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パリ発 五感の穴

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その日がやってきた

悠長な話です。その日、自宅にて、いつもの様に夕飯を囲んでいました。
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(プチ・パレの中庭はちょっとしたお忍びスポットです)

カルボナーラと新鮮なサニーレタスのサラダを食べて、頂き物の世にも美しいピエール・マルコリーニの玉虫色のマカロンを食べてご機嫌なソワレをしているところ、今までとは異なる感覚と痛みを伴う兆しが見られたのでした。時間を計ってみたところ規則的なので一応出かけてみることに。兆しが訪れる時以外の時間を見計らい、ゆっくり至近のタクシー乗り場に歩いて行きました。タクシーから見える青黒いセーヌ河と街並みが美しいことを見る余裕がある時とそうでないことが交互に訪れ、そうこうしているうちに目的地に到着しました。事前に言われていた窓口に出向き、確認をすると今日はもう帰らないでここにいてね、今夜中よ、とのこと。正直、そんなつもりがない程度の兆しだったのでびっくりしました。

この国に魅せられることは多いのですが、今までで一番感銘を受けたのは、医療と社会保険の制度の良さと質の良さでしょうか。特に生を授かるこのセクションはとてもプロフェッショナルであり、安心して身を預けることができるのです。初めて見るその部屋はシンプルながら必要なものが取りそろえられており、部屋に入る道でも新しい命の泣き声が聞こえてきました。

日本で同じ経験を通る方とは比べ物にならないと思うのですが、一通りの痛みを経験し、その後麻酔を打ってもらいました。とはいえ、それでもシースルー越しに感じられる痛みというのは確実にあり、時が熟すのを待つ間もそれが徐々に大きくなるのでした。鋭い波が行っては帰る、そういうのを6時間程経験してから、いよいよ先生を呼びましょうということになって、その時がやってきたのでした。

よく、産む、という言葉を使うと思うのですが、私自身の経験では、間違いなくこちらはその営みをassister(助ける)側であるにすぎず、本当に大変なのはそこを通ってくる小さな存在なのだと強く思いました。十月十日を通じ育まれ、時満ちてさぁ出てみようと思う弱くて小さいけれど確実に力強いその存在。それは超現実的で神秘的で不思議な経験でした。痛いとか怖いとか面白いとかでなく、その神秘に寄りそう経験は唯一無二でした。

何の縁かは分かりませんが、そんなこんなで母になりました。

ブログはあくまで私の話でありますので、意思疎通ができるわけでないその人についてあまり話すこともできませんが、それでも今まで経験したことがない種類の経験であることは間違いなく、その意味ではこんなに興味深い体験もないわけで、時を見て投稿出来ればと思います。
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by Haruka_Miki | 2010-08-31 00:00 |

家族にそっと、時に強く支えられるということ

土曜日の朝だけは、朝起きてから下のパン屋まで出かけクロワッサンを買います。通常は、田舎パンや雑穀パン、シリアル、マドレーヌにバナナ・時にバナナ他をミキサーにかけたジュースとコーヒーを食べるのですが、クロワッサンはささやかな週末だけの楽しみです。元々、ご飯党なので、白米にお味噌汁に焼き魚にお海苔と納豆というのも完璧素敵な朝ごはんなのですが、簡単さに負けて、上記のようなメニューが多いのです。

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(家の近くにある気に入りのビストロです。早い、安い、感じがいい、美味しいプロバンス料理はランチも夕飯も大人気です)

母が街に来ているのですが、母はパン好きなので、いくつか気に入りの種類のパンの頼み方を練習し、進んで焼き立てのパンを買いに行ってくれるようになりました。その他、コンテチーズが気に行った模様で、どのチーズが美味しいよ、とか、どのバターが美味しいよ、とか、イチジクのジャムは美味しいね、とか、この紅茶は美味しいね、とか楽しめてもらっているようで安心しています。日本に残した家族には母の不在中何かと面倒もかけると思うと申し訳ないのですが、やはり私としても心強いです。よく行くベトナム食材店、スーパー、市場、オーガニック食材店など一通り一緒に回って勝手が分かるようになった模様です。ありがたいことに買い物をお願いすることもあります。父がフランス語の会話本を持たせてくれたらしく、それを見ては市場の果実や野菜や魚、あとは万が一迷子になった際の諸々を控えています。実は、こちらに来る前に数カ月程ラジオ講座でフランス語をやってみたらしく、そういうことをちらっと話す母の気持ちが、心からありがたいです。

