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パリ発 五感の穴

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利き茶

社会運動のクラスの勉強で、Squattingと、よりピースフルな草の根運動についての調べ物をしていたら、同じ目線どころか抹茶を頂きたくなりました。水差しもお釜もないので、Tefalから直接お湯を注いてでいますが。こういうのを、BOBOと言うのか。自分も同じ穴の狢でしょうか。

最近は、朝の一杯以外は、断然コーヒーよりお茶の出番が多いです。玄米茶、玄米抹茶、ほうじ茶、煎茶、麦茶と各種日本から持ってきており、ルイボスティやミントティー、Kusmiティ、Infusion各種など沢山で、学校には毎日水筒を持って行っています。

しかし、抹茶だけは水筒には入れられんのですよ。やっぱりお茶は美味しいです。さて、そんな午後のお茶にもう一つあったらいいもの、それは落語のCDです!こないだ東京で落語聞いてきました。そしたら隣に結構有名な俳優さんがいらっしゃって、とても雰囲気がありました。今はかなりのお年のようなのですけど。ちょうど節分の日だったので豆まきを最後にしたのですが、その時その方は勇んで前の方に行ってお豆もらってました。品があって茶目っけたっぷりでした。ああいう雰囲気は、お茶だけすすってごろごろしていても一朝一夕には身につかないのだろうなぁ。
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# by Haruka_Miki | 2009-03-18 00:00 | 五感

散歩道

春空のパリ。この街に住まう醍醐実といえば、暗い冬を通り抜けた後の爽やかな季節なのではと勝手に思っています。我が部屋は最上階のメザニン部分に位置しているので、雨の音、小鳥のさえずりなどが聞こえやすい作りです。部屋にいて、コーヒーなぞを飲みつつ、子供の遊んでいる声でふと我にかえるとき、どこか既視(聴?)感があります。文化圏は違えど、それは、そう昔ではない過去に、私が子供側であって、家にいる大人たちが聞いた私たち子供の奇声とそう違わないのだと思うのです。

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なお、暗い冬空も、暖炉などがあれば(私、暖炉の側でホットワイン飲みつつ本を読むとか編み物するとか←できませんが、そういう生活素敵だなと思います)いいのですが、そうポジティブに考えると薄暗い冬も悪くないのであります。

二月の終わりから新学期が始まりました。今学期は、マクロ・ミクロ・統計学などを勉強しつつ、インドや中国などの新興国のケースを用いたPubic FinanceとProject managementのクラス、NGO、ロビイスト、デモなどの草の根活動の発展を理論的に噛み砕いたクラス(ちょっとこの国ぽいのです)、それか国のDecentralizationと規制のクラスなどを中心に勉強しています。自身としては引き続き、途上国のまちづくりと、パリの都市計画に関心があるので、本などで補足しつつという感じです。

先日、大学の友人とインターネット上で話す機会がありました。彼は外資系金融→現在戦略系コンサルティングで働く、いわゆる「エリート」、そして若き希望溢れる青年ですが、全く持ってなるほど、類は友を呼ぶという言葉が合った仲間の一人だと思います。興味深かったのが、いわゆる成功の道を突き進んでいるかのように見える友人自身は、常に自身の進んでいる道にある程度の満足をしつつ、常にはたしてこれは自分が本当にしたいことなのかという疑問を抱いていることです。彼が本当にしたいこと、それはまだ漠然としているのでしょうが、私がちょっぴり聞いたところでは、それは海が大好きな人間として、海に近い生活をしつつ、オーガニックの農業をすることだったりするみたいです。

もう一人。愛すべき先輩はアメリカのCPAも取得してとても努力家の人ですが、彼女もこれは何か違うと思うところがあったようで、今は監査法人を退職し、ヨガのインストラクター免許を取得しつつ、現在は社会的イニシアチブを支援するこじんまりとした会社で働いています。

そして今住まう地にもまた、人生を考える友がいて、ずっと描いてきた移民と人権関係の仕事、しかし勉強をしてみると実はこれは本当に自分が一生をささげたいことではないのではないかと考える人もいたりします。

