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パリ発 五感の穴

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Toussaint

明日はフランスの「La Toussaint(万聖節)」という祝日です。日本のお盆みたいな感じだそうです。同居人も、さっき実家に帰りました。
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同居人のママンは、随分と若くして亡くなって、お父さんが三人の子どもを男手一つで育てたのだそうです。だからか彼女がお父さんと話すとき、電話口の彼女はいつもにも増して優しくて、柔らかです。特に今年は、そんなお父さんが昨年再婚して、お母さんにも、新しい家族をちゃんと報告しよう、って家族みんなで集まることにしたのだそうです。日本のお盆みたいに、茄子や胡瓜でお馬を作ったりするのかな。お母さんをどうやって迎えるのかな。帰ってきたら聞いてみようと思います。

さて、人が亡くなる時、英語でもdeadという言葉は使わずpassed awayと言うのと同様、フランス語でもやっぱりmorterは使わずdisparu(消える、見えなくなる)と言うんだそうです。やっぱり悲しいものね。中学生の時にノルウェーの森を読んで、死と生はそんなに変わらない、というようなくだりがあって、私はそこばかりはどうしても賛同できなかったのを覚えてます。とはいえ、やっぱりなんとなくぼかしたい、曖昧にしておきたい、ファジーに故人を偲びたいのも本当です。

先日、彼女がいろいろな写真を見せてくれました。お父さんが部屋の壁に作ってくれた大きな本棚にはしごをかけて、上の方から写真の紙ばさみを取ってくれました。デジカメではない質感の、荒い、ぴんとが必ずしも合わない写真。それはそれは美しく、ライカの素晴らしさを今一度実感しました。そして、その中に、彼女のお母さんの横顔もありました。息子のウィンドブレーカーを着たお母さんの横顔。すごくきれいで、悲しく、でもなんとなく彼女のお母さんに会いたいなぁという気持ちを少しでも共有できて、静かだけれど、その晩は二人ともすごく和やかな夜を過ごしたのでした。

ライカのフィルムの生産は2012年だかに終わるはずです。さて、その時デジカメが代わりになりうるのか。私は、よく、アンチデジタルでアナログを美化する傾向にあるけれど、もしかしたら彼女の写真がものすごくきれいだったのは、やっぱりアナログの美しさがあるのかもしれないし、それ以上に、今はもう会えないお母さんが、強い光を放っていたからかもしれません。

しんみりする中、今夜はハロウィンです。こちらではさほど人気のイベントではないようですが、今夜の私のテーマはニューヨークはチェルシー界隈の天使、です。なんのこっちゃ?うーん、だからね、すてきな虹色の羽をつけるわけですよ、背中にね。
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by Haruka_Miki | 2008-10-31 00:00

Lign 6

地下鉄の6番線からの風景が好きです。
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中華街の近くから我が家を通過して、少し行くと地上に出て、あとは少しだけ鉄橋の上を走ります。エメラルドグリーンに塗られた電車が、鉄橋の上を曲がりながら走る様子は、必ずしも美しいわけではないのですが、少しすると右手にエッフェル塔、そしてセーヌ河を渡り、16区に入ります。私がまじまじとエッフェル塔を眺めるのは、6番線に乗った時だけかもしれません。それは、回りの喧噪やキッシュな商業施設の中でこそ光り輝く存在な気がするのです。パレデトウキョウ方面からのアプローチだと、あまりにその建造物は美しすぎて、完璧すぎて、なんとなく物足りなくなるのは、天の邪鬼でしょうか。

さて、6番線が好きな理由のもう一つの理由は、しばしばアコーディオンを抱えたおじさんが乗り降りすることです。お決まりのレパートリーを弾いてチップをねだってさっさと降りていく彼らは、やはりどことなく愛すべき存在で、パブリックスペースと表現の関係について考えさせてくれます。

アコーディオンの音色を聴きつつ、ある本を読んでいました。Dairaさんに頂いた、「どこへも行かない旅」です。人に旅を押し付けられたくないよ、というこれまた曲者の私は、少し作者に距離を置いて読み始め、しかし読み進めるうちに、どうやらこの本は、私のような旅人にぴったりの本だったようで、私の性癖を熟知した友人が選ぶ本というのはなるほど奥が深いわけです。

