出版社の回し者以外の何者でもないようなのだが、
イスラーム金融の感動をもう一度、ということで、勝手に感傷的な私のこの想いを。
いつもの帰り道、恵比寿駅東口で人の波に流されそうになりながら歩いていたところ、キオスクの本置き場には全く似つかわしくない『イスラム』の文字が赤字で躍っていた。通常ならば、キオスクでお買い物は殆どしないのだけど、その瞬間に千円札を出している自分。イスラーム病の発病である。世の消費者は、ものが必要か否かではなく、購入することに満足を覚えるとの談もあるが、この日私は、必要性と購入欲の両方を、瞬時に満たされた思いだった。
『イスラム』の文字の正体は、雑誌を購入してからやっと冷静に確認した。
3月24日の週間ダイヤモンドは、何を隠そうイスラーム特集の号で、イスラームと経済と言えばおきまりの、オイルマネーに起因するイスラーム圏の活況ぶりについての記事はもちろん、少数派である、驚くべきイスラーム金融のいろはまでカバーしている。
なぜここまでの、正気を逸脱する購入行為に走ったかと言えば、申し遅れると、私は曲がりなりにも大学でイスラーム経済のゼミに在籍していた。イスラームに関心を持ったのはもちろんだが、レトロなこげ茶の窓枠が素敵な教授棟の一室にある
先生の部屋で焚かれる香の薫りに惹かれたと言った方が正確な気もする。その香の薫りに惹かれてから二年間、
イブンハルドゥーンの歴史序説や先生のご専門である
エジプト地域経済の話も含め、お菓子とお茶とナツメヤシを頂きながら、時間を過ごした。その中で後半取り上げたのが、イスラーム金融だった。
二年前であれば、ポピュラーな週刊誌にこうしてシャリーア委員会(金融取引や商品等、事細かにイスラーム法への適合性を判断する委員会。イスラーム法学者で構成される。なお、記事によれば、国際協力銀行も法学者を抱えているとのこと。そこまでは存じてなかった。)のことを取り上げることもなかったと思う。時代は変わった。思わず嬉しくて、ゼミの先生にお便りしたいところだが、「どうも骨のある議論よりはバブルな雰囲気ですねぇ」とにこにこしながら、辺りの騒ぎを遠巻きに見守るようなことをおっしゃるのが、目に浮かぶ。バブルで終わらないことを、元ゼミ生としては願って止まない。