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パリ発 五感の穴

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お土産の定番

いつも不思議なのですが、お土産の定番といえば、なぜチョコレートなんでしょう。

お留守番のお土産は、チョコレートでした。だって、スイスといえばチョコ。ステットラーに、リンツに、トブラローネ。チョコレートのオンパレードです。どこのお店か分からない、ぺカンとカラメルのチョコレートが相当美味でありました。

いや、スイスならば、チョコは分かります。ベルギーでも、チョコは分かります。フランスも。多分西欧でなら、ありです。けれど、インド土産で、タージマハルの絵のなんちゃってチョコなども、個人的に、そのノリにぐっときます。以前インド旅行をした時のマンゴーチョコもチョコの概念を覆しておりました。

祖母曰く、「お土産は食べ物に限るよ。食べたら美味しいし、嬉しいし、後に残らなくってね、いいもんね。」チョコレートときたら、お土産のルール、ど真ん中であります。もらったら、普通に美味しく頂く。以上。多分チョコレート土産の真髄はここにあり。ですかね。

ちなみに、いくら無難で、美味しく頂けても、成田からのバスに乗るのならば、車内の温度に要注意。特に通常食べ慣れないものなどは。以前、某ベルギーチョコを下のトランクルームに入れたら、真冬で暖房はぽかぽかで、見事に板チョコ化していましたもの。
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(トゥールーズで二日お世話になった、おじいちゃんおばあちゃんの家のわんちゃん)
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by Haruka_Miki | 2008-05-30 00:00 | 経済的営み

バランスゲーム

何で人は仕事をするんでしょう。お金か。お金なのか。それもあるし、でもそれだけじゃないですかね、やっぱり。億万長者だったら、私がもしセレブ(ある意味この言葉も流行り廃れですが)だったら、遊び呆けるかな。多分。いや、でもそうでもないかしら。仕事をするのは、やはり何かをしたい、って突き動かすものが一ミリでも心のどこかにあるから、成し遂げた、ってそんな形を残したい欲もあるからなのかな。いや、多分それよりシンプルに、うん、これ楽しい!って思える瞬間があったら、すごい恵まれていますね。楽しい、の瞬間は千差万別で、それが上記のお金、だったら、これはシンプルで話しが早いですね。もし違ったら、お金、と楽しい!の間で折衝するしかないでしょうか。

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(チリはサンチャゴの国立美術館の一室。これは展示?廊下?)

段々職場に慣れてきました。おかしいなぁと思うことも多々ありますが、ありがたいことに、毎朝職場に行くのが楽しいです。これは前職でもそうでしたので、能天気なだけかもしれませんが..。人に恵まれていて、感謝です。「でもさぁ、四ヶ月じゃ、あまり仕事振れないから困る」と上司に本音を言っていただけるようになったのも、いい感触の一つです。

ブルガリア語専門のマネージャー、前の席の仲良くしてくださる姉さまはベトナム語で談笑をしておられ、そのお隣はインドネシア語で電話。英語は言うまでもなく、フランス語も完全メジャーで逆に肩身が狭いですが、やっと私の中での言語に関する疑問、(なぜ学校で学べる語学は英語、仏語、独語、中国語、西語と限られているんだろ?という疑問。そして、勤め先では当然英語一遍というのが基本ですし。)が解かれてきました。

今の環境に身を置いて、言語グローバリゼーションのバランス、お金と楽しいのバランスはこういう感じが自身はハッピーなのではないか、という感覚が少しだけ分かってきた今日この頃です。
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by Haruka_Miki | 2008-05-28 00:00 |

Lighting a candle

About 10 days ago the terrorist attack took place in Jaipur, the city of rose in India.
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(The candle seller in Varanasi)

Fot the amounts of lives taken away from this attack is merely fifty some, and this maybe nothing compared to the disaster in Myanmar and in the Southern part of China. But this is not about the number. This is about man-made disaster.

We see terrorism. Here and there. At least we hear about them. How people's fury and sadness fire the extremity to the homicide and even to the suicide-bombing? The question gets rather silly when we can never understand the others' sorrow and opression as same way as they do sometime. We tend to look for the suspect when this vehement action may merely to find a scapegoat of the phenomenon that surrounds an action.

