春空のパリ。この街に住まう醍醐実といえば、暗い冬を通り抜けた後の爽やかな季節なのではと勝手に思っています。我が部屋は最上階のメザニン部分に位置しているので、雨の音、小鳥のさえずりなどが聞こえやすい作りです。部屋にいて、コーヒーなぞを飲みつつ、子供の遊んでいる声でふと我にかえるとき、どこか既視(聴?)感があります。文化圏は違えど、それは、そう昔ではない過去に、私が子供側であって、家にいる大人たちが聞いた私たち子供の奇声とそう違わないのだと思うのです。
なお、暗い冬空も、暖炉などがあれば(私、暖炉の側でホットワイン飲みつつ本を読むとか編み物するとか←できませんが、そういう生活素敵だなと思います)いいのですが、そうポジティブに考えると薄暗い冬も悪くないのであります。
二月の終わりから新学期が始まりました。今学期は、マクロ・ミクロ・統計学などを勉強しつつ、インドや中国などの新興国のケースを用いたPubic FinanceとProject managementのクラス、NGO、ロビイスト、デモなどの草の根活動の発展を理論的に噛み砕いたクラス(ちょっとこの国ぽいのです)、それか国のDecentralizationと規制のクラスなどを中心に勉強しています。自身としては引き続き、途上国のまちづくりと、パリの都市計画に関心があるので、本などで補足しつつという感じです。
先日、大学の友人とインターネット上で話す機会がありました。彼は外資系金融→現在戦略系コンサルティングで働く、いわゆる「エリート」、そして若き希望溢れる青年ですが、全く持ってなるほど、類は友を呼ぶという言葉が合った仲間の一人だと思います。興味深かったのが、いわゆる成功の道を突き進んでいるかのように見える友人自身は、常に自身の進んでいる道にある程度の満足をしつつ、常にはたしてこれは自分が本当にしたいことなのかという疑問を抱いていることです。彼が本当にしたいこと、それはまだ漠然としているのでしょうが、私がちょっぴり聞いたところでは、それは海が大好きな人間として、海に近い生活をしつつ、オーガニックの農業をすることだったりするみたいです。
もう一人。愛すべき先輩はアメリカのCPAも取得してとても努力家の人ですが、彼女もこれは何か違うと思うところがあったようで、今は監査法人を退職し、ヨガのインストラクター免許を取得しつつ、現在は社会的イニシアチブを支援するこじんまりとした会社で働いています。
そして今住まう地にもまた、人生を考える友がいて、ずっと描いてきた移民と人権関係の仕事、しかし勉強をしてみると実はこれは本当に自分が一生をささげたいことではないのではないかと考える人もいたりします。
興味に突き進む友、そうでない友、それはある意味で私自身を映し出す鏡のような存在だったりします。職歴とか学歴とかそういうところでないレベルで、私はどういう価値観を通すのか、人生を送りたいのか、願わくばどのようなインパクトを社会に与えられるのか(もしくはそれが跳ね返って自身の幸せにつなげられるのか)ということを考えるのに、友の存在はやはり無敵です。
ということを考えつつ、プログラムの二年目に今と異なる環境で勉強することも一つの選択肢となりました。パリまたはロンドンどちらに住み、2010年までの大学院での執行猶予を最大限に活かすのか考えどきであります。