お正月の代休を使って、日曜日にオープンした乃木坂の
新国立美術館に足を運んだ。しばらく続くであろう、土日祝日の混雑を避けてのことだ。
六本木ヒルズの森美術館に続いて、六本木周辺に近頃美術館の建設が多い。芸術の中心に地殻変動が起きている。上野から六本木へ。都市の中心が、時代の様相を映し出す鏡かのように、芸術の中心にもまた変化がある。今月オープンの新国立美術館、そして3月にこれもまた六本木近くにオープンのサントリー美術館。その総称を、その中心の「創り手」達は「
六本木トライアングル」といううたい文句と共に、大々的に広告に打って出る。
前庭に歴史的建造物で二・二六事件ゆかりの旧歩兵第三連隊兵舎が一部分保存され、その前面には波打つガラス窓ををまとった建物がそびえる。芸術のその新しい器は、想像以上の大きさである。箱物行政になるか否かは、全てこの箱の利用始第というのが第一印象だ。
リヨンの有名な三ツ星レストランのシェフ、
ポールボーキューズプロデュースのレストランや、カフェ、その他ショップも入れて親しみやすい美術館を目指すのだそうだ。なんとなく、その建築物とそれに付随する話題性が先行する。それは、美術の方向性というよりは、森ビルの流れに続く、「ファッション性」、「流行性」の流れの上に位置するイメージ。
器が器以上であるために。
乃木坂のその場は、国立美術館ではあるが、いわゆるナショナルギャラリー、つまり国立美術館とは異なる。膨大な美術品と、それに見合うスタッフや技術を要し、常設の美術品を備えるだとか、海外から有名な美術品を集めるというのとは系譜が違う。だからこそ、キュレータ達の手腕が試され、その流れも彼らに完全に依拠しているのかもしれない。華麗なる美術品達に頼るのではない、ということは芸術の幅が拡がりを見せる反面、鑑賞者は何を見せられても、どんなテーマのものでも、主催者がそれが「アートだ」と言えば、有難きお言葉とばかりに、それにただひれ伏す事態もあるわけだ。たとえば、ドュシャンが便器を「泉」と呼んでモダンアートを確立した。さて、それを人々はアートだアートだとただ有難がるか、それとも論議をするか。
日本の国立の美術館。アニメーションなど日本特有の芸術形態と深い関わりを持った場所にしたいという意図もあるらしい。その方向性は未知数で、アートディレクターの腕のみならず、鵜呑み文化を超えた、活発な鑑賞者達の議論と参加にかかっているのかもしれない。