母を見ていて気づかされることは、「分からないことが分かる」ということによって、幾分も母の海外滞在が母自身にとっても、私や相方にとっても、日本で待っている父にとっても、楽になっているという点です。それは、遡れば、言葉が分からない環境でなんとか暮らさなくてはならなかった十四年前があったからなのだと思うのですが。

思い出すのは中学に転校したばかりの時に、なぜか唯一英語の能力を問わないはずの家庭科のクラスで落第点をつけられてしまって、メソメソ泣く私の腕を引っ張って、英語も流暢でない母はどうにかこうにか、気迫で教頭先生にかけあいに行ってくれたのでした。英語の授業ならともかく、家庭科でどうして?と。小さい村社会の学校には、そういう言葉が上手く操れない人への差別もあるのはある程度仕方なく、それに打ち勝つには、自分がその力をつけるしかなかったのです。それがまだ無理な子供を、押す姿勢を当時とてもありがたく思いました。

状況は変わりましたけど、今でも東京やここにいる家族に、そっと、そして時に強く支えられています。
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by Haruka_Miki | 2010-08-22 00:00 |

太陽がいっぱい

都会の中の自然は、それが「自然」でなく、ある程度「人工」であってもとても落ち着くものですが、こちらに来て初めてブローニュの森に出かけました。東京でも代々木公園と明治神宮に似た性質のものを感じていたので、久々に木々や水に囲まれ、太陽を浴びるというのは、とても心地よいものです。
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ゆっくり沢山歩いて、汗をかいて、ちょっと休んで、麦茶を口に含んで。日焼けもしました。こういうことをすると、東京に置いてきたハイキング靴が欲しくなりますね。そこまで本格的にせずに、ゆったりの今週末は、街端の森の池向こうにあるレストランでゆっくりゆっくりご飯です。
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by Haruka_Miki | 2010-08-22 00:00 |

プチパレにて

パリ市立美術館のプチパレで行われている、イブ・サンローラン回顧展に行ってきました。

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3月からのロングランも、今月でおしまいです。8月末で終わってしまう展覧会、朝から沢山の人が作っていました。時間帯予約の券の売れ行きも順調の様です。私も駄目元で身体的状況を説明すると、そうですか、じゃあメインの入り口ではなく、あちらの入口からどうぞーと、ありがたく横っちょから通してもらいました。ネゴ社会フランスではNonはOuiでもあり、その辺は交渉次第、とよく言ったものです。こういうゆるさがこの社会の居心地がいいところであり、反対にきっちりしているのが性分の方にはいい加減に取れるところかもしれません。

ファッション関係の展覧会はそれほど行ったことがなく、覚えている限りは埼玉県立近代美術館のファッションとスペイン文化展、ベトナムでたまたま観たピエール・カルダン写真展と、森美術館のヴィヴィアン・ウェストウッド展位なものかと思います。あまり縁がない世界ですが、プレタポルテにはないオートクチュール独特の世界観だったり美的感覚だったりが、世界の人々に与える影響というのはこうして歴史にしてみると明らかな訳で、特にイブ・サン・ローランというその人がフランス社会に与えた影響というのは、ココ・シャネルやクリスチャン・ディオールのそれと同じ様に、とても大きい様です。

私は日常に追われ、そんなことをすっかり覚えてもいなければ、おそらくはその記事さえ読んでいないのですが、相方曰く、2008年にイブ・サンローランが逝去された時、フランスは深い悲しみに包まれたのだそうです。ル・モンドは、一つの美しい花が散ってしまった、という風なこの上なく上品で上等なフランス語で彼が逝ってしまったことを追悼したのだと。