興味に突き進む友、そうでない友、それはある意味で私自身を映し出す鏡のような存在だったりします。職歴とか学歴とかそういうところでないレベルで、私はどういう価値観を通すのか、人生を送りたいのか、願わくばどのようなインパクトを社会に与えられるのか(もしくはそれが跳ね返って自身の幸せにつなげられるのか)ということを考えるのに、友の存在はやはり無敵です。

ということを考えつつ、プログラムの二年目に今と異なる環境で勉強することも一つの選択肢となりました。パリまたはロンドンどちらに住み、2010年までの大学院での執行猶予を最大限に活かすのか考えどきであります。
# by Haruka_Miki | 2009-03-11 00:00 | エチュード

かれらの時代

上海行きの機内で、面白い本を読みました。大江健三郎氏のわれらの時代です。この作品は、氏が二十三の時に書いた作品で、確信犯的に暗くねっちりした言葉がそこここに散りばめられ、ある時代の鬱憤を鮮やかに描いているのでした。

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それは図らずもそれから赴く地にぴったりな本でありました。発展に沸く社会と、ある経済水準に到達し、ある種の鬱憤を抱えるようにも見えてしまう社会という鮮やかな対比を頭の中で引き起こし、妙に山椒が効いたカップラーメンをすするのと、ワインやスピリッツを少々頂く以外は、ずっとこの本を開いていました。

82年から北京在住のあるフランス人のジャーナリストが、その頃の北京の様子を描写した言い方がとても独特で響いたので記しておきます。「あの頃はね、本当に何もなかったのよね。何もないのが普通だったの。だから、満たされるということがどういうことか分からなかった。だから、みんなで集まって夢を語ったわ。真ん中に庭がある隣通しで、ろうそくの光で夜通し。あのぼんやりとする仄かな光の部屋で、将来への光を語ったんだわ。」私の訳では訳しきれない気持ちが、古き中国に魅せられ、現地の人と結婚したジャーナリストの言葉に滲み出ていたのでした。

話は変わって、2010年に中国は上海で万博が開催されます。上海の街中、それだけでなく西安でも北京でも、この万博の宣伝が至るところに配置され、これがまたある一つの装置として都市を造り、人々の参加を呼びかけていることはとても興味深かったのでした。万博実行委員会にお偉方の話を聞き、様々なことが頭をめぐりました。名古屋で行われた万博の後に上海があることが面白いですし、それぞれに対する市民・国民の反応というのもまたまちまちであろうと思うと、私はどちらかというと、万博の是非だとか、国家、都市の思惑よりも、こうした社会的コンテクストが一人の若者に与える影響、また一人の若者が前者に与え得る影響に強い関心を覚えるのです。

「しかし、ぼくは同胞とか連帯とかという言葉よりも、自由とか孤独とかという言葉のもつ感情世界になじんで生きている青年なのです。そして裏切ったり裏切られたりする状況に頭を突っ込むくらいなら怠惰に寝そべっていたいと思っている青年なのです。...日本人の学生、それは永遠の行動不能の状態にある者ら、生まれついての不能者、非行動的な膠着状態におおとしいれられている者らです。」 大江健三郎・われらの時代、文庫版165ページより
# by Haruka_Miki | 2009-03-01 00:00 | エチュード

中国研修後

ご無沙汰しています。東京を後にして、学校の研修で中国にいました。上海→西安→北京と二週間で駆け足。このブログも当局の規制でアクセスできなかったので、長らく時が経ってしまいました。研修ということで、学校での講義大半、観光もそれなりにというものでしたが、とても楽しい旅でした。

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私にとっては初めてのメインランドチャイナ。今まで近くて遠かった国です。北京オリンピックを終え、2010年に上海での万博を控え、また世界経済の波を受け、それ以外に内なる辺境でのあれこれ。急激なモダニゼーションと都市と地方格差。中国共産党のエリート育成学校の先生の話、地方官僚、人類学者などの話はそのダイナミズムと、この国が抱える矛盾のようなものに少し触れさせてくれてとても興味深かったのでした。