この本の中に、以下のような文章があり、私はいたく心を奪われました。

ところで、どうしてこういうふうにイギリス人が街並みや建築物などの保存に熱心なのであるかというと、つまりそれがとりもなおさず彼らの民族的アイデンティティのシンボルだからである。なんでもない町の家々にもそこに住んで来た何代にも亙る人々の歴史的記憶が宿っている。自分がいま見ているこの景色が、かつて子供のころに見たそれと変わりなく、またその父親が見た風景とも変わりなく、さらにはそのまた父親もそこに人生を刻んだであろう風景だったりするのだから、もしそれを軽々に破却してしまえば、それはとりもなおさずその風景の背後に凝縮していた歴史(=代々の記憶)をも破却してしまうことになる、と彼らは考えるからである。かくて地形、道路、致命、建築、産業的構築物、それらのすべてに亙って、彼らは手厚憂い保護を加えようとするのである。ところが、ここでもっとも大切なことは、こうした保存の運動が、多くは住民自発の意思によって運営され、自助の精神によって推進されているということである。

こちらに来る以前から積み上げきたものに加え、二か月弱でも大変自分の中での興味範囲が揺さぶれる感覚があり、その一つが市民のイニシアチブと公共空間と公共政策の関係性なのですが、まさにその辺りの感覚を言い当てられた感じで驚いたのでした。
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by Haruka_Miki | 2008-10-27 00:00 |

コメディー・アメリキャン

ここだけの話(でもないか)、小生がはまっている番組の一つに、The Colbert Reportがあります。
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(メトロポリタン美術館屋上からの風景です。視界に見える建物によって空も違って見えるのはなぜなんでしょうかね)

アメリカではかなり人気のコメディーショーのようです。自国の政治を辛辣に風刺し、笑いにしてしまうのは、アメリカのお家芸?スティグリッツやクルーグマンなどビッグネームもゲストで登場。司会役のコルベアさんは、本当はアイリッシュ系らしいですが、わざとフランス的な芸名で登場しているところも味噌のようです(コルベールレポーと読ませます)。

当方宅にはテレビがないですが、フランスの大概のニュース番組はオンライン通信されているのと、The Corbert Reportのような番組もオンラインで観られるので、今更ながらオンラインというメディア形体の威力を最近感じているところです。

さて、日本ではこうした風刺番組が作られたり、はたまたオンライン配信されるのはいつになるのかしら。
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by Haruka_Miki | 2008-10-26 00:00 | 経済的営み

映画の中、壁の中

カンヌでパルムドールを受賞した、Entres les murs (英語タイトルThe Class)を観ました。映画の中で、中学生の一人が、「おれはチュニジア人だ、フランス共和国へのアイデンティティは感じない」、それに対してもう一人が怒ってしまう、というようなシーンがありました。
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思い返せば、私の個人的な記憶では中学生の頃ってすごくいろいろが複雑で、世界がへんてこで、面倒くさくて、両親の優しさがとてつもなくうっとおしく、そんな尖った自分自身も嫌で、だからまた外界におかしな反発もしていた、グレー色の時期だったように思います。ましてやそれ以外の諸事情が加わったら。

我が家は、叔父・叔母・祖母・祖父が高校教師と、たまたま先生が多い家系なのですが、日本という割合とモノカルチャル(としておこう)な学校という「壁の中」でも様々な問題に家族は向かい合っているようです。

アイデンティティには様々な要因があり、私は女性であり、日本国籍であり、帰国子女であり、東京都出身であり、神奈川県出身であり、とまぁ諸々の帰属意識を抱えているわけですが、様々な帰属意識の優先順位付けというのはとても機微な問題であります。

様々な壁が実は自分たちが頭の中で作った幻想なのかもしれないし、いややはりその壁は確固として存在するのかもしれないし、でも少なくともその壁を自由自在に動かすか、フレキシブルにその間を動ける自身でありたいのですがね。ガス入りの水も好きだし、でも普通の水も好きだし、でもレモン水も好き、位なファジーさじゃだめ?
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by Haruka_Miki | 2008-10-24 00:00 | 芸術

三分クッキング

相変わらずこちらは暖かですが、そろそろ鍋もの、汁物がおいしい季節です。たまにはちゃんと料理をしてみようと思ってみたりします。節約生活なため、普段は学食か、野菜をたくさん入れたパスタだとかクスクスベースの簡単料理です。その分おいしいチーズと、パンを頂きます。
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昨夜は、時間をかけたものが食べたいと思い、赤ワインに合う料理は何だろうと思って、もっと安い赤ワインを調達して、お肉を買ってきてビーフシチューを作りました。しかし、すね肉ってなんて言うんでしょう。辞書を引いていったのですが、怪しげな顔をされたので、最初のおばちゃんは、そんなのうちにないよ、とぷいと顔をそむけました。何か機嫌を損ねることを言ったかしら。2軒目の肉屋(家の前に肉屋が2軒、酒屋が2軒、八百屋もご丁寧に2軒、並んでます)のおじさんは困った顔をしつつ、大きな骨を出してきました。こ、これ?って。いやー、どうやら間違い単語だったようです。じゃいいやと、もう少しいい肉を。仏語のすね肉、何というのか分かる方、教えてください。