The cyclone in Myanmar and the earthquake in the Southern part of China. The size of natural-disaster gets bigger and bigger with shorter intervals. Then we hear the news of the secondary disaster from the defective constructions and the paranoids of logistics. The impact gets bigger as a human-made disaster in some extent.

Living in the risk society, the risk that surrounds us maybe the result of the humans' ego. In the world of globalization, the repercussion is enormous. In the either case mentioned above, I call it as a human-made disaster.

Do I look for salvation? Do I pray to the divining existence or to the bigger cosmo? Well probably not. I was just not born or not have lived with such mind. But I will probably think about how an action I take today may affect the others. How the society which is made of myself and other individuals treats the others may affect the action of people.

We may have different belief but that doesn't matter. One thing that we all share is the risk we face today. The political, economic, environmental and other uncertainties which pertuate and grow everywhere and may affect everyone, with some inequalities when it comes to the distribution of the risk.

This weekend, I run by to a very nice candle shop not too far from my neighbor. They make special candles and hold events using the candles. Lighting the candle won't change the world but it may help us think something about how we share the risk no matter where we are. The terrorism or the natural-disaster is not about them but it is whole result of risk society we created and we live in. Lightening candle was indeed to reflect my action to the bigger phenomenon and think about those I know, I care and I love here and around the globe.
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by Haruka_Miki | 2008-05-25 00:00 |

頂きもん

ここのところ、特段予定がないお昼休みは、ご飯の後の束の間にある本を読んでいました。山本周五郎の「季節のない街」です。

新しい一歩のはなむけに頂戴した本でして、本の贈り物というのは大層ありがたく嬉しいものです。部活を通じて知り合って、まぁそれなりに月日が経ちますね。大学入学三日目頃に訪ねた書き物をするサークルの部室で、君を見て、うーん、どうやら一年生みたいだけれど、なんなんだろうすでに部室に溶け込んでいるこの様子は、と当初からインパクトが相当大きかった友人です。言葉の運びが大層巧みで情緒的なので、私の友人の中で最も芥川賞に近い逸材であると私はひそかに思い、いえ本人にも事ある毎に伝えています。そんなわけで、私は友のそのエリアの幅の広さは完全に尊敬しきっているのですが、やはりそれもこれも、相当の読書に支えられるところが大きいのかしら。

この本のいたく素晴らしいところは、類稀な世界観と、それこそ徹底した言葉の選び方と、何が起こるという出来事以上のアウラな部分であり、それはどこかしら上述の友人に相通じるところもあり、本の世界にすっかり虜になっただけでなく、こうした本を薦めてくれる友人をまた知り、その奥行きにまたほぉ、へぇとただ納得・感心です。ファンタジー調なその「街」があまりにリアルで、何が現実なのか、現実とは何なのかという問いさえも愚問にするのです。

そもそも、最近切に感じることは、話言葉がこうも多様であることで、話し方という外面は内面を表現する有効な方法であり、両者は切っても切れない存在であるということであります。話し言葉がリエゾンとなってそこから想起するもの、膨らむものも多くあります。言葉を変えれば、言葉で言い切れない想いは沢山ありますが、やはり言葉選びというのが、一つその人の輪郭を描く際に大きな力を持っているということです。周五郎さんは確信犯で、言葉を選んでらっしゃって、私は氏の言霊にすっかり魅せられて心地よい昼休みを過ごしたのでした。
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(日本のことをちっとも知らぬお恥ずかしい私がなぜか数回行ったことがあるところ、四国は松山です)
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by Haruka_Miki | 2008-05-22 00:00 | 芸術

ぶどう製品を楽しんでみる

私のことを簡単に説明するとするならば、元来ぶどうジュースが大好きでして、一方ワインのことはようわかりません。ぶどうとの相性が悪くないことだけははっきりしていますが、どうもワインの諸々はよくわかっていないというところです。

とりあえず、そんななので、たいがいは自分と同席している方の方が断然ワインのことを分かっているケースが多く、そうなると任せきりですし、顔馴染みの店であれば、お店の人に聞いてしまいます。大体そこまで飲める口ではないので、嗜む程度でにこにこです。
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(これは数年前のプラハ。ホットワインが至るところでふるまわれていました。)