個人的に私は私ですが、そこに国籍という問題が関わる場面にも数回出くわしました。特に他の国籍の学生と旅をしていると、その差が歴然としている場面もあったのですが、好きであろうとなかろうと、それはそれで一つ私という人間に、どこまでいっても、一つのベクトルに出身国という物差しがあるということです。そして、そのことを再認識し、しかしそこに留まらぬやはりアジアの民としての通ずるものを多く発見しました。

中国初心者として、見えるもの見えぬものは多く、ここで述べることは所詮、その文化の言葉を話さない中で可能な限り集めた限りある情報を元にした主観的な意見でしかありません。なので大それたことは一つも言えぬと記しつつ、分からぬ者として感じたことも多々あったと思います。

誤解を恐れず感想を言えるのだとすれば、この国は多くの矛盾を抱えた国という印象を受けました。しかし、矛盾がネガティブなものと理解することこそ偏った見方で、私にはこの矛盾こそ、この国最大の魅力に映りました。長い文明の歴史の記憶が人の髄まで浸透し、その反面封じ込めるような劇的な政治転換。規模がものを言う都市計画と小さな路地。外を侵略することはないけれど、中なるセパレティズムには強硬な対応を取る帝国の側面。ODAの受け手でありつつ、アフリカへのドナーでもある国。金銭的なアフリカへの繋がりだけでなく、人材面での育成も盛んで、清華大学を始めとするトップ校にアフリカ出身の学生を招へいしての特別の大学院コース。外のメディアでは、メディアの当局の規制が激しいのだと勝手に思っていたのだけれど、どちらかといえば、規制という見えざるレッドラインを踏まないように、自己規制の幅が案外広いのではという発見。

特に東京において、私には多くの親しい中国人のお友達がいます。その友達と話してみたいことを沢山垣間見ました。

一つ感じたこと。ああ、私はアジアの民です。全く違う、けれど沢山共通点を持つこの地をいつかまた訪れてみたいと思うのでした。摩擦があればあるこそ、そう思うのです。
# by Haruka_Miki | 2009-02-22 00:00 |

郷に帰ることと、知らぬ地を旅することの違い

東京にしばし戻ってきました。前半はとかく家族との時間を楽しみ、後半は海外からのお客さんを迎えてです。

この地を離れてほんの少しですけれど、慣れた場所での生活というのは、それが自身が育った文化だからかは定かではないのですが、いつもすんなり溶け込める部分が多いです。でも、恐らくこれで今住む地に戻った際には、それはそれで割合と日常にすっと入りこむことに時間は要さないのでしょう。

これは、どうやら私の性格もありますけれど、今現在とても守られた立場で海外に住まうことも大いにあるでしょうし、それを支えてくれたり激励し合える大切な人々がいることがあるでしょうし、そう考えると、あの街でもこの街でも、いとも簡単に生活できるというのは、ある程度本当であり、とはいえある部分では、そうした守られた環境だからこそ、そういう悠長さがあるのだという現状に、気づいていないだけなのかもしれません。

今回郷に戻ってきてふとした瞬間に感じたことは、当然ながら私が学生として様々な気づきをしているそのまさにその時に、この地の大切な人々の生活、仕事、プライベートは当然ながら現在進行形なわけです。プライベートのことですと、仲がよいお友達のことはもはや身体的に隣にいるかのように日々アップデートするわけですが、実は仕事をしている友達の横顔ほど、遠い姿になっていることは、紛れもない事実かと思われます。

今の地でも、社会人の方々は周りにたくさんいますので、これは東京にいる、海外にいるという話だけでなく、自身が一度仕事から遠のいたことで鋭さを得た部分、同時に鈍くなった部分を、今回の帰国で切に感じたと言えばよいのでしょうか。そのことは、特に海外にいると、それ以外の緊張もあり当たり前のようですっかり考えず仕舞いでした。パリでの生活にだいぶ慣れてきたからこそ、このことに気づいたことはとても大きいですし、今後の日々の送り方にしても、今一度こうした機会を得た幸運を真に感謝しつつ日々を最大限有意義に重ねていかねばと心新たにしたところです。
# by Haruka_Miki | 2009-02-01 00:00 |