さて、ビーフシチューって幾通りも作り方があると思うのですが、とりあえず吾輩はキウイをのせて、ワインをひたひたにして牛肉を置いておき、くたくたになったくず野菜に入れて、まずローリエと水で煮て1時間、ワインを入れて1時間、トマト缶(好みでデミグラスソース。入れなくても十分おいしい)を入れて1時間、とにかく活字に向かっている間に弱火でとろとろ煮ておこう。最後におじゃがと人参とマッシュルームを入れて30分。で、出来上がったのがこちらです!(映像省略)。栄養取れました。ごち。沢山作ったので、これをたまに出して食べるとしましょう。パンをくりぬいて、入れて、チーズをのせてオーブンで焼いても美味です。

なんてね、こういうの、一緒に食べたいですね。ニッポンのね、大切なあなた、大切なともだちに会いたいですよ。ほんと。なんか。メールで書けることって言葉ばかりで。感情ってどうしたらパソコンのフォントで書けるのかってね。そうですよ、全く。夜な夜な語ることって、また違うじゃないですか。だから、自分の昨日の様子を、日常を描いてみたわけ。

うまく言えないけれど、たくさんの抱擁とスマイルとマスカラ落ちちゃう位の涙粒とあったか料理の雰囲気を、大切なともだちに伝えたくて。いや、それも必要ない。なんか、とりあえずそっとしておいたらいい?でもそれができるだけ器が大きくなくって。まわりでちょこまかしてしまうでしょう。もし、同じ街にいたら。
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by Haruka_Miki | 2008-10-22 00:00 |

ご無沙汰してます

書きたいことがあるのですが、引っ越ししたり、なんやかんや間があいてしまっています。しかしながら、元気です。クラスで風邪が流行っているので、私もはやりにのって風邪を引いてみましたが、精神的にすこぶるヘルシーなのでありがたい話です。また近々更新するとして、写真を一枚をば。
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by Haruka_Miki | 2008-10-21 00:00 |

文明について

最近、いやこちらに来てよく"La civilization/Civilization"という言葉を耳にすることがあります。例えば、ソルボンヌで評判のいい、外国人用の仏語のクラスは文明講座と呼ばれているし、正直私は文明という言葉を自身が利用する機会が滅多にないので(出版社の第三文明社位でしょうか)、なんとなく違和感があるというか不思議な感じがしていたのですが。
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(ロマネコンティのワイン畑前)

そして昨日の安全保障のクラス。国連の安保理事会の理事をしていたレバノン人の先生のクラスでは、各講義でテーマがあり、戦争は消えゆくものなのか?という大命題があり、各講義ではその命題を考える手助けとしてサブテーマが与えられ、そのサブテーマを答える形で授業が進められます。

戦争について考える講義を受けています。国連の安全理事会の理事をしていた先生のクラスでもまた、<<文明>>が出てきました。講義では、9.11はただの一つのショックにすぎなく、文化的瞬間がいかにもうずっと前から始まり、社会科学全般に影響を及ぼしていたのかと。「文明は常に単数で利用されてきたし、実際一つの文明しかない」、というダイナミズムがずっと貫かれていることが挙げられていました。そして、この文脈での文明は、時に「民主主義」とか「グローバリゼーション」とか言葉や形を変えつつ、けれど単一的な軸が全体を支配するというダイナミズムという意味では、引き続きその流れに変わりはないのだと。それは、その後の文化人類学者たちが見出したように、他の文化圏に赴き、彼らもまた文明を持っているのだと発見し、けれどもその流れ自体は、この単一的な軸のダイナミズムに比べれれば、マージナルなものなのだというのが話の大筋でした。おそらく、このダイナミズムへの対応は、ウォーラースタインのように文化帝国主義的な介入的な対応にも、またハンチントンの非介入的な対応にもつながるのだと。

単一的な文明軸というのは、よくある話だと思うのですが、戦争というものを見る一つの眼差しとして、<<文明>>が今でもまだ用いられていることは興味深い点です。それは、文化という言葉を利用するのとは違うコノテーションを持っているのでしょう。

