近況。
体脂肪が2パーセント落ち、筋力が1.5パーセント上がった。
年明けの初売りで、冬の地中海のような色のマフラーを選び、
気に入りの店でカットソーを三枚買った。
髪の毛が伸び、次第に色が少し明るくなりすぎた。
将来のことを考え、ばら色を描き、焦りを感じ、なんとかなると
一旦状況を冷静に見、とりあえずゆっくりいこうと考えた。
ガルシアマルケスの本をやっと読み終わった。
大著の上に、取るに足りないことであれ、生活の中で一日本に没頭することもないのが現実である。いつものことながら、彼の独創的な世界にしばし身を置くことは、日々の小さくも大きな悦びであり、想像性に感化され、不思議と精神的な安定さえも与えてくれる。読み進める興奮の裏は、難解かつ言葉数の多さへの狼狽であるけれど、本が終わるときの寂しさは、満足感と裏合わせでもある。
私は特段読書家というわけではなく、日常の営みのリズムの中で、無理が生じない程度のレベルでの読書家だ。必ず一つは本を持ち歩かねば不安になるのは否めないが、時間の空白を恐れる自分の癖に拠るもので、読書にプライオリティを置いていると自負しているからでもない。けれども、一旦その世界に引き込まれれば、世の読書をする人を同じレベルで、その世界に浸かり、ふわふわとした足取りでその後の現実世界に戻るのだ。
今、その現実世界への帰路の途中である。書く人の数以上に、読む人がいて、私はその一人である。書くという孤独な行為は、読むというある種これもまた孤独な行為によって報われるのかもしれないけれど、おそらくは書く人は報われるか否かはさほど重要視してはないのだろう。
とはいえ、読む者としてある種孤独な行為を進めるうちに、どこか書く人に共感し、または違和感や何らかの反対を感じることがあるということは、そこで読み手と書き手がそれなりの交わりをすることだ。私が読書にある種の安らぎを感じるのは、本が創造そのものであり、ある意味で書き手という「人」と言葉を媒介にして交流できることにあるんだな、と思う。ガルシアマルケスの本を読むととくにそう思えるのだ。