そんなこんなで、ワイン道を開拓するには至っておりません。ワイン通、と呼ばれる上司達を見て、いいなあと思うことはありますが、それを横目に「私はワインスクールより利き酒に興味がある」と言っている同僚に親近感を覚えるのは、学生時代の名残りでしょうか・・・。さて、ワインが作られる地方も、ブドウの種類もさっぱり分かりませぬが、一つ分かるのは、悪酔いしないけれど、それなりにドライで、少し癖があるワインが好きなようです。と、素人の言葉ではワインは語れぬものがありますかね。

そんな中、先日とあるワインを飲む機会がありました。シチリアの有機栽培ワインで、相当癖があって、いまだかつてない味でした。Frank CornelissenのRosso del Mongibelloと言うワインです。このワインは、ただの有機栽培ワインではなく、本気の本ちゃんな超有機栽培ワインなのだそう。たとえば、無施肥による栽培で、農薬もボルドー液でさえも基本的には使用しないのだそう、そのほか、長期間のマセレーション(てなんだろうと思い調べてみました→マセレーションとは)、醗酵・熟成をアンフォラと呼ばれるテラコッタの壺で行い、二酸化硫黄も完全無添加、ノンフィルターでボトリング、しまいに屋外で醗酵を行なうんだそうです。

味はとにかく、なんだろう、これ!という相当土臭いというか泥臭いというか太陽臭いというか、不純物も心なしか混じり、色も独特で、これを売り物にしているところがすごい!という迫力を感じさせてくれて、後にも先にも似たものは飲まないであろうというような、忘れられない味となりました。

有機という言葉に最近段々慣れてきてしまったわけですが、この泥臭さと、哲学の塊!のような代物を前に、有機栽培の厚みを感じずにはいられず、渡欧した際の一つの楽しみとしてこれはちょっと色々飲んでみようと思わすのでした。
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by Haruka_Miki | 2008-05-21 00:00 | 経済的営み

天職?

ラーメン屋にてその名も「おいしいラーメン」をすすりながら、友に「ハルカさ、ロビイストに向いているんじゃない?」と言われました。

初めて言われました。冷静に考えて、すごい意見だと思いました。ロビイスト。つまり、あのアメリカでよくある特定の団体の利益を叫び、政治家に働きかける人、時に政治献金などの闇も生み出すあの存在?お褒めの言葉であるかを判断するのは...よしておきましょう。ロビイスト=吹っかけ屋というイメージ故、むむいつも物申す、な性格でごめんなさい、とそれなりにしゅんと反省してみたり。反省も半ば、そもそも、あれ、ロビイストって日本でそういえばあんまり聞かないよね。という話題になりました。ロビイストの定義、歴史を少しさらってたところ、これは政治を考える上でかなり面白いトピックだよなぁと、考えているところです。

さて、ロビイストの国と比較して、日本にはロビイストと公言している存在はいますでしょうか。ロビー活動的なことをしている人々は多々いるように思いますが、自認することはあまりないように見受けられます。ロビイスト、という肩書きの人がいるというよりは、政治家がその役割を果たしている場合が多い気も。ロビー活動はそう公言しないところに効き目がある、そんなお国柄かもしれません。なるほど、このあたりでもシンクタンクが発達している米国と、シンクタンクの意味合いがだいぶ異なる日本にも如実に出ているのでしょうか。

そんな中、タイムリーに部屋には妹が借りたと思われる「サンキュー・スモーキング」のDVDが。ハリウッド映画によくある、話しの筋があからさまということもなく、物事の正悪を決めつけるでもなく、タバコについても当然そのスタンスを保ち、ベースラインがリバータリアンなところが大変共感でき、なかなか面白い映画でした。

最近、妹が購入したり借りてくるDVD(例えば女子用のブートキャンプにはまっております。しかも、これAmazonで見ると高すぎ!)を何気に見てみて、意外と楽しむことが多いのです。「そりゃよかった。でも反対はないかな。お姉ちゃんが選ぶDVDって、面白いためしがないんだもん。」むむ。通好みの映画が好きなんだね、って言ってください。
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by Haruka_Miki | 2008-05-17 00:00 |