最後に。先日、中国社会に関するレクチャーがあり(2月に学校の研修で中国に二週間行きます)、中国人の先生曰く、「中国というのは、国の仮面を被った文明だ」という発言をされていて、衝撃を受けました。どうやらここでもまた、単一的な文明軸に対抗するだけの強力な力を持った存在が<<文明>>を叫び、しばらくは文明という概念から抜け出すことはなさそうです。
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by Haruka_Miki | 2008-10-21 00:00 | エチュード

コスモ

昨晩は、ちょうど私と同じ時期にパリに越してこられた日本からの友人の家で、ハウスウォーミングパーティがありました。大学の友人と集うことが多いのですが、ローカルな皆さんと話す機会というのは、大学と図書館と学食と寮の往復をしているとそこまで多いわけではなく、大変貴重なものです。13人分の料理はすべて彼と彼のお友達の手作りで、大変美味でした。

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(学校近くの道)

パリにいると、そこにはかなり強烈な小宇宙が形成されていて、現実があまりにも不思議なアウラに包まれている錯覚に陥ることがあるのですが、これは東京にいたときにも少なからず感じた感覚であり、いつかこれがただの夢で夢から覚める夢を見続けているのではと思うことがあります(酔ってないです、悪しからず)。その感覚とは、ある伝統なりを強く放つ社会に身を置くことで、世界全体で統一的なもの―私の場合、グローバル資本市場、競争社会、アメリカニズムなどを思い描くのですが―から一歩引いた社会において、感じる感覚と言えばいいのでしょうか。守られているわけではないのですが、それは思っている以上に居心地がよく、その意味で、いつか夢から覚めるのではないかというぬくもりを持った社会なのです。以前、東京について、グリーンハウスと記したのと同様な感覚を、異なる次元でこの街でも感じるのです。

これはもしかしたら、私が結局はパリに身を置きながら、非常に限られた、ローカルなもの・方達と交わる機会が少ないからかと思うことがあるのですが、その所以は今のところ定かではありません。結局は、どこまで言っても私はこの街でエトランジェであるわけですが、冷めた言い方をすれば、それは東京においても反対に感じた、ぬくもりを感じつつも、どこか日本社会に150%コミットしえない感覚(東京にいながら外資系に勤めるとかそういう話をこめてです)と同様なのかもしれません。いえ、その議題すら、一つの社会では一つの文化なり一種類の方々とだけ交わるという前提が、そもそもナンセンスなのかもしれませんが。

いずれにせよ、私の中で、環境の慣れに伴い、この小宇宙の温かさと外界にはたしてまた出られるのかという少なからずの懸念への対策として、そんなことを考えない位に、この小宇宙にどっぷり浸かってしまえばいいのだ、と日に日に考えるようになりました。その中で、大変いいご縁があり、実は近いうちに寮を出て、ローカルの女性とルームシェアをすることが決まりました。縁というのは不思議なもので、美大卒のこの女性とは、いろいろな面で似ているところがあります。馬が合う場合、そういうことは言葉でなく感じるわけで、彼女とはとてもいい共同生活ができそうです。特に、彼女は大学院が一緒なわけでもなく、どっぷりこの社会に住まう一人のアーティストであり、また勉強をする方であり、仕事をする方のようです。家は世界大戦以前に建てられたアパルトマンで、アトリエが集まり、日曜市が有名な商店街沿いにあり、窓からの眺めと、彼女のエスプリに満ちた部屋に私はただただ感嘆してしまいました。

あのアパルトマンと新しいお友達との共同生活は、小宇宙を愉しむ次なる大きなきっかけになると思います。
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by Haruka_Miki | 2008-10-11 00:00 |

Bourgogne駆け足

ブルゴーニュに足を延ばした際の写真をいくつか。完全リフレッシュして、そのあとの勉学にも役立った、と一人でうなずいています。うむうむ。ブルゴーニュでは、ワインは各地方の名前で呼ばれます。生産者じゃないのね。面白いです。このあたりのワインメーカーは基本家内工業で、父さんと息子、母さんも手伝い、というような構造が多いよう。日本の酒造りに似てます?家で何かをやるというのは、生産性に必ず限界があるんでしょうが、私はやはり大変惹かれる工程です。ちなみに、あっちで知り合いになったおばちゃんによると、夏はぶどう摘みのバイト、募集しているらしいですよ。「美味しい賄い付きだから。ね!」とね!を強く言われたので、力仕事ができると見込まれたのか、は定かではありません。