60以上の高級ブランドを傘下に持つコングロマリットが幅を利かすきらびやかな世界は、とてもまぶしくて、時に色艶が見えない位に、金銭的価値で計られ、私自身そうした状況にある程度の距離感を置いてしまうのです。値札がついていない空間で洋服が見られて、そうしたことが逆に浮き出てきて、なんとも味わい深い展覧会でした。
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by Haruka_Miki | 2010-08-20 00:00 | 芸術

宗教、文化、価値観の固有性など

フランスに多くの人が住むマグレブ地域を始めとする多くの地域で、ラマダーンが始まった様です。
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(チュニジアのプリティなスクーターたちです)

フランスにもイスラム教徒が多く住んでいるので、昨夜と今朝のトップニュースもラマダーン開始を知らせるニュース。ゆるり信仰のチュニジアの友人も、一昨日からウィスキーを断っているとのこと。オフィスの仕事なども朝早め始業で、休みなしに15時前に終えるという形式をとったり色々な工夫がなされるようです。しばらくは自動車の事故などがどうしても多くなってしまうこの季節、特に今年は酷暑の中のラマダーンなので、少し心配しています。インドネシアとイエメンにカシミール出身で米国に帰った同級生、日本にいるイスラム教徒の友人のことを考えつつ。

私自身はよく日本でありがちな、いいとこどりの申し子で、よく聞かれがちな、あなたは何の宗教を信じているの?に、うーんと祖父はこういうお墓に入っていて、祖母は毎年お盆ていうのをして、でも初詣というので神社も行くし、除夜の鐘というのを聞いたりお寺巡りもするし、クリスマスにチキンも食べるし、あとは、ガンジス川の流れにいたく心打たれたわよ、というタイプです。とはいえ、そういうRigidな宗教が持つ様々な規則と、それ以上にその背景にある意味合いには結構関心がありますし、分からない・知らない中でもリスペクトしていきたいと願っています。

当然、宗教もそうですし、人というのは様々で、イスラームの教えの信仰の仕方も地域性や家族の中、また個人の中で大きな幅があると思います。そのことが頭では分かっているけれど、限られた理解の中でリスペクトを示す時、逆に一つの固定概念に囚われる危険性もあるかなと思うと、簡単な話ではないと思ったりします。友人夫婦に、マグレブ出身のご主人と、ユダヤ教のフランセーズのご夫婦がおられます。二人をただの夫婦と言ってしまえばそれが一番シンプルです。言い方を変えれば、異教徒のカップルという言い方もでき、そこにポジティブ・ネガティブなコノテーションをつけることもできます。そういうお二人は、それぞれの信仰を割り切っておられるところと、許容されているところと色々あると思うのですが、こだわりすぎてもうまくいかない。

宗教以外でも、国籍や一つの文化圏の慣例というのも海外においてはしばしば尋ねられます。日本ではどうなの?てやつです。日本人はこういうときどうするの?だとか。明らかに、自身が日本代表というにははばかられる気がするので、そういう質問がある度に、個人的には、と一言加えて始めることになるのですが、そうはいっても、ある程度、一つの文化圏での「傾向」というのはあるわけで、自身も含めその傾向に影響されていることも本当であり。例えば、それは家族についての考え方や、パートナーシップに対する考え方、「愛」という概念の揺らぎなど、最近よく他の文化圏の友人と話す機会がある話題一つ取ってみても如実に表れています。もっといえば、女って、だとか男って、だとかそういう議論も、ある人にしてみれば性差による違いが明らかにある場合もあるし、そういう議論を好まない方もいます。

個人的には、会話を個人的には、で始めて、こういう傾向があるように思えるけれど、最終的には国籍や宗教や倫理や慣習の組み合わせによって、色々な日本があるんじゃないかな、と答える自分は、最善の答え方をしているのかもしれないし、ちょっとばかり外交的すぎるのかなと思ったり、さじ加減はなかなか難しいところですね。
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by Haruka_Miki | 2010-08-09 00:00