トップダウン・ボトムアップ

旅のことやら趣味の話は大好きで、話題がつきないのですが、たまには仕事について語ってみようと思います。
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(といいつつブエノス・アイレスのボカ地区の風景)

現在私は、幸運なことになかなか興味深い仕事生活を送っています。仕事の中身というサブスタンス的なところでは、組織の存在意義・ミッションは千差万別なので、前職も現職もそれぞれの面白み、うま味があるのですが、実はサブスタンスな部分と同様に、私が興味津々なのは、構造的なところでの違いに関する発見の数々でしょうか。「組織」なので、結論として言えることは、集団にはいずれの場合にも歴然としたヒエラルキーが存在します。それだけでなく、その順番や経過、具体的に、組織の意思決定プロセスにはかなりの組織色が出ることが、対照化する二つの組織で働いて分かってきました。現職と前職は、世間的には真逆と思われる組織ですが、ピンで動く「人」ベースで見れば、多少の傾向の差はあるにせよ、基本的にそれは組織形態の差程は変わらない気もします。

学生時代、新卒採用のプロセスでのことです。前職の最終面接で一つの質問を投げかけたのを思い出しました。「こちらの組織での意思決定はボトムアップですが、トップダウンですか」と。今考えたら、唐突な質問にも思えますが、実はこれは組織人として働く際のかなりコアな投げかけだと思っていたりします。ちなみに、その時の回答は、間を入れず「トップダウン」でした。

実は、学生時代に私は今以上に、トップダウンという言葉にかなりのアレルギー反応があり、ボトムアップ信者(?)でありました。下の声を吸い上げる組織に、透明さなりフラットさなりクリーンさというイメージを抱き、反対にトップダウンという言葉には、権力的なものを感じ、そのイメージに対して自然と拒否反応を示したからだと思います。

ですが、もちろん全ての戦略の良し悪しは裏表です。実際「トップダウン」と称された前職は、コアバリューであるWhatの部分の決定は完全にトップダウンで、それ以外の、いかにその決定事項を成し遂げるか、のHowの部分は、実際の働き手達の手に委ねられる部分が多かったように思います。この結果、大枠の基本的枠組みがマネージャーにより決められている反面、Howのところには遊び心や創造性が求められ、そこに組織人としては付加価値を見出していたように思います。何をやっても、進むべき方向は決定しているので、効率的で、それなりに小回りが利く働き方だったように思います。他方、Whatの部分を一つ一つ作り上げるというよりは、全体的なコスモを見据えながらの作業なので、ミクロをこつこつ積み上げていく人には空を掴む仕事プロセスにもなり得ます。私は将棋も指しませんし、囲碁もしませんが、おそらくそうした勝負師が綿密な運び以前に宇宙的なものを考慮する、それに似ている気もします。(そういや、いつか羽生名人もそんな発言をしていたんですもの。)

対する現職は、世間的にはザ・トップダウンだと思われており、実際この上ないヒエラルキーの様相を呈しているのですが、実はそれは肩書きがものすごく重々しかったりの結果であり、前職とヒエラルキーという観点でそこまで違うのかと言えば、結局は「組織」という同じ星の元に在ります。現職の組織は、私にしてみればとてもボトムアップな組織だと思っています。まず、一つの問題に対し、一番下の人が対応し、その対応ぶりを次々に組織の上席に上げていき、修正が必要な場合はそのプロセスで行い、ということになります。当然ながら、前職のようにマクロな意思決定は、トップの議論によって決められるのですが、その後のプロセスがまた大変ボトムアップなわけです。こつこつ一つずつの仕事を積み上げる→それを上に挙げていく、というところが、もしざっくり言って、意思決定自体は結局トップがする、という点で前者と同じであっても、一つの仕事がなされる時間を大幅に増やします。当然、こつこつやれば、その上にできた結論はゆるぎないものなのですが、とかく非効率であります。