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ロマネコンティも近いです。ちなみに、ロマネコンティの家はこじんまり。ディジョンから各駅停車でリヨン方面に行くと、それぞれのワインの名前になっている地方があります。
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この家の色はすごかったです。自然の色はなんと優しげで鮮やかなんでしょうね。
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車は必需品。私は車の免許が法定翻訳中だったので(そもそもワイン飲むのだから無理か)、タクシーを。村のあちこちにあるメゾンまで連れて行ってもらい、一時間後に迎えに来てもらい、その間はメーターとめてもらえるナイスなおばちゃん運転手でした。おばちゃんがおすすめした定食屋も美味でした。
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by Haruka_Miki | 2008-10-06 00:00

白夜をコンセプトから現実にする街で学ぶこと

ゲームの意味合いをポストする以前に、怒涛の本のリストが押し寄せてきて、ペーパーの提出期限が決められたりして、その他に学校から日本語を話せる人、ということで何それのペーパーの依頼がきて、今更ながら私はやはり学生になったのだ、と納得しているところです。納得してる暇があれば、早く読んだり書いたりしなさい、という話ですが。

さて、ゲームの話は、実はこのコースのベースになる話かと思われます。まず、オセロゲームですが、これは、なかなか面白い結果になりました。当然ランダムにまずはボード上に石が置かれるので、結果は幾通りにもなりえるのですが、すべてのチームの共通点として、いずれにせよ、それぞれのチームは、最終的に同じ色が集合する形になったということです。つまりは、ボード上を眺めると、二色の差がかなり明確に見えてきます。月面ゲームですが、まず一人で考えたときよりも、ほとんどのチームにおいては、チームのメンバー(6、7人ほど)で知恵を絞った結果がより正解(NASAの解答を正解とする)に近く、ただし、クラス全体(36人)で一つの解答を出した際には、一人で考えた際よりは正解に近いけれど、チームと比較すると正解から遠のいてしまいました。

という結果がほのめかすこと、それは前者のゲームでは、ー私が住んでいたデトロイトでそうであったように―似た者同士が、似た肌の人、似た経済レベルの人、似た思想の人がより近くに住まいコミュニティを形成することを示唆しているかのようでした。そして、後者のゲームでは、人が集うことで、確かに意思決定は可能な限り最善の選択をすることができるけれど、人が多くなれば、それがどうしても難しいことを指しているようなのでした。

このゲームのメッセージ、それは相当単純なことですが、本で哲学や社会学や国関や人類学の理論を追いかけることが社会科学のメインであると考えていた私にはとても新鮮で、当然だけれど、だからこそ結構ゲームに自らが参加するという学び方は、結構響くところがありました。結局は、そのベクトルが安全保障であれ、自由貿易であれ、南北問題であれ、アーバンプランニングであれ、年金問題であれ、国境を越えた人の移動であれ、文化政策であれ、それぞれが私たち人が、集合的な存在であり続ける限り、そこに他人様のことをできる限り考え、限られた情報の中で最善の決断をすることが複雑に重なり合った結果なのです。公共政策の決定者というのが、一番理解していて然るべきことであるのでしょうが、結構この当たり前、が抜け落ちていることが多いような気がするのは私だけでしょうか。

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(リスクを取ることが好きであれ、とボンマルシェの広告。小生も甚く同感。)

話は変わって、今週末のパリでは、La nuit blanche(白夜)というイベントが市全体で行われます。土曜日の夜は夜な夜な、美術館も店もすべて開いていて、様々なインストレーション、音楽イベントが行われるというこれまた、集合的なイベントです。私も行きたいなと思っていたのですが、フランスに来て一度も観光らしいことをしていないため、今週末はディジョンに行ってみることとします。ただ、やはりLa nuit blancheに参加できないのは相当残念です。特に!さきほど地下鉄のフリーペーパーで知ったのですが、どうやらサンジェルマン教会において、なんとPatti Smithのフリーライブがあるらしいのです。これはショッキングであります。何しろ彼女は、私のアイコンの一人なので。Patti Smithをサンジェルマン教会で聴くなんて、なんて私好みなイベントなんでしょう。今夜は自身のリサーチ不足を嘆いて、枕を濡らすことにします。

パリに来たこと、それは必然であったかは分かりませんが、とりあえずこの決定をしてから、やはり身体を異なる環境に置くことで見えてくるものはたくさんあります。それは、特段どちらの環境がいいからというわけでなく、単なる「ずらし」によるものかもしれません。いずれにせよ、文化や都市計画を考える際に、パリというのは今のところとても興味深いなと思っております。

皆さまもどうぞいい週末を!
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by Haruka_Miki | 2008-10-03 00:00 |