されたのかは謎でした。あれ、でも私以外はみんなテニスができるし、妹はサッカーやテニスクラブに入っていたし、アルティメット(格闘技じゃない方)のユース世界大会などというものでフィンランドに行っていたし、どうやら私だけスポーツ肌でないだけでした。恒例行事だった年賀状の制作も、いつしか、八十年代の大フィーバー商品も我が家では使わなくなってしまいました。f0079502_2315116.gif

それにしても、民営化というものを、近頃とても強烈に感じます。この話の始め、「年賀状は贈り物だと・・・」のキャッチコピーも含め、某広告代理店は巨額の富を得たといいますし、様々な媒体を通じて広告を打ち出しています。

私がそうであるように、広告活動にまんまと誘導されて年賀状を書く輩は少なくはないはずです。年賀状自体は一つの慣習として一年に一回くらいはいいものかなと思いますが、それと別次元で、そうした慣習までもあからさまなマーケティング活動によって誘導されたものだと思うと、ちょっぴりやる気を失くします。

やる気を失くすどころか、すっかり広告の思う壺じゃないかと言われればまさにそうなので、返す言葉がない、消費者な私です。

とりあえず、私が珍しいことに、お住まいの住所を存じ上げてる非常に限られた方々は羊とネズミのあいのこを、楽しみにしておいてください。
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by Haruka_Miki | 2007-12-18 00:00 | Nippon

共犯関係について

横浜ZAIMにて行われたSurvivart主催のトークイベントに足を運びました。いやぁ面白かったです。異なるバックグラウンドで、かつアートに関心を持っている・どっぷりその世界で生きている方に会えました。今回のトークイベントは、「共犯関係」をテーマに、P3 art and environmentを主催されている芹沢さんと、東京都美術館の住友さんのトークセッションの後、聴衆を含めてのディスカッションに。

私は、今までのイベントに参加したことがないので、この言葉を耳にすること自体が初めてだったのですが、聞いたときに耳に違和感を感じたのでした。そして、それがこの言葉を利用する狙いだったりするのでしょう。コラボレーションでなく共犯関係。定義に関しては上のリンクを。

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アートの世界での共犯関係。私はここ3年は少なくとも、一週間のうち5日は会社=経済的存在に深く関わっているので、アートにおいての自身の経験というのは極めて少ないですが、自身の立場からこのテーマを考えてみました。話を咀嚼して、自身で考えるところ、どちらかと言えばこの共犯関係というのは、例えばディスカッションでもチラッと出ていた、文化・芸術的目的を基盤とするか、政治・経済的目的を基盤とするかで随分と異なるのでしょう。芸術が、既定事項・固定概念を揺さぶり、ぐらつかせ、人々を開眼させ、時に打ち壊し、新たなものを作り出そうかということを指すのだとすれば、芸術の命題自体が共犯(ないしディスカッションで出た言葉「互犯」)です。後者はやはりだいぶ異なるでしょう。いわゆる政界・経済界という意味でなく、芸術の現場でもこの政治・経済的要素が見え隠れするでありましょう。しかし、反対はありかと言えば、基本的に政治・経済が芸術になり得るかという反対の方向性は、命題に反する気がします。

自身が経済的存在の中で生きていることを前提にして考えると、芸術(いわゆる芸術活動、絵を描く、美術館に置くという物質的なものでなくて、もっとコンセプトとしての芸術)の世界での政治・経済との共犯関係は多いにありうるのだと思えるのでした。つまりは、政治・経済が芸術と手をつなぐというのは、ある意味でコラボレーション的意味合いが多くなりがちだと思うのです。それは例えば、ギャラリーと芸術家であったり、ある美術展のスポンサーとしての企業と芸術だったり。逆に、政治・経済全体が芸術と共犯することはある種命題にそぐわないところがあります。あくまで芸術は確信犯として政治・経済に対しての企てを構築し、共犯というよりは政治・経済的なものの中の「誰か」なり「何か」をだまくらかす位な気負いが要されるのかと。それこそが、芸術の定義に思えるからです。

政治・経済なるもの全体と「芸術」が共犯関係になることは、経済的存在に属している私個人から言えば極めて難しい気がするのですが、芸術が経済的存在にある種のメリットを示唆し、そこで経済的存在側は利益の創出という観点、社会貢献によるイメージ向上などのメリットを享受する「コラボレーション」と考え、いやしかし実際は経済的存在は芸術にだまくらかされているというのが私のイメージです。逆に、芸術が政治・経済なるものにだまくらかされるかと言えば、その命題として芸術はその状況に立ち向かい、打ち砕き、突破しかえって相手を見返す位の大きな力を持つし、持っているはずなのだと思います。

元々共通の目的を持っている存在同士は、共犯関係になり得ないとの話も興味深く聞きました。それに付け加え、それぞれの存在の異分子性以外に、関係性がフラットか否か、フラットでなければどちらが優勢か、また表向きに優勢である場合、本質的にその存在が優勢なのか、様々な切り口から、芸術と経済の共犯関係は考え得るのではと思いながら自転車飛ばして帰路についた次第です。
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by Haruka_Miki | 2007-12-15 00:00 | 芸術

住むの拡がり

ここ七年ほど寮暮らし、アパート暮らし、マンション暮らしをしています。寮は例外的で、一年は四人部屋というのを経験しました。当然個の概念もなければ、プライバシーという言葉さえ忘却の彼方でした。後者二者においては、基本的に近所付き合いというほどのこともなく、共同空間も限定されているので、他の住人の方々とあまり共同に生活を営むということはありません。スマートな関係性がある程度マナーになっている気もします。