こうしたサブスタンス的な話を一切考慮しないとすると、やはり個人的に一番動きやすい意思決定プロセスは、基本ヒエラルキーの中ではトップが意思決定をするが、決定された後の具体的な立ち振る舞いは個々人の裁量の自由が与えられる、でしょうか。この自由、というのは厄介で、逆にノウハウの共有などがしずらいデメリットもあるとは思いますが、スピードを活かし、個人のモチベーションを上げるにはいいのかと。

小娘、何を言う、という話かもしれません。組織の意思決定方法が、組織のミッションと密接な関係を持つことも言えるでしょう。ミッションが経済型(金銭的利益追求型)でなくなればなるほど、つまり政治型になればなるほど、このトップの意思決定は難解を極めたりするのだと思われます。

が。やはり、一組織が動かしうるより大きな存在―それがまぁ国、とかグローバルな共同体、とかだったりするのでしょうが―があるのであれば、相当強いトップダウン的な意思決定と、それを決定するための「意思」がとても重要なのではないでしょうかね。

仕事が何であれ、ミッションを最大化して、一番最善な方法を考える時、仕事内容だけでなく、それ以外のロジック的側面の重要性を切に感じる日々であります。
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by Haruka_Miki | 2008-05-15 00:00 | 経済的営み

連れ添う

父と母は、大学時代からの付き合いで、それが縁で連れ添って今に至る。母が十八、父が十九のときだ。娘が言うのもどんなもんだという話だけれど、写真で見る当時の母はだいぶ綺麗で、真っ黒のおかっぱに祖父譲りの目鼻立ちが美しくて、たぶんそれは素敵な女子大生だったと察する。対する父は、アコースティックギターを引っさげたにこにこ顔の乗り物マニア、失礼、理系の学生だったようである。ま、その結果、ご存知の通りの娘が誕生しました...。なんで?笑

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(ブエノス・アイレスのパレルモソーホーの建物)

人間なので、それぞれでそれなりのテンションがあったり、たぶん娘の私には分からないことを沢山分かち合ってきたのだと思うし、父は私にとって父でしかなく、母もまた母でしかないのだが、当然父にとって母は元恋人で、奥さんで、母にとって父は元恋人で、旦那さんということになる。不思議。ハナレグミの唱、家族の風景みたいな不思議さが、家族にはある。

基本、多くの日本のカップルがそうであるように、我が家のまたお子様(私と妹)が家族の中心になっている面も否めないのだが、最近は、私も妹も段々一人前(の一歩手前)にきたので、父と母の二人の時間というのは、その昔位多くなっているのだろうと察する。まー、いつものらりくらりやっている二人のようだが、こちらも大人になったからか、『こども』のときには語らなかったようなことも語る。

さて、その母と話していて一つ。母が一番人生で後悔していること。それは、三十年弱で一度だけ父のことを信じてあげられなかったことがあったのだと。父の力を過小評価してしまったのだと。内容は些細なことだけれど、長年連れ添った母は、その自身がすごく悔しくてやるせない気持ちを今でも時々思い出すらしい。

私はといえば、それなりに国立大に行って、自身の仕事とかやりたいことだとか自負や自尊心ばかり大きくなったのか、以前主婦業専門の母に「私はママみたいになりたくない」と言い放って、それは母を傷つけた。今は母が傷ついたのと同じくらい、私も言ってしまった言葉の痛みを忘れずに生きていく。

家族との会話はたいがい軽く、穏やかで、時に涙を誘う。たいがい笑いに変えるのだが、だからこそそんな自身の心を打ち明ける会話は心に残る。

と、電話越しに話しながら考えれば、明日は母の日。二人でBENOITで歯を見せながら多いに笑って、ときにほろりな時間を過ごして参りましょう。
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by Haruka_Miki | 2008-05-10 00:00 |

スーツ et 背広

勤務先の変化に伴い、町並みというか景色がだいぶ変わったのですが、一番変わったのは、そこにいる人、かもしれません。いえ、人は実はそこまで変わらないのですが、Demography的な変化はあります。例えば、四十代、五十代のおじさま達にお会いする機会は激増しました。今までが、極端に若い人が多い組織だったからギャップはあります。が、それはそれで楽しいものです。

