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パリ発 五感の穴

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新聞のこと

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新聞を読んでいたら、存じている名前がいくつか混じっていた。あることに気が付いた。記事は文字の羅列でなく、それぞれの記者の個性を含む。けれど、たいがいこの個性は秘められ、誰も気づかなくなるまで浄化され、システマチックに配置される。これがとても苦手であった。

大学時代に新聞社の編集局でデスクや記者の小間使いのバイトをしていた時のことである。当時、東京の外信部づけだった数名の記者の方が、今は特派員をされている。外信部は、海外特派員として送り出される前の下積み期間でもあり、特派員を経験して帰国したデスク達の日本での拠点でもある。

デスクがいて、デスク達はそれぞれ専門の担当地域がある。その専門性をふまえて、それぞれ担当の日には、国際面の紙面を取り仕切る。何となく、その日の担当デスクによってレイアウトが異なる。選ばれる記事も異なる。十一時前に記事が決められ、レイアウトが決められ、校正に出され、第一版が刷られ、各部署のデスクが真ん中の大きな白いテーブルに集まってああだこうだとやる。これが第四版まで続く。首都圏から遠い順に、若い番号の版の新聞が印刷され配られる。首都圏に近いほど、直近のアップデートを経た新聞を手にする。

新聞をめくると、記事がとても効率的に紙面に収められ、紙面いっぱいに言葉が埋められている。匿名性は、ニュースを遠い世界の存在にする。すごくすごく遠い。だから、新聞が何となくいやになった。購読しない時期も続いた。一ヶ月前から購読を再開した。記者の名前を見て、その記事が生身の人間によって書かれたものだと再認識する。それが時に、いつだかお世話になった人の名前ならなお更、新聞が5W2Hだけのただの言葉の羅列でなくて、どういう風に取材したのか、やっとリアリティを持つ。

遠のいたから気づいた。記事とはこんなにも人間的なものなのだ。だから逆に怖いのだ。だからシステマチックに、個人の情緒や個性はできるだけ秘められてしまうのだ。秘めると同時に、社の方針は、じわりじわりと反映された文章が紙面を埋める。

近年、様々な媒体ができ、マスメディアの一方通行の時代は終わった。私もあなたも発信できる時代になった。それが可能になった。もはや個性を覆い隠す組織もない。そして、新聞の記名記事のように実名を語らなくても発言が可能となった。このブログがその状況を端的に示す。そこに、デスクもいない。校正係りもいない。刷り直しも自身が望まなければ必要ない。情報は方々に散らばり、氾濫し得る。

記事のモノトーンさが苦手だ。事実の羅列というのに胡散臭さを思う。編集というプロセスの客観性に疑問を思う。だけど、これだけ様々な媒体ができた現在だからこそ、新聞の記事は今まで以上に重要なミッションを持つようになったようにもおもう。苦手な中に、記名記事という個人を見出し、記事のリアリティをそれなりに理解し、そして今、記事で苦手だと思っていた点の良さも大切さもなんとなく分かるのだ。
by Haruka_Miki | 2007-11-13 00:00 | 五感
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