共同住宅に関心を持っています。例えば、あいにく団地に住んだことはないですが、大変気になります。基本的に、コミュニティハウスの概念に何かを感じるからかと思われます。最近は、祖母がグループホームというお家に住んでいるので、共同住宅について考えるきっかけになっているかもしれません。

さて、最近は少しおさまりましたが、郵便受けには毎日山ほどの新しい物件情報が入れられます。「○○の杜」など様々なコンセプトに基づき、不動産会社があれこれと住宅を作っているようです。

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(ウィーン、フンデルトヴァッサーハウス)

やはりそんな中で気になるのは、決してゼネコン的な商業主義を前面に出さないタイプの共同住宅です。郊外の団地であったり、コンセプチャルなコミュニティハウスであったり、海外の試験的な団地であったりです。東京近郊であれば、駒沢公園の泰山館、私が大好きな建築家、フンデルトヴァッサーのオーストリアにあるHundertwasser Haus、またドイツのWeissenhof団地が気になります。Weissenhofはオフィシャルサイトがドイツ語の他に日英であり、日本人の来客も多いのかしらと思わせます。

住空間について考えます。必要性にかられて住む、そこから一歩入り込んでコンセプトに共感して住む、共感すると共に再帰的に作り出していくプロセスに携わる、住空間も住むも、やはり最終的には様々なレベルの「住む」がある気がします。
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by Haruka_Miki | 2007-12-14 00:00 | 経済的営み

きみをおもう

何度あなたと食事を共にできるか、あなたと笑い合えるか、あなたと静けさも分かち合えるか、あなたと取っ組み合えるか。何度私はお腹がよじれるほど大笑いするか、ああ、まったくアホだなぁと呆れてしまうほどに愛を持ってコミュニケーションをとるか、ただいいなぁと時や場所を感じることができるか。一緒に頭がぶっとぶくらいに何かに没頭して、疲れをかえって笑ってしまうくらい集中できるか。
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(チチカカ湖の水, 2005年)

考えたら、いや輪廻を信じる否かを問わず、人生てのは有限なので、でも普通は考えないわけで。それよりも、責任だとかこの道で生きるんだとか、いや普通はそれも考えず、もっと近いことを達成することに集中しているわけで。しかも、自分のことばかりに集中してしまって、周りの人の大切さへの感謝を、考えたりあんまり表現できてないのです、思っているほどには。当たり前がなくなって突然、そのことに気づきます。

実は、大学の先輩が逝去されました。突然の知らせで、なんというかどうすることもできず、メールを頂いた時は、動揺を隠せず、仕事にも身が入らず。不謹慎な話しですけど、病床にいた祖父を看取るのとは全く次元が違う衝撃です。祖父が亡くなった時などを思い返すと、生と死ががーんと向こう岸にあるのではなくて、その間で死を受け止める側は少しずつ受け止める準備を悲しみを昇華する用意をしていったように記憶しているから、それとはもちろん違います。

大学では、書き物をするサークル活動に入ってたわけなんですが、名物な先輩で、部室に氏のベッドがあるような状況で。おっさん、と愛を込めて皆が呼んでしまうようなお人です。その方が着ているものが外出用か家着かよくわからない、部室もその方の部屋なのか部室なのかよく分からないような、ファジーな中での淡ーい記憶が、くっきり蘇るのです。

辛い知らせの連絡係を買ってくれたYくん。いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らん、と。本当にそのとおりだと愕然とする私。どうしたらいいのか。どうにもならないんですが。

どうにもならないので、先輩のことを知って今私ができることは、お線香代わりにお香を一本燃して、ロウソクの光を消すくらい。具体的には、大切な人たちとの時間を感謝して思いっきり感謝して、そして存分に楽しもう、自分は自分で、リスクをとった人生を送ろう、この二つが今一番のプライオリティでしょうか。多分、それに見合ったそれなりのご報告を、近々できるかと。

とにもかくにも先輩、達者で。寂しくなります。思い出になっても、忘れません。
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by Haruka_Miki | 2007-12-12 00:00 |

近所の集い

友人カップルが実はご近所さんだったということが最近分かり、それなら集まらない手はない、夕飯&お酒の集いを開催。やはり家というのはリラックスです。大人数でこそ食べられるご飯ていうのがあるので、ここぞとばかりに楽しむことに。第一部は手巻き寿司、第二部は鍋と余りのまとまりのなさはホストの性格を示しているわけですが。皆様に前菜やワインやイチゴやビールや本場のキムチを持ってきていただき、満腹食堂。ポインセチアもありがとう。
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皆に様々なミュージシャンの情報を教えてもらい、少し社会化した気分。自身がR&B系統の音楽に弱いことを知る。と思いきや、おもむろに 若かりし美輪明宏氏の黒蜥蜴をYoutubeで映して紹介している友達もいて、やっぱり皆ばらばらの興味らしい。

面白かった話の一つは、商社勤めの友人談。世の90%の輸送は船によるものなのだそうで、このグローバリゼーションのご時世、船がどうしようもなく足りないのだそう。運びたい、でも運ぶ手立てが少なすぎる。今や不動産より動産、地主でなく船主の時代かしら。

Youtube然り、情報の伝達は本当に、実質的物質の移動とは比にならぬ速さであちこちに飛び交うことを、杯を交わしながら今宵を持っても実感。
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by Haruka_Miki | 2007-12-09 00:00 |