で、最近の私が気になるものとして、男性のビジネスファッションがございます。ある友人が、男性が背広を着ているか、スーツを着ているかで街の様子が分かる、と言っていて、そりゃ名言だと思ったのですが、まぁそういうことです。前職とは異なる趣味とはいえ、私の周りは皆さんスーツですね。そういう意味では。

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前職では、部署やセクションに拠るとは言え、全体的にはカフスを着けた人が多かったように思います。現職では、カフスは人によりますが、割合としては少ないかと。それ以上に、お髭をたくわえた方が思ったよりも多いのと、とりあえずサスペンダーが相当人気のようです。サスペンダーも、多様なんですね。こなれた感じで着こなすと、結構格好いいのだ。

ま、これは趣味の問題ですし、要はご本人が一番やる気になれる格好というのが肝心なところかと思いますが、傍目の勝手な視点で申し上げることができたら、とりあえず個人的な永遠の理想は、渋く、お茶目で、味わい深く、ださかっこいい、柳原良平さんのイラスト&開高健さんのキャッチフレーズ「人間らしくやりたいナ」のアンクルトリスだったりします。
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by Haruka_Miki | 2008-05-08 00:00 | Nippon

<喜び>から始め、<喜び>だけを追求するということ

休暇中に、「スピノザ 共同性のポリティクス」(浅野 俊哉著・洛北出版・2006年3月)を読み始めました。
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(ある日目覚めれば、絵のような空)

メディアに触れ、辺りを見渡せば、個人の幸福、国家、共同体、法、制度、それぞれの現状の分析と、批判と、尽きない悩みと悲しみが、多く語られ、書かれているのが常です。また、哲学関連の書物を読むと、大抵考え込み、悩み、問答するが再生産される場面が多いのですが、スピノザに触れて、久々に頭をがーんと殴られた感覚になっているので、スピノザの原書を読んでいるわけでもなく、この書自体が読み始めなんですが、とりあえず記しておこうと思います。

スピノザにとって、目下の関心は<喜び>にあると。「私たちが行動を起こす際には、『常に喜びからの感情から行動へと決定される必要がある』、『善とはあらゆる種類の喜びである』といった考えを示し、<喜び>の感情を事実上、倫理的な行為規範の地位にまで高めた。何より彼は、私たちのあらゆる思想と行動および学問の目的は、...すなわち人間が最も能動的な力に満たされた状態―を実現することであると考えていたが、それはスピノザによれば、私たちがより大きな<喜び>へと触発されていくプロセスを積み重ねることの中にしかない。」(14ページ)

「『各々の人の喜びまたは悲しみは、ある人の本性または本質が、他者の本質から異なっている分だけ、異なっている。したがってその限りにおいて、いかなる個人の感情も他者の感情と決して一致しない』。... スピノザは、この多様な<喜び>を交差させながら―すなわち人々が自らの特異性/固有性をいささかも失うことなく― 一つの共同性、より大きな<喜び>を構築していくというプロセスを構想している。スピノザにおける共同性とは、過去や未来に投影された理想郷でもなければ、現在の関係性に安住することでもない... むしろ、『今・ここ』にある<喜び>をもっと十全に、全面的に、かつ集団的に味わうために、自らの思考と身体を構成する力の諸関係を絶えず組み替え、解体し、構築し直す過程の中で実現されていく、『出来事』としての共同性なのである。」(28ページ)

究極的なところでの<喜び>を追求する、つまりは自身の活動力を最大限化するように行動することが、共同体にとっての究極的な倫理的定式であり、その意味で倫理は共同体の存続のために要請される道徳とは全く別物であると。

学士時代から続く興味関心として、特に経済活動を舞台とした―例えばそれが金融市場―人間の本質的な姿を見つめるというのがあります。その一貫で、倫理学、人間の欲望とは何か、等々考え続けています。その大きな流れのヒントの一つは、スピノザにあり、かもしれません。

政治活動にせよ、経済活動にせよ、いやそれ以前に自身の生活というレベルでも、各論と同時に、こうした大きな流れを見たい、考え続けたいものです。
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by Haruka_Miki | 2008-05-06 00:00 | 経済的営み